●学園入口
「久遠ヶ原へようこそ! 今日は宜しくな」
当日の朝、集まった少年少女を前に、日下部 司(
jb5638)が挨拶した。
その両隣には、うさみみカチューシャを揺らしつつ、ぴょこんと飛び跳ねるアルジェ(
jb3603)と、爽やかな笑顔で挨拶する川澄文歌(
jb7507)の姿がある。
「おはよう、みんな。案内ウサギのアルジェだ、よろしく……ぴょん」
「は〜い,みんな元気かな? 今日の案内役の一人,文歌お姉さんだよ☆ よろしくね♪」
川澄の<アイドルの微笑み>が和やかな空気を醸し出すなか、日下部はマニュアルに従い注意事項を伝えていった。
「撮影は自由にしてくれて構わない。撮影禁止の場所に入る時は事前に言うから、その時は電源を切ってね。それと……」
そんな光景を先程から、ひとりの新米撃退士が木の陰から見つめていた。
アルバである。
「ど、どうしよう、瑞樹がいる……」
先程から彼女の視線は、参加者の一人である佐藤瑞樹に注がれていた。
その時、背後からアルバの名前を呼ぶ声がした。神谷春樹(
jb7335)だ。
「大丈夫かい、アルバ? すごく緊張してるみたいだけど」
「せ、先輩。実はちょっと……」
当然と言えば当然か、と神谷は思った。初依頼の相手が大事な親友となれば、緊張しない方が無理というものだ。
「心配いらないよ、アルバ」
そんな彼女の肩を、浪風 悠人(
ja3452)が笑顔で叩いた。
「今回は俺達もいる。気楽にいこ?」
悠人の言葉に、彼の妻である浪風 威鈴(
ja8371)も微笑む。
「大……丈夫……」
「うん、ありがとう。頑張ります」
その時、アルバの背後の方で、出発しますという日下部の声が聞こえた。
「よし。僕達も行こうか」
神谷は極力、アルバをフォローするつもりでいたが、出発前に少し釘を刺しておく事にした。
「いいかい。僕達が案内するのは、彼女だけじゃない。その事を忘れないようにね」
「はい、先輩」
アルバは神妙な表情で頷くと、神谷と共に仲間達を追った。
●
「参加者はいずれも中学生。男女5名ずつ……ですか」
名簿の名前と顔を照合しながら、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が呟いた。
見たところ、参加者の中に、天魔の血が入った子供はいないようだ。
(まあ、説明会に顔を出すような親の子供と考えれば、別段おかしい事でもありませんね)
そう思って先頭に視線を送ると、川澄が男子と会話をしているのが見えた。
「すみません、写真撮っていいですか?」
「うん,いいよ。他の人達の邪魔にならないようにね♪」
子供達から向けられるスマホに全く動じる事無く、てきぱきと子供達を連れて歩く川澄の姿を、アルバは列の最後尾から見つめていた。他の仲間達も、自然に振舞いつつ周囲への気配りは怠っていない。
(みんな、凄いなあ)
丁度その時、最後尾を歩く少年が列からはみ出すのが見えた。手にはカメラを持っている。
「あ……」
注意しようとアルバが口を開きかけたところへ、
「いい写真……撮れた……?」
少年がシャッターを切ったタイミングを見計らい、威鈴が声をかけた。
「はい。ありがとうございます」
「良かった……ね……」
