○
開発セクションが開発した新種の野菜が並ぶ校庭のすぐ隣、第3調理室の室内で、教官の巳上が集まった生徒達に依頼の説明を行っていた。
「こちらのテーブルが学園長へのエントリー受付。学食への提出は向こうのテーブルだ」
既に撃退士達は、選んだ野菜を校庭から運び込んでいて、いつでも調理を始められる状態だ。新種の野菜に加え、撃退士達は各々が好みの食材や調理器具を持って来ていた。これから一体、どのような料理が出来上がるのだろうか。
「俺は提出スペースで待機している。何かあったらいつでも来るように」
巳上の言葉と同時に、撃退士達は作業へと取りかかった。
○
調理室の窓際の調理スペースで、鷹司 律(
jb0791)は火炎放射器のチェックを行っていた。窓を開け放ち、火炎状のアウルが室内に流れないようにすると、パワーを調整し、数回放射を行ってみる。
「それでは、始めましょうか」
特に問題はなさそうだと判断した律は、台の上にへたを取って八つ切りにしておいた虹色トマト(以下、トマト)を並べ、火炎放射器を野菜に向けて放った。周囲に気を遣いながら、炎状に変換されたアウルを台の上に並べられたトマトにそっと当ててゆくと、次第にトマトの色が虹色から鮮やかな赤色へと変わっていった。
律の作る料理は、「トマトとニンジンの蒸し煮」である。
火炎放射器によってアウルを通したトマトと久遠ニンジン(以下、ニンジン)をニンニクで味付けし、酒で蒸し煮にするというものであった。
実際の炎ではない道具を使ってうまくいくかという不安があったが、どうやら杞憂に終わったようだ。放射による周囲への被害も出ていない。これが実際の火だったらえらい事になっていただろうと思いつつ、律はサバイバルナイフで皮をむいて薄切りにしたニンジンを並べ、同様の処理を加えていった。
律は料理に使う野菜を一度に大量に焼く事はせず、少しずつ小分けにして野菜を焼いた。あまり大量に並べてしまうと、食材であるトマトやニンジンにアウルが万遍に行きわたらなくなる恐れがあるからだ。
「よし。次で最後ですね……」
そう言って律が切り揃えたトマトを台に置くと、彼の肩をそっと叩く者がいた。鴉乃宮 歌音(
ja0427)である。
「良かったら、これもお願いできませんか」
そう言って彼が差し出したのは、大振りのボウルだった。中には、十字の切り目を入れたトマトが入っている。
「ええ、いいですとも」
律は微笑んで、ボウルを受け取った。
数分後。
火(?)の通ったトマトの入ったボウルを受け取ると、歌音は律に礼を述べた。
「完成したら、ぜひお裾分けさせて下さい」
「ありがとうございます。楽しみに待っています」
こうして野菜の準備を終えた律は、調理台のコンロへと向かった。次は、本物の火を通す番だ。
「さて、これからは時間との勝負ですね」
弱火でオリーブオイルを加えてニンニクを炒めたところへ、スライスした玉葱を敷いた。ニンジンとトマトを交互に入れ、塩コショウで味を整える。日本酒を加え、最後にオリーブオイルをひとさじ振りかけ、フライパンに蓋をして蒸し煮にする。
律は腕時計を睨みながら、時間を計り始めた。料理はほんの数秒の誤差が生じただけで、味がまるで変わってしまう。1秒たりとも疎かにはできない。
「……よし」
時間ぴったりで火を止め、蒸らしを終えると、律は料理を皿へとよそった。
「トマトとニンジンの蒸し煮」、完成である。
「アウルを通して美味しくなる野菜、ですか」
せめて加工済みのものを研究すればいいのにと思いつつ、歌音はアウルをこめた切り出し小刀でニンジンの皮を剥いていた。
