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白昼の市街地。
立ち並ぶビルの谷間を、黒蠅に取りつかれた市民たちが群れをなして歩いてゆく。
「た、助けてくれえええ!!」
「誰か! 誰か!!」
体を操られながら必死に助けを求める人々を、アルバは為す術なく見守るしかなかった。
そんな彼女の顔を満足そうに眺めるのは、ケッツァー所属の悪魔ヒエマリス。
「いい気味じゃないの。残ってる撃退士はあなただけじゃないの」
「そんな……」
崩れ落ち、膝をつくアルバを見下ろしながら、ヒエマリスは配下の召喚獣たちに命じる。
「ほらガンバール、ドジッター。おまえ達も笑うんじゃないの!」
「コフー! コフコフコフコフ」
「ウチの――」
「クエクエクエクエ」
「アルバちゃんに――」
「ん? 何者じゃないの?」
「手出ししてんじゃねぇぞコラアアアアアアアアアアア!」
浪風 悠人(
ja3452)がディメンションサークルから跳躍し、眼前の敵に封砲を叩き込む。
「随分活きのいい撃退士じゃないの。お前たち、どくんじゃないの」
対するヒエマリスは、召喚獣を脇に下げ、両腕の篭手を交差して防御。よろけもせずに封砲を受け止める。
「悠人お兄さん……」
呆気にとられるアルバの肩を叩いたのは、神谷春樹(
jb7335)とエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)。
「大きな怪我が無くてよかった。よく頑張ったね。後は僕たちもいるから安心して。もうひと踏ん張り頑張ろうか」
「やあ、アルバさん、お久しぶりですね。 ヴァニタスの皆さんはお元気ですか?」
さらに浪風 威鈴(
ja8371)、阻霊符を発動した川澄文歌(
jb7507)がサークルから現れる。
「もう……大……丈夫……。アルバ……」
「もう大丈夫だよ,アルバちゃん。一緒にがんばろう!」
そんな撃退士たちを見て、ヒエマリスは二枚羽を広げて飛び上がる。
「ガンバール! ドジッター! ヒエマリスの名にかけて、キリキリ舞わせてやるんじゃないの!」
撃退士対ケッツァー、戦いの始まりである。
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「メソメソして退場するのは、そっちなんだから! ぼっこぼこにしちゃうよー!」
高瀬 里桜(
ja0394)がミューズの紋章を掲げ、ドジッターに狙いを定めた。
紋章の筆先から審判の鎖が飛び、じゃらりと音をたててドジッターの足に絡みつく。
「クエー!」
いななきと共に光る鎖を振りほどき、上空を旋回するドジッター。麻痺の効果はないようだ。
「なら、これでどうだ!」
悠人の獄炎珠から、炎弾状のアウルが発射。
赤い弾道を描いてドジッターの翼に命中し、黒い羽毛が宙を舞う。
対するドジッターは悠人をじろりと睨むと、振りかぶった翼から羽根を飛ばす。
「威鈴! アルバちゃん! あのハゲワシに狙いを合わせて!」
アスファルトに突き刺さる羽根の芯を回避しながら、後方の威鈴とアルバに指示を出す悠人。
「任……せて……」
「うん、分かった!」
照準を合わせ、威鈴はクイックショットを、アルバはイカロスバレットを発射。
対するドジッターは身を切って反転し、ふたりの弾を回避。
「コフー! コフー!」
いっぽう地上では、ガンバールが周囲を見回していた。右腕には、うっすら刃傷が走っている。
「コフー!」
後ろへ一歩とび退がり、両腕で顔を塞ぐガンバール。
ひゅっと風を切る音が聞こえたかと思うと、今度は左腕に刃傷が走る。
(やれやれ。そう簡単にはいかねェか)
一撃を放ったのは、ファイエルンを手に、ハイドアンドシークで身を隠した法水 写楽(
ja0581)だった。
写楽ら撃退士側の作戦は、敵を分断しての各個撃破。彼の担当はガンバールである。
(嬢ちゃンにはもう少し、外見相応に可愛らしいヌイグルミをお供に連れて欲しいンだが……ま、無理かねェ)
写楽は内心で苦笑しつつ、みたび攻撃の機会を伺いはじめた。
