●どーなつ
新鮮な油が甘いドーナツを揚げる香りが漂う。
甘味大好き人間にとっては聖地ともいえるレストランの入り口に、古典的にして威圧的な巨体を持つ悪魔が仁王立ちしていた。
「入レマセン」
しゃがんでも角が邪魔で入れない。
「しょーがないからボクがでるよっ」
言葉とは逆に心底楽しげな声が響き、元気の良い子供の足音が近づいてくる。
「にょほほほほ」
幼い、けれど目の前の悪魔よりも存在感のある声だ。
「ドーナツはぁ、ぜ〜んぶ、ボクが頂くのだぁ!」
「は、はいぃぃぃっ。ど、どなたにお渡しすれば」
店長が顔を青白くしながら視線をさまよわせる。
覚悟を決めた調理スタッフが大皿に山盛りしてドーナツを運んで来るが、彼女もまた声の主を見つけられずに恐怖しながら困惑する。
「ボクだよう」
必死に背伸びしたした手がなんとか大皿に届く。
「へ?」
「あら」
リスのように頬を膨らませてドーナツを食しているのは白野 小梅(
jb4012)。
20ものディアボロを率いる有力悪魔である。
小梅は悪魔の能力をいかんなく発揮して、できたて熱々のお菓子をすぐに完食してしまう。
「ありがとぉ」
口元に砂糖と油をべっとりとつけた小さな悪魔が笑顔で礼を言うと、店長以下店員達も釣られて笑みを浮かべるのだった。
●迷走する剣
天魔を断罪する剣である最精鋭撃退士達は、迷走していた。
「馬鹿な、これだけ探しても捕捉できないだとっ」
街の人々を人質に取られることを防ぐために街にいるはずの天魔を狙ったのだが、どれだけ探しても見つからない。
主力を率いる小梅が襲撃という名目で甘味処巡りをしているので仕方がないのだ。
「お困りのようですね」
タキシードを着こなす紳士が声をかけてくる。
撃退士達はまずは驚きで思考停止し、次に警戒心MAXでV兵器を向けた。
だって戦場になりかけの場所でおでん汁がしみこんだ大根マスクという時点で怪しさが頂点を極めているのだから仕方がない。
「悪魔の居場所が知りたいのですよね?」
「っ……何が望みだ」
天使とも悪魔ともつかない相手に、撃退士達は精神的に圧倒されていた。
「情報の報酬は情報で。世の中の常識ですよ。 勿論、等価ではありません。商売ですからね」
声に笑みが混じる。
しかし、目からは人間を自然と見下ろす巨大な力が感じられた。
「そうですね……、引換るのは貴公がお持ちの情報+おでん一食分でいかがですか?」
オーデン・ソル・キャドー(
jb2706)の言葉に、撃退士達は引きつった笑い声をあげる。
場違いな冗談と受け取ったからだが、もしこのときおでんについて深く考えていれば、後のギャグもとい悲劇はなかったかもしれない。
●撃退士の敗北
大根マスクの怪人に教えられた道をたどり、撃退士はやけくそ気味に呼びかけてみる。
「卑怯者、出て来ーい!」
「誰が卑怯者ですか」
凛とした声が撃退士達の耳に届く。
恵夢・S・インファネス(
ja8446)が翼も無しに軽やかに着地したときには、既に2振りの大剣を両手でそれぞれ構えていた。
「百首塚を掲げれば、姉さん達も自由の身」
身内を人質に取られた悪魔は、己の思いを封印して人間達に向かっていく。
「縁は無くとも斬らせて貰います」
「七業魔剣か。これほどの大物が出てくるとは思わなかったが……」
人類の強者達が瞬く間に10人がかりの包囲を完成させる。
「これだけの戦力を投入したのだ。確実に獲らせてもらう」
恵夢の返事は、その巨大さからは想像もできない速度の巨剣の一撃、否、持ち替えつつ放たれる7剣数十撃であった。
「くっ」
「何ぃ」
