悪意を以て戯画化された牛頭人が足を踏み出す。
傷ついた撃退士達は悲壮な覚悟を浮かべ、けれど後退しようとはしなかった。
怯えが薄くなったことに気づき、猿型ディアボロが歯を剥いて威嚇する。
「ひぃっ」
包囲網の一部が崩れる。
士気を維持していた部隊も下がりはじめたが、それは敗走ではなく整然とした撤退だ。。
不審に思ったディアボロが生臭い息を吐いて周囲を見渡すのと地面に無事着地した撃退士が動き出すのは、ほぼ同時だった。
●正面激突
背中から展開する翼から猛烈に吹き出すアウルは緻密ではなく、もとは大気圏内での使用を考えられてなかったことがよく分かる。
しかし翼の主は些事と切り捨て真っ直ぐに牛頭を見つめ、地面と水平に飛翔する。
「おいで、わたしの世界…なのですワ!」
牛頭から数歩の距離で複数の翼を斜め後方から側面へ移動。噴出するアウルの質を変え、牛頭とその背後に潜む数体のディアボロの周囲を塗り替える。
ディアボロの肌の一部が薄く削れ、塗り替えられた世界が魔を押さえつける。
「ザコがっ」
顔とは違って人型の腕が、技術も何も無く横に振るわれる。
背後で騒ぐ同属とは異なり、戦闘の牛頭はミリオール=アステローザ(
jb2746)の技を自力で跳ね返しており、動きは荒々しく素早かった。
「落ち着いて……っとと」
腕の進路に長柄の得物を割り込ませる。両者ぶつかり合い、直撃は避けられはしたがミリオールの腕に鈍い痛みを残す。
牛頭ディアボロが逆側の腕を振りかぶる。直前の攻防で体勢の崩れた天使では受け流しも回避もできない。
「守勢も燃えるものがあるのですワ」
が、本人は覇気に満ちた笑みを浮かべて待ち受ける。
鉄すら貫く拳がぶつかる直前、ミリオールがひょいとのけられて代わりに大きな盾が立ちふさがる。
鋼と鋼が高速で衝突するのにも似た轟音と、牛頭の悲鳴が入り混じる。
「お待たせしました!」
割り込んできたのは夏野 雪(
ja6883)だ。
分厚い盾を自分ではなく仲間も守りのために掲げ、敢えて前に出て敵の攻撃圏に入ることで行動を制限させていく。
「慈悲はない。ただ、滅びるがいい」
冷たく言い放つ。
牛頭は濁った瞳に怯えを浮かべ、すぐに撃退士への怒りにすり替えて激発する。
「シねぇっ!」
振り下ろされる拳が最高速に達するより早く、カイトシールドの分厚い装甲が拳を受け止めた。
●スニーク
「人を犠牲にしたのは……人ベースのディアボロかよ」
主戦場を離れ疾走する宗方 露姫(
jb3641)は、怒りで吠えそうになるのを歯を食いしばって耐える。
「シンデレラだって帰る時間よ。これ以上被害は出させないわ」
背後から聞こえて来た青木 凛子(
ja5657)の声は、自身も怒りに燃えているはずなのに響きが柔らかで、露姫の心のささくれを優しく癒してくれる。
「お前も、元は日の光の当たる側人間だったのだろう、しかし結果としてお前は夜を選んだ」
主戦場から、激情を鋼の意志で押さえ込んだ声が響いてくる。
「いくらお前があの日の光を渇望しようとももはやお前の体を蝕む光でしかない」
極細の糸が大気を切り裂く音が聞こえる。
「一度朝日に背を向け夜を歩き始めた者に日の光は二度と振り向きはしない」
、連続した激突音とお気楽にも聞こえる翼のぱらぱた音を伴奏に、皇 夜空(
ja7624)が断罪の言葉を振り下ろす。
「なぜなら、ここでお前は死ぬからだ」
「ホざけェ!」
ディアボロ叫びが大気を震わせ、拳の速度が増していく。
家屋の壁を透過する直前に一瞬だけ視線を向けると、夜空は牛頭から視線を外さず軽くうなずく。
「さあどうした。かすり傷で怯えるか臆病者がっ!」
猛るアウルが右眼を紅く染め、利き手から宙に伸びる死の糸がターコイズ状の何かで覆われる。
