●天魔。最終攻勢
天から督促された天魔は、余力を残さぬ最期の攻勢を開始した。
死に物狂いの高位天魔に襲われた人類側戦線は一瞬で崩壊し、首都全域が人類の手から離れようとしていた。
そんな状況で、終日営業の古ぼけた酒場から姿を現す朱頼 天山 楓(
jb2596)の姿があった。
「坊、嬢ちゃん達も下がってな」
ほとんどの日本人よりも着流しを見事に着こなした楓が、路地裏から通りへ、通りから大通りへ悠然とした足取りで向かっていく。
避難が完了した無人の通りを、追い詰められた悪魔の隊列が進む。
その進路にただ一人立ちふさがるのが、体格の良い和装の男。
「よもや、生あるうちにかつての力を取り戻すとはのう」
酒瓶の酒精で喉を潤し、軽く手を握る。
たったそれだけの動作で、空間が悲鳴をあげ、気配に気づいた爵位持ちの悪魔が顔色を変えた。
「人に仇なすなら……」
無人の日本車を片手で持ち上げ、巨大なアウルの一部を使い強化する。
「貴様等全員皆殺しだァ!!」
日本の中枢を攻め落とすはずだった軍勢は、超音速の鉄塊が振りまく衝撃波に巻き込まれ、全滅した。
●群馬人。天へ
「む……力が戻った……」
八塚 小萩(
ja0676)が力に気づいたのは、ドアを開けるときにうっかり壁ごと開けてしまったときだった。
「うむ、それが王のご意志であるならば!」
いざ行かん宇宙へ。
小萩はそうっと窓を開けると、元壁を視界から外してかけ声を出す。
「からっ風!」
大型台風級のエネルギーを推進力に使い、魔境群馬から宇宙へと飛び出していく。
うっかり大気の一部を持って行ってしまい、その余波で発生した歴代最大の異常気象が天魔の増援を消し飛ばしたりしているが、小萩が気づくことはなかったという。
●蛇神
白蛇(
jb0889)は久遠ヶ原の片隅にある小さな祠から顔を出し、虚空に浮かぶ2つの小惑星に生ぬるい視線を向ける。
「神であった時の力が甦るとはの 」
幼子の形が薄れていく。
代わりに白鱗金瞳の大蛇……威圧感から龍と呼びたくなる巨大なものが現世に形を為していく。
とぐろをまいた態勢で全高30メートル程度だろうか。
先程宇宙に飛んでいった群馬人とは年期が数桁異なるため、祠もその周辺の森にも全く傷をつけていない。
「唐突に甦った理由は分からぬが」
永きにわたり押さえ込まれていた力を少しずつ解放していく。
神々しい光をまとう蛇が密度を増しつつ急速に膨れあがり、同時に周囲に被害を与えないよう低速で浮上していく。
膨張が止まったのは十数分後。
首を伸ばして体を伸ばすと、全長80キロメートに達していた。
「天使も悪魔も、この星を侵すならば纏めて滅びを与えよう」
重厚な念波で宣言してから、蘇った神の一柱は一切の痕跡を残さず虚空へ消えた。
●超越者達
宮殿から一対の翼を持つ天使が飛び立っていく。
数は少なくとも200万に達し、手には人類では数千年かけても手が届かない水準の武器が構えられている。
「自信が無いのか?」
石上 心(
jb3926)は術も使わずに宮殿の機能を掌握し、地上への放送を継続させる。
驚き慌てる超高位天使をつまらなそうに観ながら、心はそれ以上の動きは見せずに天使の攻撃を待ち受ける。
驚くほど短い時間で完成した立体的な隊列から、宇宙を塗りつぶす極光が溢れ、ただ1人に殺到し、飲み込む。
