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学園と大江家の会議から一月後の8月。
華子=マーヴェリック(
jc0898)と澄空 蒼(
jb3338)は、学園島にある芙久子の家を訪れていた。
「あら、ふたりともいらっしゃい」
笑顔の芙久子に、蒼と華子が挨拶を交わす。
「お久しぶりなのですよ」
「ご無沙汰してます、芙久子さん」
「待ってたわ。さあ、上がってちょうだい」
居間に案内されたふたりは、麦茶に口をつけつつ、さきの任務を話題に出した。
「あれからまだ、ひと月なのですね」
「そうですね……」
頷く華子の脳裏に、会議場を後にした時の光景が描き出された。
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「橘之助さん!」
車に乗ろうとする橘之助を呼び止めると、華子は胸に抱えたA4の茶封筒を差し出した。
「これを……私達が調べた真実です」
「真実?」
怪訝そうな表情を浮かべる橘之助に、華子が真摯な眼差しを向ける。
「はい。できれば、会議が始まる前に読んで欲しいんです」
「会議前に? ……分かった。では、そうしよう」
「ありがとうございます!」
封筒を手渡した華子の背後で、浪風 悠人(
ja3452)の呼ぶ声がした。
「マーヴェリックさん、そろそろ出発ですよ」
「あっ、今行きます!」
仲間達の方を振り返って返事をすると、華子は橘之助に小さな声で言い添える。
「直にとは言いません。でもゆっくりで良いから私達と同じ様に学園の事も信用して欲しいです」
それだけ伝えると、華子は仲間たちの待つ車へと走っていった。
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午後の会議で話し合われる議題はふたつ。
ひとつは、大江家の所有するゲート管理者の待遇改善について。
もうひとつは、すべての発端となった大江事件の情報開示についてだ。
「学園側は、どのような対応を考えているのでしょう」
会議場へと向かう車の後部座席で、Rehni Nam(
ja5283)が憂いを含んだ声で言う。
「大江事件の情報については、公開する方向らしいのですよ」
助手席に座る蒼が振り返った。
「管理者の待遇については、学園でも現状維持派と改善派で意見が真っ二つに割れているようなのです」
蒼の言葉を聞いて、ふとRehniの脳裏に芙久子の顔が浮かんだ。
現在のゲート管理者である芙久子は、学園島で監視つきの生活を余儀なくされ、外部への連絡も禁じられるという、事実上の軟禁状況にある。当時としてはやむを得ない処置であったのだろうが、それが結果として、学園と大江家の軋轢を生み、一連の事件を招く結果となってしまった。
「やはり橘之助さんは、ゲートを……?」
「存続させたいと考えているようなのです。できれば管理者は自分がやりたいとも」
学園の資料に目を落としながら、蒼が頷く。
「そうですか……」
学園は今回の会議で、大江家の事情を知る撃退士としてRehniたちにも出席を求めている。
次の管理者を誰が務めるにせよ、これ以上あの家族が引き裂かれるようなことは起こって欲しくなかった。
――責任重大、ですね。
ガラス越しに外を眺めるRehniの視界に、目的地である会議場の白い建物が映った。
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「えー、それでは最初に挨拶を……」
議長の長話を聞き流しつつ、会議の席に着いた悠人は、前方に座る橘之助を凝視した。
(彼は……書類を読んでくれただろうか)
橘之助は先ほどから事務的な発言こそ行うものの、それ以外では無言を貫いている。
会議前に読むと言ったからには、目は通しているだろうが、真相を知った彼の心を窺い知ることはできない。
両者の議題について、こちら側の主張はすでに固めてあった。
管理者については、学園のはぐれ悪魔と同様の待遇を。
大江事件の情報については、問題ない情報を順次開示していき、ゲートの消滅後に全てを公開する。
これが4人の出した結論である。
「ではこれより、学園と大江家のゲートに関する会議を始めさせていただきます」
開会を告げる議長の言葉に、悠人は気を引き締めた。
今回の会議の結果は、きっと大江家や天魔との相互理解の可能性になる。
今はただ、最善を尽くすのみだ。
事前の予想通り、会議は紛糾した。
特に管理者の待遇については、両派で意見が真っ向から対立し、お互い一歩も引かない姿勢を見せていた。
「ふむ。このままでは埒が明きませんな」
そう言って眉間に皺を寄せた議長が、4人の撃退士に意見を求めた。
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「あくまで、いち撃退士の意見と思ってほしいのですが――俺は待遇を改善すべきと思います。機密情報については、問題ない範囲で徐々に公開していければと」
起立した悠人は、現状維持派の関係者に言った。
「俺は、あなた方の主張も理解できます。管理者という立場は完全に安心できるわけではありませんし、ゲートの状態も不安定です。被害を未然に防ぐためにも、管理には神経質にならざるを得ない。ですが」
