●孤高のランチ
普段は穏やかな空気に満たされたレストランは、今日に限って騒がしかった。
単なる偶然で1つのレストランに集まった8人の撃退士達。
それぞれに美と力を感じさせる彼等の中で、特に若者の視線を集めている少女がいた。
スマホの画面を眺めていたポラリス(
ja8467)が眼を細めると、男子学生は生唾を飲み込み、少女達は嫉妬と憧れの強い視線を向けてくる。
爽やかさと可憐さが両立した髪型。
少しだけ着崩した制服にはからだらしなさは感じられず、粋であった。
なお、一定以上の年齢の男女は、気にナポリタンを頬張る花菱 彪臥(
ja4610)に視線を集中させている。
他の面々も可愛かったり格好良かったり力強かったりして素晴らしく絵にはなるのだが、良い意味での子供らしさが最も集客力が高かいようだ。
さて、熱い視線を向けられるポラリスの視線は、液晶画面から動いていない。
彼女にとっては、よくあるボッチメシの待ち時間でしかないのだ。
「え?」
予感が意識を現実に引き戻す。
ポラリスが顔を上げると、窓硝子の向こうに広がる畑の中に、異様に大きな鳩が3匹見えた。
特撮?
ボッチメシのストレスが生みだした幻覚?
本物だったら話のネタに写真を撮った方がいいの?
ポラリスは一瞬混乱し、しかし撃退士としての力は彼女の体に即時の対処を命令する。
「敵襲っ!」
急加速した鳩の1つが窓硝子を突き破り、近くにあったジュースサーバー(絞りたてリンゴ入り)を粉砕する。
ライアー・ハングマン(
jb2704)が蹴り上げたテーブルが床につなぎ止めていたネジを引きちぎって宙に舞い、レストランの客に降り注ぐはずだった硝子片を食い止める。
「あ〜あ、奮発した昼飯が台無しじゃねぇか」
勢い余って天井にぶつかったチキンソテー(地鶏。最適に熟成済み)には目を向けず、同業者と一瞬だけ視線を交わして意思疎通を完了させる。
「久遠ヶ原のモンだ」
抑えていたアウルを開放し、悪魔の翼を展開する。
予想もしない展開に呆然とする客達に、暴虐を振るう天魔ではあり得ない笑みを向けた。
「んじゃさっさと逃げるぜぃ、答えは聞いてねぇがな!」
平和なお昼時はこれで終わり。今からここは戦場だ。
●避難誘導
1体目の鳩は壁にめり込んだ頭を抜くために激しく体を動かし、あたりに小さな破片をまき散らす。
2体目の鳩サーバントが店の前の車を破壊し、ひしゃげた車から吹きだした炎が禍々しい照明に変わる。
3体目の鳩は、少しでも多くの恐怖と悲劇をまき散らすために突入の機会をうかがっている。
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はフォークを置いてから立ち上がり、鮮やかな金のオーラと共に、ちゃぶ台返しの要領でテーブルを吹っ飛ばす。
テーブルは色々まき散らしながら床を滑っていき、お洒落ではあるが狭くて避難には向いていない出入り口の近くで止まる。
「な、何をっ」
客が焦りと避難の視線を向けてくる。
ソフィアは答えず、妙に手慣れた様子で2つめのテーブルに手をかけ、吹っ飛ばし、最初のテーブルの真横にまで滑らせる。
2つ並んだテーブルは外にいる2体のサーバントから客達を守るバリケードだ。
「早く逃げて!」
ポラリスが厨房に繋がるドアを指し示す。
硝子戸の出入り口よりは明らかに頑丈そうだ。それになにより、出入り口から出たら車を壊したサーバントの目の前に出てしまう!