「我は全知全能をも飲み込み、全てに相反する闇そのもの」
光が消える。
天使の軍は、外宇宙からのぞき込む瞳を認識してしてしまった。
極限の光からなる銀の瞳孔に宇宙の闇全てを含む黒の瞳。瞳に浮かぶ金十字は威嚇のためではなく、むしろ相手を保護するためのもの。
だから、相手を真実知覚してしまった高位天使ほど、彼我の規模の次元違いを実感し心を砕かれていく。
「深淵より覗くモノなり」
少女の四肢を貫くように生えた巨大な結晶。
頭上に浮かぶのは茨の冠の形をした黒い光。
背中から広がる貴石の両翼は、宇宙を包み込んでいるように見えた。
「逃げるか。そういうのは小賢しいというのだぞ」
血の満たされた杯を少しだけ傾ける。
赤が空間に広がり、宮殿以外に何もないはずの月軌道の虚ろな空が、夕暮れの荒地の丘に塗り替える。
「脆い」
眼を閉じて圧力を減らしてやると、天使としては超高位のはずのそれが砂まみれになりながら土下座して許しを請う。
少しだけ遊んでやろうかと翼を動かそうとしたとき、空間の一部が肌にひび割れる。
それは、悪魔の城。
正確に表現するなら、城だったものだ。
それを押し込んできたのは、完全な蛇の神。
力も術も使わず、その強靱さと重厚さだけで悪魔の最高戦力を崩壊させたのだ。
「あの人間を殺しなさい!」
最高位の女悪魔が非情な命令を下し、その実力を知る高位悪魔の軍勢が絶望しながら追っ手に向かおうとした。
「ふーははは。群馬のさくらんぼよりあまいのじゃっ」
吹き荒れるからっ風(宇宙規模)に荒れ狂う雷(宇宙規模)が、悪魔の軍をここではないどこかに吹き飛ばしていく。
「あ、あんたは何なのよぉっ!」
悪魔的に整った美貌を涙でぐしゃしゃにしながら、地球に攻め入るはずだった悪魔がやけくそ気味に問いかける。
「群馬人じゃ!」
薄い胸を堂々と張る小萩の背後には、本来この次元に手を出せないはずの何かが見守っていた。
一気に緩くなった空気を敢えて読まずに蛇神が動く。
天文学的な数の防御兵器が仕込まれた宮殿2つをその巨体で巻き取り、絞める。
恒星間航行に耐えるはずの実質機動要塞が微塵に砕け、山津波というより山脈津波と化して地球に足を踏み入れることも出来なかった天魔に降り注ぎ、押し流し、押し潰していく。
この神性が司るのは豊穣と破滅。
ただの天魔が相手取れる存在ではない。
「やりすぎではないか」
はじめて自身の喉を使い、闇が声を発する。
「落とし前はちゃんとつけなきゃなぁ」
命乞いをする超高位天使の後頭部を踏みつけ、楓は頭蓋ごと肉と霊を砕いて屠る。
「人の子に過激な番組を提供しおって」
「あぁっ」
心が止めるより早く、地球への中継を切断されてしまう。
「にゃ、なんということを」
「噛んだな」
「噛んだのじゃ」
蛇が身が変じた絶世の美女と幼い群馬人がひそひそと会話し、宇宙の闇が顔を赤くしてぷるぷる震えはじめる。
急激に濃くなる破滅の気配に気づいた群馬人の後援者が、いそいそと戦場の隔離を開始する。
「なんじゃい。やるか?」
「忘れるまで殴ってやるんだからぁっ!」
貴石の翼が眼の性質を帯びて時空を浸食する。
超越者の戦場は、地球から超高速で離されていく。
銀河の中心での戦いは、遠く地球からでも観測できたという。
●地球侵略完了っ!
