●新聞部
「これが、大江芙久子さんが卒業した3年前の記事ですね。よっ……と」
浪風 悠人(
ja3452)が、整理されたファイルを抱えて資料室のデスクに積んでいく。
「これは壮観ですね……」
「さても、さても」
山と積まれたファイルを眺めるRehni Nam(
ja5283)の隣に、静馬 源一(
jb2368)がパイプ椅子を運んできた。
「宮沢部長の話では、夏頃に彼女の記事を扱ったそうで御座る。それと、部屋は自由に使っていいとのことで御座った」
「おおっ、凄いです静馬さん」
「ふふふ、菓子折り様様で御座るな。さあ、調査開始で御座る」
一方その頃、応接室。
「任務協力、感謝ですよ。はいどうぞ、なのです」
芙久子の住所をメモしつつ、澄空 蒼(
jb3338)は宮沢に棒菓子を差し出した。
「ありがとう。……大江先輩か、懐かしいな。任務では何度も助けられたよ」
「一体、どんな方だったのです? よければ教えてほしいのですよ」
「もの静かで、冷静な女性だったな。卒業後は撃退士として活動すると聞いていたが……」
「何か、あったのですか?」
蒼の横に座る、華子=マーヴェリック(
jc0898)が身を乗り出した。
「卒業の数ヶ月前だったかな。彼女が、学園に免許を預けたんだ。妙に思い、それとなく探ってはみたが……」
「分からなかったんですか?」
「ああ。肝心な情報は全て、機密指定を受けていて分からなかった」
蒼は菓子のひとつを口に放り込み、尋ねた。
「時期は、いつ頃なのです?」
「彼女は9月入学だったから、確か――」
「6月から8月の間ですね」
資料室のデスクに、Rehniが二冊のファイルを広げた。いずれも三面のインタビュー記事だ。
「6月の記事では、彼女は撃退士になりたいと話しています。それが8月になると、学園に免許を預けたと話しています」
「ということはこの2ヶ月の間に、芙久子さんに何かがあったのでしょうか?」
「その可能性が高そうですね」
Rehniは華子の言葉に頷くと、背後のホワイトボードに板書をした。
事実:芙久子は一般人として学園島で生活している
推測:3年前のちょうど今頃、彼女に「何か」があった
「判明した情報は以上です。もう少し手がかりが欲しいですね」
ボードの向かい側に座る悠人が言った。
「マーヴェリックさん。芙久子さんは在学中、依頼は普通に受けていたんでしょうか?」
「はい。宮沢さんはそう仰っていました」
「となると、過去の依頼に手がかりがあるかもしれません。俺、調べてみます」
悠人の言葉に、華子が手を挙げた。
「私もご一緒します! 澄空さんは?」
「私は芙久子さんのお宅に伺うのですよ」
「では、自分はここで情報をまとめるので御座る。各々方、随時連絡をお願いするので御座る」
源一は各自の連絡先をメモすると、仲間達を見送った。
●斡旋所
「3年前の報告書ですか? 少々お待ち下さい」
「すみません、お願いします」
職員の北沢蓬は、悠人の伝える情報を端末に入力した。
「やっぱり北沢さん、電極は無い方が可愛いですよ。この後、良ければ一緒にお昼でもどうです?」
「わあ、浪風さん大胆です。こんなところでナンパするなんて」
「い、いやいやいや」
悠人は慌てて否定すると、北沢との関係を華子に説明した。
「……そんなわけで、彼女とは戦いを通じて知り合った仲です」
「そうだったんですか〜」
「こほん」
北沢の咳払いに、二人が慌てて向き直る。
「失礼。これが?」
「はい。ただ、こちらは機密指定書類ですので、概要の閲覧のみとなります」
「分かりました。ありがとうございます」
「閲覧が終わりましたら、返却をお願いしますね。……ちょうどその頃には、正午になりそうですし」