彼が作っているのは野菜スープである。ニンジンの匂いを予防するため、白衣に防護マスクというものものしい出で立ちで、歌音は料理に使う野菜を次々と切っていった。玉葱、椎茸、白菜、馬鈴薯……野菜同士の匂いが移らないよう、丁寧に処理を行うと、最後に鶏肉を切り刻んでゆく。
「さて、次は……と」
フライパンに切ったばかりの鶏肉を入れてオリーブオイルで炒めると、辺りに食欲をそそる匂いが漂った。頃合を見て、切った野菜と共に、酒と胡椒を味付けに投入する歌音。フライパンの周囲を漂う蒸気にも、曇り止めの処理をした防護マスクは全く曇ることがない。最後に入れるのは、先ほど火炎放射器でアウルを通したトマトだ。歌音は隣に用意した大鍋に、フライパンの中身とトマトを丁寧に移していった。
「あとは、水とコンソメと砂糖を入れて……と」
コンロに乗せて火を通し、用意しておいた調味料を投入していく。トマトケチャップ、ウスターソース、牛乳、チーズ。トマトケチャップは仲間の作ったものを、少し使わせてもらうことにした。
「あとは完成まで混ぜるだけ、ですね」
大ぶりのかき混ぜ棒を手に、歌音は鍋の中身をぐるぐると回し始めた。白衣とマスクに身を包んだ彼が行うその光景は、料理というより何かの儀式を連想させた。
「さて、やるぞ」
そう言って腕まくりをしたのは、浪風 悠人(
ja3452)である。今までにも幾度か料理をする依頼に関わった経験を持つ悠人だが、同じ料理をするのでも、場所や道具が違うと、ずいぶんと勝手も違ってくる。まして今回は、伴侶を伴わない一人での参加である。
(よし。いつも通り、最愛の妻に作るつもりで包丁を振るうぞ)
そう思って気を引き締めると、悠人はアウルを纏って万能包丁を手に取った。
猟師である妻がたまに獲ってくる山鳥でも使えれば、色々と工夫のし甲斐があったのだが……そんなことを考えながら、トマトとニンジンを軽快なリズムで刻んでいく悠人。もうすぐ鍋の水も適温になる頃合だ。
「今のうちに、他のものも刻んでおくか」
そう言って、悠人は玉葱とシメジにも手を伸ばし、洗った万能包丁で野菜を切っていると、提出スペースに料理を出した歌音がやって来た。
「あっ、お疲れ様です鴉乃宮さん」
「お疲れ様です。浪風さんは、今回は何を?」
「煮込み料理を作ってみようと思ってます」
そう言って悠人は、油をひいたフライパンに鶏モモ肉のぶつ切りを投入すると、調味料で味を調えながら表面にしっかりと火を通しはじめた。
「肉を取り出して、オリーブオイルでスライスしたニンニクとタマネギをしっかり炒めて……っと」
準備を終えて、処理済の食材を次々と鍋へと入れる悠人。これで後は、調味料で味を調えて煮込めば完成だ。
「料理のタイトルは、何と?」
「『鶏と虹の久遠煮込み』……です」
作業が一段落したのを見て尋ねる歌音に、悠人は答えた。
(教官や学園長、美味しいって言ってくれるといいな)
期待に胸を躍らせながら、悠人は鍋を見つめていた。
「そういえば、鴉乃宮さんはもう提出されたんですか?」
「ええ。少し試食用に取ってあるので、良ければこの後いかがですか?」
「ありがとうございます。終わったら伺います」
「分かりました。では、また後で」
そう言って歌音に挨拶を済ませると、悠人は再び鍋と向き合った。
それからしばらくして――
「完成だ!」
悠人は鍋から掬った「鶏と虹の久遠煮込み」を容器にもりつけると、提出スペースへと持って行った。彼が提出するのは、教官である巳上と学園長である。トマトと鶏の匂いが鼻をつき、ふいに悠人の腹が鳴った。
そんな悠人達の隣では、ミハイル・エッカート(
