●京都市内 某所 オフィスビル内 6階フロア
○
(一体どうして、こんなことに……)
浮田辰也の婚約者である春河恵は、逃げ遅れた4人の同僚と一緒に、成す術なく怯えていた。
(せめてもう一度、彼と話をしたかった)
そう思い、恵が涙したとき。
何者かが彼女の肩を叩いた。
恵が力なく振り返った先に立っていたのは、7人の少年少女達だった。着ている制服から、彼らが久遠ヶ原の撃退士だと分かった。
「落ち着いて! 私達はあなた達を助けに来たのよ」
そう言って、恵に笑いかけたのは、金髪緑目の撃退士、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)だった。
「私達は久遠ヶ原から派遣された撃退士よ! だから安心してね」
アルベルトは、恵を含む5人の社員に自分達の身分を明かした。
それを聞いた5人の顔に希望の光が灯ったのを見て、撃退士の川澄文歌(
jb7507)はほっと胸をなで下ろした。
(パニックの心配はなさそうですね。これの出番がなくて何よりです)
川澄はそっと内ポケットに魂縛符をしまいこむと、アイドルの微笑みを浮かべて5人に語りかけた。
「もう大丈夫! みんなの命、絶対守ってみせるよ!」
川澄の笑顔を見て死の恐怖から開放された故か、ひとりの女性社員が、すぐ傍にいたラグナ・グラウシード(
ja3538)に抱きつき、彼の胸に顔を埋めてすすり泣いた。
「ありがとうございます! もう駄目かと思いました……」
「あ」
ラグナの顔が耳たぶまで赤くなった。
「ああそうだとも心配いらんぞだからそこのか弱い女性達は全員私が抱きかかえて必ず守ってやるから安心し」
(もう。あなたがパニくってどうするんですか)
川澄は半ばあきれた気持ちになりつつ、社員達をエレベータへと誘導した。
●オフィスビル内 エレベータ前
○
社員達がエレベータに到着すると、そこには4人の撃退士が待機していた。
その中のひとり、支倉 英蓮(
jb7524)が、社員達のリーダーと思しき年配の男性に声をかけた。
「もう大丈夫ですよ。でも念のため、皆さんこれを着けてくださいね」
そう言って支倉は、用意しておいた5人分のガスマスクと防熱服を渡した。
「まさか、ここから降りるのかね?」
受けとった装備を4人の社員に配りながら、男性は支倉に問うた。
「心配御無用です! 大丈夫、計画もきちんと立ててきましたから、全てお任せ下さい♪」
胸を張って笑顔で言う支倉を見て、男性も小さく笑った。
「分かった。では君達に任せよう。ああ、それとひとつ」
「何ですか?」
「私は最後でいい。最初に女性3人、次に彼だ」
そう言って男性は、部下と思しき中年の男性社員を指差した。
「……分かりました!」
支倉は力強く頷いた。絶対に、この5人を生還させようと思った。
鈴代 征治(
ja1305)は阻霊陣を展開すると、ビルの図面を見て建物内の構造を頭に入れ始めた。
「エレベータは東向きの偏心コア型。駆動方式はロープ式、メインロープなしのトラクションタイプ……か」
鈴代は脱出経路を頭の中で組み立てながら、エレベータの前で鉄扉と格闘している獅堂 武(
jb0906)に声をかけた。
「獅堂さん、そっちはどうですか?」
「待ってくれ。……よし、開いたぜ」
獅堂がドアのロックを破壊して扉を開けると、鈴代は川澄と獅堂に言った。
「川澄さん、獅堂さん。このエレベータは、ロープを伝って降りる事が出来ないタイプのようです。1階に降りるには、おふたりの韋駄天の力を借りた方が早そうです。協力していただけますか」
