●猪と出会う
広大な畑の中央に、支配者の如く悠然と立つ猪型サーバント。
2体いるうちの1体が1歩足を踏み出すと、畑の畝から鋼の輝きを持つ虎ばさみが跳ね上がり、体格と比べ細い足を囓ろうとする。
しかしサーバントの頑丈さは野生生物を圧倒的に上回っている。五月蠅げに数度足を振ると、めきりと異様な音が響いて罠の残骸が畑に転がった。
「すごいねー」
畑の端から観察していた氷月 はくあ(
ja0811)が、採算度外視で作られた罠に目を輝かせていた。
「猪除けの罠にしては強すぎるんじゃないかな」
クロエ・キャラハン(
jb1839)は呆れ、しかしすぐに気を取り直す。
「はくあちゃん、罠の配置分かる?」
「んー、と」
はくあはアウルをまとって罠の探査を開始する。
「あっちとこっちとそっちと……」
10を越え、20を越えても終わらない。
「ふわぁ、これは中々凄いねっ! ぜんぶで47だよ!」
なお、これは撃退士達の現在地からサーバントの現在地までの間に存在する罠の数である。
畑の中の罠の総数は、確実にこれ以上だ。
「通報者のじいさん、やり過ぎにも程があるだろ」
榊 十朗太(
ja0984)は渋い顔をする。
悠長に罠を解除しながら近づこうとしたら、サーバントに無防備なところを襲われかねない。
「あの、罠を撃ってみてもいいでしょうか?」
藤宮 睦月(
ja0035)が小さな声で、控えめに手を挙げる。
対天魔戦闘にも耐えうる和服を上品に着こなした彼女の手には、無骨な散弾銃が構えられていた。
「うん、手前からお願いっ」
教本通りの構えの睦月とは対照的に、はくあは素晴らしく堂に入った構えで銃口を罠に向ける。
「豪華な罠を壊すのはもったいない気もするけど、お仕事だからねっ」
森の奥の畑に、2種類の銃声が連続して木霊するのだった。
●挑発とはこうするものだ!
銃撃により撃退士の近くの罠が破壊されている間、2体のサーバントは撃退士に向かって来なかった。
知性に欠けるのか戦意に欠けるのかは分からないが、動いては罠に掛かって体を振って外すという不毛な行動を繰り返している。
「今回は対サーバント戦闘であると同時に猪狩りなのでーす」
狂々=テュルフィング(
jb1492)はふふんと不敵に微笑む。
右手には笛。左手には石鹸。
いずれも真っ当な猪なら苦手……な可能性が高いものだ。
「1番、狂々=テュルフィング、行きます!」
ぽぴーと笛の音が響き、音を置き去りにしかねない速度で薬用石鹸が畑と水平に飛ぶ。
2体のサーバントのうち、明らかに体格の良い方の眼窩に石鹸が直撃し、数秒引っ付いた後畑に落ちる。
「へいへいへーい。鬼さんこちらですよー」
狂々が明るく挑発すると、大気が震えるほどの雄叫びが響き、両目を血走らせたサーバントが狂々目がけて突撃を開始した。
少々の被害は無視するつもりらしく、がちん、がちんと凶悪な音を立てて食いついてくる罠を力尽くで押し破り、高速大重量の踏み込みで鋭い杭を押しつぶし、撃退士が開拓した安全地帯に踏み込む。
「君の瞳に約万ボルトー!」
全力でアウルを展開しつつ、狂々はサーバントの目を狙って矢を放つ。
頭に血が上っているとはいえ戦闘能力の低下はないようで、猪は微かに首を動かすことで眼窩ではなく分厚い毛皮で矢を受け止める。
「さすがは経験者です。日用品を使って敵戦力を分断するなんて」
銃から持ち替えた胡蝶扇を艶やかさすら感じられる所作で構えながら、睦月は狂々を援護できる位置で待機する。
もう1体のサーバントは、畑の畝ごと罠を透過しようとして、祖霊陣に邪魔されまごついていた。
十朗太はわずかに口元を緩めると、罠のない安定した足場を確保し、全身の力でピルムを放つ。
狂々に注意力のほとんどを振り向けていたサーバントは、一瞬反応が遅れてしまう。投げ槍は分厚く頑丈な毛皮と皮膚を貫通し、脇腹に半ばまで埋まる。
十朗太は加速し、急所にひと当てして猪の動きを止めるべく十文字槍を振るう。
が、ようやく落ち着きを取り戻したサーバントは狂々を狙うのを諦め、狂々に比べるとひ弱に感じられた睦月を狙おうとした。
だがその動きは酷く鈍い。十朗太が攻めに向いたルートを塞いでいるためだ。
