○1F 東廊下
照明の落ちた局内の廊下を、3人の撃退士が進んでいた。
外は大嵐、日没も近い。普段は明かりの絶えないテレビ局も、電気が落とされ人気のない今は墓場のように暗く静かだ。
先頭を歩くのは、ペンライトを手にした片瀬 集(
jb3954)。長い黒髪の、陰陽師の男だ。彼の後には、銀髪の少女アステリア・ヴェルトール(
jb3216)と、紫髪の女悪魔パウリーネ(
jb8709)が続く。いずれも敵の陽動を担当する、囮班のメンバーだ。
彼らは敵を誘い出す工作のため、ビルに設置された火災報知器を探していた。片瀬は局内の設備配置をスマホで確認しながら、ペンライトの丸い明かりで、天井の隅々を舐めまわすように探る。
(あったよ。じゃあ始めようか)
(はいよ)
パウリーネは頷くと、報知器に向かってスプレーを噴射した。
すると――
「火事です。火事です」
(よし、動いた)
片瀬は仲間達に隠れるよう目くばせすると、トイレの陰に身を隠した。
程なくしてバッテリーがあがったのか、報知器は止まった。しかし、人の来る気配はまだない。
「救出班に連絡しておく」
夜の番人で視界を確保し、パウリーネは別働隊の仲間に向けて意思疎通を送った。
○1F 入口前
「連絡が来たよ。パウリーネから」
救出班のRobin redbreast(
jb2203)が、仲間達に連絡の内容を伝えた。
「『報知器は問題なく動作。3人は隠れて待機中。まだ敵は来ない』だって」
「よし。あと少し経ったら突入するぞ」
天翔弓を手にした後藤知也(
jb6379)が目を光らせた。
「俺達は西側の階段から行く。俺とRobinが隠れて先行するから、あんたは俺達の後ろを頼む」
「分かったわ」
後藤の言葉に、卜部 紫亞(
ja0256)が頷いた。
「人質のいるスタジオは、5Fの東側ね。多少距離があるけど、仕方ないかしら」
スマホで間取りを確認する卜部に、後藤が応じる。
「3人がうまくやってくれることを祈ろう。人質さえ確保すれば、後は素人の集まりだ。各個撃破すれば時間はかからんだろう」
ふと後藤は、現場からの報告を思い出し、表情を引き締めた。
「洗脳……ゐのり……まだ終わっちゃいなかったってことだろう? いや、これが始まりかもしれねえな」
武装カルト教団『恒久の聖女』解体後も行方不明だった教団幹部の生き残り、京臣 ゐのり。その彼女が得体の知れない力をつけて戻って来たという。当然、背後には外奪が絡んでいるだろう。
「……あんな惨劇、二度と起こさせてたまるか!」
「そうね。あの悪魔が滅ぶ姿、今度こそ拝みたいものだわ」
その時、後藤と卜部の会話にRobinが割って入った。
「二人とも、パウリーネから連絡だよ。敵が来たって」
○1F 東廊下
『2人だ』
夜の番人で視界を確保したパウリーネの意思疎通の後、廊下に足音が響いた。程なくして、足音が止まった。
「こんばんは」
すかさず片瀬が物陰から姿を現すと、双槍ディオスクロイを敵の心臓めがけて突き刺した。
背後ではロンゴミニアトを手にしたアステリアが、もう一人の胴を貫く。
「ぐっ!」
「ぐふっ……」
だが、暗闇で放った一撃はいずれも急所を外れたのか、聖徒達は背を向けて逃げ出した。
「敵だ!」
「2人いるぞ! 撃退士――」
大声で血を流しながら、逃走をはかる聖徒達の背中に、
「うるさい、黙れ!」
跳躍したパウリーネの足がauflodernの赤黒い焔を纏い、眼下の二人めがけて振り下ろされた。
「ぎゃっ」
「ぐわっ!」
聖徒は吹き飛ばされ、昏倒した。
