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瑠奈の救援要請から約45分後、第二陣として八人の撃退士が瑠奈と合流した。スマートフォンの地図アプリを使って、手早く任務の引き継ぎを行う。
第二陣の撃退士達は、殲滅班、救助班、上空班の三つに分かれて行動することを事前に打ち合わせていた。
さいわい裏路地は、殲滅班と救助班が東西からそれぞれ進入できる地形となっている。
先行したのは上空班のエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)。エリーゼからの偵察報告は1分後にさっそく届いた。
大蜘蛛は入り組んだ裏路地に陣取っているらしい。これは事前情報の通りだ。
しかし、彼らにとって想定外の問題があった。大蜘蛛は粘糸を使って、捕らわれた先発部隊のメンバーたちを頭上に並べているらしいのだ。
これでは、空から大蜘蛛を射撃すれば救出対象に当たってしまう。
「これまた、嫌なふうに陣取りましたにゃー。まあ、話してる時間も惜しいですし行きますかー」
そう言うと、ジェイク・コールドウェル(
jb8371)は無駄話のひとつもなしに飛び立った。
それを合図として、撃退士達はそれぞれ作戦行動を開始した。
先行していたエリーゼはというと、動き出した仲間たちを上空から見下ろしながら、我関せずとばかりにカフェオレを飲み始めた。
「さて、どんなふうに戦うつもりなんでしょう? 観察してみーましょ」
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殲滅班として東から進軍したのは雪室 チルル(
ja0220)と天風 静流(
ja0373)の2名。
電柱の影から飛び出してきた狼型ディアボロは、俊敏ではあったものの難なく返り討ちにできた。
しかし裏路地に入ってから遭遇した小蜘蛛との戦いでは、チルルが粘糸に拘束されたのち、静流まで毒液を浴びてしまった。
静流が弓で応戦したものの、致命傷を与えるには至らず小蜘蛛は屋上へと逃げてしまった。
さいわい、上空班のインヴィディア=カリタス(
jb4342)とジェイクの二人が屋上へ逃れた蜘蛛を追撃してくれたので、蜘蛛そのものは後顧の憂いとはならなかった。
「しっかり仕留めさせてもらいましたよー」
ジェイクから撃破の報告が入ったのとほぼ同じく、救助班の御影 蓮也(
ja0709) からも無線報告が入った。
「狼を一匹仕留めた。同時に蜘蛛ともやりあったが、そっちは逃げられた。蜘蛛は上空班に任せて俺達はこのまま進む」
ならば、残る敵は大蜘蛛と蜘蛛が一体ずつと狼が二体だ。
毒を受けた以上、時間をかけるほど戦いは不利になるだろう。
「急ごう、雪室君」
「うん!」
二人は足早に大蜘蛛を目指して進み出した。
しかし、進むにつれて蜘蛛の糸で塞がれた道が多くなり、それを魔法で焼きながらの進軍はどうしても手間がかかった。
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先に大蜘蛛の元へ到達したのは殲滅班、つまりチルルと静流の二人だった。
エリーゼの報告にあったとおり、拘束された先発隊の撃退士たちが地上から8メートル程度の位置に並べられている。
その様子は、さながらアーケード街の屋根といったところだ。
屋根の下に隠れている限り、大蜘蛛は高所へ移動できない。
陸戦でも十分に戦える状況といえる。
「よし、やっつけるよ! このーっ!」
チルルは氷粒子を展開して守りを強化すると、突剣を力いっぱいに繰り出した。
「うっ、すごくかたい!」
前足に命中した攻撃は、ほとんどダメージになっていないと思われる手応えだ。
何か考える暇もなく反撃がきた。直径50cmはあろう大蜘蛛の前足が、チルルの身体に叩き込まれる。
チルルは辛うじて踏みとどまったが、巨体だけあって一撃が重い。
いくら氷粒子の守りがあるとはいえ、直撃をあと2発も受ければ確実に倒れる羽目になるだろう。
「とりあえず、その場所から引きはがそう。救助隊の邪魔になる」
「うーん」
大物が目の前にいるのだ。チルルは今すぐにでもやっつけたくてうずうずしていた。
とはいえ、さすがに一対一で殴り合っても厳しそうだ。
チルルは静流の言う通り一度後退した。
だが、退いてみたものの大蜘蛛は追ってこない。
静流は様子見がてら矢を射てみた。
矢は大蜘蛛の腹部に刺さり、大蜘蛛は痛みに悶絶した。
「おおっ、効いてる効いてる! よーし、あたいも!」
チルルは突剣を構えると、再び突撃した。
その進路を塞ぐように、大蜘蛛はぶしゃっと毒液を飛ばした。
「ぶわっ!」