ぱしん、と扇子が猪の鼻先を叩き、その進路をねじ曲げて遮蔽物のない場所へ誘導する。
「貫け、電気石の矢よ。トルマリン・アロー!」
雷を伴う水晶片が連続で飛来し、サーバントの後部を削っていく。
最期の1つが後ろ足の端を消し飛ばすと、サーバントは己の重量を支えきれずに畑の中に転がる。
奇しくも、そこは真っ当な猪がその命を散らした場所であった。
「皆、巻き込まれないように一旦離れて」
グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は仲間を信じて詠唱を開始する。
「黒玉の渦よ、すべてを呑み込め」
狂々が危うげ無く、睦月が無理をせずに猪から離れ、十朗太はもう1体のサーバントも警戒しながら発動中の阻霊符を守る構えを見せる。
「来たれ深淵の渦よ」
闇が猪を覆い、暴虐そのものの精神を揺さぶり、半ば以上機能を停止させる。
「今です」
「は、はいっ」
グラルスに促され、前衛陣が再び前に出る。
十朗太が十字槍を振り下ろして猪頭を畑にめり込ませるせ、続く扇子の一閃が眼球を破壊する。
苦し紛れに前足を振るっても、狂々が体を隠せる大きさの盾で防いでしまう。
「降り注げ!」
抵抗する術を無くしたサーバントに断罪の矢が降り注ぎ、四肢を、頭部を、胸の奥の中枢部位を完膚無き無きまで潰される。
「向こうも終わったようですね」
グラルスは本を閉じ、穏やかに微笑むのだった。
●死闘
冗談のような誘き寄せから即座に激闘が始まった側とは違い、もう1体のサーバントと撃退士との戦いはゆるやかに展開していた。
サーバントは撃退士から距離をとろうとし、グラルス等と別れた撃退士達は逃走を警戒し距離を保つべく前進する。
「向かって来ないと最後まで削っちゃうよー」
はくあが構えたPDW FS80が火を吹き、銃弾が回避も防御も許さず脇腹や背中に命中し、毛と皮膚と筋の一部を吹き飛ばしていく。
このままでは埒が明かないと思ったのか、サーバントは畑の畝を蹴り飛ばし、破壊しながらはくあとの距離を一気に詰めてくる。
地主が仕掛けた罠とは根本的に異なる、当たり所次第で天魔の動きすら止める手が、猪の足下から何本も突き出て猪の足を掴もうとする。
サーバントは畑全体を揺るがすほど力を込めて、回避するため横に飛びかけた。
が、高密度の怨念で激しく燃え上がる闇刃が、サーバントの真横から猪足に着弾する。
サーバントとしては優れた耐久性を持つ猪は、足を少々削られようが戦闘能力が下がらない。とはいえ全体重をかけた足に直撃すれば動きが鈍る。鈍ってしまえば、地の底から無数にわき出る手から逃れるのは不可能だった。
「呼び手ってこんなに出るんだな!」
今日は妙に調子が良い。神鷹 鹿時(
ja0217)はにやりと笑い、その場から動けなくなった猪から離れて攻撃的な技の準備を開始する。
「ふふふ、さっきまであんなに暴れ回ってたのに。いいざまですね」
もがいても猪が腕を振り払えないのを確認してから、クロエはゆっくりと猪の背後に回り込んでいく。
移動中も攻撃の手を緩めず、汲めども尽きない憎悪をアウルと混ぜ合わせ、闇の刃で皮膚を切り裂き、肉を焼き、骨を砕く。
普段は年齢相応の朗らかな笑みが浮かんでいる顔には、磨き抜かれた淑女のように華やかな、凝り固まった憎しみで形作られたほほえみが浮かんでいた。
「おとぎ話の存在らしく、天は塵に還りなさいっ!」
闇の刃が猪の喉笛の半ばを切り裂いたとき、サーバントは残る力を振り絞って手をふりほどき、全身から体液をまき散らしながら畑の外へ駆け出す。一旦逃げて、一方的に蹂躙できる相手を選んで襲うつもりなのだ。
「駄目だよ」
青いアウルをまとった小さな手が、猪と酷似したサーバントの鼻先に触れ、一切の慈悲無く引き裂く。
猪のように頑丈で力強いそれは、猪同様の弱点を持ってしまっていたようだ。
声にならない悲鳴をあげて、必死に首を振って八角 日和(
ja4931)を引き剥がそうとする。
「んっ……。強い、ねっ」
鼻先を念入りに破壊し終えた日和は、今度は足を潰そうとサーバントの側面に回り込む。