北沢に礼を言って書類を受け取ると、悠人と華子は頁をめくった。
「機密、か。どんな内容なんだろう」
「気になりますね〜。いい情報があるといいですけど……なになに?」
―
大江事件 調査報告書
依頼内容
休眠ゲート調査
出発日時
6月4日
概要
京都府内の山中に存在する、休眠中のゲート調査を依頼する。
現地は私有地内であり、所有者の大江橘之助氏(49)からは学園が調査許可を取得済……
―
「げ、ゲートが!?」
「凄いです。大発見ですね〜」
ふたりの頭上で、チャイムが正午を告げた。
●斡旋所 休憩スペース
「最近の生活は、どうですか?」
「皆、少しずつ気持ちの整理がついてきました。睦美も元気そうで安心です」
北沢が、悠人から貰ったケーキの端をフォークで崩しながら言った。
「でも学園内に、想像以上にはぐれの方が多くて驚きました。少し前までは、人間界に行くのは命がけだったのに」
「命がけ?」
華子は首を傾げた。
「ゲートを使えば、すぐ飛んでいけるんじゃないですか?」
「ええ。実は、その使えるようになるまでが命がけなのです」
北沢は説明した。ゲート作成の際は、選んだ場所を何週間も動けないこと。作成中は完全に無防備になること……
「ですから多くの悪魔は、ゲート持ちの悪魔に頼んで人間界に送ってもらいます。ですが、その悪魔が学園に降れば、ゲートの持ち主は処罰されます。ですから中には、通す悪魔の家族などを人質に取ることもあるのです」
「へぇ〜。知りませんでした」
アイスティーに口をつける華子の隣で、北沢が言い足した。
「一昨年頃からでしょうか。魔界の一部で、人間界への亡命コーディネーターの存在が噂されるようになりました。人質を取られず、安全に学園への入学を手引きしてくれる、そんな存在がいると」
「『捕まえて情報を吐き出させてやる!』みたいな悪魔はいなかったんですか?」
悠人の疑問に、北沢はかぶりを振る。
「『面倒事は押しつけろ』が魔界の流儀ですから。噂程度の話でしたし、誰もまともには調べませんでした」
(コーディネーター、か。さっきの情報と一緒に、静馬さんに報告しておこう)
それからしばらく取りとめのない話をして、3人は別れた。
●居住エリア 大江芙久子宅
悪源太の依頼で来たという事情を聞くと、芙久子は雫(
ja1894)と蒼を家に迎え入れた。
「そう。あのふたりが……ね」
「話せる範囲で結構です。お話を聞かせていただけないでしょうか」
出された麦茶に口をつけると、雫は今までに5人が集めた情報も併せて話した。
「ご家族の問題に立ち入る気はありません。ですが私は、話し合えない原因が学園にあるならば、それを解決したいと思っています。お父様の言葉や態度に、心当たりはありませんか?」
「私も同じはぐれ悪魔として、おふたりのケンカを止めたいのです。芙久子さんのお力にもなれればと思うのですよ」
雫の言葉を継いだ蒼が、チョコバーの包みを破った。
「芙久子さん。このチョコバーは、近しい人を失った悲しみと今も戦う、私の友達の特製なのです。その人が笑顔を浮かべてくれると、私も楽しくなるのです」
ぱくり、と蒼がチョコバーを咥える。
「だから私は同じ理由で、芙久子さん達の笑顔も見たいのです。そんな私の欲望のために何があったのか、教えてほしいのです。もぐもぐ」
芙久子はふうと息を吐いた。
「そうね……何をどこから話したものかしら。少し長くなるけど、いい?」
うなずく雫と蒼のコップに、芙久子は麦茶を注ぎ足した。
「学園が公に天魔の受け入れを始めた時期は、知ってる?」
「3年前の11月ですね」
雫が即答した。
「そうよ。でもそれ以前から水面下では、受け入れのプロジェクトが幾つか進んでいたの」