ふと後ろを振り返る悠人に、威鈴は「連れて歩くから大丈夫」とアイコンタクトを送ると、
「広い……から……遅れる……のしょうが……ない」
優しい微笑みと共に、少年とアルバを連れて教室へと向かった。
●教室
「ここが教室だ。ここでは依頼だけでなく、授業も普通に受けるぞ。撃退士といってもこのあたりは普通の学園と変わらない、教養も大事と言うことだな」
「依頼の内容は多岐にわたります。難しい物から簡単な物、戦闘から物探しやお手伝いまで千差万別です。その他、依頼の報告書の保管・確認などもここで行います」
悠人とアルジェが説明を行っていると、ちょうどそこに斡旋所の職員と思しき少女が、依頼の書類を抱えて入って来た。
「彼女は斡旋所の職員さんですね。職員の仕事は、学園の生徒が兼業でやる事も――」
「どうした、浪風?」
ふいに悠人の言葉が途切れるのを見たアルジェが、怪訝そうな顔で尋ねる。
「……いえ。せっかくですから、職員の人にも話を聞いてみましょうか。すみません、ちょっといいですか」
「はい? ……あっ」
悠人の声に振り返ると、斡旋所の職員は驚いたように口を手で抑えた。
「どうも。お久しぶりです、北沢さん」
北沢 蓬。かつて敵として悠人や彼の仲間達と戦い、紆余曲折を経て学園に保護されたヴァニタスの一人である。
(蓬ちゃん、斡旋所で働いてたのか)
蓬の姿を見て、日下部は面食らった。頭の電極を外していたので、一瞬誰だか分からなかったのだ。
「……というわけなんです。力をお借りできませんか?」
「はい、喜んで」
悠人から事情を聞いた蓬は、子供達に説明を始めた。時折マニュアルに目をやりつつ、質問にも丁寧に回答している。
仕事を始めて日も浅いはずなのに、大したものだと日下部は思った。おそらく業務が終わった後も、蓬は人一倍勉強しているに違いない。
質疑応答が終わって教室を出る時、日下部は蓬にそっと声をかけた。
「協力ありがとう。仕事、頑張って」
「……はい。日下部さんも」
蓬は微笑みと共に一礼した。
●生徒会室
「ここは生徒会室です。生徒会メンバーの活動拠点で、学園の生徒や関係者の資料、年表等も保管されています――」
説明を行う悠人の前では、先程から少年達が、手にした紙片をじっと見つめていた。
少し前に部室エリアを回っていた時の事だ。説明役の川澄に向かって少年の一人が、
「お姉さん、スリーサイズ幾つ?」
そんな質問を投げたのだ。
「やめろって、バカ」
それをとがめる様に、友達と思しき他の二人の子供が、にやついて少年を肘で小突く。
「そういう情報はこれで確認してね♪」
川澄は動じる事無く、アイドル営業用のサイン入り名刺を少年に渡した。無論、完璧なスマイルで応じる事も忘れない。
「公式プロフィールは全部そこに載ってるよ。はい,どうぞ♪」
「あ……ありがとうございます」
3人の少年は、顔を真っ赤にして恐縮しながら名刺を受け取った。
彼らはそれから、ずっと名刺と川澄を交互に見つめていた。悠人の説明も上の空である。それをみた川澄が、
「説明,ちゃんと聞かないと駄目だよ」
そう注意すると、3人は無言で頷き返し、すぐさま悠人に向き直った。そんな光景を、アルバは呆然と見つめていた。
(お姉さん、大人だ!)
