●葉桜に酔う
既に酒盛りが始まっていた。
他人には絡まず陽気に騒ぎ、それでいて周囲への警戒は完璧。
しかし酒に近づこうとしない者も多かった。
「ふむ」
弁当箱を開けると、まず目に入ってきたのは鮮やかな黄色と緑だった。
黄色はしっとりとしただし巻き卵。
一つ口に入れると中のウナギごとほろりと解け、上品で芳醇な甘さが口から体全体に広がっていく。
緑はサラダ。茹で海老とミニトマトとカシューナッツが絶妙の割合で含まれていて、目にも鼻にも舌にも美味しい。
メインは煮物だ。
茶系統のそれには黄色と緑のような派手さはないが、タケノコは柔らかく、鳥つくねは濃厚で、蕗の適度な歯ごたえが絶妙だ。
他の面々に渡した弁当箱には、年齢や酒好き度に応じて鶏唐揚げやお握りをつけている。
作り手の精進と愛情が感じられる、限りなく愛妻弁当に近い逸品であった。
美森 仁也(
jb2552)は時間をかけて弁当を堪能し、魔法瓶から緑茶を注いでカップを傾ける。
「なかなかですね」
飯マズ嫁の旦那連中に呪い殺されそうなコメントをしつつ、1ヶ月前には盛大な花見大会が行われていた場所を見渡す。
サーバントが現れる前は頻繁に整備されていたようで、落ち葉が少し積もっている他はとても綺麗で過ごしやすい。
ただ、桜の木が多いため見通しが効かない。不意打ちを防ぐためには常時気をつける必要があるだそう。
カップを傾けながら余韻に浸っていると、人間ではないものが高速で動く音が聞こえた。
「どうしました?」
サーバントではない。
語りかけると幹の影から小柄なスレイプニルが顔を出し、その背から小柄な天使が軽い音を立てて転げ落ちた。
「何であんなのが好きなのか、ボクにはわからないよ……」
アッシュ・スードニム(
jb3145)は、傷心の飼い犬っぽい雰囲気で呟いていた。
「感覚が鋭いのですね」
柔らかな翼や健康的な肌に触れないよう抱えて、スレイプニルの背中に戻す。
「うう……」
礼を言う代わりに天使の翼が力無く上下する。
アッシュが穏やかに微笑むと、スレイプニルは礼儀正しく頭を下げてから主を宥めつつ風上に移動していくのだった。
●迫る大蛇。1匹目
「ひどいめにあったよ」
アッシュはレジャーシートの上に四肢と二対の翼を投げ出していた。
首輪状のヒヒロイカネに触れてヒリュウのイヴァを呼び出し、アルコールに苛まれて傷ついた心を癒してもらう。
酒盛りをしているひとたちに悪意がないのは分かっているけれど、感覚が鋭いアッシュには酒の臭いは優しくない。
「お酒、駄目かな?」
何食わぬ顔で度数30越えのカクテルを片付け、普通のオレンジジュースを取り出す。
「ちょっと臭うし……。ありがとね」
「どういたしまして」
フロレンツィア(
jb5351)は小悪魔的に微笑み、アッシュはよく冷えたジュースによってようやく人心地つく。
でもまだ精神的ダメージは残っているようで、イヴァに少し嫌がられながら抱きついていた。
「敵は凄い強敵なんだよね?」
堅い分強固な地面にシートを引き、ジュースとお菓子と葉桜を楽しみつつも警戒を怠らない雪室 チルル(
ja0220)が違和感に気づいて首をかしげる。
「うん。確実に強敵だよ」
酔いが顔に表れていない悪魔が真面目な顔でうなずく。
1本ウン十万久遠相当の酒の味は、多分、大人達にとっては脅威になる。
「否定はできんな」
3人と微妙に離れた場所で、やけ食い気味に焼き鳥の串にかぶりついていた夜剱零(
jb5326)がつぶやく。
年齢的に大人の酒盛りには加われず、年齢的に見た目子供の花見にも加われない彼は、1人孤高を保つしかなかった。
静かに花見を楽しみたいのだろうという仲間からの気遣いが、彼をぼっち……もといさらに孤高な状況に追い込んでいた。
「あれ?」
急にアッシュが起き上がる。
座敷犬のように愛らしく、軍用犬以上の力を持つアッシュが鼻に意識を集中する。
良い香りだ。
高級菓子店で嗅いだことのある気がする、けれど少しだけ違う気もする繊細で鮮烈なにおいだ。
「なんだろ?」
微量のアルコールが無ければ最高なのにと思ったとき、疲れで鈍っていたアッシュが瞬時に覚醒する。
