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デパートの二階に上がったアリーセ・A・シュタイベルト(
jb8475)が見たものは、恐慌状態に陥っている人々であった。 泣き叫ぶ子供、天魔に気付かれるから泣くなと叱り飛ばす母親、など。特にまずいのは、「わしは逃げる、逃げるんじゃ!」などとわめきながらエレベーターに押しかける老人だ。出入り口のある一階は戦闘区域。そこに民間人が乱入しては犠牲者の出る恐れがある。
そこでアリーセは、穏やかなメロディを口ずさんで不安や恐怖を和らげるアウルを展開した。
時を同じくして館内放送が響く。冬片 源氏(
jb6030)の声だ。
「久遠ヶ原より撃退士が到着いたしました。危険ですので、その場を動かないようお願いいたします」
品性のある声色が、アリーセのアウルと相まって人々の恐怖を鎮めていく。
「もう大丈夫ですよ。だから、もう少しだけこのままで」
というアリーセの言葉を決定打に、エレベーターへ駆け込もうとしていた老人は動きを止めた。子供を叱っていた母親も、落ち着いた様子で我が子を抱きしめている。
二階の混乱はひとまず収まったようだ。
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その頃、先んじて一階のディアボロの掃討に向かった四名は巨大カマキリの行動範囲内に踏み込みつつあった。紅 鬼姫(
ja0444)は手合わせ所望とばかりに巨大カマキリへと駆けていくが、松永 聖(
ja4988)や桜花(
jb0392)はむしろ蜂型のほうを警戒していた。
「ちょこまかしやすい形だし、蜂のほうが厄介だと思うんだよね……」
とは聖の弁だ。蜂型が他の階へ移動している可能性も彼女らの懸念である。数を数えて少ないようなら他の階へ人員を割こうと打ち合わせてはいたが、蜂は物陰に潜んでいるらしく姿が見えない。聖は五感を研ぎ澄ませながら慎重に進んだ。桜花も後衛として後に続く。華やかな少女撃退士の中でひときわ異彩を放つ異形の戦士ヴォルガ(
jb3968)も聖や桜花と行動を共にした。
「って、見つけたっ!」
化粧品売場の物陰に潜んでいた蜂型を見つけた聖は、弓銃を構えると先制射撃をしかけた。蜂型は昆虫ならではの急発進でパっと飛び立つと射撃をかわしたが、桜花のショットガンがその腹を撃ち抜いた。手ごたえはあったものの、蜂はそのまま飛び去り、再び物陰に隠れた。
聖と桜花は思わず顔を見合わせた。予想通り俊敏で厄介な相手のようだ。しかも、この様子では一階にいる蜂型の数も把握しづらい。どうしたものか、と考えを巡らせているうちに、鬼姫のほうは巨大カマキリとの斬り合いへと突入していた。
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鬼姫が真っ先に狙ったのは巨大カマキリの目である。鬼姫は巨大カマキリの右鎌を小太刀で受け止めたかと思うと、左鎌を跳躍してかわし、降下の際に鋭い一撃を繰り出した。目への直撃には至らなかったものの、鬼姫の刃は巨大カマキリの頭部に少なからぬダメージを与えた。
そのとき鬼姫は、背後から迫る羽音に気付いた。どこからか飛び出してきた蜂型による奇襲だ。
「鬼姫……邪魔をされるのが最も嫌いなんですの……」
巨大カマキリとの立ち合いに水を差された鬼姫は、ぎろりと視線を蜂型に向けると影手裏剣を放ちながら飛び退いた。影手裏剣をまともに受けた痛みで蜂型の動きがわずかに止まる。その上を飛び越えて立ち位置を入れ替えた鬼姫は、カマキリと蜂型による挟撃を鮮やかに凌いだのだった。