そんな風に考えながら。
「教室……部室……美術室……に生徒会室……午前中は、これで……全部……」
午前中に予定していた施設を回り終える頃、時刻は正午を迎えようとしていた。
●
「天気もいいし、外で食べようか」
購買で昼食を買った一行は、神谷が案内する屋外で食事を取ることにした。
知る人ぞ知る、桜の名所である。
「アルバ……元気そう……で良かった……」
購買で買ったパンを口にしながら、威鈴がアルバに微笑んだ。
「ありがとう、お姉さん」
「そういえば、弥生さんは?」
威鈴の隣で、お茶を手にした悠人が尋ねる。
「元気だよ。今日は会場の設営で、別の場所に行ってるけど」
その時、アルバの背後からこっそり忍び寄り、彼女の首筋をうさ耳でくすぐる者がいた。
「ひゃあ!?」
「アルバ〜」
アルジェである。その隣には神谷もいた。
「ア、アルジェさん。先輩も」
「取り込み中、すまないな。実はお前に渡したいものがある」
そう言って、アルジェは小さな箱を差し出した。振ってみるとカラカラと音がする。
「任務が終わったら、開けてみてくれ。アルからの贈り物だ」
「あ、ありがとう」
頭を下げるアルバに、神谷が笑って話しかける。
「どうだい、午前中の感想は?」
「ごめん……何にも出来なかった」
「うーん、そうか。ねえアルバ、学生寮の説明は出来るかな?」
「え? うん、予習はしたから……」
そう言って、アルバは前もって予習した内容を話してみせた。
「十分だ。よし、寮の担当はアルバにやってもらおうかな」
「僕に!?」
「うむ、アルも賛成だ。瑞樹にいいところを見せるチャンスだな」
そう言ってアルジェは頷くと、意思疎通をアルバに送る。
『何かあったらフォローするから、心配いらない』
「……分かった。やらせて下さい」
「頑張って……ね……」
威鈴が微笑みと共にエールを送った。
●訓練場
こうして一行は昼食を終え、午後のルートに入った。
「ここでは、専攻ジョブに合わせた訓練が受けられる」
射撃用の訓練場で、魔具の銃を手にした神谷が言った。
「他の部屋では、武器を使った組手もするよ。授業に戦闘訓練があるから、来る頻度は高いと思う」
説明を終えた神谷は、送られてきたマンターゲットのスコアを子供達に見せた。
彼が先ほど、クイックショットで撃ち抜いたものだ。
「すげー!」
頭部と心臓に穴が開いたボードを見て、子供達が惜しみない拍手を送る。神谷もまんざらではなさそうだ。
「じゃあ、次は組手を実践してみようか。多分、そろそろ――」
そこへ、アナウンスが入った。エイルズレトラの声だ。
「準備が出来ました。向かい側の見学エリアに移動して下さい」
一行が着いた先では、竹刀を手にしたエイルズレトラが待機していた。
「それでは、神谷先輩」
「ああ、よろしく」
バンドと面を装着した神谷が頷いた。エイルズレトラは、既に準備完了だ。
「始め!」
審判役の悠人の合図と同時に、神谷の竹刀が振り下ろされた。エイルズレトラは、後ろに跳んでこれを避ける。
着地と同時に、エイルズレトラが神谷の小手を狙う。打ち払う神谷。お互いV兵器もスキルも無しでの組手であるが、その気迫は見学者の子供達にも伝わったようだ。皆、息をするのも忘れて二人の戦いに見入っていた。
エイルズレトラと神谷がそれぞれ一勝したところで、悠人が時間を告げ、組手は終了となった。
●学生寮
「じゃあ、次の案内はアルバにお願いしてみようかな」
いよいよ来た。自分の番が。
「僕、ここに住んだ事が無いから、よく分からないんだ。だから、お願い」
アルバは華を持たせてくれた神谷と仲間達に感謝しつつ、頷いた。
「分かりました。……やらせて下さい」
「うん。頑張って」
「寮の説明を担当するアルバです。よろしくお願いします」
前に出て挨拶をすると、アルバは、瑞樹と子供達の視線が自分に集中するのを感じた。
(落ち着け。これは任務だ、皆に分かりやすく説明を)
アルバは大きく一回、深呼吸した。
「学園生の多くは、寮から通学します。寮の数はとても多く、その条件も千差万別です」
アルバが話す傍らで、神谷が子供達にパンフレットを配り始めた。