「……危なかったね。他に敵は?」
昏倒した聖徒には目もくれず、神経を研ぎ澄まして周囲の気配を伺う片瀬。すると、
「いたぞ、撃退士だ!」
「逃がすな!」
「撃退士め、死ね!」
聖徒の手にするV兵器の銃身に装着されたライトが、撃退士達を照らした。
「やれやれ。……上に行こう、救出班の邪魔になる」
片瀬は溜息をつきつつ、仲間達と共に東の階段へ走った。
○1F ロビー
「よし、大丈夫だ。行くぞ」
遁甲の術で身を隠した後藤が周囲を確認すると、卜部とRobinが続いた。
どうやら敵はうまいこと釣られてくれたようだ。とはいえ、囮班だけでビルの聖徒全員を引き受けるわけにはいかない。彼らのためにも、一刻も早く人質を救出せねばならなかった。
(今すぐ助けるから辛抱してくれ)
スタジオで恐怖に怯えているであろう民間人の姿を想像した後藤の脳裏に、ふと妻子の顔が浮かんだ。
○3F 東廊下
「この辺りで十分、かな」
そう言って片瀬が燃やした黒い符でルーン文字を形成し、アウルで太極の印を刻むと、展開した陣から茨が現れた。
片瀬の術式、太極烙印第二種術式<束縛ノ茨>である。狙うは先頭を走る、銃を持った聖徒だ。
「ゐのり様のために――」
茨に絡め取られ、石化した聖徒が地面に転がると、後に続く聖徒達が足を止めた。
そこへすかさず、アステリアの魔法陣の炎で形作られた魔剱が次々と襲いかかる。魔剱練成『魔弾の射手』だ。
次々と襲いかかるアウルの刃を身に受け倒れる聖徒達。だが、彼らの目に恐怖の色はない。中には腕や脚が折れ曲がってもなお、武器を手に取ろうと這いずり動く者すらいる。
「しつっこいね!」
再度のauflodernで、聖徒を吹き飛ばすパウリーネ。だが、吹き飛んだ聖徒の背後には更なる人影が沸いていた。
(6人か。負傷覚悟で強行突破するしか……)
その時、スキルをヘルゴートに入れ替えた彼女の耳に、背後から足音が聞こえた。
次いで感じる、片瀬とアステリアが息をのむ気配。
「……まさか」
そのまさかだった。
西の方角から、武装した聖徒達が3人の方へと向かってきていた。
その数、8人。
――挟み撃ちである。
○5F スタジオ
よろめく足どりの聖徒が、人質の集められたスタジオのドアを振るえる手で叩いた。
ドアの向こうで銃を構える音と共に、聖徒の声が聞こえてくる。
「合言葉は?」
「『ゐのり様に光あれ』」
「……入れ」
聖徒はドアをくぐり、二、三歩歩いて倒れ込んだ。
人が崩れ落ちる音がスタジオ内に響き、その場にいた聖徒達の間に動揺が走った。
「他の聖徒は?」
「やられた。撃退士に……」
男の言葉に、動揺はさらに強くなった。
「早くドアを閉めろ」
思い出したように命じるリーダーの言葉に従い、傍の聖徒がドアを閉めた直後、
「侵入者だ! 侵入者がいるぞ!」
少女の声と同時に、スタジオの右手から何かがぶつかる物音がした。
すぐさま物音のした場所に銃撃が浴びせられ、剣を手にした聖徒が数人向かう。
「敵はいたか」
「いえ、誰も――」
リーダーの問いかけに答える聖徒の声がふいに途切れると、聖徒達は武器を取り落とし、次々と地面に倒れた。彼らの真横に立っていたのは、黒髪の女性――卜部である。
「貴様! 撃退士――」
「そうだ」
卜部に襲い掛かろうとした聖徒が、突如倒れた。傷つき倒れた聖徒を装っていた後藤が、兜割で昏倒させたのだ。
「撃退士だと!? なぜ……」
リーダーの聖徒は混乱していた。
仲間に化けたまでは分かるとしても、なぜ合言葉を知っているのか? 自分達の数と場所を把握しているのか?
