●初心者の脅威
よく手入れされたギターから出たのは、じゃーん、じょーん、ぼーんという感じの気の抜けた音だった。
「わ、ちょ、これ、面白い!」
おそるおそる弦に触れた緋野 慎(
ja8541)が、瞳を輝かせて熱心に弄りはじめる。
「演るのはこの曲だ。読めるか?」
天耀(
jb4046)が楽譜と初心者向け解説書を投げ渡す。
「ぱわーこーど? を覚えればいいんだ」
高速で飛来した紙束を軽く受け取って、慎は熱心に眺め、手つき変えながら質問する。
「そんな感じだ。おい、これあんたの衣装じゃないか」
機材と機材の間に挟まっていた大型衣装箱を引っ張り出す。ステージ衣装としても大胆な部類で、着こなすには体型その他の条件が厳しすぎるブツだ。
「ええ。それじゃあ後は打ち合わせ通りに」
「あいよ」
更衣室へ向かう楊 玲花(
ja0249)に軽くうなずいてから、天耀は中規模ライブハウスのオーナーの連絡を入れる。
「エフェクタ変えたいんだが」
一方的に具体的な商品名を告げると、気むずかしそうな男が怒鳴り声で言い返してくる。
「はっ。分かった分かった。適当にやってやるよ」
美しく整えられた爪がスマフォの画面に触れ、強制的に回線を切る。
分かっている相手と意思疎通できた天耀は嬉しそうに、つまりは悪魔らしく口元を歪めていた。
「ハコも悪くない。派手にいこうか」
いつの間にか慎の音は素人の域を超えていた。
●開幕
一欠片の光もなく、吐息の音も聞こえない闇の中、弦をピックが弾いた音が豊かに広がり左右から向けられたスポットライトがひとりの悪魔を照らし出す。
天耀は手を定位置に戻し、激情できらめく猛獣の瞳を客席に向けた。
伴奏無しのベースの悲鳴がきっかり5秒響き、再び息が詰まる沈黙が復活する。
「銀爆の初陣、味わえ」
ステージ全体が光で溢れる。
雪崩の迫力と冷たさを兼ね備えたドラムは静馬 源一(
jb2368)。
むき出しの上半身は妖しく白く、活動的な短パンから伸びた足は絶世の美少女のよう。
けれどスティックの動きは大胆で荒々しく、足の動きは静かなくせに色香が感じられる。
「はっ」
源一が口の端をつり上げて流し目を送ると、観客席から男女混合、喜色一色の悲鳴が響く。
ギター担当は慎。
顔も衣装も天使そのもの。しかし手つきは激し過ぎるほどで、年期の入ったギターがたまらなく色っぽい声で泣かされている。
魅力に溢れるかわりにやりたい放題の2人をまとめるのは天耀だ。
彼が2人に合わせることで、3つの音が1つの暴れ龍としてライブハウスを支配する。
再度光の向きが変わり、4人目をまぶしくく照らす。
細い。
だが源一や慎の幼さゆえの細さではなく、節制と鍛錬、素質に胡座をかかずに磨き抜いた結果としての、女性的な細さだ。
玲花は艶めかしく紅い唇をちろりと舐め、悪魔じみた暴力的な歌詞を甘く甘く甘い声にのせていく。
声は力そのものの演奏に負けずに混ざり合い、観客の感情を爆発させた。
「よっしゃあああ! 歌舞くぞおらぁ!」
そこに乱入する馬鹿もとい天使がひとり。
手にはギター、顔には気合い十分のくまどり、悪魔風レザーにつつまれた四肢は休み無くというより人類の限界を超えた感じでくるくる回転し、背中の澄んだ白の羽は第二の楽器としてばっさばっさと動いている。
そこに玲花の手が差し出される。
指先から肘まで絹の長手袋で覆われ、胸元より下に肌色はない。
薄い生地は女性の美しさを隠さず、損なわず、ひょっとしたら裸でいるよりも濃い色香があるかもしれない。
海城 恵神(
jb2536)は美しき魔女の手でくるくると舞わされ、勢いを増してそのてのひらから飛び出す。
ひょいと何もない場所から笛を取り出し、思い切り息を吸ってから勢いよく吹き鳴らす。
鮮烈な音色は轟音に負けず、轟音も清い音に負けず、混沌とした熱いうねりとなって観客を圧倒する、
「ヒャッハー!!」