悠人は続けた。
「芙久子さんや大江家の人々は、学園の『協力者』です。善意で学園に力を貸してくれている。協力しあう関係を結ぶと決めたのなら、彼らを信用することも大事だと思います」
「私も同じ考えです」
挙手したRehniが発言する。
「根絶派から護る為という理由は分ります。しかし、大江家の不審を招き体制が崩れかねなかったのが今です。ならば、現状を維持する事はマイナス面の方が明らかに大きいと思います」
亡命用とはいえ、学園がゲートや管理者の扱いに神経を尖らせる理由は分からなくもない。
しかし、とRehniは思う。3年前と今とでは、状況も環境も全く違うのだ。
「はぐれ悪魔準拠、但し外出等に護衛をつける等の一部制限辺りが落としどころでは?」
Rehniの言葉に、華子と蒼も頷く。
「あのゲートは大江家のご先祖様が築き、代々守りとおして来た物だと聞きました。最後まで大切に管理していって貰いたいです。誰が管理するのか、互いが互いを思う気持ちを確かめ合って、もう一度再考して欲しいんです」
「管理者を1人にしてしまい、シャットアウトしたせいで橘之助さんは大きな疑いを持ってしまったのではないかと。ローテーションで管理を行うなりするという選択肢もあると思うのです」
4人の意見をまとめるように、華子が蒼の言葉を継いだ。
「本当に大切なのはお互いがお互いの事を思って歩み寄る事だと思います。それが最良の道じゃないでしょうか?」
「……なるほど。よく分かりました」
議長は鷹揚に頷くと、橘之助に視線を向けた。
「管理者の待遇については、大江家側も同じ見解でしたね」
「その通りだ」
議長の言葉に、橘之輔が同意する。
「機密に関しても、情報を順次公開するかたちで行うことを希望すると」
「その通り。例の件については、私自身まだ整理がつかぬところもあるが……もう、終わったことだ」
橘之助は呟くような、しかしその場にいる全員に聞こえる声で言った。
「こちらの要求はひとつ。管理者の待遇と公開の件で、善処を求めるということだけだ。もしそれが難しいならば……」
「難しいならば?」
「……ゲートの放棄も……やぶさかではない」
搾り出すような声で話す橘之助の言葉を受け、会場にどよめきが走る。
「失礼、駆け引きを行う意図はない。だが問題はなかろう? 管理者は学園立会いのもと、いつでもゲートを放棄できる。放棄して管理者の役目を終えれば、学園の監視もなくなる。いずれも契約に記載された内容だ」
「た、確かにそれは、そうですが」
議長の声色には動揺の色があった。
何しろ橘之助は、大江家の中でも、最も強硬にゲート存続を唱えていたのだ。
その彼が放棄を仄めかすなど、余程のことである。
「私とて、ゲートは壊したくない。その気持ちは今でも変わらん。だが……」
橘之助の言葉に、議場が水をうったように静まり返る。
「私は何も見えていなかった。芙久子がどのような思いで今の立場を引き受けたのか、それを知らずに学園への不信ばかりを募らせていた。今にして思えば、私にできたことは幾らでもあったにも関わらずだ」
そう言って、橘之助は視線を落とした。
「学園は変わりつつある。彼ら4人の撃退士は、それを私に行動で示してくれた。だから私ももう一度、彼らの言葉に耳を傾けたいと思う。学園を信用してほしいという、その言葉に」
「うむ……よく、分かりました」
橘之助の言葉に、議長も神妙に頷いた。
「では、他にご意見がないようであれば、議決に入らせていただきます……」
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「――あの時は、本当に緊張しました」
回想を終えた華子が、麦茶を口に含んだ。
「そうね。私も心臓が縮む思いがしたわ」
「私もなのです。まさか橘之助さんが、あんなことを言うとは思わなかったのですよ」
蒼は先ほどから、芙久子の出したチョコケーキにフォークを伸ばしていた。
「もぐもぐ。美味しいのです」
「気に入ってくれたみたいで嬉しいわ。この前、家族で東京に行ったときに買ったの」
東京、という言葉を聞いた華子の脳裏に、議決を読み上げる議長の声が再生された。
『新たなゲート管理者の待遇条件は、学園のはぐれ悪魔に準ずる扱いとする。
ただしゲート所在地の近辺に向かう際は、学園が手配した撃退士を同行すること』
『大江事件の情報は、学園の管理する亡命用ゲートという扱いで公開する。
ただし管理者等に関わる個人情報については、コアの機能停止後に公開を行うものとする』
落としどころとしては、まあ妥当と言えるラインか――そこまで考えて、ふと華子は顔を上げた。
「ところで芙紗子さんは、今日も『あそこ』に?」
「ええ。もうすぐ帰ってくると思うわ」
「そうですか。彼女と会うのも久しぶりです」
そう。華子が芙紗子と会うのは、あの時以来だ。会議を終え、大江家の席に招かれた、あの時――
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芙紗子の家で料理に舌鼓を打ちながら、一同は沢山のことを話した。
今までのこと、これからのこと……
「すまんが、最初にこれだけは言わせてくれ。次の管理者は私がやる」