「分かりました」
阻霊陣を展開した川澄が頷く。
「おう、任せとけ!」
獅堂も頷いた。
「ありがとうございます」
鈴代は2人に例を言うと、窓から外を警戒している川内 日菜子(
jb7813)に声をかけた。
「外の様子はどうでしょうか」
「まずいな。連中、こっちに気づいたみたいだ」
煙で染まったガラス窓を凝視しながら、川内が言った。その言葉を証明するように、窓の向こうからは、こちらの恐怖を煽るようにディアボロが大声で威嚇する声が聞こえてきた。
そこへ、
「こちら1階。聞こえるか、どうぞ」
無線機からラファル A ユーティライネン(
jb4620)の声が聞こえてきた。
「聞こえます、どうぞ。今どちらに?」
鈴代が無線で応答する。
「1階の待機スペースは確保した。今はエレベータの中だ。直で降りられるように、屋根はぶっ壊して吹き抜けにしとくぞ」
「分かりました。お願いします」
鈴代が返事をすると同時に、シャフト下層から派手な金属音が聞こえてきた。
「獅堂さん。シャフト内の煙はどうですか?」
「気になるレベルじゃねぇな。降りるなら早い方が良さそうだ」
「そうですね、そうしましょう。皆さん、こちらに集まって下さい」
鈴代はそう言って、フロア内にいる全員を呼び集めた。
○
数分後。
「しっかりつかまるんだぞ。絶対に離すなよ」
「はい……」
降下準備を終えたラグナに抱きかかえられた女性社員は、声も体も震わせながら、ラグナにしがみついていた。既に鈴代の口から韋駄天の説明は聞かされていたものの、この高さから飛び降りると言われれば、普通の人間が恐怖を感じるのは当然である。
――皆さんは、我々が絶対に助けます。
先ほど鈴代に言われた言葉を信じて、女性は大きく深呼吸して目を閉じた。
○
(『いいか。怖ければ目を瞑っていろ、すぐに着く』そう言おう。そして彼女のハートをゲットして、私も非モテ卒業だ!)
震えて胸に顔を埋める女性を抱きかかえながら、ラグナはシャフトを飛び降りた。
(さあ言え! 今だ!)
「いいか。こ」
「はいお疲れー」
「 」
「うん。ケガもないな。良かった」
――え?
既に自分と女性が無事に着地し、待機していたラファルが女性を引き受けたという事実を受け入れるのに、ラグナは少しの時間を要した。
「大丈夫か? 怖かったろ。もうすぐ助かるからな、安心しろ」
「は……はい! ありがとうございます!」
ラファルは女性をラグナから引き剥がすと、女性の体を気遣いながら、そそくさと合流スペースへ連れて行った。
1階と6階の高低差は25メートル。この高さから飛び降りた場合、着地に要する時間は――
約2秒である。
「( ゜д゜ )」
「( ゜д゜ )」
「( ゜д゜ )」
ラグナは泣いた。血の涙を流しながら。
○
「それでは部長、お先に」
中年の社員が年配の社員に言った。
「ああ。急ぎなさい。気をつけてな」
中年の社員は無言で頷くと、支倉の背中におぶさった。だが、その時。
「それでは、行きま――」
支倉の言葉を遮るように、エレベータ脇のガラスが破られた。
そこから侵入してきたのは、4匹のディアボロである。
「ちっ。来やがったか。支倉!」
そう言って迎撃態勢を整えた獅堂の背後で、
「はいっ」
支倉は男性を背負って飛び降りた。
「こちらへ」
鈴代は最後に残った年配の男性を背負うと、エレベータの前に立った。下の連絡があれば、いつでも降下できる態勢だ。鈴代をかばうようにして、ディアボロを相手に戦うアルベルトと獅堂の2人。そこへ、
「こちらラファル。降下オーケーだ」
1階からの連絡を受けた鈴代は、すぐさま降下した。
