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駅前ビルの一階、正面玄関。皇 夜空(
ja7624)、天羽 伊都(
jb2199)の二名はエレベーター前にて突入の合図を待っていた。予め一階まで降ろしてあるエレベーターが動く気配はない。
「んー。今のうちにクマ型でも挨拶に来てくれればねぇ、各個撃破できて楽チンなのに」
伊都の視線は玄関に設置された監視カメラを捉えていた。情報によると、カメラが見たものは塾の職員室に置いてあるブラウン管テレビに筒抜けとのことだ。
「おーい、ボクたち撃退士ですよー。はやく迎撃に来て下さーい」
軽いノリで監視カメラに手を振っていた伊都は、夜空の放つ殺意に気付いた。
「見てるのか、クソ虫ども。今からブッ殺しにいってやる」
絶対に許さん。殺意が、そう語っている。夜空の戦意は限界まで高揚していた。味方としては頼もしい限りだが。
「んー、まあ、無茶はほどほどにね」
と、伊都は肩をすくめた。
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「おかえり、どやった?」
非常階段のふもとで待機していた桐生 水面(
jb1590)は、双眼鏡を手に偵察へ向かった里条 楓奈(
jb4066)と紅織 史(
jb5575)の合流を出迎えた。
「外から敵の姿は見えないね。向こうはこっちに気付いてるかな」
「だろうな……。流石に……な」
敵は多数、しかもヴァニタス込み。激しい戦いになるだろうと視線で確認しあう撃退士たち。
「って、何呑んどるんやっ!」
水面は、思わず桃香 椿(
jb6036)が飲んでいた缶ビールを取り上げた。
「作戦中やで! 戦闘前なんやで! これは失敗できへん戦いなんや!」
「それノンアルコールぅ……」
「……くあっ、まぎらわしいねん」
思わずつんのめる水面。
「女性陣は賑やかだねぇ」
通信機からは伊都の声が飛んできた。作戦の性質上、撃退士たちは全ての会話を光信機で全員に繋げてある。
「別に遊んでないで。やることやったし出たとこ勝負や、こっちは階段上がる。突入のときにまた合図するから」
エレベーター側の二名に指示を出すと、六名の撃退士はいよいよ非常階段を上り始めた。ヴァニタスが上から狙撃してくる可能性があった。二階や三階の扉から伏兵が飛び出してくる事態も考えられた。
しかし敵は、撃退士たちが5階のドアに達するまで、攻撃に出ないばかりか姿も現さなかった。
「開けた瞬間こんにちは、って感じかな」
「そやな」
「かわゆい敵だとよかねぇ」
軽口を叩きながらも視線で合図を交わす六名。全員がすでに覚悟していた。このドアを開ける音が戦いの鐘となることを。
呼吸を整えドアノブに手をかけた楓奈は、ドアを引くと同時に光信機に叫んだ。
「A班、5階に突入する! B班は続け!」
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「…………」
全員が拍子抜けした。ドアの向こうに敵の姿はなかったのだ。非常階段からの侵入口にも、エレベーターの前にも、5階廊下にも、待ち伏せはなかった。
目前には職員室の扉。こうなれば敵の意図は明らかだ。
「いやあ、あっさりご対面なんて笑えないねぇ」
「ああ、うじゃってるね」
楓奈はエレベーターから上がってきた伊都・夜空と5階廊下にて合流。廊下の窓からは、ミミズの群れと二体のクマが職員室にひしめている姿が確認された。職員室の角では、すでにヴァニタス・スニークが銃を構えている。
職員室の扉はひとつ、その幅1m。廊下の窓は人が通るには小さく、扉から一人ずつ進入していく他になさそうだ。そして、突入した瞬間には1対11の状況が発生することになる。
「まあ、常道だね」
「ゴリ押しは無理だ。救出対象は教室だろうな」
楓奈はそれだけ伝えた。想定の範囲内だ。作戦は決まった。
まず、六名の撃退士が陽動として職員室に突入する。機を見計らって飛行能力を持つエルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)・那斬 キクカ(
jb8333)の2名が外から窓を割って教室に突入、賢治君を確保。
この作戦の成否を分けるのは陽動だ。別働隊がいると悟られた時点で、あるいは陽動部隊が壊滅した時点で作戦は失敗する。可能な限り敵戦力を陽動部隊に引きつけねばならない。