毒液を浴びながらも、足を止めずに大蜘蛛へ一撃を繰り出す。
だがその一撃は足の爪によってはじき返されてしまった。
「えーっ!」
これでは毒の喰らい損だ。
「小蜘蛛がそっちへ向かっているのですよー。ビルの角が邪魔で手を出しづらいにゃ」
上空班のジェイクからも苦戦の報告が届いた。
これは厳しいか、と覚悟したとき、大蜘蛛の向こうの曲がり角から鈴代 征治(
ja1305)と藤井 雪彦(
jb4731)が姿を現した。ついに救助班が到着したのだ。
救助班の背中を預かる蓮也も続けて現れる。
二つの地上部隊は大蜘蛛を挟んで合流した。
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救助対象に辿り着いた征治は、まず捕らわれた撃退士たちの状態を確認した。
捕らわれているのは5人。意識のある者はいない。
うち4名は目立った外傷もなく、おそらく無事なのだろうと思われた。
しかし1人だけ、腕が一本なくなっている撃退士がいた。
事前情報と彼の服装から、それが倉貫だとわかった。
痛ましい光景に、征治は自分の胸までえぐらえたような思いがした。
捕らわれた倉貫たちの真下では、大蜘蛛とチルルが交戦している。
征治の頭に無数の選択肢が浮かんだ。だが、今は人命が最優先だ。
「藤井さん、援護をお願いしますね」
そう言い残すと、征治は迷うことなく倉貫たちの救出に向かった。
倉貫たちは地上から約8メートルの位置に捕らわれている。一人ずつ助けることはかえって難しい。
征治は魔法装備のギターを使って、5人の撃退士を屋根上の粘糸ごと地上に落とすことに決めた。
そうすれば五人の撃退士をまとめて確保できる。
粘糸を剥がすのは戦場から運び出してからでも遅くはないはずだ。
もちろん危険もある。捕らわれた撃退士を巻き込まず粘糸だけを攻撃するには、大蜘蛛のそばに陣取らねばならない。
だが征治は危険を恐れず、前へと進み魔法の旋律を紡いだ。
時を同じくして、二体の狼が戦場に乱入し、殲滅班と救助班の背後を突いた。
蓮也と静流はそれぞれ仲間の背中を守るため狼を食い止める役に回った。
運がいいのか悪いのか、征治が頭上の屋根を二割程度解体したとき、最も重傷の倉貫が自重に耐えきれず地上に落ちてきた。
「危ない!」
雪彦はとっさにアウルを網状に展開して、落下の衝撃から倉貫を守った。
だが、大蜘蛛が救出班の行動に気付いた。
大蜘蛛にとっては、自分に剣を向けるチルルよりも、巣を破壊している征治のほうが重要な問題だったらしい。大蜘蛛はチルルや静流との戦いに背を向け、征治に前足で攻撃をしかけてきた。
征治には大蜘蛛の攻撃線が見えたので、避けようと思えば避けられた。だが、大蜘蛛の攻撃線の先には倉貫の姿があった。
自分が攻撃を避ければ、倉貫が踏みつぶされてしまう。征治は倉貫を守るため、大蜘蛛の攻撃を背中で受け止めた。
「ぐっ……!」
状況を察した雪彦が術で衝撃を和らげてくれたとはいえ、かなりのダメージが征治にのしかかる。
そのとき、征治の背中に、これ幸いと這い寄ってきた小蜘蛛の毒液が降りかかった。
溶けるような痛みが走って、意識が一瞬飛んだ。
まだ誰一人助けてはいないのだ。こんなところで倒れるわけにいかない。
征治は気力を奮い立たせると倉貫を抱え上げた。
「僕を……助ける気なのか?」
倉貫が苦しげに言った。どうやら落下の衝撃で意識を取り戻したようだ。
「僕はもう助からない。ここに捨てていけ。君は君の戦いをするんだ」
息も絶え絶えに倉貫は言った。だが征治はうなずかなかった。
「こんなところで終われないでしょう、倉貫さん。まだ年も明けたばかりです。あなたを待っている人だっているんです」
「死ぬ者のために傷付くことはない……!」
倉貫は譲らずに、自分を見捨てるよう征治に伝えた。
そのとき、上空隊のカリタスがふと、倉貫のもとへ降り立った。
「僕は優しき娘の願いを聞いた。叶えてみせる。君を、愛しき子のもとへと届けよう」
カリタスは倉貫の身体を抱え上げると、そのまま戦線を離脱した。
おそらくは瑠奈のもとへ向かったのだろう。
これで倉貫の救出は成った。
だが捕らわれた撃退士はあと四人いる。救出戦はまだ始まったばかりだった。
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だが、この時点で第二陣の撃退士たちも多大な損耗を受けていた。
救助班の要の征治はいつ倒れてもおかしくないダメージを受けている。
大蜘蛛への攻撃を担当するチルルと、その背中を守る静流も、毒で長くは持たないと思われた。
戦闘中のメンバーで余裕を残しているのは救助班の蓮也、雪彦と上空のジェイクのみである。
