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「屋外用の台車に、ゴミ袋とロープ。ビニールテープにカラーコーン……よし、ちゃんと揃ってるな」
日下部 司(
jb5638)は手にしたリストを元に、リヤカーに積みこんだ物資の確認を終えると、ゲルダ グリューニング(
jb7318)と仄(
jb4785)の2人と共に校舎の窓の下にマットを運び始めた。
「マット、この辺でいいかな?」
「そうですねぇ」
今、日下部は九十九(
ja1149)と一緒に、4つの教室の下のエリアでマットを敷く場所を探していた。このマットは2階の窓からゴミを落とす際、地面を保護するためのものである。作業上の安全を考えると、落下地点は正確に測っておきたかった。
「じゃ、確認しちゃいましょうかねぇ」
九十九はそう言うと、頭上の校舎の窓を見上げた。その視線の先には、袋を抱えて2階の窓から身を乗り出す雫(
ja1894)の姿がある。
「雫さん、いいですよぉ。落としてください」
「わかりました」
雫は掴んでいた手を放し、袋を落とした。頭上から垂直に落下してくる物体の気配を察した九十九の相棒の三毛猫ライムが九十九の傍から離れると、袋は九十九の両腕に収まった。
「うん、ここで問題ないですねぇ」
そう言って九十九が袋を開けると、中には軍手やマスク、ゴミ袋が入っていた。仲間たちが怪我をしないようにと、雫が用意したものだ。
「ありがとう、使わせてもらいますよぉ」
九十九の感謝の言葉を聞いて雫はコクコクと頷く。するとそこへ、マットを担ぎながら十束 聖(
ja3051)が歩いてきた。
「かったりぃ」
心底気だるそうな溜息交じりの言葉と共に、十束はマットの敷かれていないスペースにマットを置いた。
「マット頼むわ。俺はこれ、行ってくる」
九十九と日下部にそう伝えると、十束はリヤカーに積まれたカラーコーンを抱え、グラウンドの要所に配置していく。どう見てもやる気のない不良生徒そのものである彼の出で立ちに反して、彼の手際は非常に正確で丁寧だ。程なくして、グラウンドの作業エリアは立ち入り禁止のカラーコーンで囲まれた。
「これ、お借りしますね」
マットの設置が終わり、日下部が1Fの窓に『落下物注意』の張り紙を張っていると、月臣 朔羅(
ja0820)がリヤカーからビニールテープを取り出した。
「地面をえぐったりすると、後で面倒だものね。必要な養生はきちっと施しましょう」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
日下部の礼の言葉に月臣は微笑を浮かべると、教室へと向かった。
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「ここがD教室か」
礼野 智美(
ja3600)はそう言うと、D教室の入口にゴミ用の段ボール箱を積み重ねた。
『D教室は、2Fにある4つの教室のうち、一番東側に位置している』
『この教室は古くから閉鎖されており、今では生徒達の放課後の溜まり場と化している』
これが、礼野が事前に受けた説明である。生徒の溜まり場という説明を聞いて、さぞや乱雑な場所なのだろうと思っていたが、彼女の予想に反して、一見した限りではそれほど散らかっていないように見えた。
教室は中央の部分を境にして衝立で横に仕切られており、礼野の立っている入り口側の半分のエリアには、一目で安物とわかる細長いテーブルとソファが2つ、彼女ひとりで抱えられそうな細長い更衣用の空きロッカーが3つあるだけだ。
「向こう側もこのくらいならいいんだがな」
そう言って礼野は教室をしきる衝立に視線を向けた。だが、よく見ると衝立の上部や脇からは、部活の道具と思しき竹刀やラケットがはみ出しており、下部からは解読不能な文字の書かれた呪文書と思しき本や、こうした場所にはもはや定番とも言える、男が好みそうな下品な本が目に入ってくる。