jb0544)が選び取った野菜を調理台で洗っていた。その目には、新しい玩具を試したくてウズウズする、子供のような光が宿っている。彼は今回、取って置きの調理機材を用意してこの依頼に臨んでいるのだ。
「トマトとニンジン、か。ピーマンがなくて助かったぜ」
ミハイルが鼻歌を歌いながら抱えた野菜の皮を万能包丁で剥き、適当なサイズに切り揃えていると、彼の背後では、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)がミキサーから取り出した緑色の液体をジョッキに移している最中だった。
「エイルズレトラ。お前は何を作ってるんだ?」
「これですか? 青汁ですよ」
「青汁か。炊き込みご飯にでも使うのか?」
「ははは、まさか。そんな事をしたら、せっかくの臭いが台無しだ。このまま使うんですよ」
エイルズレトラの作る青汁を見たミハイルは、かつてエイルズレトラと共に参加したとある依頼を思い出した。料理の味が不味ければ不味いほど、それを美味いと感じてしまう女性の舌を満足させるという変わった依頼だった(参照:九九人MS「メシマズ募集!」)。
ミハイルの言葉を聞いて、エイルズレトラもその時の事を思い出したらしい。ミハイルの方を振り返ると、青汁を入れた醤油さしを人差し指と親指でつまんで差し出した。
「ミハイルさん。この青汁、少し使いますか? 確か、あの時ミハイルさんが作ったのは、ピーマンのシュールストレミング詰め、青汁まぶしでしたよね。それからハバネロとエピキュアーチーズと、それから……まあ、いいや。そのお助けになれば幸いです」
「……いや、いい」
「残念ですねえ」
青汁作りに精を出すエイルズレトラを見て、自分もおふざけで作ってみようかという悪魔の囁きが一瞬だけミハイルの脳裏をかすめたが、依頼の書類に書いてあった「提出物の品質や内容によっては、提出者に試食を求める場合がある」という一文を思い出し、やめた。あのおぞましい物体を口にするなど、二度と御免だ。
「俺はこいつでいくぜ」
そう言ってミハイルが取り出したのは――銃である。
SAAスープメーカー。弾倉にカボチャ、グリップにその他の食材を詰め込み、撃鉄を起こすとパンプキンスープが出来上がるという魔法のような武器(?)である。
「こいつは俺専用の特別製でな。仕込む材料次第で、カボチャ以外のスープも出来る。スイッチを切り替えれば、冷製スープだって作れるんだぜ」
解説の言葉と共に、ミハイルは刻んだトマトとニンジンを銃に詰め込んだ。グリップに詰めるのはブイヨンスープ、バター、塩胡椒を少々だ。
「そして、撃鉄を起こして……」
牛乳を注いだコップに銃口を浸して中身を吸い上げると、ミハイルは銃にアウルを込めて引鉄を引いた。
「よ……っと」
湯気と共に銃口から出てきたのは、オレンジクリーム色のスープだった。中身をこぼさないよう、すかさず白いボウルで受け止めるミハイル。上にパセリをトッピングして、出来上がりである。
「『人参トマトのほっこりスープ』、完成だ! イマイチ使いどころが謎な代物だったが、取っておいて正解だったぜ」
そう言ってミハイルは、SAAスープメーカーをいとおしげに見つめた。
「面白そうな道具ですねえ」
銃である必要性が今ひとつ感じられませんが、と心の中で思いつつ、エイルズレトラは言った。
「うん、なかなかいい感じだぞ。どれ、味の方は……」
そう言って、提出用とは別の食器に再度スープを入れると、ミハイルはそれを一口すすった。
「美味い! 自分で言うのも何だが美味い!」
サムズアップを決めたミハイルの頬に、ほんのりと赤みがさした。
「よし、俺は学園長へのエントリー手続きに行ってくるぜ」
「お気をつけて。うまくいくといいですねえ」