二対一でも後れを取らない鬼姫の戦いぶりは見事という他にない。それに圧倒されたのか、潜んでいた残り三体の蜂型は一斉に姿を現すと鬼姫へ襲いかかった。三体の蜂による強襲。並の撃退士であれば蜂の巣であったろうが、鬼姫は上方へと跳躍すると一挙動で全てをかわしきった。
だが巨大カマキリは「相手をしてくれるんじゃなかったのか」とでも言いたげに羽の推力で一気に加速すると、着地の瞬間を狙って突撃してきた。両鎌の攻撃線がクロスし、鬼姫へと襲いかかる。
大技の直撃を受け吹き飛ばされた鬼姫は、ハンカチ売場の棚を薙ぎ倒しながら床へと沈んだ。
被害こそ出たものの、この大立ち回りによって四体の蜂型が全て一階にいることが明らかになった。桜花はさっそく上の階にいるアリーセを呼び戻すため、連絡を入れた。館内放送を入れるため別行動していた源氏も、すでに聖と肩を並べて蜂型と戦っている。
民間人が襲われる懸念は去った。あとはディアボロの殲滅に専念するのみ。撃退士たちは蜂型ディアボロの危険性を考え、飛び回る蜂型に集中攻撃をしかけた。しかし巨大カマキリは間髪入れず、その陣形の側面を突く形で突撃してきた。
このままでは陣形を切り崩される。桜花が撃ち落とした蜂にとどめを刺そうとしていたヴォルガは、転進すると巨大カマキリの進路上に立ち塞がった。激突する二体の異形。ヴォルガは前衛として巨大カマキリを食い止めながら、着実に反撃をも叩き込んでゆく。
ヴォルガが巨大カマキリと死闘を演じている間に、上の階にいたアリーセも戦線に加わっていた。少女たちは奮闘し、四体いた蜂型のうち二体を仕留めた。だが、俊敏な蜂型を相手に正確な攻撃で多くのダメージを与えてきた桜花も、蜂型の毒針を続けざまに受け倒れてしまった。
蜂が二体と少女が三人。数の上ではいまだ有利。そこで、二体の蜂型は少女たちに背を向けると、二本の鎌と打ち合っていたヴォルガにたかり彼の背を毒針でつつき回した。侮れないダメージと毒がヴォルガを追い詰めていく。そこへとどめとばかりに巨大カマキリの左鎌が飛んだ。到底耐えきれる攻撃ではない。
しかしヴォルガはその一撃を剣で受け止めると、反撃を繰り出し巨大カマキリの左鎌を斬り飛ばした。まさに会心の一撃。次に飛んできた右鎌によってヴォルガは倒れたが、巨大カマキリの攻撃力もまた大幅に低下することとなった。
二体の蜂型は、再び少女たちを狙って舞い戻ってきた。源氏のサンダーブレードによって一体は敏捷性を潰したが、もう一体が源氏を捕獲し空中へと連れ去った。
ヴォルガを突破した巨大カマキリも、三人を切り崩すために前進してくる。
「……害虫駆除は、メイドの務めですわ」
源氏は眼前の蜂を剣の柄で殴りつけると、拘束から逃れ壁役を買って出た。その傍らでは、サンダーブレードで弱った蜂にアリーセがとどめを刺している。蜂はあと一体。しかしその一体は今のところ無傷。一方の源氏はというと蜂との戦いで少なからぬダメージを負っていた。
カマキリの動きを止めてしまいたいところだが、蜂との戦いによってサンダーブレードを撃つ魔力は枯渇していた。壁役としても、正直なところあと一撃を耐えられるかどうかといったところだ。
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蜂型は簡単に落とせる相手ではない。始めからずっと蜂型の相手を務めてきた聖だからこそ、無傷の蜂型が一体残っていることの厄介さが正確に理解できる。ここまでに三体の蜂を沈めることができたのは、桜花の正確な射撃や源氏のサンダーブレードなどによるところが大きかった。
もちろん勝てない相手ではない。勝てるか勝てないかという話であれば、聖とアリーセの二人なら確実に勝てるだろう。問題は何秒で倒せるかにある。アリーセの魔法をかわした蜂型に青紅倚天による一撃を叩き込んだ聖だったが、沈めるにはあと二発は必要といったところ。加えて、攻撃すれば当たるという相手でもない。さらに、カマキリを食い止める源氏の様子を見る限りこれ以上持ちこたえられそうにはなさそうだった。