それを好機と見た猪は、横転することで日和を潰すとする。しかし日和に逆に近寄られ、すり抜けられることで回避されてしまった。
「どこに行くの?」
くすくすと、恐怖をかき立てる声が響く。
凝った闇が猪の巨体を何度も貫き、既に逃げ道がないと悟ったサーバントが再び反転する。
「おーう。なんだか凄いことになってやがる、なっ」
鹿時は炎の弓にまばゆく輝く矢をつがえる。
「炎に焼かれやがれ! フェニックスアロー!」
アウルを全快にして放つ。
矢は宙を奔りながら弾け、獰猛にして精悍な不死鳥と化して猪の口から胸を貫き、背中に抜ける。
既にどうして動いているかわからないところまで破壊されたサーバントではあるが、この状況でも戦意を失わなかった。
一歩踏み出すごとに筋が裂け、骨が砕け、生存に必須のものが体から抜け落ちていく状態で、これまでで最高の速度で鹿時に迫る。
「飛んで……イージスっ!」
はくあが猪の横っ面に金の弾丸を浴びせて狙いを逸らせる。
逸らせたとはいってももとの威力が大きすぎ、猪の攻撃がかすった鹿時体が大きく吹き飛ばされ、柔らかな土の上に叩きつけられる。
だが抵抗もそこまでだった。
猪型の体から力が抜け、全身の筋肉が弛緩した状態で畑にへたり込む。
クロエが嬉々として振るったパルチザンが猪の首を切り開き、野外活動に使えるズボン姿の日和が、頸骨と太い血管を一息に切り裂く。
さしものサーバントもこれで限界を超え、一際大きく体を震わせてから、完全に生気を失い畑に転がった。
「神鷹先輩、大丈夫ですか?」
戦闘中の憎悪を一切感じさせないクロエがのぞき込むと、鹿時は苦痛を笑顔で隠して親指を立てる。
落下の瞬間に受け身はとれていたとはいえ、大した根性だった。
「できればロックと呼んでくれ」
戦闘が終わったとはいえ、未だに空気は緊張している。
そんな空気を、心からの喜びとユーモアが吹き飛ばす。
「ふ」
「はははっ」
戦闘の緊張から解放されたせいか、誰からともなく明るい笑い声がこぼれる。
「包帯ならありますよ、ロックさん」
「サンキュ」
日和から受け取った包帯を巻きながら、ロックは勢いをつけて立ち上がり、力強く拳を振り上げて勝利を宣言した。
●弔い
「若いのに健脚じゃの」
戦いの日の翌日。軽く息を乱した老人が、山道でも上体をほとんど揺らさないで歩くグラルスの背を追いかけていた。
「撃退士ですから。そろそろ着きますよ」
息を乱さず、汗ばむこともなく、グラルスは老人を気遣いながら戦場跡に案内していく。
優れた力とそれに奢らぬ心根を兼ね備えたオッドアイの青年に、老人は明るい未来への兆しを感じていた。
「うむ。あらためて礼を言わせてもら……おう?」
「お待ちしていました。できれば、畑の近くにお墓を作って弔ってあげたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
せいぜい中学生にしか見えない少女が、最近では滅多に見られない、礼法に則った態度で願い事をしてくる。
姿勢は完璧。精神的な意味で少し腰が引けている気もするけれども、それがいいと思う者も多いだろう。
少なくともこの老人はそう思う1人だ。
「助かる。わし一人で埋葬するのは体力的にきつくてなぁ」
出来の良いかわいい孫を見る目で、相好を崩しながら睦月に何度も礼を言う。
「実はとっくの昔に埋めてんだけどな」
畑の隅に転がっていたスコップを手に、十朗太が身も蓋もない事実を口にする。
冬とはいえ殺されてから時間のたった猪は腐敗していた。担いで運ぶわけにもいかなかったため、畑の外にもあった落とし穴を利用して埋めてしまったのだ。
十朗太達撃退士の体力により埋葬は短時間で終わり、今は畑の危険物を処理して穴を埋め立てているところだ。
「良ければこれを」
日和が清潔な布に包まれたものを差し出す。
中身に察しがついた老人は姿勢を正し、恭しい態度でそれを受け取った。
そっと布をどけると、無数の小さな傷がついた牙が出てくる。散々に畑を荒らした憎い相手の牙ではあるが、死んだ相手に鞭打つ気にはなれない。
睦月が線香に火をつけると、老人は狂々に倣って手をあわせる。
薄い煙が、抜けるように青い空に消えていった。