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ライブの熱気と会場を取り巻く炎。焼けつくような殺意が、ライブハウスに踏み込んだ撃退士たちを阻んだ。飛び込んでくるのはツバサの嘆くような歌声。
「救われなかった小さな命。炎に飲まれ無力に消えてゆく!」
「いやだ! 私は選ばれるはず! どうして触れられないの!」
錯乱した様子でセフィロトの大樹に手を伸ばす観客たちの悲鳴が、破壊的な楽曲をコーラスのように彩ってゆく。
「こんな形でファンを裏切るなんて、許せないよ!」
「歌は何かを選別するためのものじゃない。ましてや奪うためなんて……」
川澄文歌(
jb7507)とアリーセ・A・シュタイベルト(
jb8475)が熱気をはね除けて前へと進む。
「まずはお客さんを助けなきゃ!」
「まずは落ち着かせましょ。川澄ちゃん、手伝って」
「はい!」
観客がセフィロトの大樹に群がっている以上、救助するにせよセフィロトと戦うにせよ行き先は同じ。君田 夢野(
ja0561)を先頭に据えて撃退士たちは進軍した。
「逃げられる人は逃げてー!」
「きゃあああっ! ば、化け物ー!」
フェイン・ティアラ(
jb3994)の竜たる紫檀が地上を突き進む姿に、客席はさらなる混乱に陥った。だがこれは、図らずも観客たちへの警告として機能した。
「し、死んじゃうーっ!」
「大丈夫です、私たちが守りますから!」
ロゼッタ(
jb8765)のマインドケア展開に合わせて、文歌が穏やかに歌う。最後尾の観客のいくらかが、セフィロトの大樹から目を逸らして二人へと向き直った。その表情からは錯乱が消えている。
「落ち着いた? で、あなた達は火事のとき室内に残れって教わった訳? ほら、出入り口は開いてるんだからさっさと逃げちゃってねぇ」
「か、火事……言われてみれば……!」
「さあ、早く」
「避難して下さい! 出口はこちらです!」
文歌と警備員の誘導にしたがって観客が客席後部の出口から避難してゆく。
「なんかアイドルっぽいのが邪魔しにきたぞ?」
「おいおい、これからなんだぞ。一番いいところで乱入してきやがって」
ステージ上でアスラ(Dr)とヨルヤ(Ba)が眉をひそめた。
その刹那、セフィロトの大樹に群がる観客たちの中から飛び出した影が一つ。
「何がいいところだッ!」
マイク型の魔具を手にした夢野が衝撃波を乗せて叫ぶ。
「救済なんて言葉で誤魔化すなッ! お前たちの行為は無辜な人々の虐殺だッ!」
衝撃波を受けてセフィロトの大樹がぐわりと揺れた。ステージ上の能力者たちが臨戦態勢を整える前に夢野はツヴァイハンダーを構え次の一撃を放つ。
「音楽を穢すお前達に“本物”って奴を教えてやるよ――――食らいなッ!」
神速の音刃が敵陣を引き裂く。
「ぐおおおっ!」
直撃を受けたツバサ(Vo)とヤイバ(Gt)が鮮血を散らした。凄惨な光景に、最前列にいた観客が甲高い悲鳴をあげる。
「これがお前の言う本物かよ! ステージを血で穢すのが! だから! デストピアばかりが世界に広がっていくんだ!」
ヤイバはギターのヘッドに右手をかけると力任せに引っ張った。シャキンと金属音を立ててギターのネックがボディから離れる。するとギターのネックは剣、ボディは盾となった。
その剣から光刃が放たれ、夢野に襲いかかる。
「独善者がッ!」
夢野は身体を開いてヤイバの一撃を躱すと勢い良く啖呵を切った。
「本気でメシアのつもりなら、矮小な妄想に浸かったまま死んでいけッ!」
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ステージの上で始まった戦闘、負傷し血を流したツバサとヤイバ。突然の展開に観客の混乱はさらに深まってゆく。
「落ち着いて下さい、さあ、早く出口へ」
文歌とロゼッタは手近なところから順に、観客を外へと出してゆく。狭い出口に詰まりながらも観客間でのトラブルが起きなかったのは、文歌の歌とロゼッタのマインドケアがあってのことだろう。