「まったく、無断で使用しているのなら片づけ位はして欲しいものですね」
背後から声がしたので振り返ると、そこには月臣と十束、そして掃除のために髪を纏め上げた雫が立っていた。どうやら仲間達も、問題の教室を見に来たようだ。
「ここは最後だな。ちっ、面倒くせえ」
「スピード勝負の大作業……細かい事に拘っている場合では無さそうね。シンプルに、且つ大胆に片付けてしまいましょうか」
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「そのまま落とせそうなのは椅子くらいね。あとは解体した方が楽だと思うわ」
一般の教室に戻ると、月臣が言った。生徒用の机は思っていたより大きく、そのままでは窓を通らない。既に依頼主である学園からは、教室内の物は全て廃棄物扱いで、解体して捨ててしまって構わないとの許可は得ていた。
「あれ? そういえば、先生の使う机と椅子は……」
雫は教室を見回した。依頼の説明にあった、教師用の机と椅子が見当たらないのだ。
「あれならもう廊下に出したぜ。3教室全部」
十束の欠伸交じりの言葉に驚いた3人が廊下に出てみると、確かに教師用の机と椅子が、3つともきれいに台車の上に載せられていた。
「十束さん、すごいですね」
「ダリィ」
雫と十束の微妙に成立していない会話をよそに、礼野が台車に手をかけて言った。
「俺が運ぼう。台車の運搬なら、多分俺がいちばん速い。3人には今のうちに、椅子を片付けてもらった方がいいと思う」
「じゃあ、お願いしましょうか」
礼野は月臣の言葉に頷くと、【駿足】のスキルを使用し、風のような速さで走りだした。
「始めていてくれ。すぐ戻る」
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「お帰りなさい。こっちもちょうど準備が出来たわ」
「お疲れ様です。……椅子はいつでも運べます」
礼野が戻ると、月臣と雫が、全教室の椅子と机の搬出準備が終わったことを伝えた。
「じゃ、とっとと終わらせんぞ」
十束は全員の体勢が整ったのを確認すると、廊下に出て窓を開け放ち、グラウンドで待機している4人に言った。
「おい、こっちはいつでも行けんぞ」
「分かった。こっちもOKだ」
日下部が周囲に人がいないことを確かめて合図を出すと、十束は窓から身を乗り出し、次々と椅子をマットの上に落としていった。
「ぐずぐずすんな。どんどん持って来い」
十束は3人から椅子を受け取ると、それを次々と窓の外から落としていく。彼が落とす椅子は狙いすましたかのようにマットの上に正確に落ち、すぐさま椅子の山を築き始めた。
「このくらいでいい。一度止めてくれ!」
マットに落ちた椅子の山が、小ぶりのジャングルジムほどの大きさになった頃、日下部は2階の仲間にそう伝えた。十束が気だるそうに頷くのを確認すると、グラウンドの4人の撃退士達は用意された台車に椅子を積み込み始めた。
「ある程度速度は諦めよう。下手に急いで、こんな場所で荷崩れさせたら時間を取っちゃうしね」
日下部はそう言って仄にマット下での安全確認を頼むと、九十九とゲルダと共に椅子を廃棄エリアへと運んだ。
彼らがいるグラウンドは正方形をしており、業者の指定した廃棄エリアはマットの置かれているグラウンド南側一帯とは反対側、北側のちょうど中央にある。
そのグラウンド北側、廃棄エリアの目印となるブルーシートが敷かれた場所には、既に礼野の運んできた教師用の机や椅子が置かれていた。九十九とゲルダ、日下部の3人は協力しながら、その隣のスペースに椅子を置き始めた。
(向こうは順調にいってるかな)
日下部はそう思いながら、校舎の方を眺めた。
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その頃、2階の教室では、礼野が机の解体を行っていた。