そう言ってエイルズレトラはミハイルを見送ると、再び調理にとりかかった。
「うん……なるほど〜」
星杜 焔(
ja5378)は市販の包丁でトマトとニンジンを切り、ひときれずつ口に放り込むと、納得という表情で頷いた。
「これを、このまま料理に使うのは……少し勇気が要るかな〜」
そう言うと、焔はおもむろに残った材料を小口に切り刻み、聖なる刻印を施した。刻印を受けて白く光る野菜を再び口に放り込み、焔は会心の笑みを浮かべた。
「うん。これなら大丈夫。でも、まだまだ美味しく出来るんじゃないかな〜」
焔は料理人の直感に従い、魔具を調理台に揃えた。いずれも天魔相手に使用したことのない、うぶな武器ばかりだ。
(料理において、技術は前提。美味しい料理を作るのに必要なのは真心ともうひとつ、素材の持ち味をどれだけ引き出せるか……だよね〜)
虹色に輝く焔を纏い銀髪碧眼の「冬」状態となった焔は、自分の仕えるスキルを駆使して目の前の野菜と向き合いはじめた。カーマインでニンジンを切断し、中華包丁の峰でトマトを潰し、万能包丁で切り刻み、聖花や聖火で食材を潰した。タウントを使い、ダンスで踊り、紳士的対応で語りかけ、切れ目を入れた野菜にライトヒールを使って再び切って……考えつく限りの方法を焔は試した。
「うん。大体分かって来たぞ〜」
焔は万能包丁を手に取り、学園長に提出するカレー用の野菜の準備にとりかかった。他人に料理を振舞うことを喜びとする彼にとって、今回の依頼は学園長に料理を振舞える、またとないチャンスだ。
「腕が鳴るな〜」
ニンジンの皮を丁寧に向きながら、自分の料理を学園長が食べる光景を想像し、焔は顔をほころばせた。
一方その頃。
「うむ、美味かった。ご馳走様でした」
「いえいえ、お粗末様です」
悠人は教官に料理を振舞い、学園長への料理も済ませたところだった。
「よし。早いところ片付けちゃうかな」
歌音からのお裾分けを楽しみに、悠人が上機嫌で調理台へと戻る途中、彼はひとりの参加者とすれ違った。表現しがたい異臭を放つ液体を手に持ちながら提出スペースへと向かうその人物を見て、悠人は思わず振り返ると、
「エ……エイルズ君、いったい何を出す気なんだ?」
そう呟いた。
○
「完成しました」
そう言ってエイルズレトラが提出したのは、青い液体の注がれたジョッキだった。液面はぼこぼこと泡立ち、うっすらと湯気が立っている。彼がジョッキを提出スペースのテーブルに置くと、匂いを吸い込んだ学園の職員が口を押えて廊下へと出て行った。
「さあどうぞ。『アウル野菜の青汁』です」
料理名を申告し、朗らかな笑顔を浮かべるエイルズレトラ。鼻の穴に丸めたティッシュを詰め込んでいるせいか、その声は少し鼻声だ。
「ほう。どうやって作ったのかな?」
スペースに座る巳上が笑って言った。だが、目は笑っていなかった。
「それはもう、簡単です」
そんな巳上の視線に全く物怖じする事無く、エイルズレトラは語り始めた。
「使ったのは、トマトとニンジンの両方です。とりあえず、ミキサーでペーストにして、青汁に混ぜてみました。ちなみに調理するにあたって、あえてアウルは通していません。古くから、良薬口に苦しと言うでしょう? つまり、まずいものは体に良い、おいしいものは体に悪いということです。まずくて体に良いものを混ぜ合わせるんですから、更に体に良く、まずくなっているはずです……」
「この依頼で作るのは薬ではない。料理だったはずだが?」
「嫌だなあ、先生。世の中には薬膳料理というものだってあるんですよ。食事と同時に、薬でもある。そもそもこの野菜のコンセプトは撃退士の栄養補給ですよね? ですから、僕はそれを最大限尊重したものを作って提出に来たんです」