「いいのか、ツバサ! 仔羊たちがデストピアに帰っていくぞ!」
すでに200いた観客の七割がセフィロトに背を向けて現実の世界へと足を踏み出していた。樹上のツバサはタウントを用い、泣きそうな声で客席に留まる者に手を伸ばす。
「何やってるんだ! 早く昇ってこい! お前たちは火の海に消えるだけの存在か! それともあのデストピアへ帰るのかーッ!」
「そんなに救済とやらが好きなら、お前が救済した奴に詫びながら朽ちていけ!」
跳躍した夢野がツバサへ次の一撃を振り下ろす。
「正義面しやがって!」
割って入るヤイバ、剣撃を受け止めるギターのボディ。剣と盾のぶつかる音がアンプにインプットされ、耳障りな爆音が轟いた。
「人々をデストピアに繋ぎ止めて何が変わるっていうんだ! アスラーッ!」
ツバサの呼びかけに応えて進み出たアスラ。ドラムのスティックに乗せられたアウルが夢野の意識を薙ぎ払う。
「ヤイバ!」
続けて叫ぶツバサ。意識を飛ばされた夢野をヤイバの凶刃が引き裂く。阿修羅の薙ぎ払いを起点とした集中攻撃に夢野の生命力がごそっと刈り取られた。
「デストピアだかなんだか知らないけど! アウルとか力とかなくたって、生きてること自体が特別なのに!」
竜見彩華(
jb4626)の竜たるスレイプニルが、空中から強引に戦列へと割り込んだ。
「ぐおっ!」
急所を狙った一撃にツバサのタウント効果が打ち消される。それでツバサに釘付けとなっていた60名ほどの観客は我に返った。
「ぐっ、ヨルヤーッ!」
竜の爪に胸をえぐられながらもツバサは叫ぶ。途端、撃退士たちと2体の召喚竜を狙い澄ました炎が、ライブの火薬演出よろしく各々の足元から噴き上がった。
ダメージに怯むことなく文歌とロゼッタは残る60名の観客を出口へと誘導していく。
「さあさあ早く逃げちゃいなさい、じゃないと寝覚めの悪いことになるでしょ」
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「ツバサ! これはマズいぞ!」
すでに180名がライブハウスから避難していた。残る観客は20名。だがこの者たちはセフィロトを結成当初から支持していた根強いファンだ。
タウントの打ち消しとマインドケアの効果で我に返ったファンたちは、逆にツバサたちを心配してステージへと押し上がってきた。ミュージシャンのファンは時に盲目的。彼女らには、ステージに乱入しツバサたちを傷付ける撃退士が敵と映っていたのだ。
「ツバサーっ」
真剣な呼び声と共に駆けつけるファンの少女たち。
「よせ、来るな! セフィロトーッ!」
ツバサは大樹に指示を出した。撃退士たちの予想通りセフィロトの大樹はディアボロである。透過能力により一般人が大樹に触れることはできない。しかし大樹の側から一般人に触れることは可能だ。大樹の枝が20名のセフィロトファンへ絡みつき、その身体を空中へと持ち上げた。
「ヨルヤ!」
「わかってる! 行け、クレセントサイス!」
三日月のような闇刃が無数に咲き乱れ、撃退士たちを切り刻んでゆく。大樹の幹が攻撃に巻き込まれ、揺れた枝から3人ほどのファンが振り落とされた。
「あなた達って歌が好きじゃないんだね……」
ライトヒールで仲間を癒しながらアリーセはセフィロトのメンバーたちをにらみ付けた。
「でなきゃ、こんな事出来るはずが無い……!」
「好きも嫌いもあるか! 俺達には音楽しかないんだ!」
ファンを盾にしているのか、あるいはファンの盾になっているのか。セフィロトのメンバーは大樹の枝の上に固まっていた。彩華としてはボルケーノで焼き払ってしまいたいところだったが、迂闊に範囲攻撃を使えば観客たちも巻き添えだ。撃退士にとっては流れ弾に過ぎないものも、一般人には致命傷である。
「紫檀!」
上空に陣取るフェインの呼び声に応えて竜が防御結界を発動した。
「被害者なんて出さないんだからーっ!」
強気に振る舞うも、紫檀と共にヨルヤの範囲攻撃に巻き込まれたフェインはレート差もあってダメージが大きい。
「選ばれた人だけが生きるなんて、そんなこと絶対にないっ!」