先陣を切るのは楓奈。ストレイシオンの防御結界を維持できれば、敵の攻撃力を大幅に減らすことができる。余力があるなら、敵の狙いを引きつけたまま動き回って敵陣の撹乱を狙うのもいい。
だが、突入した瞬間に総攻撃が飛んでくることも明らかだ。味方が布陣を展開するまで耐えきれるかどうか、分の悪い賭けになるだろう。
「楓、扉は私が開けるよ」
「ああ、頼む」
楓奈は、扉を開ける役を史に譲った。大勢は一瞬で決まる。緊張感は否応なく高まった。
史の手が扉にかかる。今度こそ、戦いの幕が上がる。
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史は扉を開けると同時に後退、予想通りミミズ型の放った消化液が廊下に飛び出してきた。
「頼むぞ相棒!」
消化液と入れ違いにストレイシオンを召喚した楓奈は、竜に飛び乗って敵陣へと突撃してゆく。
「撃てーッ!」
ヴァニタスの号令でミミズ型が一斉に第二射を放った。狙いは正確だ。かわしきることはできない。続けて突入した史が乾坤網でフォローに入ったが、それでも耐えきれるかどうか。
「シオン!」
楓奈の呼びかけに応じて竜は防護結界を展開、しかし文字通り八方から飛んだ消化液は青き燐光を貫通し楓奈の生命力を削いでゆく。そこへ、追い打ちをかけるようにヴァニタスの狙撃が飛んだ。
ストレイシオンが弾け、楓奈は職員室の床に崩れ落ちた。
「っ、総員続けッ!」
歯を食いしばりつつ史は前へ進む。
楓奈が敵を引きつけた一瞬に乗じて、すでに史と伊都が職員室への突入を果たしていた。
「一気に制圧するよ!」
「わかってる!」
史は敵陣中央にアウルの魔法陣を展開、爆風にて三体のミミズ型を吹き飛ばす。
「はい、綺麗に並びましたっと」
宙を舞う二体のミミズが射線上に並ぶ瞬間を狙い、伊都は封砲を撃ち込んだ。
この隙に水面と椿が職員室に進入、防護結界内での布陣とまではいかなかったが、最も困難な侵入口を突破し乱戦へ持ち込むことができた。
とはいえ物量では圧倒的不利、数を減らさねば話にもならない。
「爆ぜるは火球、夜陰を彩る無数の焔!」
水面はミミズ型の密集する地点に狙いを定めた。撃ち込んだ火球が花火のごとく鮮やかに弾けて敵陣を焼き払う。弱っていたミミズ型が三体、この一撃にて動きを止めた。
撃ち漏らしたミミズ型を切り捨てるべく、椿が太刀を手に前進する。
そこで敵の第三射が飛んだ。五発の消化液とヴァニタスの銃撃。これによって椿が職員室の床に沈む。立っている撃退士は4名を残すのみとなった。
ヴァニタスはこれを勝機と見たのか、撃退士たちの陣に二体のクマ型をけしかけてきた。
さすがに厳しい。だが、ここで退けば陽動は失敗だ。
「覚醒者の本気、見せてあげるよ!」
進み出た伊都は黒き大剣を抜くと、攻撃線を水平に描いてクマ型の前進をまとめて阻んだ。布陣が激突し、敵味方が入り乱れる。
迂闊な射撃が味方を巻き込む戦況となった。この状態で攻撃の要となるのは、敵味方を識別可能な高威力の範囲攻撃、つまり。
「奥の女だ! 一斉にかかれ!」
ヴァニタスの指示で5体のミミズ型は真っ直ぐに水面へと突撃してきた。
「化け物が! 絶滅しろ……ッ!」
割り込んだ夜空が光の槍で2体のミミズ型を貫きつつ前進し、強引に水面から引きはがす。
「よくも邪魔をッ!」
ヴァニタスの狙撃が夜空の腕を貫いた。夜空は一歩も怯むことなく、捕らえた2体のミミズ型へと続けざまに光槍を放ってゆく。
「ぐっ……!」
水面は三体のミミズ型に食いつかれて意識が飛びそうになった。
(うちらが倒れたら、また犠牲者が出るんや!)
「爆ぜるは火球……」
痛む身体をおして再び火球を生成する。今度の着弾地点は自分自身だ。
「夜陰を彩る無数の焔!」
反撃の爆風が、3体のミミズ型を勢いよく吹き飛ばした。
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8体のミミズ型は全滅した。しかし六人のうち二人が倒れ、夜空と水面の負傷も危険域に達している。残存戦力で二体のクマ型を突破しヴァニタスを討ち取ることはまず不可能だろう。
だからこそ、自分たちの陽動に作戦の成否がかかっている。一体でも多く引きつけろ。一秒でも長く持ちこたえろ。
(勝たなくちゃ、楓を連れて帰ることもできない!)