「学園の寮の案内を幾つか用意してみた。良かったら、参考にしてみて」
絶妙のタイミングである。神谷はアルバを振り返り、「話を続けて」とサインを送った。頷くアルバ。
「学生課で入学手続きを済ませて、住む場所が決まれば、登録は完了です。ここまでで質問は……」
「はい」
さっそく質問が飛んできた。挙手したのは瑞樹だ。
「登録を終えてから、実際に授業を受けるまで、どのくらいの日数がかかりますか?」
「ええと、それは……」
アルバはふいに口ごもった。アルバが登録を済ませたのは学期末のため、まだ授業も受けていない。当然、日数の事も分からなかった。
『原則、1日だ』
すかさずそこへ、意思疎通でアルジェがフォローを入れる。
「原則、1日です」
『ただし、学期末や夏休みなどの期間に入学した生徒は、次の学期の初日からが基本だ』
アルジェに言われた事を、アルバはそのまま繰り返した。
「じゃあ、いま私が寮に入ったら……授業を受けるのは新学期からですね」
「あ。そ、そうですね」
「分かりました。ありがとうございます」
瑞樹は丁寧にお辞儀をして、質問を終えた。
その後、全ての質問を終えて次の場所に向かう頃には、アルバはふらふらになっていた。
●屋上
「ここ屋上では、専攻に応じて新しいスキルを習得することができます。覚えたスキルの訓練や強化もできますよ」
説明を行うエイルズレトラの後ろで、ふいにアルバは疑問を感じた。
瑞樹が学園への入学を希望する理由についてだ。
(前にふたりで話したとき、瑞樹は撃退士になる事に積極的じゃなかった。それが、どうして……?)
折しもアルバの目の前では、屋上の説明を終えたエイルズレトラが、集まった子供達に最後の話をしていた。
「撃退士は常に死と隣り合わせの、極めて危険な仕事です。何もあなた方がやる必要はありません。この学園に入学して撃退士になるというなら、なぜあなた方でなければならないのか、それをはっきりさせておくとよいかもしれませんね」
アルバが子供達の方に視線を送ると、真剣な眼差しで話に聞き入る瑞樹の姿が見えた。
そんな瑞樹や子供達に、エイルズレトラは続ける。
「ちなみに、僕が撃退士をやっている理由は単純明快ですよ。強くなるためです。そして、戦闘が大好きだからです。この仕事、青臭い正義感だけではとつとまりませんよ。その事だけは、くれぐれも忘れないで下さい」
エイルズレトラが話を終えた後も、アルバは胸の中で自問し続けていた。
(どうして瑞樹は、撃退士になりたいと思ったんだろう)
いくら悩んでも答えは出なかった。答えを知っているのは、瑞樹だけだからだ。
そこからの時間は、あっという間に流れた。
程なくして一行は解散し、依頼は無事に終了した。
●
「アルバちゃん,頑張ったね」
「お疲れ様、アルバ」
「ありがとう。お姉さん、先輩」
任務終了後、神谷と仲間達は、近くの喫茶店でアルバを労っていた。その中には、佐藤瑞樹の姿もある。瑞樹は後日、両親と共に入寮の手続きを済ませ、学園に入学するとの事だった。
「アルジェさんも、ありがとう」
アルバは照れた表情で俯きながら、助け舟を出してくれたアルジェに礼を言った。
「なに、仲間を助けるのは当然だからな。……ところでアルバ、箱の中身は見てくれたか?」
「うん。さっき見た」
アルバがもらった箱に入っていたのは、アルジェの寮の部屋の合鍵だった。
自室という名の衣装置き場、というのはアルジェの言である。
「アルは当分、学園の外での生活が続きそうだ。留守の間、気に入った服があったら使うといい」
「……うん!」
アルジェに礼を言うと、アルバは先程から気になっていた事を瑞樹に聞いてみた。
「私が撃退士になりたいと思った理由?」
「うん。少し、気になって」
瑞樹は一瞬だけ口ごもったが、すぐにアルバの目を見つめて言った。
「守られてるだけなのが嫌だから。それと……」
「それと?」
「危なっかしくて放っておけない友達がいるから、かな」
はにかむような微笑で答える瑞樹の頭を、アルジェが優しく撫でた。
「うむ。瑞樹も誰かを守れるようになるといいな。お前の大切な、誰かを……」
季節は春。
今年も久遠ヶ原に、新しい撃退士が誕生しようとしていた。