彩華はスレイプニルをヨルヤへと突っ込ませたが、ツバサの展開した庇護の翼がその一撃を阻む。
「何を勘違いしてるか知らないが、この翼は守るための力だ!」
傷付いてなお仲間をかばうツバサの姿にファンたちは感極まった歓声を上げた。
「くっ、アウェーなステージがこんなにやりづらいなんて」
焦る文歌の背を嫌な汗が伝った。先制攻撃を仕掛けたことが、古くからのファンを敵に回す要員となってしまったのだ。
ツバサ、ヤイバ、アスラの三名は大樹から飛び降り、紫檀の頭部へと落下しながらの一撃を加えていく。そこへ、ヨルヤによる二度目の火炎噴出が重なり、紫檀ごとフェインの意識は吹き飛んだ。
「くっ……!」
紫檀の防御結界に守られたアリーセとロゼッタは、二人がかりで味方のダメージをリカバーしていく。しかしこの調子では壊滅は必至。
「スレイプニル!」
彩華の声が響いた。振り払われた観客も大樹に掴まれて再び空中。今ならば一般人を巻き込むことなく、紫檀を攻撃するため地上に降りた三人をボルケーノで焼き払うことができる。
「人を傷付けるためにアウルの力を使うなんて!」
スレイプニルの吐き出した業火がステージに降り注ぎ、セフィロトメンバーたちを薙ぎ払った。
「ああ、世界に滅びの炎が降り注ぐ……!」
高らかに歌いながら炎に飲まれていくツバサたち。
「ツバサ!」
「ヤイバー!」
ファンたちは思い思いのメンバー名を叫びながら燃え盛るステージに届かない手を伸ばした。
「楽園へ行けるのは選ばれた者だけ。救済に価しないならば炎の中に消えるのみ」
業火の中から歌声が響く。
ゆらり、と炎の向こうに影が揺れた。開かれた二枚の翼。何としても沈めるべきマイナスレートのアタッカー・ヨルヤはツバサの庇護を受け、無傷のままで炎を乗り越えてきた。
二度にわたりヨルヤをかばったツバサの傷は深い。傍目にも生命力の七割以上が失われていると分かる。
そのボロボロの身体で、ツバサはオーディエンスに語りかけた。
「僕たちの音楽は……! ほとんどの仔羊たちはデストピアへ帰っていった。でも、信じて残ってくれたみんなに、この歌を捧げよう」
ヤイバは剣をボディに収めて元のギターに戻すと、チューニングのズレを指づかいでカバーしながら『DystopiaFiction』の続きを奏でた。
ヨルヤとアスラも演奏に加わり、ツバサは枯れた声を振り絞るように歌う。
「滅びの街を僕たちは行く、同じ楽園を目指して、辿り着けなかった者達の悲しみを掲げながら」
そして、魔具たる楽器から飛び出した破壊のアウルが立ち向かう撃退士たちを吹き飛ばした。
この猛攻により半数が戦闘不能。戦列参加が遅かった文歌とロゼッタはまだ余力を残していたが、残存戦力の差を考えれば勝機は既に失われていた。残された観客もセフィロト支持で撃退士たちを敵視しており、容易に避難させることはできない。
これは敗戦だ。悔しいがこれ以上の戦いは全滅を招くだけだろう。
「くっ、お願い!」
彩華の指示でスレイプニルが敵前に立ちはだかった。
かくして撃退士たちの戦いは、スレイプニルをしんがりに据えて撤退する結末を迎えたのだった。
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「力はただの力、使う人次第だって分かってはいたけど……それをこんな形で思い知らされることになるなんて」
無事に撤退を終えた彩華は、誰にともなくつぶやいた。善と悪、暴力と救済、そして勝利と敗北。力の行き着く先は一つではないのだ。
なぜ能力者がアウルの力を悪用するのか。ディアボロと行動を共にするのか。分からないことばかりが積み重なっていく。得られた情報を挙げるとすれば、セフィロトは単純に虐殺を嗜好するような存在ではなかった、ということぐらいだろう。
セフィロトはクレセントサイスを放つにあたってファンを巻き込まないよう配慮していた。しかし撃退士たちは覚えている。客席を覆った炎。あれも確かに本物の殺意だったのだ。
久遠ヶ原とセフィロト、能力者たちにそれぞれ宿るアウルの力。その力が行き着く先はまだ誰にも――。