彼の問いに答える者はいない。代わりに放たれたRobinのワイヤーが、ラジオ型の魔具を切断した。
「撃退士です、助けに来ました、伏せて動かないで下さい」
混乱に陥ったスタジオ内の民間人を落ち着かせるべく、よく通る声でRobinが宣言する。
だがその時、
「うぐっ……」
聖徒の銃撃を受け、民間人が倒れた。聖徒が構える銃のレーザーサイトは、既に次の犠牲者にポイントを定めている。
舌打ちと同時に跳躍して射線に割って入り、民間人の盾になる後藤。脇腹にアウルの弾が命中し、鈍い痛みが走った。
体勢を整えながら、負傷した民間人の容態を目で確認する。肩を撃たれたようだった。
(よし。命に別状はないな)
そんな後藤の前方で、聖徒は再び弾を装填する。狙いは別の民間人のようだ。
(間に合うか……五分と五分だ)
そう思い、聖徒へ突進する体勢を整える後藤。
と、そこへ――
「はい、チーズ!」
氷の夜想曲で聖徒を眠らせたRobinが、合図の言葉と共にデジカメのフラッシュを炊いた。事前にRobinから合図の言葉を聞いていた卜部と後藤は、彼女の言葉に従い目を閉じる。
「ぐ……っ!」
フラッシュの光をもろに受けた聖徒はやぶれかぶれで発砲するも、視界を奪われては狙いもおぼつかない。銃弾は狙いをそれ、壁に命中した。
「うおおおおっ!」
直後、後藤がタックルで聖徒を転倒させ、V兵器の銃を奪い取って破壊する。
残るは1人。しかし、その時――
「気をつけて、後ろから来るよ!」
後藤の背後から、リーダーの男がV兵器の剣を手に突っ込んできた。
「ゐのり様、万歳! ゐの――」
だが、男の言葉は最後まで続かなかった。
横殴りの一陣の風と共に、男の体が真横に吹き飛ぶ。卜部の北風の吐息だ。少し遅れて離れた壁から衝突音がした。
「これで最後ね。人質は無事かしら」
「うん。全員生きてるみたい」
卜部の安堵のため息に、眠りに落ちた聖徒達を手馴れた手つきで縛り上げながら、Robinが言った。
○3F 東廊下
「くそっ。きりがない」
魂喰ノ鬼で傷を癒しながら、片瀬が言った。
5人6人と倒しても、聖徒達は全くひるむ事なく襲い掛かってきた。辺りに舞い散る血が聖徒達の獣性に火をつけたのか、一度倒れた聖徒達も武器を手に立ち上がり、狂気に目を輝かせながら向かってくる。アステリアは魔剱を使い切ると、ロンゴミニアトを手に応戦した。魔焔を使おうとも考えたが、この状況でスキルを切り替える余裕などあるはずもない。
「ぐっ……」
倒れた聖徒の一人にとどめを刺そうと、アステリアが槍を構える。
だが――とどめの一撃が放たれる事はなかった。槍が壁に突き刺さったのだ。
(……しまった!)
ロンゴミニアトは長槍である。ビルの廊下という閉所で4メートルもある槍を振り回せば、こうなるのは必然といえた。好機とばかり、がら空きになったアステリアの胴に敵の攻撃が集中し、鮮血が舞う。
アステリアが倒れた。
「アステリア殿!」
「これ以上は無理だ。下がろう」
倒れたアステリア引きずって、ふたりは決死の思いで包囲を突破した。
もはや劣勢を覆す事は困難だった。両手で数え切れないほどの聖徒達が、武器を手に二人の下に迫ってきた。
(……ここまでか。仕方ない)
パウリーネはスマホの番号をプッシュした。出発前に伝えられた、非常用の番号だ。
○5F スタジオ
卜部に吹き飛ばされた男は、壁に体を打ちつけられ、身動きが取れずにいた。男はなおも取り落とした剣に向かって、震える手を伸ばそうとする。だが――
「命を他人に握られる気分はどうだ?」
直刀を手にした後藤が、地面の剣を蹴り飛ばした。
「……何故だ」
「ん?」
男が先程感じた疑問を後藤にぶつけると、後藤は手錠を取り出して答えた。
「ああ。捕まえた聖徒の体に聞いたんだよ。卜部……そこのダアトが、シンパシーでな」
それを聞いてリーダーは思い出した。アウル能力の中には、触れただけで相手の記憶を読み取るスキルがあると……
「分かったか? 合言葉も人数も武器も、お見通しって事だ」
そう言って後藤がリーダーを拘束すると、彼のスマホが着信を告げた。
発信者は――教官の巳上 北斗(jz0319)だった。
「無事のようだな。首尾はどうだ」
「人質は全員保護しました。一名ほど負傷者が」
「……そうか」
一瞬の間の後、巳上は切り出した。
「悪い報せがある。囮班が聖徒との戦闘に敗北した」
「囮班が!?」
「うむ。アステリアは重傷だ。このままでは他の二人も長くはもたんだろう」
「彼らは、今どこに……」
「分からん。最後に連絡があったのは、3Fの東階段だ」
息をのむ後藤。巳上は単刀直入に本題を切り出した。
「任務続行は可能か? 不可能ならば任務失敗の処理を行い、此方で新たな撃退士を手配する。どうする?」
「それは……」
後藤は逡巡した。
――まだやれます、大丈夫です。そう言いたい。だが……
後藤は唸った。
負傷し、疲労困憊した30人の民間人を避難させる? この3人で?