「急ぎな。天使の手下は待ってはくれないぜ」
最後に残ったテーブルを蹴り飛ばしながら、ライアーが頼りがいのある笑みで促す。
「ひ、ひぃっ」
「悪魔!」
客の一部は恐怖に震え、けれど平然とした人間の撃退士達に気づいてなんとか気絶だけは免れる。
「ま、良いとしよう」
ライアーは程度で揺らぐほど軟弱ではない。
レストランの内外に散らばる3体の魔物から民間人を守るため、時折飛んでくる硝子やアスファルトの欠片を弾いていく。
自らより客を優先しているため傷が増えていくが、ライアーは不敵な表情のままその場を堅持していた。
●1匹目
「クックック」
アリス・シンデレラ(
jb1128)は林檎が大好きだ。
濃縮還元でない100パーセント絞りたて林檎ジュースなんてもう最高だ。
「フハハハハ」
だけど、大好きなジュースでも浴びせかけられたなら話は別だ。
服も装備もじっとりと湿り、非常にっ、気持ち悪い。
「アーッハッハッハ!」
こうなると芳醇な香りも虚しいだけだ。
怒りのあまり魔王じみた三段笑いを披露しながら、アリスは壮絶な念の籠もった術を完成させる。
「アリスの至福の時を邪魔した罪は重いわ」
一転して冷静な声。満面の笑みと共に闇色のアウルが弾ける。
鳩は強大な気配に気づいて暴れるものの、頭が壁に埋まった状態で避けられる訳がない。
「滅びなさい!」
闇色の少女が3人、鳩に寄り添うように現れる。
彼女達は慈愛を感じさせる動きで大鎌を振り上げ、恐るべき力と速度で振り下ろす。
鳩型の怪異から体液が吹き出し、暴れる巨体により壁がひび割れる。
攻撃は1度では終わらない。
2度、3度と、純粋な殺意がサーバントの命を文字通り削り取っていく。
「っ」
このままではなぶり殺しになるだけと判断したらしく、巨大な鳩は渾身の力を込め無理矢理に頭を引き抜く。
白い体が不気味な体液で染まり、足が震えて体勢が安定しない。
それでも強大な力は健在で、くちばしの突きは狙いは甘いものの、完全に回避したはずなのに痛みを感じてしまうほどの威力を保っていた。
アリスが最後まで戦い抜く覚悟を決めたとき、風に乗って飛来した花びらが、否、魔女により生み出された破壊の形が鳩に着弾して消える。
鳩の内部がごっそりと削られる。それより致命的だったのは術による攪乱だ。
「あまり暴れてもらう訳にはね」
ソフィアが静かにつぶやく。
サーバントは、まともな防御も回避もできなくなっていた。
「食べやすく加工されてから出直して来なさいっ」
アリスが直接振るった大鎌が、形だけは平和の使者に似たサーバントの首を斬り飛ばした。
●真の脅威は
肉と野菜の旨味がたっぷり溶け出したスープ。
やや薄味のはずなのに舌に触れただけで味覚を強烈に刺激し、胃袋が戦闘体勢に移行する。
しかし二度と口にすることはできない。
「ああ、くそ、この鳩野郎め。俺の飯を返しやがれ!」
虎落 九朗(
jb0008)が全壊した窓から飛び出す。
体には分厚い装甲。
手には邪悪を断つ剣。
背面に展開されたアウルは太極図の形をとり、食事を物理的な邪魔された恨みの影響もあるらしく、普段より高速で回転していた。
「ちっ」
一瞬で外部の状況を把握し、九朗の瞳から雑念が消える。
サーバントの動いた後のアスファルトが綺麗に剥がれ、アスファルトの破片が広く盛大に飛び散っている。
少なくとも破壊力については、並のサーバントと思わない方が良い。
「こっちだ!」
併走していた彪臥が白い歯を見せる。
常人を否応なく引きつけえるきらめきに、鳩は特に関心を示さず、どしん、どしんと音を立ててレストランに近づこうとする。
九朗が正面に立ちふさがると、鳩はようやく敵と判断して体を大きく反らせてから頭突きを繰り出してきた。
「狙いが甘い!」
鳩の腹に刃を叩き込みながら、九朗は不敵に笑う。
その背中には英雄譚の登場人物じみた頼もしさがあり、壊れた窓越しにこちらを伺っていた客達を安堵させ、熱狂させる。
だが九朗の内心は彼等と逆だ。
鳩の頭が、長期使用に耐えるはずのアスファルトを砂か何かのように粉砕している。
直撃すればただでは済まない。
最初のように突撃を受ければ惨劇確定だろう。
「外れると拙いぞこれ」
獰猛な戦士の表情で、コンポジットボウによるほぼ0距離射撃(アウルによる威力増幅付)を繰り出していた彪臥が深刻な事実を指摘する。
「何……いやそうか」
鳩のくちばしに横から盾をぶつけて狙いを逸らしながら、わずかに遅れて九朗も気づく。
大量の矢を受けても倒れなくても、頑丈な剣で殴られ斬りつけられても外見にほどんど変化がなくても構わない。
問題は、外れたはずの鳩の一撃が、道路や歩道を徹底的に破壊していることだ。
「くそっ、こんなコミカルな格好した天魔相手に重症の覚悟か」
一瞬で盾を構え直し、九朗が覚悟を決める。
このままレストランに近づかれると建物崩壊から被害者続出なんて展開があり得てしまう。