恵神が回転しながら宙に舞うと、客席からの声はさらに大きくなってライブハウス全体を揺るがすのだった。
●気配
「こちら音響室。不審な振動がいくつか確認できました。場所の絞り込みは……」
ぶ厚いはずの壁が歓声で振動しているのに気付き、久永・廻夢(
jb4114)は儚げな印象のある中性的美貌を曇らせた。
「久遠ヶ原に持ち帰って分析しないと無理です。……はい、監視を続けます」
携帯を耳から離し、廻夢は光源の操作に集中した。
●第2幕
息切れした恵神が玲花に連れられて下がっていく。
客席のセラフィ・トールマン(
jb2318)は、最愛のひとの出番がもうすぐであることに気づき、夢見るような笑みを浮かべ熱い吐息をもらす。
もちろん、今仕事中なことは忘れていない。
客席に並べられたマネキンと、遠方のライブハウスに繋がったマイク、カメラ、スピーカーの状態を確認する。どれもオーナーが押しつけ、天耀達が嬉々として取り付けたものだ。
「うふふー」
盛り上がってもディアボロへの警戒はきちんとしていたらしい。
●光のゆくえ
甘い声の余韻と共にステージの明かりが消え、カツン、カツンと堅い足音が近づいてくる。
「Qui est mon ennemi?」(あたしの敵は誰?)
若いが幼さの消えた声。
耳に心地よい響きでも裡にある激情は隠しきれていない。
「Il vous blesse」(それはあなたを傷付けるもの)
正統なフランス語発音を聞き取れる観客はほぼ皆無。
でも、光の中に現れたアルレット・デュ・ノー(
ja8805)を誤解するものはいない。
「Il me blesse」(それはあたしを傷付けるもの)
ステージの中央で足を止め、刃の如き視線をオーディエンスに突きつける。
それが合図だったかのか、彼女の背後にたたずんでいた男達が動き出す。
太い骨を覆う分厚い筋肉が躍動する。
見上げるほどの巨体なのに鈍さは全く感じられず、計算し尽くされた緩急のついた動きは恐ろしいほどの速さと力を感じさせる。
禍々しい装飾のガウンが激しく揺れ、顔を隠す分厚い鉄仮面は淡く照らされ悪魔以上に不吉な何かに見えていた。
左にいる巨漢と対になるのは右にいる普通の体格の少年。
巨漢と同じ装飾の服に、胸元には鮮血の色のマフラー。
顔は隠していないのに、速すぎて誰もその顔を認識できない。
巨漢が鋭い動きで近づくとふわりと浮き上がる。いや、純粋に体の動きだけでワイヤーアクション風の軌道を描いて巨漢を飛び越え位置を入れ替え、アルレットの身振りを増幅させる。
「Maintenant, je tuerai!」(さぁ、ぶっ殺そう!)
闇を切り裂く碧眼と鋭い声が一点を指し示す。
舞台を照らしていた光が演出抜きで移動し、マネキンと各種機材だけが設置されているはずの観客席を照らし出す。
「ッ」
美味しい犠牲者に忍び寄ったつもりの猿型ディアボロが4体。
ディアボロ離れした膂力と素早さを兼ね備えた魔物は、間抜けな姿を晒していた。
●猿の悪魔
反応も視認も難しいはずの緋刃がディアボロの側頭部に着弾する直前、残像を残しつつ振るわれた腕が刃を叩いて潰す。
黒い毛が焼け焦げてはいたが、猿魔はダメージが全く感じさせない動きで玲花に向かい跳躍する。
「ゴウライ」
舞台の床が大きく凹み、千葉 真一(
ja0070)が魔物に向かって真っ直ぐに飛ぶ。
アウルか輝きと量を増し、黄金色の鎧となって真一の体を固める。
「バスターキィィィィック!!」
揃えた足が胸の半ばまで埋まり、反動で両者共に吹き飛ばされる。
マネキンをなぎ倒しながら後ろに向かって吹っ飛ぶ猿を無視し、真一は着地後即方向転換して新手のディアボロに向かう。
蹴りを回避したはずなのに肌に痛みを感じ、拳を受け流せたはずなのに受けに使った腕が痛い。
この連中、ディアボロとは思えないほど強い。
「出てきたで御座るな! 人に仇為すディアボロ共め! のこのこ釣られた今日ここが! 貴様らの命日と知るで御座るよ!!