エイルズレトラはそう言って、ほんの少しティッシュの隙間を開けて匂いを嗅いでみると、すぐさま顔を背けた。
「……うっぷ、においをかいだだけで、とても体に良い味なのが分かります。では僕はこれで」
「待て、エイルズレトラ」
「何ですか?」
巳上はエイルズレトラを見つめながら、眉ひとつ動かさずに言った。
「依頼の書類に書いてあった料理提出の際の注意事項を覚えているな?」
それを聞いたエイルズレトラの顔に笑みが浮かんだ。
「『作った本人が食べられる料理であることを提出の条件とする。提出物の品質や内容によっては、提出者本人に試食を求める場合がある』……ですよね。もちろん覚えていますよ」
「当然お前は、そのことを承諾した上でこの依頼を受けた。そうだな?」
「ええ、言うまでもないことです――もっともどういうわけか、ほんの数秒前までは奇麗さっぱり頭から消えていましたが」
巳上はかぶりを振った。
「言い訳は通用せんぞ。その青汁を飲んでもらおう、エイルズレトラ」
「やれやれ。仕方ありませんね」
言うと同時に、エイルズレトラは身を翻して校庭に面した窓へと走った。
「やはり気が変わりました。申し訳ありませんが試飲は拒否させていただきます」
「待て!」
背後から聞こえる声を尻目に、調理室のガラスを突き破って外へと踊り出るエイルズレトラ。だが地面へと着地した瞬間、足元に開いた大穴が彼を飲み込んだ。
遠隔操作による任意発動式のブービートラップ――落とし穴である。
「甘いな。逃げられはせんぞ」
窓の開く音と共に、底へと落ちたエイルズレトラの頭上から巳上の声が聞こえてきた。
「エイルズレトラ マステリオ。昨年末に高等部の教師が主催する筆記試験において不真面目な答案を書き残して試験をボイコットした挙句、会場から逃走して姿をくらました問題児(参照:飯賀梟師MS「学生の本分(後編)」)……過去の行状を鑑みれば、お前が今回のような行動に出るだろうことは容易に予測できた。久遠ヶ原教職員のネットワークを甘く見ないことだ」
そう言いながら巳上は、捕獲用のネットに身を絡めとられたエイルズレトラを引き揚げた。
「『警告』といったところだな、エイルズレトラ。守るべきルールを守らず、TPOをわきまえない悪戯を容認はできん。ましてお前は今回、参加者達が使う共同作業スペースでの器物損壊まで行っている。これは立派な犯罪だ、やんちゃでは済まされんぞ」
「……やれやれ、捕まってしまいましたか。こんな子供だましにひっかかるとはねえ」
「鼠が鼠捕りにかかるのはおかしな事ではあるまい。さあ、観念して青汁を飲め。割ったガラスも弁償だ。お前も撃退士なら、自分がやったことの責任は最後まで取るんだな」
こうしてエイルズレトラはネットに包まれたまま、巳上に担がれ職員室へと連れて行かれた。
果たしてこの後、エイルズレトラがどうなったのか? 依頼の後、話を聞きつけた物好きな生徒達が話を聞き出そうと試みたが、彼は一切語らなかったという。ただひとつ分かったことは、依頼から戻ったエイルズレトラの所持金と生命力が減っていたという事実だけだった。
○
話を調理室に戻す。
騒動の後、最初に提出に来たのは、只野黒子(
ja0049)だった。
「おお。これは……パスタですか。美味しそうですね」
巳上の代理として急遽呼び出されたブルーメがその出来栄えを賞賛すると、
「はい。アウルを加えて作ったトマトソースに、ツナや出来合いの鶏団子を混ぜて作ってみました。実は、今回私が提出するのは、パスタではなくトマトソースの方です。作り方は市販のものと同じで、カットや裏ごしなどの際にアウルを介して作ってみました」