●オフィスビル内 1階ロビー
○
鈴代の降下から数分後。
階下にいる者達がガスマスクと防熱服を外していたところへ、
「全員無事みたいだな」
アルベルトと獅堂が無事に降りたのを確認して、川内はほっとした顔で呟いた。
川澄は、敵の攻撃でかすり傷を負った獅堂をライトヒールで癒しながら、
「進入してきたディアボロはどうなりました?」
と聞くと、獅堂はガスマスクを外しながら無念そうに言った。
「逃げた。奴ら、最初から偵察のつもりだったみてぇだ」
「ということは、じきにここに来る……」
「だな。シャフトと1階の出入り口から襲われたら、かなりきついぜ」
鈴代は考え込んだ。
(地図によると、敷地の出入口は南の裏口と、北の正門か……)
そこへ、
「だったら、早いとこ俺達が囮になって出た方がいーな」
ラファルが割り込んだ。
(そうだな。敵に時間を与えないうちに、行動した方がよさそうだ)
「では、僕、獅堂さん、ラファルさんは囮として先に南から出ます。残りの皆さんは、僕達が出た後に北から逃げて下さい」
鈴代の言葉に、全員が頷いた。
●京都市内 某所 オフィス敷地内
○
「さて、1匹でも多く釣るとするかー」
アンミラージュコロイドによって姿を消したラファルが呟いた。
(ま、一応まじないくらいには……)
しかしその直後、ラファル目掛けてディアボロの攻撃が上空から降り注いだ。
(……ならないか。やれやれ)
肩をすくめて、ラファルが苦笑する。
「ラファルより脱出班へ。敵は潜行を見抜く。要注意。以上」
無線機で情報を伝えるラファルの隣では、鈴代が銃で応戦しながら敵の頭数を把握していた。
(おびき出せたのは4匹か。ということは、まだビルに6匹いる計算だ)
「英蓮ちゃん。そちらに敵の姿は見えますか?」
鈴代が、無線で支倉に問う。すると、
「いえ、入り口からは確認できません」
即座に支倉から返事が来た。
「わかりました。こちらが引きつけられたのは4匹です。まだどこかに6匹いますから、十分に気をつけて」
「はい!」
鈴代は通信を終えた。
その隣では、獅堂が2匹のディアボロ相手に、立ち回りを繰り広げていた。
(なるほどね。こいつは半端な火力じゃ歯が立たねぇのも納得だ)
獅堂は先ほどからショットガンで応戦していたが、ディアボロの鎧には傷ひとつつかない。
それならばと呪縛陣で相手を拘束しようと試みるも、今度は攻撃が悉く躱されてしまう。
(仕方ねぇ。もう一度だ)
獅堂は刀印を切り、眼前のディアボロに呪縛陣を放つ。
しかし――
(ちっ。だめか)
またしても、避けられてしまった。
ラファルの放つヘルゴートをものともせず、ディアボロ達は執拗に3人の隙を狙い続けていた。
「2人とも、一旦敷地外に出ましょう。もう脱出班も、早ければ脱出に成功している頃です」
「そうだな。ここまで引き離せば、向こうの敵と合流される心配もねぇだろ」
「残念だなー。もうちょっと撃ちたかったのに」
こうして3人はそのまま、敷地外へと脱出した。
○
(まだどこかに、ディアボロが6匹……)
囮班からの通信を受信しながら、支倉ら5人は北のルートから敷地外へと向かっていた。ラファルの忠告を考慮して、潜行を使用せずに全員で固まって出る事にしたのだ。
(残った敵はどこに……まさか……)
予感が外れてくれることを願いつつ支倉が背後を振り返ると、そこにはビルを背中に張り付いて空からこちらを伺う、6匹のディアボロの姿があった。
ディアボロ達は、最初に脱出した3人が陽動であることに気づいていたのだ。
(気づかれてた……!)