開口一番、有無を言わさぬ口調で橘之助が言った。
「構わんな、芙久子」
「言い出したら聞かないものね、父さんは」
芙久子が微笑んだ。
「……本音を言うと、私も撃退士に復帰したいと思っていたの。ここ最近、天界と冥界が侵略に本腰を入れ始めたようだし、島で生活している人たちの間でも、不安が広がっているわ」
「お前が決めたのなら、何も言うまい。だが、けして命を粗末にするなよ。……紀美子、すまんが留守の間、家を頼む」
「分かったわ。こっちのことは心配しないで」
紀美子は家族を安心させるように頷くと、ふいに芙紗子の方を向いて言った。
「ところで芙紗子。皆に、話したいことがあるんじゃない?」
「えっ!?」
うろたえる芙紗子に、芙久子が笑いかける。
「言わなくても分かるわ。さっきから顔に書いてあるもの」
「うん。実はね……」
一家の会話を、4人の撃退士は横のテーブルで静かに見守っていた。
3年ぶりの家族の時間なのだ、自分たちは水を差さないようにしよう――それが彼らの結論だった。
「皆さん、かなり熱い議論を交わしているようですね」
隣の会話にそっと耳をそばだてながら、Rehniが呟いた。
どうやら、撃退士の夢を諦めていない芙紗子と、橘之助が意見を戦わせているようだ。
「ここまで沢山話し合ってお互いの本当の気持ちを聞いて……もう大丈夫、きっと上手くいきます」
「ええ。ですが……」
Rehniは少し不安だった。以前、ふたりの親子喧嘩を目にしている身としては、気が気でない。
だがそんな彼女を安心させるように、華子が微笑みかけた。
「大丈夫です。だってお互い歩み寄る事が出来るって知っているから。親が子を思い、子が親を思う、本当に愛のある仲の良い家族だから……よく言うじゃない?」
「??」
「喧嘩するほど仲が良いって♪」
「なるほど。違いないですね」
Rehniの言葉に、華子が頷く。
あの4人は、今までずっと苦しんだ。だからこれからは、希望が咲く未来がやってくるといい。
と、そこへ、聞きなれない男の声で意思疎通が飛んで来た。
『皆さん、本当にありがとうございやした。いくら感謝しても足りねえです』
撃退士たちが声の方を向くと、そこには悪源太の姿があった。口にはラッピングされた袋を4つ、くわえている。
『つまらねえ物ですが、どうか受け取ってくだせぇ』
袋に入っていたのは、チョコレートバーだった。蒼のものには、バーの表面にホワイトチョコの肉球柄が押してある。
『鰹節の礼です。その節はどうも……』
「あ……悪源太ちゃん、あなたってひとは……モフモフモフなのですモフモフモフ」
蒼は悪源太に駆け寄ると、その体を愛しそうに抱きしめた。
「もう一人で抱え込んだらいけないのですよ。本当に辛いのは、見ている側なのです」
「フニャー」
目を細めた悪源太が、二度三度と首を縦に振る。
こうして、大江家と撃退士たちのひと時は過ぎていった。
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時は流れ、現在。学園島に点在する、訓練所の一角にて――
「芙紗子さん、お疲れ様です」
「元気そうですね。何よりです」
入口から出てきた芙紗子を、Rehniと悠人のふたりが迎えた。
「どうですか、入学希望者向けのスペシャル特訓コースは」
「うん、すごくきつい。だけど――」
疲労2割、決意8割といった表情で芙紗子が言う。
「絶対にこなしてみせる。お姉ちゃんとの約束だしね」
学園島の訓練施設では、一線を退いた撃退士などがコーチとなり、ブランクのある撃退士や、学園の入学希望者を対象に訓練を行うプログラムがある。
『夏休みの間、学園島で、芙久子と同じ訓練プログラムを休まずにこなすこと』
撃退士の道を希望する芙紗子が、芙久子と交わした約束だ。
芙紗子の話では、約束を果たした後、もう一度家族で話し合って結論を出すらしい。
「お姉ちゃん、午前中にはメニュー全部終わらせちゃって。ご飯の支度があるから早く帰れって怒られちゃった」
「それは凄い。芙紗子さんも負けてられないですね。……そういえば、悪源太さんは?」
「ママと一緒に実家にいるの。ゲートを放ってはおけないからって」
「そうですか。できればお二方にも挨拶をすませたかったのですが」
つい先日、ゲートの管理権限は橘之助へと引継がれ、芙久子は管理者の任を無事終えた。
Rehniと悠人は今日、その挨拶に行く予定なのだ。
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芙久子の家へと向かう途中も、3人はぽつぽつと会話を交わした。
「これから当分、橘之助さんは不自由な生活が続くのですね」
「大丈夫、私達もいるから。……それに3年なんて、あっという間だよ」
3年。
調査チームが学園に戻って弾き出した、コアの残り寿命である。
ふと悠人は想像した。
芙紗子が撃退士となり、橘之助が管理者の役目を終えた3年後の未来を。
(俺達はそのとき、どんな未来を生きているんだろう)
願わくばそれが、今よりも良いものであってほしい。
そう考える悠人の目の前で、芙紗子が家のインターホンを押した。
「お姉ちゃん。ただいま」
「お帰りなさい」
ドアを開けた芙久子は、3人を笑顔で迎えた。