撃退士達は剣で弾き盾で受け止める。しかしその動きは急速に鈍くなり、何故か赤面し、半数近くが前屈みになりさらに鈍くなる。
「舐めているのですか」
「舐めれるものなら舐めたいわい畜生!」
彼女いない歴イコール年齢の撃退士は、恵夢が剣を振るうたびに柔らかく上下する2つのふくらみから視線を離せない。
「っ……このぉ!」
涙目の恵夢が、剣の腹で連打して男達の記憶を奪おうとする。
しかし、女っけのない男達は意地でも記憶だけは死守し、妙に幸せな顔で気絶するのであった。
●Bの悪夢
「いいー? 私の可愛いディアボロちゃんたちー!」
小悪魔が心底楽しげに訓辞を垂れていた。
「つよきうけ、きちくぜめ、それからそれから……おらにゃん系のおとこのこ! いっぱいさらってきちゃうんだよっ!」
独特の咆哮がゲートから街へと降り注ぐ。
その不吉さは桁外れであり、隣県にいた超高位悪魔(男性)も恐怖で夜眠れなくなるほどだったという。
その1時間後。
「兄さん!」
「来るんじゃない……うわぁっ」
ゲートから地上に展開した特殊ディアボロ達は、女顔の美少年や冷たい瞳の眼鏡青年や生意気そうな少年の不意を打ち、組み敷いていく。
「き、君はまさか」
撃退士をこの地まで導いてきた幼女が、子供ではありえない欲にまみれた笑みを浮かべていた。
背中から妙にファンシーな翼が展開し、つるん、すとんな小悪魔の本性を露わにする。
「おにいちゃん達、ヴァニタスになってくれない?」
「ふざけるな!」
「俺に構わず撃つんだ!」
激高する撃退士達に対し、エルレーン・バルハザード(
ja0889)は文字通りの悪魔の囁きをする。
「私、やさしいからぁ……こきつかったり人間を襲わせたりしないんだよっ。ただぁ、時々、お互いにいちゃいちゃしてもらってぇ、それを私に見せてくれればいいのぉ」
一人だけ無事だった生意気そうな少年の耳元で囁き、眼鏡青年を目で示す。
少年の手から力が抜け、刃の消えた剣が虚しく道路に転がった。
「キミらも……大変だね……まぁ……まずは……落ち着いて……笹かまでも」
絶望一色に染まった撃退士の目の前に、笹型のかまぼこが差し出される。
保存を優先した真空パックではない。
職人の手によるこだわりの逸品である。
「天使! ぜったい、渡さないんだからっ」
小悪魔が特殊ディアボロに命令を下し、天使に向けて殺到させる。
賤間月 祥雲(
ja9403)は愛しのかまぼこをくわえたままつまらなそうに悪魔達を眺め、一度だけ地面を蹴った。
「気乗りしないから負けた振りをしてもいいだけど……こういうのに負けるのは嫌だからね」
「あうっ」
後頭部を軽く撫でてやると、小悪魔は意識を失い倒れ込む。
「後は……片付けて……」
祥雲が率いる兎型サーバント達は、戦闘とは無関係な能力に特化した特殊ディアボロ達をあっという間に駆逐していった。
「はっはっは。見事なものですな」
この場に祥雲を導いた謎の人物が、再び姿を現す。
おでんの出汁が染みこんだ卵のマスクを被った怪人は、怪しくても無視できない悪魔についての詳細情報を残して再び姿をくらませた。
●いたずら
悪魔側ゲートに進入した上位天使は、進入した時点で進退窮まっていた。
「もういやぁ」
スカートを絶妙の位置まで下ろされてしまった少女型天使がうずくまり。
「おふぅ」
背筋を小さな指でなぞられた筋骨逞しい天使が体を震わせ戦闘不能に陥り。
「きゃっ」
地上の撃退士に匹敵する戦闘力があるはずの美女天使が膝かっくんで姿勢を崩される。
悪魔の存在を否定する刃を咄嗟に振るうが、小柄なリコリス・ベイヤール(