その源氏に巨大カマキリの右鎌が飛んだ。源氏は紫色の雷を纏って防御を固め、重い一撃をギリギリのラインで持ちこたえた。アウルの力による守りがなければ、あるいはヴォルガが左鎌を切り落としていなかったならば、耐えられる一撃ではなかったに違いない。
源氏は最後の一撃で巨大カマキリの足を一本、斬り飛ばすと、巨体の反撃に倒れた。
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最後の蜂型はすでに瀕死だったが、とどめを刺すまでには至らなかった。とはいえ巨大カマキリの側も撃退士たちの猛攻により大きく損耗している。
「決着をつける。絶対に倒すよっ……!」
これまで蜂型との戦いに専念してきた聖が、ついに巨大カマキリへ矛先を向けた。狙いはすでに定まっている。巨大カマキリには、その動きを支える重要な部位があった。源氏が足を斬り飛ばした今ならば、そこを切り落とすことは容易だ。
「その羽を、落とさせて貰うっ!」
聖は牽制射撃を放ちつつ巨大カマキリに詰め寄った。一発の反撃を貰ったが怯むことなくその背中に飛び乗り、青紅倚天の刃を左の羽にあてがう。そして勢い良く刃を引き、内側の羽までをもバッサリと切り落とした。
巨大カマキリは痛みに悶絶した。あと一息だ。聖は巨大カマキリの背に乗ったまま鎖鎌で首を落としにかかったが、さすがに振り落とされた。体勢を立て直し次の一撃を放つ聖。その軌跡を封じるようにして巨大カマキリの右鎌が覆いかぶさる。二つの攻撃線がかち合う。
アリーセが最後の蜂を撃ち落としたのと、聖が倒れたのは、ほぼ同時のことだった。
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そして決着の瞬間が来た。
巨大カマキリはすでに満身創痍。
対する撃退士もまた、激戦の末に一人を残すのみ。
巨体と少女の一騎打ちだ。
正のカオスレートを持つアリーセとディアボロの巨大カマキリ。
互いに余力のない以上、勝負は一瞬で決まる。
実戦経験の少ないアリーセには相当なプレッシャーがかかったことだろう。
けれども彼女は覚えている。
「もう大丈夫ですよ。だから、もう少しだけこのままで」
怯える人々にそう伝えた自分自身の言葉を。だから逃げるわけにも負けるわけにもいかない。
聖の手により巨大カマキリの推力は死んだ。先制はアリーセのものだ。
アリーセは軽快なメロディをタタン、と口ずさんだ。その歌声はマイクを通して衝撃波に変わり、巨大カマキリの身体へと叩きつけられた。
されど巨大カマキリは倒れない。足を一本失った身体で、衝撃波をかいくぐるように距離を詰めてくる。鎌を振りかぶる。薙ぎ払う右鎌は、勝敗を決する一撃。
巨大カマキリの鎌がアリーセの脇腹に突き刺さった。
決着はついた。
鎌の一撃を受けてなおアリーセはまだ立っている。勝敗は決した。
アリーセがメロディの続きを紡ぐ。
巨大カマキリの首は、零距離からの衝撃波によって吹き飛んだ。
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激戦であった。撃退士たちもまた傷付いた。だがその傷は力なき人々の盾となった証である。命を賭して戦った勇者たちの姿は、天魔に脅かされる民たちの胸に希望の光を灯したに違いない。歓声を上げて一階に集まってきた者たちの姿こそ、その証明だ。
「皆さん、本当に凄いですね!」
新米撃退士の朱美も、傷付いた勇者たちの手当てをしながら憧れの眼差しを向けてきた。希望の光は新たな勇者にも受け継がれ、街に迫り来る闇をこれからも打ち払っていくことだろう。人は今日も命を明日へと繋ぐ。