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一方、悠人らの後方。
電柱の上から戦いを眺めるヒエマリスを、エイルズレトラと召喚獣のハート、そして春樹が取り囲んだ。
「こんにちは、お嬢さん。お一人で戦う気ですか? パパかママを呼んでも良いんですよ?」
「こんにちは、おチビちゃん。迷子じゃないの? お巡りさんなら向こうじゃないの」
「おやおや、これは手厳しい」
攻撃を逃れようと、羽を広げて上空に逃げるヒエマリスを、エイルズレトラが天羽々斬の一閃で妨害。
背後をハートで塞ぎつつ、ヒエマリスの砲弾を避け、相手の出方を伺う。
(ここで挑発に乗るような単細胞ならどうとでも扱えますが、さて)
ハートと自分でヒエマリスの前後を囲み、ゆさぶる。エイルズレトラの十八番であった。
エイルズレトラを攻撃すれば背後からハートが襲い、ハートを攻撃すれば、その背後をエイルズレトラが襲う。
彼らと春樹の包囲を突破するのは、並大抵では不可能だ。
(物魔ともに防御力がずば抜けて高い。そのうえ再生持ち。恐らくは、召喚獣を別に動かすスキルも持っている)
挑発を続けながらも、エイルズレトラの心中は冷静そのもの。
把握した情報をもとに、ヒエマリスの能力にあたりをつけ、さらに情報を引き出すべく挑発を続けた。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たると言いますが、さて、あなたの鉄砲を僕に当てられるでしょうか?」
「あなた、やるじゃないの。ちょっとした腕前じゃないの」
「光栄です。あなたの腕前も素晴らしいですよ。紙一重で避けるタイミングを測れるくらいに」
砲撃を回避し、さらに挑発を続けるエイルズレトラ。
飛び上がろうとするヒエマリスを、再び一閃で妨害する。
「学習しないお嬢さんですねえ。何とかと煙は高い所が好きと言いますが、あなたもその類ですか?」
「……ふうん。そういうことじゃないの」
この挑発を、しかし、ヒエマリスはため息で返した。
「どうしました? 手加減せず、当てても良いんですよ?」
「その前に、ひとつ質問じゃないの。おチビちゃん」
「なんですか? 僕より小さなお嬢さん」
「この『お遊び』、いつまで続けるんじゃないの?」
「これはこれは……何を仰るかと思えば」
エイルズレトラは吹き出すと、子供を諭す口調でヒエマリスに語りかけた。
「先程から翻弄されっぱなしのお嬢さん。まさか僕とハートの包囲をいつでも抜けられると、そう仰りたいのですか?」
「当然じゃないの。あなたの戦法、ただの子供だましじゃないの。プップクプーじゃないの」
ヒエマリスはあっさりと言い放った。
「あなたの相手は飽きたじゃないの。そろそろ向こうの戦いに加勢しようじゃ――」
「悪いけど、そうはさせない。皆が仕事を終えるまで君にはじっくり付き合ってもらうよ」
そこへ、春樹がアシッドショットを発射。ヒエマリスはこれを篭手で防御。着弾箇所が泡を立てて変色し始めた。
「よそ見をするなら好きにするといいよ。その間に今のをバシバシ当てさせてもらうから」
「あら、面白いスキルじゃないの。なら、これでどうじゃないの?」
篭手に唇を這わせるヒエマリス。口を離すと、変色した箇所を白い粒が覆っていた。
(動いている? まさか、あれは……!!)
「この子たち、腐ったものは大好物じゃないの。バシバシ撃つといいじゃないの」
ヒエマリスは光沢を取り戻した籠手で、さっと白い粒――蛆虫を払いのけた。
「ガンバール! さっさとお邪魔虫どもを片付けるんじゃないの!」
「コフー!」
路上で吼えるガンバールの視線が、前方で戦う悠人らへと向いた。
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(前衛から切り崩そうってか? そうはいかねェぜ)
敵の機動力を殺ぐべく、潜行で身を隠した写楽の一撃が、ガンバールの前足へと飛ぶ。
だがその刹那――ガンバールの顔が写楽の方を振り返った。フェイントである。
「コフー!!」
(やッべェ!)