アウルを展開していつもの忍者装束に身を固め、源一が3体目に向かい……回避しきれずに吹き飛ばされる。
「え」
無意識の動きで体勢を立て直し、壁に着地して敵を見据える。
既に、数歩の距離にまで詰められていた。
「お前の相手は俺だ」
腹に響く重低音と分厚い拳が猿の頬を撃ち抜く。
だが、倒れない。
体を戻す勢いで体当たりしてきたのを完璧な体勢で受け止めたのにも関わらず、デニスの腰と足の骨が嫌な音を立てた。
「その脳天、かち割ってやるぜー!」
デニスに止めの一撃が見舞われるより早く、恵神が放ったなにかきらきらしたものが猿の手を直撃し狙いを外させる。
「ライブを邪魔した罪は重い! 死を持って償うが……ってこっちに向かってこなくていいよ!」
マネキンを薄紙かなにかのように粉砕しながら、最後の1体が自身の体を恵神にぶつけようとしていた。
トンファーを盾にして直撃だけは避け、全身を蝕む痛みに耐えながら諦めずにトンファーアタックを繰り出す。
「ウルトラスペシャルミラクルビューティフルアターック!!」
特にアウルの上乗せ無しの一撃は幸運にも猿の顔面に命中した。が、血を流すどころか痣をつくることすらできなかった。
「身体は炎、血はマグマ、心は灼熱。見よ、この腕は緋の腕!」
ステージから駆け出し、壁を走り息をつけた慎が、緋色に燃える腕で構えをとる。
「緋炎拳(スカーレッドホーク!)」
拳が猿の脇腹に深くめり込む。
恵神のときとは異なり能動的な防御が出来なかったディアボロは、荒い息を吐きながら歯を食いしばり意識を保とうとしている。
「ありがとー」
「礼はいいから2人がかりで止めるよ」
「ですよねー」
恵神は一転して真剣な表情になり、慎と共にディアボロに抗戦する。
拮抗には、ほど遠かった。
●時間切れ
視界を埋め尽くすマネキンの弾幕を重心を下げることで避け、アルレットは猿との間合いを詰めて柄を短く握った斧を叩きつける。
猿型ディアボロは手の甲で受け流す神業を披露し、手刀を視認すら難しい速度でアルレットの首へ向かわせた。
しかし壊れたマネキンの下半身が邪魔になり、ほんの少しだけ踏み込みが足らず、銀の髪を数本切り取っただけで終わる。
アルレットは再度斧を振るい、防ごうとしたはずの猿の腕を、ほとんど難の抵抗もなく切り飛ばす。
緑の瞳が少しだけ見開かれる。
今の一撃は回避しづらくはあっても威力はその前と変わらなかった。
続く一撃は、寸前まで文字通り悪魔じみた強さだった猿の首を無造作に切り飛ばす。
戦闘能力に反比例した持久力しか持たないディアボロ達は、急速に力を失いつつあった。
「食いに来たんだろう? そんなに食いてえならこれでも食らっときな!」
時間切れ直前に真一から離れることに成功した猿の足に、天耀が放った闇の矢が命中する。
真一の蹴りが、猿の背中側から心臓を撃ち抜いた。
「余力があるようですけど」
残る2体の動きを見極め、玲花が手裏剣を起点に霧を発生させる。
激しい戦いによって生じた風に流され、霧は慎達と戦っていた猿の頭に真横からまとわりつく。
「えいっ」
破れかぶれに尽きだした恵神のトンファーが、眼窩の奥に入り込み、最も重要な部位を破壊する。
「最後」
手裏剣と同時に影の針が撃ち出される。
出口に手を届かせた猿の足を一瞬だけ止め、その一瞬で源一の糸が首に巻き付く。
「冥土の土産は十分でござろう」
金属の糸を勢いよく引っ張ると、頸骨が折れる感触が手の平に伝わってくる。
源一が手を離す。
大量の悲劇を振りまいた悪魔は壊れたマネキンの中に倒れ込んだのだった。
●エンディング
「どうした」
甘い香りのするタオルで自分の汗を拭きながら、デニスは何故かライブハウスの前でうなだれている源一を見下ろす。
「ちょ、ちょーっとだけはしゃぎすぎたかもでござる」
服装と言動を思い出し、うわああと頭を抱えている。
演奏中の映像を加工したお礼状が届くまで、後数日である。