それはすぐに砕けて弾け、糸が断罪の刃として振り下ろされる。
分厚い筋肉と太い骨が切断される音は、小さかった。
●エントリー
露姫はカーテンを引き窓を内側から開ける。
大型の銃を担いだ凛子が中に入り、露姫が厳重に鍵を閉めた。
羽ばたきの音と共に紅鬼 姫乃(
jb3683)が家の側に着地する。
撃退士の進入に気づいたらしく、家の中から大きな物音が聞こえてくる。
新築の壁は破れない。今は亡き家主の怨念が乗り移ったようにも見えた。
翼を消して瞳にアウルを集中させる。
玄関を除いて壊れた箇所はない。どうやら阻霊符は正常に動作しているようだ。
「冷静に天魔の存在を知らせることができるなんて凄い人」
通報が少しでも遅れていたら、ディアボロは近くの民家を襲い被害が桁外れに拡大していただろう。
「姫乃なら……」
家族を食い殺した敵にくらいつき、殺しきれなかったかもしれない。
軽く頭を振ってとりとめのない思考を消す。
豊かな銀の髪が揺れてもとの位置に戻ったときには、つり目気味の瞳に燃える戦意が浮かんでいた。
家の中は2人に任せる。
大型の牛頭ディアボロとお供2体がいる戦場は、撃退士が牛頭の腕1本を取った後、2体の通常型ディアボロに参戦され不利な戦いを強いられている。
新たな悪魔が現れる気配は、無い。
●攻守逆転
闇よりも暗い翼を広げ、ユリア(
jb2624)が戦場を見下ろしていた。
大型のディアボロは手数が減っても強力で、背後の2体は動きが鈍いが大型と連携して撃退士を巧みに邪魔している。
「ここからの攻撃なら」
小型の敵に確実に当てることができる自信がある。
ミリオールの術で動きが鈍っている上、目の前のミリオール達にしか意識が向いていないのだ。ユリアの腕なら外そうとしない限り外れない。
石に近い質感の翼を広げ、銃口を下に向け風向きと温度などを考慮に入れ微修正。
己の全てを消し、そっと引き金に触れる。
月の色に似た弾が夜を切り裂き、通常型ディアボロ2体の中間に到達する。
限界まで込められていたアウルが弾から解放され、月色の爆風となり側面から2体を襲う。
口から血を吐き出し、慌てて前後左右を確認し、けれど上のユリアには気づかない。
通常型2体の援護が無くなったことで、牛頭が3人の圧力に耐えかねて徐々に下がりはじめる。
2体は慌てて撃退士に向かおうとし、再度飛来した弾を見逃し死角から爆風を浴びてしまう。
「がァッ!」
ようやくユリアに気づく。
けれど既に手遅れだ。
「逃げ切れると思わないことだね」
仲間を誤射しないよう、ディアボロが逃げ出したときに確実に背中を撃てるよう位置を変えながら、ユリアは弾を送り込む。
空と力攻め立てられ、ディアボロは体を削られ、体以上に精神を削られていく。
「くぅ♪」
心底楽しげな、人に馴れた猫じみた声が聞こえる。
近づいてくる足音は、ディアボロ襲撃前はこの家にいた子供の足音に似ていた。
両方ともこの場にはいない。いるのは悪魔と悪魔を倒す者だけだ。
「あ……はっ♪」
甘い吐息よりも、矢がディアボロの胸を貫く方が早かった。
1体が力無く倒れ、残る1体が背中に月の爆発を浴びながら駆け出す。向かう先は大型ディアボロでも惨劇の現場でも近くの民家でもなく、人の気配が最も少ない暗闇だ。
「逃げちゃダメよ。遊べないじゃない」
とん、と軽い音をたてて通常型ディアボロの腹に鏃が生える。
「脆っ」
姫乃は子供っぽく舌打ちして、無防備に背中を晒す牛頭に狙いをつけるのだった。
●放火魔と母の怒り
身の丈を越える大剣を担ぐよう構え、子供用玩具飛び越えて廊下に出る。
所々壁紙が剥がれ、微かに血の臭いがする他は、子供がいる家庭らしい家にしか見えない。
「そこだっ!」
露姫の踏み込みに耐えられなかった床が派手に凹む。
