●ぼっちメシ入門編
野暮ったい眼鏡の少年が、垢抜けない鞄を肩から下げて人気のないカフェに入ってくる。
誰もいないのに、日当たりの良い中央の席を避けてすみの席につく。
実用的な筋肉がついた長身は良い意味で目立っているけれども、眼鏡にかかる前髪がとても陰気くさくて注目され続けることはない。
うなだれて独り言を呟き始めた虎綱・ガーフィールド(
ja3547)の背後で、天魔の気配が徐々に濃くなっていた。
●初登場
研究棟の最上階で、鳳 静矢(
ja3856)は昼食を終えてから双眼鏡を覗き込んでいた。
清潔ではあっても閑古鳥が鳴いているオープンカフェで、もそもそと暗い雰囲気で食事を終えた虎綱が鞄から文庫本を取り出し目を落とす。
「まるで張り込みだな。しかし、何とも……」
鳳は軽く口元を歪め、一瞬だけ視線を動かし大学の敷地全体を見渡す。
人の流れに変化はなく今の所天魔の襲撃はない。
「異常無し。そちらはどうでござるか?」
小型のイヤホンから覇気が感じられる声が響く。
双眼鏡越しに見える虎綱はぼそぼそとひとり呟いているように見えるが、実際口から出ているのは聞いての通りの現状報告だ。
「こちらからは何も見えない。敵が現れるとすればこちらから見て死角になる生垣あたりだろう」
「了解でござる。その辺を特に注意して……」
虎綱が単行本を投げ出し、椅子を蹴り倒して振り返る。
そのときには既に静矢も立ち上がっていて、ホルスターから拳銃を引き抜きつつ非常階段を下っていた。
「カフェにサーバント出現! これは避難訓練ではない。死にたくなければ近づくな!」
一見平和なキャンパスに警告が響き渡った。
●初戦
「捕まえ……たァ!」
虎綱の指が、超絶技巧が必要な曲を弾くピアスニストのように踊る。
彼の周囲に張り巡らされていた糸が生物じみた動きで生垣に向かい、遁走を開始した戯画化狸の足を鋭く切り裂いた。
「ふむ、報告とはちと姿が違う気がするの」
距離を詰めつつサーバントの姿を確認する。
事前情報通りに狸風ではある。が、子供向けアニメではなく怪奇番組の方がふさわしい外見だ。
「フハハ! 逃げるだけでは生き延びられないごでござるよ!」
わざと分かり易く腕を振るい糸を操作する。
狸型は口元に細かな泡を吹きながら必死に転がって避け、虎綱の思う通りの場所に飛び出した。
「何とも臆病な天魔も居たものだ」
1分間の全力疾走で軽く息を弾ませ、しかし銃の構えに髪の毛一本分も乱れもない静矢が引き金を引く。
銃口から飛び出す銃弾には、全て濃厚な闇の力が込められている。
足の傷から流れ出す体液によって得意の隠密行動もできず、狸は死力を尽くして横に飛び銃撃を回避しようとした。
肩が破裂し、機会さえあれば学生の内蔵を引きずり出すはずだった爪が宙に舞う。
「そこまででござる」
虎綱が鋭く腕を振り抜くと同時に、頭が切り離された胴体がコンクリに覆われた地面に衝突し、完全に動きを止めた。
●孤高
紅瞳の少女が銀の髪をなびかせながら、運動場の脇を通り雑木林に向かっていく。
運動場で励んでいた男達と一部女達が見惚れ、しかし誰ひとり声をかけようとはしない。
美貌に気後れするという面もある。だがそれ以上に、彼女がまとう戦の気配が平和に生きる学生達を遠ざけていた。
「おーいそこの学生サン達。今の地球環境についてどう思いますか?」
天険 突破(
jb0947)が道化の仮面を被って話しかけたとき、学生達はようやく緊張から解放され、一度だけ憧れの視線をアイリス・L・橋場(
ja1078)に向けてから怪しい人物とどうでもいい馬鹿話を始めるのだった、
●断絶
「うーん、ひとりぼっちの人を襲う天魔……。何でそんなもの造ったんだろう」
噴水から運動場に移動しながら、レグルス・グラウシード(
ja8064)が本人としては真剣に悩んでいた。
「でも、確かに孤立した人を狙うって……戦略としては、間違いないよね」
理に適っている気もしないでないけれども、天魔の実力的に普通に人を襲うだけで十分な気もすごくする。
「どうせなら、みんな友達になってぼっちとかなくなればいいのにね」