「芙久子さんも、そうしたプロジェクトのひとつに?」
「ええ。父のゲートが見つかった、あの日からね。正式に参加したのは、少し後だけど」
「それは一体?」
「はぐれ悪魔が亡命に使うゲートの管理よ。亡命の成否を分けるネックは、ゲートに関わるものが多いの」
亡命する際のリスクを、芙久子は具体例を交えつつ説明した。いずれも仲間の集めた情報を裏付ける内容だった。
そこへ、蒼が口を挟む。
「他にも、私のように任務を放棄して学園に降るケースもあるのですよ」
「ええ。その場合は、投降が認められないと命の保障はないけどね。かなり危険な方法よ」
芙久子は続けた。
「プロジェクトに参加したゲート管理者達は、行動の自由が大幅に制限されるわ。撃退士がゲートを持つことを学園は認めてないから、その間は撃退士としての活動も一切禁止されるの」
「なるほど。だから免許を……」
雫は麦茶を啜ると、気になっていた疑問を投げかけた。
「家のゲートの存在は、ご存知だったのですか?」
「いえ。私も最初は驚いたけど、学園や人間界の平和に役立つなら残したいと思ったわ。先祖から受け継いだものを守りたいという父の気持ちも尊重したかったし。父は島に移ってでも、管理を続けたがっていたけど……ね」
「そうはならなかった?」
「ええ。私が管理を願い出たの。学園と一緒に父を強引に説得して、半ば押し切るかたちで手続きを進めたわ。本当はもっと話す時間が欲しかったけど……」
「それ以降、橘之助氏とは?」
「3年前の夏に会ったきりね。年賀状とかは送るけど、大したことは書いてないわ。手紙にも学園の目は通るし」
「お父様から連絡は?」
「ないわ。来ても学園が取り継がないはずよ」
「ふむ。それは普通、不信感を抱きますね」
「芙紗子さんの入学に反対するのも無理はないのです」
罪悪感の混じった目で、芙久子が応える。
「強引だったのは認めるわ。でもあの時は、ああするより仕方なかった」
「責めているのではありません。ですが、ひとつ教えてください」
大江事件の概要は、おおよそ把握できた。橘之助と芙久子の事情も理解は出来た。
だが雫には、どうしても腑に落ちない点があった。
「芙久子さん。なぜそうまでして、あなたがゲートを管理しようと?」
居間に一瞬、気まずい沈黙が流れる。
「全てを守るには、ああするしかなかった。そういう時代だったのよ」
そこまで言うと、芙久子はそっと目を伏せた。
「ごめんなさい。私が話せるのは、ここまでだわ」
●新聞部室
「そんな事情があったとは」
パイプ椅子を軋ませながら、携帯を手にした源一が言った。
「しかし、『そういう時代』というのは一体? 3年前の今頃というと、自分が入学する前で御座るが」
『おぼろげに、ですが。心当たりはあります』
「心当たり……で御座るか?」
『そうです。当時の学園は、今とは全く別の世界でしたから』
「別の? 一体――」
『それは後ほどお教えします。 ツー ツー』
「し、雫殿、それは殺生で御座る!」
●職員室
「お前達の意見はよく分かった」
悠人の差し入れたケーキを机に置くと、巳上は言った。
「本件を秘匿し続けるのは、学園と天魔の双方にとってマイナスだ。だからお互いのわだかまりを解き、問題を根本から解決するため、機密情報を知りたい……それが総意なのだな」
5人の撃退士達が頷いた。
雫、悠人、Rehni、蒼、華子。皆その気持ちは同じようだ。
「依頼解決のためだけではありません。学園のためにも、情報の開示を求めます」
「お願いします。今後天魔とも分かり合う為にも、どうか俺達を信じて下さい」
「曖昧な対応で信頼を失うのは、学園にとっても損失です。誠実な対応を取れば、信頼を増す天魔も多いはずです」