jb3867)の頭1つ分上を虚しく切り裂くことしかできなかった。
「ふー」
小さな唇からあまーい息が吹き込まれる。
凛々しく引き締まっていた美女の顔がとろけ、城塞風の床に両手両膝をついて喘ぐようになる。
「結構なお点前で」
両脇をさわさわして武器を取り落とさせた後、勝利の記念にズボンを下ろして完全に無力化し、リコリスはいい汗かいたと非常によい顔で額の汗をぬぐう。
「次いってみよーか!」
「おー!」
リコリスは戦闘能力を失った天使を放置し、手下を引き連れゲートから飛び出す。
目指すのは天使のゲート。
求めるのはコアでも魂でもなく、いたずらのし甲斐のある獲物だ。
●天使本営
謎の大根マスクによって恵夢の身内が保護開放されたことで、戦局は激変した。
恵夢に率いられた撃退士達は真面目に戦う天使と悪魔を都市から追い払い、悪魔との戦いで戦力を失ったはずの天使ゲートに攻め入ったのだ。
「どうするつもりだ!」
ゲートの中枢で、戦力を失い逃げ込んできた高位の天使がわめき散らしている。
「オマカセください」
小柄な天使が感情のこもらない声で淡々と答える。
よく見ると天使が抱えている人形型サーバントが代返しているのだが、追い詰められ余裕を失った高位天使は全く気付けていなかった。
「さあ、ゲームをハジメマショウ」
瞳を前髪で隠したべべドア・バト・ミルマ(
ja4149)が、微かに口元を吊り上げた。
●防衛戦
布団が吹っ飛んだ。
リコリス麾下のディアボロがプラカードを掲げて渾身のギャグを披露する。
残念ながら真面目なサーバントには通用しなかったようで、ナイフを持ったつぎはぎ人形型サーバントにたかられて切り刻まれる。
芸に生き、芸に死に行くディアボロは、実によい顔で倒れていった。
「うわーん、ぜんめつしちゃたよー」
リコリスは実にわざとらしく、具体的には上司に対する言い訳のための発言を残し撤退していく。
代わりにやってきた恵夢と撃退士は真面目に戦い押し込んでいき、しかし側面から大勢で襲いかかる斧持ちつぎはぎ人形に大打撃を受ける。
「Bは撤退」
コアに設置されたモニタで状況を確認しながら、べべドアは淡々と駒を動かす。
「Gはウエからヨウドウ」
斧持ちが反転して駆け足で撤退。
追おうとする撃退士に天井から人形が襲いかかり、一撃離脱で逃げ去る。
「Pはアナを掘ってRはショウメンから行きなさい」
指示を出してから、サーバントなのになぜだか瘴気とか怨念とかを感じさせる兎と共に紅茶を楽しむ。
「うふふ、愉しいわねマル」
膝の上の兎型つぎはぎ人形を抱きしめると、兎が歯をむき出す不気味な笑みを浮かべる。
モニターには、人形の陣を突破した直後に落とし穴にはまっていく人間の姿が映し出されていた。
●下克上
「構わん。全てのエネルギーを攻撃に回せ」
「街がハンブン焼けますよ」
何言ってんだこいつという目を向けながら、べべドアが亀の歩み以下の速度でゲート備え付けの攻撃術式を起動させようとする。
「ええいさっさとしろ!」
高位天使が手を振り、べべドアの背中で休んでいた兎を吹き飛ばす。
人形のように床を転がり隔壁に衝突し、サーバントはその動きを完全に止めた。
「マルがし」
小さな体が恐怖で震える。
「死んじゃっ」
オペレーター席からずり落ち、永年付き従ってきてくれた僕に手を伸ばす。
そこに生の感触はなく、ただの人形でしかなかった。
「もうイヤ……いっぱいオシゴト増やされるし! アクマもゲキタイシもオシゴトのジャマするし! もうやだあああああ!」
僕の名を呼んで泣き叫ぶべべドアを見て頭が冷えたらしく、決まりが悪そうな顔で高位天使が操作盤をつつく。