そう言って黒子は、ソースの入った容器を提出スペースへと出した。
「今回の野菜は、撃退士の栄養補給のために作られた野菜だと伺いましたが、撃退士というのは多忙な方が大勢いらっしゃいます。そのような方々の場合、なかなか料理にまで時間が割けないというのが実情だと思うのです」
「ふむ……確かに私も、実験にかかりきりの時にいちから料理をという気には、中々なりませんね」
大事な事をすっかり見落としていました、とブルーメはばつが悪そうに笑った。
黒子は説明を続ける。
「そこで登場するのが、このトマトソースです。『ぶっかけ用トマトソース』、とでも申しましょうか。忙しい撃退士に『手軽で栄養満点な食事を』、というコンセプトで作ってみたのが、この料理です。この野菜はもともと、栄養が豊富な野菜だと伺いましたので」
「なるほど。ちなみに、このソースを使った料理で、只野さんのオススメはありますか?」
「ふたつ、あります」
そう言って、黒子はピースサインを出した。
「ひとつは、今ブルーメ様にもお見せした、パスタですね。茹でてかけるだけで手軽に作成でき、栄養も満遍なく補給できます。実際あのパスタは、作成に時間も手間も殆どかかっていません」
ブルーメは頷き、先を促す目で黒子を見つめた。
「もうひとつは、ケチャップライスです。手頃な大きさに切ったハムと玉葱、ミックスベジタブルを、ケチャップをあえたご飯に混ぜ込むだけで、すぐに出来上がります。ケチャップは味の濃い調味料で大抵の料理には合いますから、学食のテーブルに他の調味料と一緒に置いておくだけでも、ずいぶん違うと思います」
「なるほど……いや、手軽さというのは盲点でした。ありがとうございます。あ、ところで只野さん……」
「ええ。どうぞ」
ブルーメはフォークを手に取ると、黒子の持って来たパスタに舌鼓を打った。
次に提出に来たのは雫(
ja1894)だった。その右手と左手には、白い皿に乗ったオムライスを1つずつ持っている。
「それは、オムライスですか」
「そうです」
提出されたオムライスから立ち上る湯気を、ブルーメはくんくんと嗅いでみた。どちらも甲乙つけがたい良い匂いがする。ケチャップはどうやら、黒子と同じく虹色トマトを使っているようだ。
「これは、どちらも同じ材料で作ったものですか?」
「そうとも言えますし、そうでないとも言えます」
禅問答めいた雫の答えに、ブルーメは首を捻った。一体どういうことだろう?
ふたつのオムライスを眺めて考えこむブルーメに、雫が正解を告げた。
「右が、アウルを通した野菜で作ったオムライス。左が、通さずに作ったオムライスなのです」
「そういう事でしたか」
「はい。まずニンジンを刻んで、鶏肉と一緒に炒めて加熱します。この時、右のオムライスはアウルを通した万能包丁で、左のオムライスは市販の包丁で刻んであります。その後に、刻んでピューレ状にしたライスと混ぜ、卵で巻きました」
雫は更に説明を続ける。
「アウルなしで美味しくなればと思い、左は味を濃い目にして作ってみました。左側のピューレは、煮詰めて味を濃くしてあります。ニンジンも予め煮溢して匂いを落とした後、香辛料で味付けをして……ずいぶん味の差を縮められたと思うのですが」
雫に料理を勧められ、ブルーメは先に右側のオムライスに口をつけた。
「どうでしょうか」
無表情のまま、雫が聞いた。声には多少、期待の色がある。
「美味しいです。科学的な構造という土台の上に、真心と技術を使って作られた作品といった感じでしょうか。雫さん、かなり料理が上手な方のようですね。食堂で食べるオムライスよりも、段違いに美味しいです」