無理は承知でこの場で受け止める必要がああった。
「避難が終わればすぐに増援も来る!」
「はっ。それまでに倒してやるよ!」
九朗は盾を通して凄まじい重さを感じながら、カウンターで鳩の口に鋭い突きを見舞うのだった。
●援護
「あーもう、いいからみんな厨房に固まってて、そっちの方が守りやすいの! 外出ちゃダメダメだってー!」
死の危険に晒されていることに気づかず騒ぐ客達を、ポラリスが宥め、煽て、必死の思いで厨房の中へ誘導し、その場に止まらせる。
そんな彼等をサーンバントから守る位置に、壊れた備品が大量に積み上げられていた。
アリス対鳩の死闘の現場から様々な物が飛んでくる。撃退士ならアウルで弾ける程度の、生身の人間なら深い傷を負いかねない家具の破片だ。
鳩が劣勢に追い込まれ、今のところバリケードで攻撃の余波を防げているのを確認してから、九十九(
ja1149)が戦闘の音に負けない声を張り上げる。
「客の安全は確保した。これからは本気を出せ!」
戦闘開始後はじめての命令は、撃退士達の動きを劇的に変えた。
戦場内に散らばる塵を気にせず動き、様々なものをはじき飛ばしながら鳩の攻撃をかわし、逆に一撃を入れて行く。
アリスは仕上げに入り、遠方の鳩の方向からは元気な銃声が響いている。
「2、1」
身を包む暗紫のオーラが長大な弓の弦に伝わり、矢を中心に形を為していく。
「0」
九十九が放った矢が、この日始めて撃退士に命中しかかったくちばしを真横から叩く。
剣で刻まれ大量の矢をはやした鳩が安定を失い、九十九の合図を聞いて待ち受けていた彪臥達に、致命的な隙をさらす。
鳩が奇声を発しながら、最後に残った命を燃やして相打ちを狙う。
動きが冴え、力と重さが十分にのった体当たりは、直撃しなくても当たれば九朗の盾を貫いたかもしれない。
「……」
九十九の唇から緩やかに息が吐き出され、止まる。
再び解き放たれた矢は黒いアウルと融合して破壊の風となり、鳩のこめかみに直撃して脳髄を破壊する。
「ヅェイ!」
九朗は正面から踏み込み、嘴をくぐり抜け、痙攣する鳩の脳天に深々と剣をめり込ませる。
羽毛下の膨大な筋肉が急速に萎え、音もなく道路の上に倒れ込んだ。
●オデンvs鳩
オーデン・ソル・キャドー(
jb2706)。
彼を表現する言葉は1語で足りる。
おでん。
彼のおでん愛に触れれば、彼が悪魔であることを気にする者などいないかもしれない。
悪魔の翼が音を立てて広がり、レストランに満ちた闘争の気配をさらに煮詰めた闘気が、紳士の体から猛烈に吹き出す。
ヨルムンガルドを肩に担ぎ、逃げ遅れの客がいないか確認しながら一歩一歩進んでいく。
彼の視線の先には、サーバント襲撃時に無残にぶちまけられた、おでんの姿あった。
「遠くにも一体居るようですね、何かする前に仕留めますか」
骨まで凍らせる殺意をみなぎらせ、おでんに魅せられた悪魔が空へ飛び立つ。
おでんをつくる者の敵に対し、一直線に間合いを詰める。
3体目の鳩は目を剥いて後ずさり、しかし相手が単独であることに気づき、なんとか踏みとどまる。
「ホラ、大好きな豆鉄砲ですよ」
幼子に語りかける慈父のごとき声。
込められた感情は慈愛ではなく純粋な殺意。
銃声が響くたびに鳩の表面に穴が開き、反対側から大量の血が噴き出して畑を汚す。
鳩を一方的に蹂躙しながら、オーデンはかぶり物からのぞく瞳に苛立ちを浮かべる。
攻めきれない。
飛び道具がないから一方的にやられているだけで、極めて頑丈な鳩は未だに戦闘能力を残している。
逃げることを思いつかれたら、非常にやっかいなことになるかもしれない。
「援護するよ!」
破壊されたガラス窓から身を乗り出し、銃を構えたポラリスが大声を出す。
鳩の注意が一瞬にも満たない間彼女を向き、再びオーデンに注意が向けられたときには、眉間に銃口が突きつけられていた。
銃声が冬の大気を震わせる。
鳩の巨体が畑に沈む音は、意外と小さかった。
●食事の行方
地道な片付けをするソフィアを手伝いながら、車火災で焦げた鳩に不満そうな視線を向ける。
車の日は消し止められているが、焼けた肉のにおいと入り混じって不快な臭気に変化している。
「羽根むしってやればトリガラ…は無理か」
「やめとけ。近くに旨い鳥料理の店があるって話だぞ」
「ならいいや」
笑いを含んだ九朗の言葉に、彪臥は実に嬉しそうに頬を緩める。
九朗達とは異なり昼食はほぼ完食はしたが、1戦闘こなした後だからもう1食は大盛りで食べられる。
「そりゃぁいい。鳩の丸焼きがあれば最高だな」
心底楽しげな声の背後では、更衣室を借りてウェイトレスの制服を借りたアリスが深刻な顔で悩んでいた。
「この場合お会計はどうなるんだろ。クリーニング代とかかかるから……」
命の借りがある相手に請求などできるかと店主に言われるのは、これから数分後のことであった。