どこにいるかも分からない、武装した聖徒達が徘徊する中を移動しながら?
囮班が全滅すれば、当然奴らは此方にやって来るだろう。囮班を追い回すほどの手勢を食い止めるのは、どう考えても不可能だ。負傷した男も息が荒く、薄暗闇でも分かるくらいに顔面も蒼白だ。一刻の猶予もないのは明らかだった。
仲間と合流しようにも、彼らがどこにいるかさえ分からない。敵戦力がどれだけ残っているのか、どこにいるのかも分からない。敗走中の彼らに、自分達と連絡をとるような余裕があるとも思えなかった。
後藤が仲間達を見ると、卜部とRobinも黙って小さく頷いた。後藤の会話と表情で、おおよその状況を察したのだろう。
「……やむを得んか」
後藤はぽつりと呟いた。
○1F 東廊下
「ぐ……っ!」
背後から撃たれた衝撃で、片瀬が転倒した。担いでいたアステリアも、地面に投げ出される。
「よくも仲間を!」
「殺せ!」
聖徒達の手から、刺突と斬撃と銃撃の嵐が容赦なく浴びせられた。
「片瀬殿、アステリア殿!」
パウリーネがふたりを助けようと振り返るも、聖徒数人に取り囲まれ、四方からの攻撃を浴びた。
攻撃を捌き切れず、パウリーネが倒れる。
(ここまでか)
耳元で剣を構える音が聞こえた。とどめを刺す気らしい。
「ゐのり様万歳! ばん」
しかし突如、聖徒の声は途切れた。
(……?)
朦朧としながら、耳を澄ますパウリーネ。その耳に届いたのは――銃声だ。
「突入ッ!」
「動くな!」
「武器を捨てろ!」
サードアイを装着した一団が、次々とビル内部に入り込んできた。巳上が手配した、学園の撃退士達だった。
○1F 入口前
程なくして聖徒達は全員拘束され、人質も無事救出された。
――よくもまあ、助かったもんだ。
そんな事を考えながら、嵐が止んだ建物の外で、パウリーネは手当てを受けていた。聞いた話では、他の2人も一命は取りとめたらしい。暗闇で敵の攻撃が急所を外れたのが幸いしたとの事だった。修羅場を抜け出し、ぼんやりと気の抜けた表情を浮かべるパウリーネの眼前で、数珠繋ぎにされて連行される聖徒達の姿が見えた。
若い顔ぶれだった。外見の歳は自分と殆ど変わるまい。痛んだ体を軋ませながら、パウリーネは彼らにぽつりと言った。
「聖徒様にしつもーん。非覚醒者抹殺した後どーするの? 天魔と仲良くやってくの?」
答えはなかった。パウリーネの言葉に振り返った聖徒達の目は彼女ではなく、どこか全く別のところを見ていたからだ。
「……あー、こりゃ訊いても仕方無いか」
諦めたように肩をすくめるパウリーネ。そんな彼女が見上げる空は、明かりの消えたビルの中よりも暗かった。
嵐は止んだ。だが、陽は沈んだばかりなのだ。夜明けがやって来るのは、当分先になりそうだった。