やや独特な表現を使いながらアウル使用のオムライスの味を評価すると、次にブルーメは左側のオムライスの皿を取り、おもむろにすくったスプーンに口をつけた。
「どうでしょうか」
無表情のまま、雫が聞いた。声には先程よりも強い期待の色がある。
「これは……」
アウルを通さない野菜を使った料理は、実験中に食べ飽きるほど食べていたブルーメだったが、このオムライスは確実にそれらのトップに位置する美味さである。野菜の持つ嫌な匂いが、丁寧な下処理と濃い目の味付けによって完璧に近い形で抑えられていた。アウルを使わずとも、工夫次第で美味しくなる貴重なデータだとブルーメは感じた。
「素晴らしい」
ブルーメが雫に、笑顔で賞賛の言葉を送ると、雫は顔を赤くして無言で俯いた。
○
「ご馳走様でした、鴉乃宮さん」
「いえいえ、お粗末様です」
「大分、料理も出そろって来た感じですね」
「そうですね」
食器の片づけを終えた歌音と律、悠人が紅茶で一服していると、提出スペースの方で何やら騒ぎが起こっていた。
「ええっ、ひとつだけ?」
「ええ、申し訳ありません。決まりですので……」
そう言ってブルーメが頭を下げているのは、夏木 夕乃(
ja9092)だった。彼女は作った3つの料理を学園長に提出しようとして、ブルーメにひとつしか受け取れないと告げられたのだ。
「うーん。じゃあこれで」
そう言って夕乃が出したのは、グラタンだった。
「この料理は、何という名前なのですか?」
「はい! それは『レインボーグラタン』です! 虹色トマトでソースを作って、具は鶏肉とナスと久遠ニンジンを使いました。ちなみにですね、野菜はこの子に処理してもらったんです」
そう言って夕乃が手にした魔女の箒をかざすと、穂先の隙間から黒い影が染み出てきた。影は次第に大きくなり、やがて猫の姿をとった。
「それ!」
夕乃がトマトを放り投げると、猫の幻影が黒い風となってトマトの周囲を舞い、かき消えた。すかさず夕乃がキャッチし、ブルーメや周囲のギャラリーにトマトをみせると、皮が綺麗にむかれていた。
「おお、凄いですね」
「えへへ〜♪」
誇らしげな表情でトマトを食べる夕乃。次に夕乃はニンジンを取り出した。
「ちなみに、ニンジンはこうしました。えいっ!」
再び野菜を宙に放り投げると、夕乃は手にしたクラレットでニンジンを切り裂いた。鋼糸状のアウルが皮をむき、細長い身を細切れにする。落下するニンジンを残らず小鉢で受け止めると、夕乃は満悦の笑みを浮かべてそれをかじった。
「鶏肉の食欲をそそる良い臭いを、トマトがうまく引き立てている感じですね。これは美味しそうだ……もし良ければ、他のふたつも紹介していただけませんか?」
「はいっ。こっちが『クリームパスタ』。薄くスライスしたニンジンと白身魚を、クリームソースで和えてパスタと絡めました」
「おお、クリームの香りがいいですね。ちなみに、このニンジンは先程と同じやり方で?」
「そうでーす。こっちの『大胆フライ』も、同じやり方でやってみました。皮を剥いて下味を付け、蒸したニンジンを、溶き小麦粉にくぐらせてパン粉をまぶし、キツネ色になるまで揚げると……ジューシィかつ豪快なフライ出来上がり〜♪」
「ニンジンのフライですか。一口サイズに揚げてあって、ついつい手が伸びてしまいそうだ……角もしっかり落としてあって、随所に仕事ぶりが光っていますね」
「えへへ。ありがとうございまーす」
賞賛の言葉を受け、夕乃は恥ずかしそうに笑った。
次に提出に来たのは、黒井 明斗(
jb0525)である。
「栄養が最も必要なのは活動前の朝です。なので、僕はモーニングを作らせて頂きました」