対してディアボロはというと大蜘蛛と小蜘蛛が一体ずつ残っているのに加え、二体の狼型も健在だ。
「抜かせるか!」
蓮也は鋼糸を巧みに操って、狼の突破を妨げていた。
静流もまた、大蜘蛛に攻撃を続けるチルルの背中を守るべく狼と戦っていたが、こちらは蓮也に比べると体力の余裕が少ない。
何にせよ、退路は狼によって断たれた。あとは勝つか負けるか、二つに一つだ。
そんな中、征治は傷付いた身体で捕らわれた撃退士たちを確保すべく希望の旋律を紡ぎ続けていた。
理由は一つ。その行動に命を賭けるだけの価値があるからだ。
だがそこへ、前足を振りかざした大蜘蛛の容赦ない攻撃が飛ぶ。
立っているだけでやっとの征治には、これを避けることは不可能だった。
そこで雪彦が動いた。負傷してなお希望の旋律を紡ぐ征治。彼がこれ以上傷付くのは、雪彦にとっては自分が傷付くことより遙かに辛いことだった。
だが回復術ではフォローしきれない。防御術でも防ぎきれない。
そこで雪彦は、自分の身体を盾にして征治と大蜘蛛の間に割って入った。
ドス、と重い一撃が雪彦の胸をえぐった。
「藤井さん!?」
驚きの声をあげる征治。だが雪彦は気丈に微笑んで見せた。
「大丈夫、露払いはボクに任せて、鈴代さんは続きを……っ!」
大丈夫でないことは声の様子から明らかだった。
征治は雪彦の思いをも旋律に乗せて、頭上の屋根を切り崩していく。
もう少しだ。もう少しで4人の撃退士は傘ごと地上に落ちる。
「いい加減倒れろ、このっ!」
大蜘蛛が征治を集中攻撃しているのをいいことに、チルルは大蜘蛛の背に剣撃を加え続けていた。そのダメージは決して軽くないはずなのだが、致命傷にはなかなか至らない。
そのときチルルの背中を守っていた静流に狼の爪が突き刺さった。
痛恨の一撃だったが、静流は気迫で踏みとどまった。しかし、毒の影響を考えればもってあと10秒といったところだろう。
「蜘蛛をしとめたのですよー」
ジェイクから会心の報が響いた。
あとは大蜘蛛と狼2匹だけだ。だが、消耗の大きい撃退士にはこれが手強い。
征治は旋律を紡ぐ。
大蜘蛛はしつこく征治を狙うが、今度も雪彦が身体を呈して征治を守る。
しかし、雪彦にとって大蜘蛛の二撃は耐えきれるダメージではなかった。
力尽き、地に倒れる雪彦。
あと少し。
あと少しで屋根が地に落ちる。捕らわれた撃退士たちを確保できる。
毒にやられた身体で、征治は最後の力を振り絞り、涙のようにギターの音を響かせた。
大蜘蛛の頭上を覆っていた屋根が、落ちた。
ドカ、と堅い音を立てて、粘糸にまみれた4人の撃退士が路地に叩きつけられた。
あとは彼らを安全なところへ運ぶだけだ。
征治は4人を背負って歩き出そうとして、そこで力尽き倒れた――。
こうして救助班は志半ばで倒れたのだろうか。
そうではない。
彼らは確かに活路を切り開いたのだ。
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エリーゼは上空から一部始終を見ていた。
彼女がこの戦いを観察して何を考えたかは定かではない。
しかし征治が屋根を落としたその瞬間、エリーゼと大蜘蛛の間に射線が通った。
天使による、カオスレート差を活かした高威力の魔法。それはまさしく戦況を覆す一手だ。
エリーゼの手に漆黒の雷槍が顕現する。
黒雷槍は、狙い違うことなく大蜘蛛の身体を貫いた。
それでも大蜘蛛は生きていた。
手近な撃退士に攻撃を加えるべく、前足を振り上げる。
この前足が振り下ろされるたびに仲間は傷付き、時に倒れた。
――これ以上誰もやらせはしない。
これまで救助隊の背を守ることに専念していた蓮也は、狼の爪をかわすと大蜘蛛へと向き直った。
狙うのは直線上の相手を全て薙ぎ払う真弾砲哮だ。
敵味方入り乱れる狭い路地の中で、蓮也には真弾砲哮を撃つべき射線がしっかりと見えていた。
「壁を使えるのは、お前たちだけじゃないんだよ!」
蓮也は壁を蹴ると、鋼糸を頭上で回し、アウルの光輪を作りながら一足に大蜘蛛の足元に潜り込んだ。
狙いを大蜘蛛の目に定める。
そして、大蜘蛛の足元から、上空めがけて真弾咆哮を放った。
蓮也のアウルは大蜘蛛を撃ち貫き、オフィス街に勝利の光柱を打ち立てた。
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「狼を始末した。これでディアボロは全滅だ」
蓮也からの連絡がカリタスに届いた。
片腕をなくした蔵貫を瑠奈のもとへ届けたカリタスは、言葉もなく呆然とする瑠奈と、奇跡的に命を繋いでいる倉貫を、愛おしげに眺めた。
カリタスは悪魔だ。しかし人も冥魔も天使も何も、愛されるべき存在であることに変わりはないのだ。
「愛すべきものたち、君達は生きてる」