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現場に到着し、最初に敵の姿を見たゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は、呆然とした表情で呟いた。
「またけったいな能力持ってるやつやなぁ……」
思わずそんな言葉が口をついて出てくるくらい、目の前のディアボロは風変わりな姿をしていたのだ。
人の手足が生えた巨大な魚人のフォルム。鱗の生えた手に握られた、長く鋭い銛。そして体の周囲をドームのように覆い尽くす、半透明の液体状のアウル。ドームの内部では浜辺のゴミがふわふわと所在なげに漂っている。
「皆さん、あれを!」
そう言ってクラリス・プランツ(
jc1378)が指差したのは、敵のボスと思しき大魚のディアボロのドームだ。よく見ると大魚の背後に、救出対象と思しき少年がうつ伏せで浮いているのが見える。少年の意識は既になく、全く身動きをしていない。
「一刻の猶予もありませんね」
レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)の言葉に撃退士達は頷き、次々と武器を手にアウルの光を纏いはじめた。敵の方も撃退士達の存在に気づいたらしく、銛を両手に構えて挑発するようにドームの中で身をよじる。
「行きましょう! 俺が敵を引きつけます!」
浪風 悠人(
ja3452)が、先陣を切って駆け出した。目指すは敵の先頭に立つ大魚だ。
(ボスが1体、取り巻きが2体。まずは敵の気を引いて、人質救出のチャンスを作る!)
敵の数と行動方針を瞬時に頭に叩き込むと、悠人は魔具の獄炎珠を握りしめた。
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「義兄の手前、弱い姿は見せられないなぁッ!」
タウントを使用して接近する悠人めがけ、大魚の両脇を固める小ぶりのドームからビーチボール大の水球がちぎり取られ、同時に悠人に飛んだ。水球が相次いで悠人に着弾し、衝撃で巻き上げられた砂煙が周囲を舞う。
「ぐ……っ」
眼鏡に張り付いた砂粒を落として、敵に向き直る悠人。そんな彼の横を、すっと通り抜ける影があった。
「無茶は駄目ですよ、悠人君?」
悠人の義兄、浪風 草慈(
jb6615)だった。悠人を気遣う言葉を口にしながらも、先程から彼の視線は眼前のディアボロに釘付けになっている。その目つきは、狩人のそれだ。
(さあて、どう狩ってやりましょうか)
草慈は小魚の間合いスレスレに飛び込むと、魚の頭めがけてゴーストバレットを放った。隠れる場所があれば身を潜めての襲撃を考えていたが、周囲にそれらしき場所は見当たらない。
(ならば、懐に入って狩る!)
トライデントを握りしめる草慈の目に、冷徹な光が宿った。
「にゃあ!」
一方、悠人と共に囮を買って出た狗猫 魅依(
jb6919)は、大魚の水球を防御しつつ、敵の攻撃の間合いを計っていた。
(これは、思ったよりも厄介な敵かもしれないにゃー)
恐らくあのドーム内は、液体状のアウルで満たされているはずだ。となると、接近しての戦いは、陸上に比べて大きく動きが制限される……魅依はそう考えた。
ドームに踏み込まないようギリギリの間合いを保ちつつ、悠人と共に大魚の前に立ちはだかる魅依。これで、大小それぞれ1体ずつ、魚の足止めが出来た形だ。しかしまだ、西の敵の小魚がフリーのまま残っている。
(あの小魚、ミィが行くしかないかにゃ?)