秘湯「たつの湯」。
全てはこの地から始まった。
地球侵略完了の2時間前、宗方 露姫(
jb3641)は唐突に己の使命と力の使い方を思い出した。
「はっ……そうだ、俺の使命は……。我が一族を最強の座に据える事!」
青くグラデーションしている前髪の一房をかき上げて眼帯を外し、異界との門を開く。
龍竜西洋風東洋風高重力対応型低重力対応軽量型に異世界風と、世界異世界過去未来全ての竜属をこの地に呼び寄せる。
途中、既存施設では収容しきれないことに気づいて作り出したのは、世間を騒がせたあと阿鼻叫喚の地獄絵図と化した宮殿と同サイズの浮遊島だ。
「何なりとお申し付けください」
かの蛇神の一段下の、つまりは常識的な意味では最高の龍が露姫の前で頭を垂れる。
「足りない」
召喚済み戦力を確認した露姫は、目の前の龍に気づけないほど術の構築に集中していた。
「さすが我が主」
無視された形の龍は、露姫の考えを悟って心底満足げに息をもらす。
「来い」
目を見開き高らかに叫ぶ。
超高密度のアウルが放出され、日本国内全ての測定器が吹き飛ぶ。
「ただいま参りました☆」
「きしゃぁ」
竜翼竜角を備えたドラゴン娘と、丸っこいミニブルードラゴン達が姿を現す。
前者は大きいお友達重視かもしれないが、後者は全年齢対応型だ。
「世界を手に入れる」
露姫がぐぐっと手を握り拳を作ると、召喚された龍達は熱烈に同調して動き出す。
武器は笑顔。狙うは人の心である。
●眠り姫
なよやかな線を描く肩から伸びるのは、威と美を兼ね備えた刃の如き両翼。
シーツの端から顔を出すのは、孤高の狼というには艶がありすぎる一対の耳。
「はふ。……何じゃ、これは」
心身に満ちる力は翼の重さを感じさせない。
が、乾いた翼と純人型の頭部に慣れた今では邪魔でしかない。
「若いのう」
はるかかなたで繰り広げられる戦いに優しい眼を向けてから徐々にまぶたが下がってくる。
「あと、4時間」
元に戻した翼で器用にシーツを引っ張り、瑞々しい肌に巻き付ける。
テス=エイキャトルス(
jb4109)の出番はまだ先だ。
●もふもふ
TV、映画、雑誌、アミューズメントパークに進出した龍達は、瞬く間に人々の心を掌握した。
女達は愛らしい青龍に癒され、男達は龍娘目当てでアトラクションに通い詰めたり映像ソフトを購入し、男児達は力強い龍に惹かれてなんとなく日陰者扱いの龍に感激されていたりする。
武力を使わず、心を攻めて手に入れる。
最上の策がなったことで、地球は龍の庭と化した。
しかしまだ頑強に抵抗する勢力がいる。
久遠ヶ原でも国家でもなく、それは……。
「こっちですよー」
「もふもふ、もふもふだぁ」
「もふもふよー」
タヌキ娘が呼びかけ、猫少年が走り、犬の警備員が迷子を連れて警察に向かう。
「何がどうなっているんだ」
最終攻勢の数少ない生き残りである獣型悪魔が、道行く人々に愛想を振りまく同属に虚ろな目を向けていた。
蔑視ではない。
同属が何を考えているか、どうしてこんなことをしているのか理解も推測も想像もできず、思考が停止してしまっているのだ。
「おぬし、良い耳と尻尾をしておるの」
「っ」
声をかけられる瞬間まで気づけなかった。
消滅を覚悟して振り向くと、狐珀(
jb3243)が満面の笑みを浮かべて待ち構えていた。
種族は獣人型の悪魔。ただし装備は全て久遠ヶ原流。
相容れない敵である、撃退士だ。
「ほうほうほう」
視線を感じた兎尻尾がふるふると震え、顔の近くに暖かさを感じたて白兎耳がぴくんと跳ねる。
「お主、良い毛皮をしておるな。獣人チームに入らないかえ?」
狐顔が真摯に勧誘する。
その背後には惑星規模のアウルが揺らめき、久遠ヶ原と重なり合あう形で神域の森が展開されていた。
「りょっ……了解、しました」
軍服バニー少年悪魔が屈服する。
「うんうん。がんばってくりゃれ」