通り過ぎる大学生や教職員と10年来の知人のように挨拶しながら、レグルスはアイリスの仕掛けた罠の発動を待っていた。
●1対2
全ての準備を整えた後、アイリスはウェットティッシュで手を綺麗にしてからハンバーガーの封を切る。
立ったまま、小さな口でかみ切り黙々と咀嚼し嚥下する。
無人の雑木林を背景にした食事は、苛酷な戦いに挑む戦士のささやかな休息だったかもしれない。
急に風が吹く。
土埃が舞い、アイリスの視界が一瞬だけ塞がれ、いつの間にか忍び寄っていたタヌキが両側から鋭く爪を振るう。
「たぬ?」
ハンバーガーが2つの爪に貫かれ、宙に停止していた。
アイリスの姿はない。
「…私は…月…」
囁きよりも小さな声が、高次から下される絶対命令のごとくサーバントの頭脳に刻まれる。
1歩下がることで奇襲を完璧に回避してみせたアイリスが、戦闘用バイザーの下で紅の瞳を冷たく光らせる。
「…月下の…災厄…は…慈悲…を…持たず…ただ…殺戮…の…限りを…尽くす…」
殺意と共にアウルを流し込み、ヒヒロイカネから巨大な刃を引き出す。
ぶ厚い紅の刃は日の光を浴びて禍々しく輝き、タヌキ達は顔を赤く照らす。
「たぬぅっ」
タヌキ達は抗戦を諦め背後に向かって跳躍する。
が、生身の人間でも折れそうな雑木林に跳ね返され、土まみれになって地面を転がる。撃退士として、阻霊符の携帯と使用は常識だ。
世界から光が薄れ、アイリスの輪郭と、紫焔に輝く瞳だけが残る。
サーバント達は悲鳴を上げて自ら転がり窮地を脱しようとした。
世界に光が戻り、そこにだけ残っていた闇が柄から巨大な刃に広がっていく。
「…Dezastru sub lumina lunii…」
月下災厄 。
闇色の線がタヌキを捉え、突き抜ける。
数秒の後、自身の血を流すことも許されず、1体のサーバントが両断され雑木林を汚すのだった。
●静寂
「……早く逃げて」
その言葉を知覚したときには、学生の近くに人の気配は残っていない。
雑木林へ続く角に艶やかな黒髪が見えた気はしたが、改めて見直しても何もない。
「幻聴?」
自分の空耳にしては可憐すぎると思い、学生は綺麗な声を脳裏で反芻しながら元来た道を戻っていく。
無論、幻聴などではない。
地面と水平に飛ぶ染井 桜花(
ja4386)が、そのままなら悲劇的な最期を遂げたはずの青年を助けたのだ。
青年を追い越すのに一歩。
雑木林に近づくのに一歩。
そして、奇跡的な幸運でアイリスから逃げ延びていたタヌキの前に着地するのに一歩。
合計3歩の跳躍で、桜花は1つの戦いをほぼ終わらせていた。
着地前には黒々とした刃が鞘から抜き放たれていて、着地の時点で刃が円を描く。
その動きは舞踏のようで、流れる銀の髪、闇色の装束、幻想的な白い肌からしたたる赤いオーラが1つの動きとしてサーバントを襲う。
野生動物は上回るはずの毛皮と脂肪と筋と骨を、黒の円舞が一切の遅滞なく断つ。
「……」
振り抜いても周囲への警戒は怠らず、完全に安全を確認してから懐紙で微かに残った血を拭い、納刀。
サーバントを追ってアイリスがやって来たときには、桜花は全くの無表情で何かを取り出そうとしていた。
天魔とは別の意味で人間離れした気配が薄れ、少しだけ天然が入った一面が表れる。
「……食べる?」
アイリスを風上に誘導しつつ、冷えても艶やかなおにぎりを差し出す。
「……具は梅とオカカと鮭」
甘い米の香りに混じって絶妙な塩加減の具が感じられた。
「……お茶もある」
アイリスは瞳に感謝を浮かべ、ハンバーガーで渇いた喉を爽やかな緑茶で潤すのだった。
●心配
「お一人で大丈夫でしょうか」
倉庫の影で、水葉さくら(
ja9860)が身を乗り出そうとして、結局顔を出せずにうろうろとその場を行き来する。
「傷は負わないと思うよ?」
小隊の確認を兼ねて倉庫の下から小柄な猫を呼び寄せながら、レグルスは軽い口調で返答する。
もちろん根拠はある。
「真正面から戦ってもかすり傷以下しか受けなかったからね」
桜花達はほぼ無傷。避難誘導にも成功したので大学側の被害は0。
彼はこの依頼を受けてから今まで、一度も癒しの術を使っていなかった。
「でも……」