救出後の討伐を考えて、悠人ひとりに大魚を任せるのは危険。そう、魅依が思った時である。
「私達は久遠ヶ原の撃退士。神妙にするんだね!」
陰陽の翼を広げたクラリスが、大声で名乗りを上げた。魅依と悠人の立つ最前列に躍り出ると、クラリスは再度発射された西の小魚の攻撃を防御して受ける。返す刃でドームの射程ギリギリから、対のロザリオが生み出すアウルの十字架を、次々と小魚へ飛ばした。
「浪風さん。あの敵は私が引き受けるよ」
「了解です。無茶はせずに!」
「援護します、クラリスさん」
二人の会話を聞いたレティシアが、クラリスを援護するポジションに移動した。危険な時は、いつでもライトヒールで彼女を回復できる状態だ。
(よし。ここまでは順調だ)
西にクラリス。中央に悠人と魅依。東に草慈。
全員が配置についたのを確かめると、悠人はハンズフリーのスマホでゼロに準備完了を告げた。
「ゼロさん、こちらはOKです」
「りょーかい♪」
ゼロの体が、砂の中に沈んだ。
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東では、三叉槍トライデントを手にした草慈が、接近する動きを見せた敵の懐へと潜り込んでいた。
(こいつは、ちと厄介ですね……っと!)
ドームの中は、水中そのものだった。呼吸ができず、思うように身動きが取れない。突き出された小魚の銛に、魔具での打ち払いを試みる草慈。だが紙一重で間に合わず、敵の一撃を脇腹に受ける。ドームの端が、草慈の血で赤く染まった。
「ぷはっ!」
とっさに銛を引き抜いてドームから出ると、傷口に手を当てる草慈。内臓は無事だった。ナイトミストで回避を上げていたのが幸いしたようだ。
「いいですねえ。狩り甲斐のある獲物だ」
敵との間合いを取りながら、草慈は不敵な笑みを浮かべる。
その頃西側では、空を舞うクラリス目がけて、小魚の水球の第二撃が放たれたところだった。
「……っ!」
水球がガードした上半身に命中し、飛沫がクラリスの顔を塞ぐ。一瞬呼吸が乱れ、反撃の影手裏剣が狙いを逸れた。
「大丈夫ですか?」
「何とか。ありがとうね」
ライトヒールで傷を癒すレティシアの言葉に頷くクラリス。礼を述べながらも、その視線は片時も敵から離れない。
「クラリスさん。もう少しだけ耐えて下さい!」
まだ攻める頃合ではない。敵の展開しているドームとの間合いを巧みに取りながら、魅依の射線に跳躍で割って入り、一回り大きな水球を再び防ぐ悠人。
(もう少しだ。もう少しでゼロさんが……)
その時、悠人の内心に息を合わせたかのように、スマホからゼロの声が聞こえてきた。
「呼ばれて参上! いただくで!」
大魚のドーム後方から水飛沫があがり、闇の翼を広げたゼロが飛び上がった。脇には、囚われた少年を抱えている。
「ゆーは〜ん、オッケーよ♪」
「ゼロさん! 子供は大丈夫ですか!?」
「ノープロブレム、生きとるよ。ちょっとケガ、しとるけどね」
サムズアップで応じるゼロに、小魚の水球が襲いかかった。ふたりまとめてドームの中へ落とすつもりのようだ。
「おわっと!?」
「やらせないよ!」
直後、水球に体当たりするようにして、攻撃を受けた者がいた。クラリスだ。
「……ふふ、大したことないね」
クラリスは不敵な笑みを浮かべながら、寸での所で踏みとどまる。
「早く、その子を!」
ゼロは彼女の言葉に無言で頷くと、全力移動で陸地へと飛び去った。
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(よし、ここからは俺達のターンだ!)
人質を救出し形勢の逆転を確信した悠人は、大魚のドームへと飛び込み髪芝居を放った。悠人の白銀の髪が伸びる幻影が、大魚の心を絡め取る。
「おっ、悠人君。やるじゃないですか!」
ドームに飛び込んだ草慈が、ゴーストバレットで追撃をかける。だが、トライデントから放たれたアウルの弾丸を、大魚は身を捻って回避した。
(敵は髪芝居によって動きが束縛されている……攻めるなら今しかありませんね)
大魚が体勢を立て直す前に一気に押しきるべく、レティシアが仲間達に声をかけた。
「今です、一気に攻めましょう!」
レティシアがめくる死者の書のページから舞い散った白い羽が、羽の芯を次々と眼下の大魚に襲い掛かった。羽が大魚の手足に突き刺さり、その体がピンの突き刺さった虫のように縫いとめられる。
「これはどうかな!」
間髪入れず、クラリスのロザリオから生成された影手裏剣も追い打ちをかける。ふたりの攻撃が大魚の体に突き刺さり、ドームが赤色に染まり始めた。
(効いてる……でも、油断は禁物!)