支倉は、考えるより先に仲間達に叫んでいた。
「走ってください。全力で!」
支倉が叫ぶのと同時に、ディアボロが空を舞った。
走り出した撃退士達の視線の先には、救助班が待機しているのが見えた。
出口までの距離は、およそ20メートル。
○
恵を担いで先頭を走るラグナは、敵の距離と脱出に要する時間を瞬時に計算した。
(先頭が私、最後尾は川内殿。敵の狙いは恐らく川内殿だ。私の前に立ちはだかれば、武装した撃退士5人を同時に相手にすることになる。奴らにすれば、6匹がかりで最後尾を背後から襲うのが、一番リスクが少ないはずだ)
敵には制空権という絶対的なアドバンテージがある。あえてそれを捨てて正面から戦いを挑むほど、こいつらはバカではない。そうラグナは考えた。
(まずは無事に脱出して、恵殿を降ろす。そして襲われている仲間がいれば、加勢に回る!)
敷地外目指して、ラグナは全力で駆けた。
民間人1名、救出完了。
―
「英蓮ちゃん、大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
川澄は乾坤を使えるよう準備しながら、隣を走る支倉に声をかけた。
「英蓮ちゃん。いざという時は2人分お願いね。私が、死んでも必ず止めてみせるから」
「いいえ、だめです」
「えっ?」
「生まれついての、家族という幸福を失っていい理由などどこにもない。だけど……」
背負った民間人と川澄に庇護の翼をかけながら、支倉は言った。
「仲間も失っていい道理もどこにも無いのです!」
「英蓮ちゃん……うん、そうだね」
頷いた川澄の目の前では、ラグナが民間人の女性を降ろす姿が見えた。
民間人3名、救出完了。
―
支倉と川澄に挟まれるようにして、中年の男性とアルベルトもまた、出口に向かって走っていた。
「速いのね、おじ様」
「ええ。こう見えても学生時代は短距離走のエースでして」
川澄の韋駄天によって風神の加護を得た男性は、水を得た魚のように生き生きとした顔で言った。
「……あら、そうだったの」
アルベルトは背後からの襲撃を想定し、男性に自分の前を走らせていた。
「……撃退士さん」
「何かしら?」
「ありがとうございました。ビルの中で火にまかれた時、私はもう駄目だと思っていました」
思わぬ感謝を告げられて、未だ緊迫した状況であるにもかかわらず、アルベルトの顔は僅かに綻んだ。
助けた相手からこう言われた時などは、自分が撃退士で良かったとつくづく思う。
男性は振り返ることなく、言葉を続けた。
「皆を助けていただいて、本当に感謝します」
「やだ、もう。そんなの気にしないでったら。ほら、もう出口よ」
民間人4名、救出完了。
○
首筋にひりつくような殺意の視線を感じた川内は、ディアボロが自分達を標的にしていることを悟った。
韋駄天による風神の加護と川内の全力疾走があれば、20メートルを走破するには3秒もかからない。だが戦場では、1秒の油断ですら容易に命取りとなる。
(「たぶん大丈夫」で済ませていいのはアマチュアだけだ。任務には常に完璧をもって臨む。それが撃退士の仕事だ!)
焦る心を瞬時に静め、川内はわざと速度を抑えて走った。
――敵は間違いなく、一斉に私に襲い掛かってくる。なら、その瞬間を見極めて、全力疾走と縮地で振り切ってやる!
川内は、背負った年配の男性に声をかけた。
「ヤケドに気をつけろ。私の背中は火事より熱いぞ」
そして、敵の殺意が一点に収束した、その時。
川内は、跳んだ!
「間に合ええええーーーーッッ!!」
コンマ1秒遅れて、ディアボロ達の手にした剣が、2人のいた場所を空しく切った。
川内は、自らの任務を全うした。
民間人5名、救出完了。
●京都市内 某所 オフィス敷地 正門前
○
無事に任務を完了したアルベルトの顔に笑みが浮かんだ。
「みんな、お疲れ様。任務完了よ」
それに川内と支倉が応じる。
「ああ、お疲れ」
「結構危なかったですね。そういえば、囮班の皆さんは?」
支倉の問いかけに川澄が答える。
「全員無事だそうです。今、こちらに向かっていると連絡がありました」
すると、
「見えたぞ。あれではないか」
ラグナが指差した方角から、任務を終えて走ってくる獅堂らの姿が見えた。