しかし彼女の勢いは止まらず、長めの前髪が大きく揺れる。
「っ」
間仕切りに大剣を叩き込む。
意味をなさない人間じみた悲鳴が部屋の空気を揺らし、人間ではあり得ない色の体液が刃を濡らす。
「逃が、すかっ」
まとめて粉砕しようと全力を込める。
小柄で細身ではあるが露姫は悪魔だ。頑丈なはずの間仕切りが歪み、崩れ、壁の一部ごと隣の部屋に降り注ぐ。
「浅い……」
背中を切られて血を流しながら、ディアボロが二階に向かって逃げていく。
ディアボロの手には着火用の小さな装置が握られていて、部屋の隅から焦げ臭い臭いが流れてきていた。
「消しとくわ。先に行きなさい」
凛子は間仕切りの破片をかき分け台所へ入り、燃え上がる新聞紙の束を踏みつぶして鎮火する。
「1匹いたわ。これからピンクにするけど」
突入前に聞いた民間撃退士の番号にかけると、即座にスマートフォンから応答があった。
「玄関から約10メートル離れた場所で戦闘継続中。家から新たな天魔が出てくる気配はありません」
「了解」
凛子は棚に家族写真が飾られているのに気づく。
夫婦と子供の計3人。それぞれに抱えているものはあっただろうが、写真からでも強い絆が感じられた。
「戦闘に巻き込まれない範囲で見ていて頂戴」
部屋の隅に広がる凝固した血に気付き、写真立てをそっと伏せる。
「逃げ、るなぁっ!」
二階に通じる階段から、傷だらけのディアボロが転がり落ちてくる。
凛子の力量を察したらしく、決して彼女には近づかず、背中も見せず、一瞬の隙らしきものを見つけ玄関に向かって飛ぶ。
「このっ」
階段から駆け下りて来た露姫が、室内向きの小刀でもって渾身の一撃を放つ。
ディアボロの片足が裏から切り裂かれ、急速に速度が落ち、しかし自ら転がる事でディアボロにとっての死地から抜け出したように見えた。
「ねんねの時間だと言ったでしょう、坊や」
予め玄関に狙いを定めていた銃の引き金を引く。
銃弾はディアボロの後頭部を貫き内部をシェイクした。
「玄関は私が封鎖するわ。索敵に反応が無いから大丈夫とは思うけど、念のため確認をお願い」
「うん……じゃなくて分かった。すぐに済ませる」
綻ぶ顔を意識して引き締め、露姫は撃退士を除く全てが死に絶えた家の調査を開始した。
●断罪
「頑丈さだけは認めてやろう。だがこれで終わりだ。決めるぞ」
わざと分かり易い動きで死の糸を振るうと、牛頭は恐怖と緊張で口元から泡を吹きながら直線的な動きで横に飛ぶ。
そこに待っていたのはぶ厚い盾ではなく、魔を退ける光を宿す刃と小型盾。
雪は雑な動きの牛頭の胸元へ刃を差し込み、盾で地面に押さえ込みながら刃を深く深く埋め込んでいく。
牛の口から痛々しい悲鳴があがる。
「裁きを受けろ」
雪は髪の毛1本分すら表情を動かさなかった。
刃を押し込み肺を切り裂き、皿に押し込み心臓に刃を食い込ませる。
そこまでしてもディアボロの動きは止まらず、圧倒的に不利な体勢からなんとかして逃れようともがく。
「はぁうぅ」
真横から投擲された黒い球が命中すると牛頭の力が急に弱り、ミリオールの口から少しだけ艶っぽい声がもれる。
「ちょっと、昔を思い出すですワ」
抵抗が弱まり、刃が心の臓を両断する。
牛頭の体から刃を抜くと、毒々しいピンクの液が少量噴き出し、冷え切ったアスファルトの上に零れた。
光纏を解除し、雪は一度大きく深呼吸して意識を切り替える。
「一度範囲治癒可能です。負傷者の中から希望者を集めてください」
凛子を経由して勝利の報告が民間撃退士に伝わり、傷ついた男達が足を引きずりながら集まり、笑顔で撃退士達に祝いを述べる。
「せめて……来世が優しい世界でありますように」
住む者のいなくなった家に目礼してから、雪はできるだけ多くの怪我人を癒すため人を集めていくのだった。