狐珀は色気控えめなバニースーツを渡すと、同属を1人でも多く引き込むために次の候補者のもとへ向かう。
人材集めは予想以上に順調で、狐尻尾が機嫌良く動いていた。
●変貌した世界
「おお、そういえば紅茶が切れとった」
朝の一服の準備を始める直前、テスは肝心なことに気づいてばさりと翼を広げる。
歳かのうと瑞々しい声で呟いてから、外出の支度を完璧に調え普通にドアから出て外へ向かう。
周囲から視線も注意も向けられていないことを確認してから、外見だけはやせ衰えた翼を展開すした。
「久々に足を伸ばすとするかの」
静止状態から高速の数分の1まで加速するのにかかった時間は1秒に満たず、周辺への影響を0にするための結界を展開するのにかかった時間は限りなく0に等しい。
テスはそよ風をだけを残して地球を去り、月の裏に逃げ込もうとした天使軍残党に彼女的には穏便な説得を行ってから、ロンドンに向けて再び飛び立るのだった。
●デート
心臓が痛い。
緊張で体が震え、視界が揺れている。
手鏡を取り出して観てみると、青系統の肌と白目の無い紅瞳、そしてそれが目立たくなるほど圧倒的な美貌が映っていた。
「こわくないこわくない……」
自分に暗示をかけて無理矢理に冷静になり、気合いで震えをなんとかする。
その際、抑えに抑えている力の万分の1以下が漏れてしまい、広大なテーマパークにいる老若男女全ての視線が青い彼女に集まってしまう。
侵食中のもふもふと笑顔を武器に交戦中のドラゴン達が引き戻していくが、特に男性は彼女に意識を逸らすことができない。
色において強すぎる力を持つ彼女は、男女の仲という意味で対等の関係を望めない。
そのはずだった。
「ま、待ったござるか」
おそるおそる声をかけると、逞しいと表現するには少し筋肉の足りない、姿勢のよい青年が笑顔で彼女を出迎える。
瞳からは人としての欲が感じられる。当然その中には彼女に対する肉欲も含まれていはいるが、思いやりの方が大きく肉欲は克己心によって完全に制御されていた。
「観たいアニメがあったんだから仕方がないのよ。私とデートできるなんてすごいことよ。光栄に思いなさいよねっ」
口調が安定しない。
普段楽しんでいる二次元コンテンツを愛でるのではなく逃避の対象にしてしまっていた。
青年は大げさに喜びを表現しながら、今期のアニメを話題に出しつつ暗に彼女を慰める。
彼女の極まった趣味的言語をたしなめも迎合もせず、彼女の個性として受け入れてくれる。
それからは夢のような時間だった。
金のないただの学生のようにウインドーショッピングを楽しみ、新作のアニメ映画を鑑賞し、ファミレスでアニメの重箱の隅つつきをして相づちを打たせる。
最後は子供っぽいと散々文句をつけたのに嬉々として遊園地に向かう。
言うまでもないことかもしれないが、彼女とこの面で対等につきあえる存在が自然発生することはあり得ない。
彼は、彼女の力で1から創造された存在なのだ。
人形を使った一人遊び?
過去に遡り秋桜(
jb4208)への慕情を持たない赤子として創造され、ごく自然な成り行きで秋桜と知り合い付き合いだした彼を人形と呼べるなら、一人遊びでしかないのだろう。
街の夜景が見える観覧車の中で、顔を寄せてくる彼を静かに待つ。
強すぎる力に惹かれ、焼かれ、壊れた男達の姿が脳裏をよぎり、彼女は……。
●4月1日正午
「んにゅ」
目覚めたとき感じたのは、化学繊維の味だった。
腕は人を突き飛ばす寸前の形で固まっている。
「夢?」
エイプリルフールは午前で終わり。
午後からは日常だ。
キスして相手を枯らしたら多分壊れていたとか、突き飛ばしたら精神に穴が開いていただろうとか色々思うこともあるけれど、今はとりあえず重要じゃない。
「特番始まる。ヤバス」
夢は静かに薄れていった。
●残った香り
「うむ」
テスは、英国でしか販売されていないはずの茶葉を楽しみながら、午後のひとときを満喫していた。