鉤爪でアスファルトを蹴り、写楽めがけて突進するガンバール。ワゴンのような体躯が、猛スピードで迫る。
「バカ熊……よそ見……するな……」
そこへ威鈴の放った回避射撃の矢が、ガンバールの肩に命中。
僅かに進路を逸れたガンバールは写楽を跳ね飛ばし、道沿いのビルに激突する。
写楽の体が宙を踊り、道路に叩きつけられた。
「写楽君、大丈夫!?」
「危ねェ……ありがてェ、助かったぜ」
口端の血を拭って立ち上がる写楽を、駆け寄った里桜がライトヒールで癒やしていく。
だが、それもつかの間。二人の周囲をドジッターの巨大な影が覆った。
「クエー!」
仕掛けたのはドジッター。大きく羽ばたく両翼から、黒い羽が雨アラレと里桜に撃ち出される。
すかさず悠人が射線を塞ぎ、飛んできた羽根をシールドで弾き飛ばすも、全てを防ぐことはできなかった。
畳針のように長く鋭い羽の芯が里桜に刺さり、じわじわと腕から血が滲んでくる。
「コフー! コフー!」
そこへ背後の崩れた瓦礫を吹き飛ばし、再びガンバールが姿を現した。
ちょうど写楽や悠人たちを、東西からドジッターと挟み込むポジションである。
(挟まれた!?)
悠人はこの時、ドジッターの攻撃が誘いだったと気づいた。
ガンバールを守るために後ろを向けば、ドジッターは自分や写楽、里桜を狙うだろう。
写楽の傷はまだ癒えず、動かすわけにはいかない。かといってこのままでは、背後をガンバールに晒すことになる。
ガンバールと対峙しているのは威鈴とアルバだ。2人があの突進を食らえば、ただで済むはずがない。
(ここまでか)
ガンバールとドジッターの視線が、悠人へと向いた。
悲壮な決意で踏ん張るも、落ちるのは時間の問題だ。
と――
「やっと背中を見せましたね,ハゲワシさんっ」
文歌の声が割り込んだのは、その時だ。
明鏡止水で身を隠した文歌が、ドジッターの背に破魔の射手を発射した。
悠人へと狙いを定め。
油断している敵に。
意識しない背後から。
文歌、渾身の一撃である。
「クエーーー!!」
絶叫をあげ、ドジッターの巨体がゆらいだ。
「皆さん,今ですっ!」
撃退士が、一斉に動いた。
「よーし、いっくよー!」
「……落ちろ……」
そこへ、里桜のレイジングアタックと威鈴のクイックショットが胴を貫く。
バランスを崩して通りのビルに激突、そのまま道路に墜落するドジッター。
「とンだオセロゲームだねェ。おっと、逃がさねェぜ?」
よろめきながら立ち上がり、飛び立とうともがいたところへ、写楽が跳躍。
ファイエルンがドジッターの翼を切り裂く。
「コフー!」
そこへ後方から、ガンバールが土煙をあげて迫る。狙いは写楽だ。
即座に悠人が進路へと割り込み、シールドを展開。腰を溜めて防御態勢を取った。
「行かせるか!」
衝撃。ガンバールの突進がシールドを突き破り、弾き飛ばされた悠人の体がビルのコンクリート壁に叩きつけられる。
「川澄さん、ドジッターを!!」
亀裂の入った壁から崩れ落ちた悠人が、声を振り絞って叫ぶ。
「これで,終わりですっ!」
「グェーーー!!」
文歌の放つ二発目の矢に貫かれ、ドジッターは光の粒となって消えた。
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「残った敵は俺達が叩く。アルバちゃんは川澄さんと、街の人達を助けに行って」
「分かりました、お兄さん!」
「はいっ。行こう,アルバちゃん」
残った敵を仲間に任せ、文歌とアルバは市民の救出に回った。
「アルバちゃん,一般の人に当てないようにクイックショットでよく狙ってね」
「うん、文歌お姉さん」
抗天魔陣で敵の目を欺きつつ、ディアボロを射抜いてゆくアルバ。
慣れた動きで市民を担ぐと、ふと背中に文歌の視線を感じた。