攻勢に出ても、クラリスは冷静さを失わなかった。現状、撃退士側で一番ダメージが蓄積しているのは彼女である。敵が余程の馬鹿でない限り、相手は確実に自分を水球で狙うだろう。そう考えた彼女は、すぐに敵の間合いの外へ逃れた。
だが、上空で敵の水球を警戒するも、予想に反して攻撃は飛んで来なかった。
(私を攻撃するかと思ったのに……でも、油断は禁物だね)
そう思ったクラリスが敵の進路を塞ごうと、ドームの北側に移動したその時――ふいに大魚の目が赤く光った。
(……!?)
光に合わせて、魚達のエラから真っ黒い墨が噴き出した。
3つのドームが、瞬く間に黒く染まった。
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ちょうどそこへ、大鎌デビルブリンガーを担いだゼロが戻って来た。
「はい、お待たせ! ……って、何やあのイカスミまんの出来損ないみたいなんは」
「みぅん……お魚が、墨はいた」
魅依の返事に、ゼロが素っ頓狂な声をあげる。
「墨ぃ!? ゆーはんは?」
「真ん中のおまんじゅうの中に……」
「あかん、急がんと」
ゼロは物質透過で砂地に飛び込むと、真っ直ぐに悠人のいるドームを目指した。
「ミィも一緒に行くよ!」
悠人と草慈がドームから抜け出てくるのを確かめると、大魚の頭上を飛ぶ魅依の掌から、凝縮されたアウルの球が次々とドームに投げ込まれた。広範囲を爆発で吹き飛ばす魔法攻撃、ファイアワークスだ。
「あったれー!」
ドームの周囲で次々と爆発が起こり、黒い水飛沫が周囲に飛散した。だが、抉れたドームの中に敵の姿はない。有効打には至らなかったようだ。
「ゲホッ……」
爆発したドームの外側では、草慈を抱えた悠人が咳き込んでいた。敵の攻撃を食らったのか、ふたりの体は傷だらけだ。特に草慈の傷はかなり深いらしく、体を地面に降ろされてもピクリとも動かない。
「レティシアさん! 義兄を頼みます!」
仲間に回復を要請しつつ、草慈の盾となる悠人。直後、3つのドームから同時に黒い水球がちぎり取られた。
(まずい……!)
敵は闇の中からでもこちらの姿が見えるのか、攻撃の狙いにも全く狂いがなかった。今ここで同時に攻撃を食らえば、流石の悠人もただでは済まない。
(ここで倒れる訳にはいかない。絶対に……)
歯を食いしばり、着弾に備える悠人。
その時――
「嫌がらせは得意分野やからな。どんどんやらせてもらうで〜」
悠人のスマホから、ゼロの声がした。
「受けてみ。クレセントサイス!」
大魚の進路に回り込むようにゼロが地面から姿を現すと、掌から放たれたアウルの球がドームに吸い込まれた。
一瞬間を置いて、あちこちに生じた切れ目から三日月のアウルの刃が飛び出ると共に、黒い水飛沫が勢いよく噴き出す。よく見ると、その中にはディアボロの血と思しき赤い液体も交じっていた。
(ゼロさん……!)