「はっ!」
気合の声と共に、礼野の手から放たれた一閃によって、並べられた机が次々と撫で斬りにされる。彼女が刀を振り終えると、床を保護するために敷かれたシートの上には、机の脚部だった鉄の棒と、台の部分が切り離されて転がった。
「この教室はこれで最後だな。雫は月臣さんと机をまとめて、十束に渡してくれ。俺は隣の教室の机を解体してくる」
「はーい」
「わかりました。お願いしますね」
雫と月臣はそう言ってロープを手に取ると、シートに散らばる机の残骸を片付け始めた。
「よこせ」
雫が机の台を両手で抱えてまとめていると、ふいに十束がそれをひったくった。
「お前は月臣と一緒に脚の方をまとめろ。あっちなら重くねーし、運ぶのも楽だ」
「あ、ありがとうございます」
「ったく……女に重いもん持たせられるかよ」
十束はぶっきらぼうにそう言うと、机の台を紐でまとめ、グラウンドのマットに落とし始めた。
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「さて、問題はこれですね……」
雫はそう言って、眼前に鎮座する巨大ロッカーを見つめた。
恐らくはパーツを運び込み、教室内で直接組み立てたと思しきそのロッカーは、教室の後ろの端から端までをふてぶてしく占領している。体格のある大人が20人は入りそうだ。
(どうしたものでしょうか)
雫は頭を悩ませた。彼女が観察したところ、このロッカーは鉄の板を数箇所の結合部で組み合わせた構造になっているようだ。
だが、それをいちいち探して取り外しているような時間はない。自分の剣でロッカーを切断することも考えたが、これほどの大きさの物だと、剣を振るった際に地面や壁を傷つけてしまう恐れがあった。
「これは、力づくでやるしか無さそうね。気合をいれていきましょ」
そう言ってロッカーの前に立ったのは、月臣だった。彼女の体を微かな黒色のアウルが包んでいるのを見て、雫は月臣が何かの能力を使用することを察した。
ほどなく、月臣の右手に集ったアウルが黒い球を形成すると、月臣は仲間たちに言った。
「ロッカーから離れて。危ないわよ」
仲間たちが下がるのを確認した彼女は、掌に浮かぶ黒球を目の前のロッカーに放つ。それは月臣流の破月・弐之型、虚格牢月であった。
虚格牢月とは、アウルを凝縮した黒球から発生させた棒状の虚数場を任意に具現化し、虚数場内に存在する物質を抉り取り、消滅させる技である。技の性質上、ロッカーそのものを消し去ることはできないが、ロッカー内のパーツの結合部をピンポイントで破壊するのには最適であった。
黒球がロッカーの中央部に吸い込まれるようにして消えると、ふいにロッカーの扉を留めていた蝶番が消滅した。次いで、次々とロッカーの扉が倒れ、内部でしきりに響い鈍い金属音が鳴り響き、ロッカー内の結合部が次々と虚数場へと消えていった。
「終わったわ。バラしちゃいましょ」
月臣が虚格牢月の使用を終えると、目の前にはただの鉄板の寄せ集めと化したロッカーの残骸が残された。
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「大丈夫か?」
日下部が窓で作業をする仲間達に声をかけた。窓からは、細長い灰色の鉄の板が長々と突き出している。
すでに月臣の手で分解されたロッカーは、その殆どを廃棄エリアへと移し終えていたが、まだひとつだけ問題が残っていた。ロッカーの土台に使われていた鉄板が、長すぎてエレベーターに入らなかったのだ。仕方なく窓から落とそうということになったのだが、これだけ大きい鉄板だと、下手をすればマットが破れる恐れがあった。
「ここは私の出番ですね」
ゲルダはそう言うと、ヒリュウ召喚の体勢をとった。
「ヒリュウを呼んで手伝わせれば大丈夫、人呼んでヒリュウ宅配便なのです」