「どうしたの、お姉さん?」
「ううん。アルバちゃんもしばらく見ないうちに強くなったみたいだね」
「そ、そう? お姉さんや他の皆に比べたら、まだ全然……」
「ふふっ。最後まで一緒に頑張ろう!」
赤くなるアルバに微笑みながら、ふたりは市民を救出していった。
「僕達は学園の撃退士です。今助けますから、安心してください!」
「怪我はありませんか? もう少しの辛抱ですよ」
アルバがディアボロを射抜き、文歌が負傷者を治癒膏で治療。
こうしてふたりは、時間が許す限り救出活動を継続し、そこそこの数の市民を救出することに成功した。
それから市民を安全な場所に避難させ、文歌が撃退署への要請を出し終えたころ、仲間からの連絡が入った。
「お姉さん、神谷先輩が替わって欲しいって」
「ありがとう,アルバちゃん。……はい、川澄です」
『神谷です。先ほど応援部隊から連絡が入りました。彼らの遭遇した悪魔が、市民を連れて北に向かっているそうです』
春樹の緊迫した口調は、今の状況が良くないことを暗に示していた。
「分かりました。急いで追いかけましょうっ。そういえば,ヒエマリスちゃんは?」
『ほとんど手の内は探れなかった。マステリオ君は、何かしら暴けると踏んでたみたいだけど……』
「暴けなかったんですか?」
『……うん。それが……』
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春樹の話は、時間を数分ほどさかのぼる。
「あのバカ、しくじったんじゃないの」
ドジッターの召喚を解除したヒエマリスは、思わず歯ぎしりした。
「ガンバール、時間じゃないの! 『ブツ』は惜しいけど、撤退じゃないの!」
「お待ちなさい、お嬢さん。大事なことをお忘れですよ」
ヒエマリスの行く手をダイナモウォークで遮りながら、エイルズレトラが笑う。
尻尾を巻いて逃げる前に、自分とハートの囲いを抜けてみろ――彼の目は、そう言っていた。
「まぐれ当たりを期待して、砲弾で僕らを撃ち払いますか? それとも、ガンバールの助けを借りますか? 全力移動? 目くらまし? さあ、今この場で抜けてもらいましょうか。言っておきますが、ヒリュウの召喚時間は長いですよ」
「手の内? そんなものいらないじゃないの」
それから彼女が取った行動は、いたってシンプルだった。
闇の翼を広げて、上空へと飛び上がる。これだけだ。
「どう? おチビちゃん」
エイルズレトラとハートを見下ろしながら、ヒエマリスは笑った。
傍で話を聞いていた春樹は、ヒエマリスの意図が分からない。あれがどうして、包囲を抜けたことになるのか?
だがその疑問は、次のヒエマリスの一言で氷解した。
「私も召喚獣使いだから知ってるんじゃないの。召喚獣の中には、高い所を飛べない種がいるって」
(――!!)
春樹の顔が凍りついた。
ヒリュウが飛べるのは地上10メートルまで。それより上空の敵をヒリュウは追えない。背後を取るなど言うに及ばずだ。
「ほ〜ら。お兄さんの表情、図星じゃないの。おチビちゃんが私を飛ばせまいとした理由、これで説明できるじゃないの」
話は終わりとばかり、ヒエマリスはパンと手を打ち鳴らした。
「だけど私もおチビちゃんに付き合って、時間を潰しちゃったじゃないの。だから『お遊び』はあなたの勝ちじゃないの」
ヒエマリスはそう言って手を振ると、撃退士の追撃を振り切ったガンバールと共に去ったのだった。
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ケッツァー所属の悪魔、ヒエマリスの撤退を確認。
市民救出のため、追跡を続行されたし。
8人に新たな指令が届いたのは、それから間もなくのことだった。