左右から放たれる水球に必死で耐えながら、悠人は内心でゼロに感謝した。同時に大魚の水球が力を失い、ばしゃりと地面に零れ落ちる。どうやらゼロの一撃が致命傷となったようだ。
「大丈夫ですか!?」
草慈を治療したレティシアが悠人の傍に駆け寄り、悠人にライトヒールの詠唱を始めた。彼女が仲間達に使えるライトヒールは、これで終わりだ。最後の1回は負傷した少年のために残しておきたい旨をレティシアは仲間達に伝えた。少年の命に別状はないようだが、万が一という事がある。
「義兄は……?」
「無事です」
「よかっ、た」
肩で息をしながら、眼前の敵に向き直る悠人。まだ戦いは終わっていない。
その時、両翼のドームが海に向かって退却を始めた。ボスである大魚が致命傷を負った事で、不利を悟ったようだ。大魚はといえば、足止めのためか悪あがきか、最後の力を振り絞って水球を飛ばそうとしたところを、魅依のファイアワークスに吹き飛ばされた。
「ゆーはん。動けそうなん何人おる?」
崩れゆくドームの向こう側で、ゼロが言った。
「……2人です。魅依さんと、レティシアさん」
悠人と草慈、クラリスの3人は、いずれも少なくないダメージを負っている。ライトヒールの残りも、既に底をついた。
「そか。……残念やけど、殲滅は無理やね」
「そう、ですか」
「透過いうても、砂ん中で息まではでけへんからね。移動と息継ぎ考えたら、そう長くは足止めでけへんのよ」
当初は大魚を仕留めた後、魅依とゼロで両翼を足止めして各個撃破する予定だったが、今それをするにはこちら側のリスクが大き過ぎた。
(せめてあと少し、味方の消耗を抑えられていれば。最初に戦力を分散したのが裏目に出たか……)
だが、今更悔やんでも始まらない。悠人はすぐさま、頭を切り替えた。
「分かりました。せめてあと1体、仕留めましょう」
仲間達の体勢が整うのを確かめると、6人は浜辺へと向かう敵に視線を送る。
「西の奴は私とやりあって手負いになってる。倒すならそっちが確実だと思うな」
「だったら、敵の足はミィが異界の呼び手で止めようかにゃ」
ドームの暗闇が次第に薄れてきていた。仕掛けるならば、再び敵が墨を吐く前の今がチャンスである。
撃退士達はクラリスと魅依の言葉に頷くと、一斉に西のドームの敵へと殺到した。
程なくして撃退士達は、2体のうち1体を討ち取った。
本部からの応援が駆け付けたのは、それから数分後だった。
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「全く。無茶しすぎなんだよ、あんたは」
「すみませんね。性分ですから」
担架の上で星野の手当てを受けながら、悠人は苦笑した。
「元気そうで安心しました。皆元気でやってますから、星野さんも頑張って下さいね」
「……ふん、分かったよ。奥さんにもよろしくな」
ふたりがそんな会話を交わしていると、隣の担架に横たわる草慈が、からかうような声で言った。
「彼女、妹の知り合いなんですね。後輩ですか?」
「あー、それは……」
どう説明したものかと頭を抱えながら、差しさわりのない範囲で義兄に事の経緯を語って聞かせる悠人。その隣では、三連沢が撃退士達から戦いの報告を受けていた。
「そうか。1体は逃がしてしまったか……」
「みゅぅ。ごめんにゃさい」
「もう一息やってんけどなあ」
「いや。未知の敵だったことを考えれば上々の戦果だ。よくやってくれた」
撃退士達を労う三連沢に、レティシアが尋ねた。
「ところで先生。少年の容態は?」
「安定している。つい先程、病院に運ばれたよ。皆に『ありがとう』と伝えてくれと言っていた」
ライトヒールで随分楽になったという少年の言伝を聞いて、レティシアの顔が綻んだ。
「そうですか……」
「うむ。何でも彼は、学校の帰りにディアボロを目撃したらしい。それで本部に連絡をしている最中に襲われたのだそうだ」
傍で話を聞いていたクラリスの表情が陰った。人々の生活のすぐ傍にまで、冥魔の手は伸びてきているのだ。
「きれいな所だね……こんな所が荒らされるのは見ていたくないな」
この島に平穏な日々が戻るのに、一体あとどれだけの血が流されるのだろう? そんなことを考えつつ、クラリスはぽつりと呟くと、海の彼方を見つめた。
(もっと強くなって、皆の役に立ちたいな)
初陣を終えたクラリスと仲間達の体を、西に傾き始めた太陽が照らしていた。