「サーバント!」
「待ってたぜ」
足の力だけで跳ね起き、夜剱零は遠くに見える白蛇目がけて疾走を開始する。
既に光纏は完了している。
指に挟んだ符に膨大なアウルを注ぎ込み、力任せに握りしめて術を発動させた。
「焼き尽くしてやる!」
ゆったりと姿を現した蛇が炎に包まれ、周辺の空気を冒しかけていた酒っぽいものが薄れて消えていく。
「アディ! 突撃だー!」
結局、アッシュが酒っぽいものに襲われることはなかった。
夜剱零に気づいたサーバントが戦術を切り替え、酒っぽいものではなく純粋な状態異常攻撃に切り替えたのだ。
スレイプニルと共に外見だけは立派な、しかし既に4分の1ほどの鱗が焼け焦げた大蛇に挑み、殴る蹴る銃撃するを繰り返して押し込んでいく。
強くはないが予想より頑丈で、このままでは逃走されてしまうかもしれなかった。
「いい気になるなよ蛇野郎」
指の力だけでコルクが飛ぶ。
夜剱零が持つ硝子瓶から強烈なアルコール臭が溢れ、アッシュは思わず一歩下がって大蛇から距離をとってしまった。
「これでも飲んでろ!」
力任せに瓶を叩きつける。
直撃してもダメージを受けないと判断して透過しなかった白大蛇に、50度を超える強烈な酒が降りかかる。
「消し炭に成りやがれ! 炎陣球!」
火球が弾ける。
酒に引火はせず威力も増さなかったが、怒りの籠もった炎は大蛇の鱗を焦がし、肉を焼き、内臓を沸騰させる。
大蛇の形が崩れ、地面に崩れ落ちて砕け散る。
「酷い臭いだ」
命の気配のない消し炭が、かすかにアルコールの臭いを漂わせていた。
●酔いは誰のせい? 2匹目
鋭い牙と金属バットがぶつかり、耳障りな音が響いた。
「やるわね」
淡い桜色に染まった顔にきりっと真剣な表情を浮かべ、フロレンツィアは思いっきり力を込める。
蛇型サーバントは頭を引っ込めてバットから身を離し、空振りで体勢を崩した悪魔の喉元に食いつこうとした。
「なんて強い状態異常攻撃っ」
体が安定しないのは、戦闘前に飲んでいたアルコールにも原因がある。
もちろん戦闘に悪影響がでるほど飲んではいない。
空振りしても勢いを緩めず360度回転し、近づいて来た大蛇の頭に横からバットをめり込ませる。
大蛇は目を回してその場にへたり込み、フロレンツィアも視界が回転しているため狙いが甘くなる。
白大蛇がごろりと横転すると、寸前まで頭があった場所にバットがめり込んだ。
「見つけたっ!」
チルルが戦場に到着する。
花見会場は3体同時に現れたサーバントと酒好き達の奮闘っぽいものによりとんでもなく混乱していた。
ようやくサーバントのもとに辿り尽きたチルルは、自分より大きな剣を軽々と突き上げ、真っ直ぐにサーバントに向かっていく。
「あたいがやっつけてやるんだか……わぷっ」
大蛇の鼻先数センチに水球が発生して撃ち出され、チルルの口元にぶつかり上半身を濡らす。
立ちくらみに似た感覚が彼女を襲う。
が、立ちくらみや軽度の酩酊で鈍るような柔な鍛え方はしていない。
「えいっ!」
空気を切り裂く音は、大剣が地面にめり込むよりほんの少しだけ遅れて耳に届く。
サーバントはとっさに後退して両断されることだは防いだ。
しかし頭の前半分は断ち割られ、腹にも深い傷が出来、半ば開きにされかかってた。
「なにこれ? 水? ……ちょっとむかついた!」
剣を引き抜きながらぺっ、ぺっと水を吐きだし、軽く腰を落として剣を肩に担ぐ。
サーバントは体液を垂れ流しながら最期の力を振り絞って逃げようとして、バットに遮られて進退窮まる。
「たぁっ!」
サーバントの頭部が砕け、胴から尻尾が破裂する。
残ったのは、地面に広がる白っぽい体液だけだった。
●飲むか飲まれるか。3匹目
激しい戦いが始まる前、酒飲み達は酒盛りに興じていた。
鮮やかな緑がひらりひらりと風に揺れながら落ちてくる。
極上の美貌と豊満な肢体を隠す白髪にしばし止まり、空になった弁当箱に滑り込んだ。
「事前情報が真なら天使にも洒落が分かるのがいるということだけど」
空になった杯を揺らす。
「お代わりいるかの?」
狐要素の強い悪魔が、五目ご飯入り稲荷が並べられた大皿を持ち上げる。