落とし穴から這い上がろうとする撃退士に照準をあわせてしまったのが、彼の最大の失策だった。
「な……ぜ」
副官だったはずのエナ(
ja3058)が外部との通信を遮断してから釘バットで襲って来、それを辛うじてかわしたものの死角から振り下ろされた杵によって胸の中央にあった己のコアを撃ち抜かれた。
「やりすぎたんだよ」
「射線上に笹かま工場がなければ協力してくれませんでしたよね」
じっとりとした視線を向けられた祥雲は、曖昧な表情を浮かべて明後日の方向に視線を向けるのだった。
●おでん風アポカポリス
高位天使消滅後、エナは指揮権を引き継ぎゲートの放棄と撤退を命令した。
異常を察して逃げ出した撃退士を追うようにして外に出たエナは、悪魔側に唯一残った戦力に捕捉される。
「しゅうげきにきたよー」
そよ風に乗ってドーナツの香りが届く。
「おつかれさまです」
視線を合わせた瞬間にお互いの事情を察する。
お互い戦う気はない。
「ここでの戦いは終わりですね」
崩壊していく天使のゲートを見上げ、エナは安堵に近い感情を抱いていた。
「ゲートを人間界に維持させるのは……」
人間に対しては中立でありたい。
けれど立場上難しいことも嫌というほど理解している。
制度上逆らえないし、そもそ力の差が大きすぎて今回のような特殊状況で無い限り一矢さえ報えないのだから。
「んんー?」
小梅が子犬のように鼻を動かし何かの匂いでいる。
取り出した白いハンカチでほっぺの食べかすをとってやりながらエナも周囲に感覚を広げていくと、匂いではないが奇妙なものに気づく。。
おかしい。
ゲートの破壊後元に戻っていくはずの精神エネルギーが、全て悪魔側ゲートに向かっている。
どれだけ高性能なゲートでも、こんな真似は予め準備しておかないとできないはずだった。
「まさか」
全ては高位悪魔の手のひらの上。
真実に気づいたエナは、唇を噛んで動き出した。
●黒幕
「クックックッ……」
おでん用巨大串にくくりつけられた高位悪魔の前で、こんにゃくマスクの怪人が心底楽しげに笑っていた。
「互いに憎み、裏切り、殺し合いなさい」
頭の硬い天使達。
自分の目で世界を見ようとしない人間達。
それぞれの利にしか関心の無い悪魔達。
全てが怪人の口車に乗せられ、戦力を無駄に消耗してしまった。
「全員、殺し合いなさい。その屍の上に作りましょう。我が王国、おでんキングダムを!」
怪人が手を振ると、集められた精神エネルギーが街を変容させていく。
笹かま工場はおでん工場に。
ドーナツ屋はおでん屋に。
変化は街の中心から外縁に、外縁から郊外に広がっていく。
「まずはこの国を。いずれはこの惑星を我が王国っ」
こんにゃくマスクの顔面に釘バットが叩き込まれ、体ごと激しく空中回転してからコアに叩きつけられる。
「何故ここに?」
バットを振り切った体勢でこめかみに♯を浮かべているエナに激しく問いかける。
ゲートの内部は模様替え後に強化したディアボロを配置している。仮にエナが悪魔の協力者を得たとしても、無傷でここまで来られる訳がないのだ。
「おでんの匂いを辿って来ました」
「なん……ですと」
管理者用通路で罠もディアボロも無し。
当たり前のように無傷でここまで辿り着いていた。
「馬鹿騒ぎもこれで終わりです」
釘バットが、コアごと怪人を粉砕するのだった。
かくして1つの街を巡る戦いは終わった。
天魔はそれぞれのゲートが消滅した後に撤退し、一部は街に溶け込んだり久遠ヶ原へ下った。
しかし油断してはいけない。
おでんキングダムの野望は、未だ潰えてはいないのだから。