すごく強い人でも囲まれて背後から叩かれたから防げないのではとか、不運がいくつも重なれば負傷するかもとか、さくらの頭の中でいくつもの思考が浮かんでは消える。
「心配するな」
頼りがいのある突破の声が、さくらの不安を鎮めていく。
「アストリア、お前のぼっち力を見せてもらおうか」
突破の視線の先では、アウルも特殊能力も関係無く、キャンパスの片隅が異界と化しつつあった。
●孤独のオーラ
伴奏もなく。
共に歌う者もなく。
アストリア・ウェデマイヤー(
ja8324)による冬の歌が、人気のない倉庫群の空気を塗り替えていく。
歌われるのは、傷ついた体を引きずりながら前に進む若者だ。
澄んだ歌声は若者の旅を鮮やかに彩り、しかし演奏がおこなわれる場を凍らせていく。
親しいひとと距離ができ、世界と自らの間にある断絶に気づいてしまった。
もがいても広がる距離を正確に認識し、嘆きではなく単なる事実として歌声にのせ自己を表現する。
耳にしただけで鳥肌が立ち、近づけば骨まで冷える過酷な世界が、この世に出現しつつあった。
急に演奏が止まる。
ほう、と安堵の息を吐いたのは、不用意に近づき精神に致命傷を負かけたサーバント達だ。原曲ではなく日本語で歌っていたならば、この時点でサーバントは全滅していたかもしれない。
「私は1人なのに」
アストリアがゆっくりと振り返る。
その目を直接見てしまえば心が打ち砕かれることを本能的に理解し、3体のサーバントは萎えた足に必死に活を入れてその場から逃げだそうとした。
「サーバント風情のあんたたちにすら仲間がいるなんて!」
言葉とは逆に、彼女の顔はとても穏やかだった。
けれどその瞳には深淵じみたものが宿っている。
理解すれば生きる気力が萎え、共感すれば底なし沼へ誘われる。
そんなものを抱えたまま、ショートソードとシールド握りしめ、一歩一歩距離を詰めていく。
「たっ」
「たぬぅっ」
ショートソードの間合いに捉えられる直前に、タヌキ達は全身の毛を逆立たせ、それまでの鈍い動きが嘘のように、体力の温存など欠片も考えない全速で逃げ出す。
「ええいっ、文字通り一網打尽にしてやるッ!」
遠くで見守っていたレグルスが、間近まで迫ったタヌキ3体に網を投げつける。
サーバントが達がまともな精神状態なら、透過するか軽々と回避していただろう。
だが恐怖に駆られて大学から逃げ出すことしか考えられない彼等では、かわしきれなかった。
網が巻き付き平衡感覚を乱され、丸っこい体が災いしてころころと転がっていく。
不幸にもアストリアの目の前で倒れて仕舞った1体は、腹を見せて降伏のポーズをとり、ゆるりと近づいた刃に喉から腹まで切り裂かれ絶命する。
「ここは、通しませんっ」
惨劇は見なかったことにして、さくらが残る2体の片割れの進路を塞ぐ。
普通の風でも飛ばされそうな細身からは想像し辛い体の安定に、視認すら難しい極細ワイヤーを体の一部として操る繊細な動き。
勝ち目も逃げる見込みを無い相手に迫られ、タヌキは恐怖でも殺意でもなく、安堵の笑みを浮かべていた。
「こわかったですか?」
容赦をする気は一切ないが、気持ちは分からないでもない。
「たぬっ」
さくらは指を振り下ろし、糸を加速させる。
頸部を切断され吹き飛ぶタヌキの顔は、何故か安らかだった。
●日常へ
「ここは通さんぞサーバント!」
「たぬぅっ!」
突破が振るう刃が目映く輝き、シリアスに決めた丸っこいタヌキに陰影をつける。
斬ではなく動きを止めるための衝撃。
それをタヌキが跳躍して飛び越え、突破の喉笛を丸い爪で抉ろうとした。
「強かったぜ」
引き戻された刃がタヌキの脇から肩へと抜ける。
アニメ風のタヌキ面に男臭い笑みが浮かび、目が静かに閉じられ、丸い体が力無く地面に落ちた。
「あ、はい、終わりました。……はい」
事務報告の声が、激しくも切ない雰囲気を一瞬で消し去る。
アストリアはレグルスから残敵0の報告を聞くとすぐに久遠ヶ原と大学への報告を行い、撤収の許可を得て荷物をまとめてしまう。
「お疲れ様でした」
「お、おう」
「はいぃ」
少しだけ怯えが混じった返事に首を傾げながら、アストリアは胸を張り、真っ直ぐに前を見て帰路につくのだった。