「レシピ通りなので味は問題ないはずじゃ」
「悪くはないけれど」
百夜(
jb5409)は一瞬だけ視線を横に向ける。
そこには緑の桜の木しかないけれども、遠くから微かな気配と香りが近づいている気がした。
「うむ。そろそろ時間じゃしの」
狐珀(
jb3243)は皿を片付け立ち上がる。
その手には、戦闘に巻き込まれても耐えられそうな、非常に頑丈な寸胴鍋があった。
「では」
「ええ」
歩調をあわせて酒の気配に近づこうとしたとき、2人を1つの影が追い抜いく。
「抜け駆け御免」
妙に時代がかった時代劇風の台詞を残し、立夏 乙巳(
jb2955)が大蛇めがけて疾走する。
インフィルトレイターが前に出てどうするとか色々言われるべき事柄は多いだろうけども、今は重要なのはただ1つ。
「飲ませてもらおうか。絶品のさけっぽいものとやらを! でござる」
形の良い艶やかな唇から蛇の如き舌が伸び、緑の両眼が高位悪魔じみた光を放つ。
こっそり忍び寄っているつもりだった白大蛇は怯え、恐怖し、慌てて水球を生み出して乙巳に投げつけた。
「っ」
乙巳は、避けるどころか自らの口で水球を受け止める。
「この攻撃は……」
無粋な添加物は皆無。
米と水をが変化したものと酷似したそれは、ただ金を積むだけでは手に入れづらい逸品に限りなく近かった。
「たまらんでござるな!」
急速に酔いが回り体の切れが鈍っていく。
が、鈍った状態でも目の前のサーバントを数段上回っている。
大蛇を丸呑みする巨龍のごとき笑みを浮かべ、乙巳は胸元から取り出したひょうたんを手に飛びかかった。
●酒盛り
「しっかりせい!」
狐尻尾で頬をはたいてやっても、乙巳の目は開かなかった。
すうすうと妙に可愛い寝息を立てて、蛇のように体を丸めて寝入っている。
「よくもやってくれたのう」
亡き友の敵を討つ! とでも言いたげな表情で、寸胴鍋を手に大蛇に向かっていく。
なお、寸胴鍋はV兵器でも武器ですらなく、学園の調理室から借りてきた備品である。
蛇面にもうやだおうち帰るという表情を浮かべた大蛇が後退しつつ水球を繰り出す。
それまでで最高の威力。ただし逃げ腰で後退しながらだったため狙いが甘く、花見会場の地面を虚しく濡らすことしかできないはずだった。
「なんてもったいな……いや見事な攻撃じゃっ」
水球は寸胴鍋で受け止められた。
透明な液体が揺れるたびに豊かな香りが溢れ、獣人型の悪魔に生唾を飲み込ませ、妖艶な悪魔にうずうずさせ、泥酔していたはずの悪魔の意識を覚醒させる。
「ぬうう。もう1本とっておくでござるよ」
空のとっくりを手にふらつきかなが立ち上がる蛇舌悪魔に、大蛇は怯えてしまっていた。
「強敵ね」
千鳥足の狐珀を追い抜き、百夜が一歩一歩ゆっくりと大蛇に迫る。
サーバントは恐怖のあまり腰が抜けており、亀の歩み以下の速度でなんとか逃げようとするが当然逃げ切れない。
1秒でも時間を稼ぐために水球を放つ。
撃退士の側から当たりに来てくれるが、少し足下が怪しくなる程度で彼我の戦力差はほとんど全く縮まらない。
「ふふふ」
「むふふふなのじゃ」
白髪の悪魔が妖艶に迫り、狐尻尾がぺちんぺちんと蛇の頬を張る。本人としては符を尻尾に張った強烈な一撃のつもりらしいが、現実には単なる嫌がらせでしかない。
数分が経過し、サーバントが精神的に死ぬ直前。遠方から飛来した銃弾が大蛇の頭部を貫き止めを刺す。
「全く……」
アウルの弾丸で慈悲の一撃を打ち込んだ仁也は、悪魔の本性を現した顔に呆れを浮かべて酔っぱらい3人を見つめていた。
●夢の跡
「そっちは! そっちはどうでござる!」
「だめなのじゃぁ」
蛇と狐が無念の涙を流す。
たっぷり回収していたはずの酒っぽい液体は、サーバントの死と同事に味気ない水に変わってしまった。
「幸せな酔いの感情を吸収つもりだったのかもね」
剣を仕舞ってから、百夜はレジャーシートとサーバントの残骸の片付けを始める。
いろんな意味で酷い戦いだったが、彼等は酔いはしても他人(但しサーバントは除く)に迷惑をかけるは一切無く、桜には傷一つつけていなかった。