ゲルダに召喚されたサッカーボールほどの大きさのヒリュウの幼体は一直線に2階の窓へと飛んでゆき、その小柄な体格からは想像もできないような強靭な力で鉄骨を掴んだ。
「もう大丈夫です、離してください」
ゲルダの言葉を聞いた十束が手を放すと、鉄の板がふわりと注に浮き、ヒリュウと共に廃棄エリアへと飛んでいった。
「あとはD教室だけですね」
ヒリュウが3教室全ての鉄板を片付けたのを確認し、ゲルダは召喚を解除した。
「D教室は小物が多いらしいから、こっちも何人か手伝いに行った方がいいかもな」
「じゃあ、うちが行きましょうか」
「あ、私も行きます!」
日下部と九十九の会話を聞いたゲルダが、大声で名乗りを上げた。どうやら何か、やりたい事があるらしい。
話し合いの結果、九十九とゲルダが手伝いに行く事に決まった。
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時間がかかると思われたD教室のゴミは、6人で取り組んだかいもあって、予想よりも早く片付いた。ソファとロッカー、テーブルのほか、奥にあった幾つかの大きめのゴミを階下の日下部と仄に頼み、小物を分別して不要なものは手当たり次第に廃棄用の段ボールに放り込むと、後には大したゴミは残っていなかった。
「よし、積み込み完了。こっちはOKだ」
「後は運ぶだけね。ラストスパート、頑張りましょう」
「時間もあまりないし、さっさと行きますか」
日下部と月臣、礼野がD教室のゴミを運びだし、残されたゴミも少なくなると、撃退士達にも少し余裕が生まれた。
雫は片付けの最中に、たまたま発見した『とある本』に釘付けになっていた。
「……社会勉強の為です。決して興味本位だとか他意は一切無いんです」
そうつぶやきながら、顔を僅かに上気させた雫の肩を、十束の手が軽く叩いた。
「おい」
「ひゃい!? 何でもないんですよ。怪しい事なんて全くありませんよ」
「そうじゃねえ。捨てるもんあるなら出せ」
そう言って十束が雫からゴミを受け取り、箱に詰めて廊下に向かおうとした矢先だった。
彼の目の前に一冊の――未成年は買えないような――雑誌が落ちていた。その雑誌の角には、なぜか糸のようなものがくくりつけられている。
十束がその先に視線を送ると、そこには糸を手繰り寄せるゲルダの姿があった。
「何のつもりだこら」
「ちょっとした観察です。男性の皆さんがどんな反応をするかと思って」
ゲルダがそう言うなり、十束は彼女の手から無言で本をひったくると、傍にあった『廃棄』と書かれた段ボール箱に放り込んだ。しかしゲルダは悪びれる様子もなく雑誌を拾い、懐から取り出した『性癖手帳:男性』と書かれたメモ帳に、何かを書き込んでいく。
「十束さんは失敗……と。あとで九十九さんと日下部さんにも試してみるのです」
「おい何書いてんだてめぇ」
こうして、幾つかの曲折はあったものの、程なくしてD教室のゴミは全て片付けられた。
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「かったりぃ。帰るわ。お疲れ」
借りたマットやコーンを返却し、ゴミが片付いたのを確認すると、十束はそう言ってそのまま帰っていった。程なくして仄も帰った。
「お疲れ様、何とか無事に終わったね。スポーツドリンクを持ってきているけど、皆で飲まない?」
グラウンドの北側で、自分たちの成果を眺めている撃退士たちに、日下部がスポーツドリンクを差し出した。
「ありがとう、もらおうかな」
「嬉しいですねぇ。では、ありがたく」
九十九と礼野はスポーツドリンクを受け取り、乾いた喉にスポーツドリンクを流し込んだ。他の仲間達も、めいめいに手を伸ばし、依頼の後の一杯を心行くまで味わう。長い時間の運動で体が水分を欲していたのか、彼ら撃退士達にとって、スポーツドリンクは体中に染み渡るような美味さだった。
「やっと終わったわね。流石に疲れたから、どこかで寛いでいかない?」
月臣の提案に、仲間達は笑顔で応えた。