「学園に協力する同族に酷いことをするのは、許せないのです。事実をはっきりさせてほしいのですよ」
「先生。どうか悪源太さんや芙紗子さん、橘之助さんのためにも……」
巳上はしばし無言で、5人をじっと見つめた。
「3年か。早いものだ」
ぽつりと呟くと、巳上は椅子から身を起こした。
「閲覧を許可しよう。ついて来なさい」
●機密保管室
巳上から手渡された機密文書には、新たな情報がこまごまと書かれていた。
件のゲートは老朽化が著しく、結界も失われていること。
コアがゲートを維持できるのは、長くてあと数年が限度であること……
Rehniが頁をめくっていると、巳上が独り言のように呟いた。
「――人間99%超、天魔1%未満。天魔に門戸を開く前の、学園関係者の構成比率だ。あの頃はどの生徒も、敵としての天魔しか知らなかった。味方や戦友といったイメージなど皆無。そんな場所に父を招くのは危険すぎるというのが、芙久子の言だった」
やはり、という表情の雫の隣で、蒼が首を傾げる。
「でも、学園の保護下なら平気ではないのです? 今も天魔を嫌う人は多いのですけど、学園の規則に背いてまで危害を加えようなんて人は、そうそう――」
「いたのだよ。当時は」
蒼の言葉を巳上が遮った。
「ちょうど3年前の今頃か。学園の風紀委員会に所属する教師が、同じ学園所属の天魔にスパイの嫌疑をかけ、上層部の指示を無視して独断で殺害を目論むという事件があった。標的になったのは、はぐれ悪魔の少女だった」
「証拠はあったのです?」
「いや。少女は潔白が証明され、教師は敵の悪魔と戦い戦死したことで、事件は決着をみた。だが、あの事件は氷山の一角に過ぎん。天魔根絶は絶対の正義であり、学園の規則や方針よりも優先される。そうした声を容認する一部の空気は、いま我々が想像するよりも遥かに強かった。そういう時代だったのだ」
だからこそ、と巳上は続けた。
「上層部の天魔受け入れの決定も、大江家とゲートの関わりも、当時は徹底的に秘匿された。もし情報が明るみに出れば、天魔の受け入れをよしとしない勢力が動くことは容易に予想できたからな。そうなれば学園は結果的に……」
「内紛で疲弊し、弱体化し、天魔に対する力をも失ってしまう、ですか」
「そうだ。……ところで雫」
話を切り替えるように、巳上が雫の方を向いた。
「何でしょうか」
「情報開示の件だ。残念ながら、あれはまだ認められん」
「『まだ』ということは、いずれ開示はされると?」
「うむ。間もなく学園と大江家との間で、ゲート管理権限の引継ぎに関する会議の席が持たれる予定だ。その席上で両者の合意が成されれば、学園は情報を開示する。ゲートを今後どうするかも、その時に決まるだろう」
「それならば、橘之助氏の誤解を解き、再び親子での話し合いを設ける機会は、その時を置いて他にありませんね。その会議は、いつ?」
「来月だ」
「……間もなく、ですね」
雫は源一宛のメモに日付を記入すると、仲間と共に部屋から退出した。
●職員室
撃退士達を見送った後、巳上は椅子に座りながら想いをはせた。
(3年前の今頃、皆がこんな日常を送っていると、一体誰が予想しただろう)
朝、教室に入れば、そこには天魔やハーフの生徒達がいる。
皆で同じ任務に赴き、苦楽を共にし、生死を分かち合う。
生徒達の多くも、それを当然の光景として受け入れている。
いずれも3年前の学園には存在しなかった光景だ。
時代は変わってゆく。少しずつ、しかし確実に。
(学園が残した負の遺産のひとつ……片をつける時が来たか)
巳上は差し入れのケーキに口をつけた。心のこもった、甘い味だった。
学園の斡旋所に一件の依頼が届くのは、これより少し先の話となる。