彼が持って来たのは、手作りジャムのモーニングセット。ジャムはニンジンとトマトを使った2種類のジャムから選ぶことができる。提出先は学食のオバチャン達だ。
「ジャムはいずれも、作成の際にアウルを通した万能包丁を使っています。ニンジンのジャムは皮を剥いてぶつ切りにした後、茹でて柔らかくなったらペースト状にして、鍋で砂糖をいれて煮た後に水分を飛ばして完成です。トマトのジャムは、細かくカットして砂糖と煮ました。こちらは、トマトの形が無くなったら水分を飛ばして完成です」
斜め切りで均等の厚さに揃えられたフランスパンの上には白いチーズと2色のジャムが塗られていて、その上に赤い粒上の実が数個乗せられていた。
「ああ、これはコショウボクの実……ピンクペッパーですか」
ブルーメの言葉に、明斗は頷いた。
「メニューは、ブレンドコーヒーとバケットの上にジャムとカマンベールチーズを載せ、アクセントにピンクペッパーを散らした一品です。コーヒーはマンデリン、バケットはノルマンディーのカナッペ風にしてみました」
マンデリンといえば、コーヒー豆のなかでもかなりの値打ちものだ。ブルーメは知識としては知っていたが、実際にその豆を挽いたコーヒーを目にするのは初めてである。実験の徹夜明けの朝に食べたら、天にも昇る心地に違いない。
「使用したのはマンデリンの中でも最高級品のG-1です。直火で時間をかけて焙煎した豆を、粗挽きにしてカフェプレスで淹れてみました」
明斗の説明を聞くうち、ブルーメはこれを学食で口にするであろう学生に、僅かながら嫉妬を覚えた。
と、その時、調理室のドアが開いて、巳上が戻ってきた。
「順調のようだな」
「ええ。あと提出していないのは、ひとりだけですね。ええと……」
ブルーメが口を開くと同時に、配膳台を押しながら焔がやってきた。台の上には、3種類の料理が載せられている。
「すみません、お待たせしました〜」
「その3品を提出するのか?」
「はい。『久遠風虹色バーニャカウダ(野菜を熱いソースに浸して食べる料理)』、『カレーライス<虹色トマトカレー久遠人参入 香味パン粉で揚げたチキンカツを添えて>』、『久遠ニンジンのスフレ』です〜」
巳上の言葉に頷くと、焔は料理の説明を加えていった。
「あっ、学園長への提出は、このカレーライスでお願いします〜」
「分かった。では預かろう」
カレーの香辛料の匂いが周囲に漂い、偶然傍にいた黒子が喉を鳴らした。
「しかし、随分調理に時間がかかったようだな」
「はい。食材の味を引き出すのに、色々と試しましたから……あ、そうそう」
そう言って、焔は上着の胸ポケットから一枚の紙を取り出すと、ブルーメに手渡した。
「それと、これを……今回使った武器と、スキルの一覧です〜。それぞれの味の変化もまとめてみましたので、よろしければ参考にして下さい〜」
「おお……ありがとうございます!」
体を折り曲げるようにして頭を下げ、ブルーメは焔に礼の言葉を述べた。
○
こうして提出された料理は、学食のオバチャン達と、巳上ら受付のスタッフ達によって、学園の学生や職員達、学園長へと届けられた。学生達は学食で出された普段とは違う料理の美味しさに幾度もお代わりをお願いし、職員達もまた、食堂で、職員室で、真心とアウルのこもった料理の美味しさに涙を流し、学園長は4人の撃退士の提出した料理に舌鼓を打った。
こうして撃退士達の作成した料理は、学園の人々の胃袋を満たしたのである。
後日、依頼を出したブルーメからも「大変参考になるデータが取得できた」との礼の手紙が届き、依頼は成功のうちに幕を下ろしたのだった。