史は叫んだ。
「犠牲を厭うな、差し違えてでも敵ヴァニタスを討つんだよ!」
「そら来た!」
伊都が、一直線にヴァニタスへと突撃してゆく。黒き大剣を構え一閃、ヴァニタスは銃の砲身でそれを受け止めるとクマ型に指示を飛ばした。
「脆いところから崩せ! 突撃せよ!」
クマ型が肩を並べて満身創痍の水面に突っ込んでくる。
「これ以上は誰もやらせないよ」
クマ型の進路に史が割り込むも、クマ型の爪に裂かれて生命力をそぎ取られる。凄まじい腕力だ。おそらく生命力もミミズ型の比ではない。このまま戦闘を続ければ確実に押し切られる。
「二つ首が出てこないのが幸いや! 今のうちに仕留めるで!!」
クマ型が脳天めがけて振り下ろした一撃を回避しつつ、水面は檄を飛ばした。
その声が、光信機の向こうにいる別働隊への突入合図となった。
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廊下にも職員室にもいないのだから、賢治君が捕らわれている場所は教室以外にない。教室ならば必ず窓がある。
陽動部隊は巧みに敵の主力を引きつけている。夜空の光槍は放たれる度にガラスの砕けるような音がするので、敵がガラスの割れる音に鈍感になっている可能性も高い。
今しかない。
敵に発見されぬよう非常階段付近を浮遊していたキクカは、賢治君を救出すべく空から教室の窓へと向かった。
「いた、魔獣が見張ってる」
賢治君を発見したキクカは、見たままをエルネスタに伝えると窓ガラスを割って教室へと突入した。
救出を阻むものは二つ首の魔獣、一体のみ。だが陽動部隊も長くは保つまい。迅速に救出せねば仲間の命が危険だ。
「グオオオオーッ!」
二つ首が吠え、ヴァニタスに敵襲を知らせた。
「おっと、行かせないよ!」
伊都の声が聞こえる。敵の主力は流れてこない。だが、キクカとエルネスタの二人だけでこの魔獣を撃破することは困難。
「そこをどいてもらうわよっ!」
続けて突入したエルネスタは、魔獣の側面からエアロバーストを撃ち込むと、その巨体を約2mほど賢治君から引き離した。
すかさず魔獣と賢治君の間に割り込み、宝剣を叩きつける。攻撃線が閃光のように輝いて魔獣の身体を引き裂いた。
「危険だよ! 僕は大丈夫だから逃げて!」
戦いの音で目を覚ましていた賢治君が、巨体に単身立ち向かうエルネスタに気付いて悲鳴を上げた。
「私たちはもっと大丈夫だ。心配はいらない」
蜘蛛の糸らしき粘糸で壁に拘束された賢治君。キクカは素手でブチブチと粘糸を引きちぎってゆく。
魔獣は、エルネスタを突破すべく口から火炎を吐き出した。続けざまにもう一方の口からは冷気が飛ぶ。避けられない。避ければ、背後のキクカと賢治君に当たるからだ。
「子供を犠牲に助かろうなんて思わない……もう!」
二重のブレスが迫る。エルネスタはその身を差し出して後方の二人を守る盾となった。洪水に潰されるようにしてブレスに飲み込まれる身体。熱い、痛い、無理だ。それが率直な判断だった。しかし踏みとどまる。
やがて、嵐が止むように魔獣のブレスは止まった。
振り向いたエルネスタは、賢治君の無事を確認すると安堵したように微笑み、そしてゆっくりと崩れ落ちた。乾いた音が、無慈悲に響いた。
「く、くそっ……僕はどうして何もできないんだ……」
己の無力に打ちひしがれる賢治君。
その身体が、揺れた。
粘糸の拘束力が弱まっている。今ならば。
「ちょっと痛いかもだけど、我慢してねっ」
キクカは賢治君の肩に右手を回すと、力任せに引っ張った。
賢治君の身体が壁から離れ、キクカの腕の中に収まった。
作戦は成功した。あらゆる戦いはこの瞬間のために積み上げられていたのだ。
倒れたエルネスタを左手に抱えると、キクカは窓をめがけて一直線に走った。重い足音を立てて魔獣が追ってくる。陰影の翼を広げて加速し、割れた窓から、ビルの外に、飛翔する。
夕方の空が視界いっぱいに広がった。
「賢治君の救出に成功! 総員撤退!」
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「よっしゃ、ずらかるで!」
ヴァニタスを仕留めんと総攻撃をしかけていた水面たちは、手の平を返したように後退すると、倒れた仲間たちを抱え非常階段まで全力で走った。
「してやられたか、追え!」
ヴァニタスの命令を受け追撃してくる2体のクマ型。
「おっと、まだ戦うなら付き合ってもいいんだよ?」
伊都は再び二体のクマ型を押しとどめ、戦闘継続とばかりに前進した。が、味方の足音が遠ざかっていくのを確認するなり「じゃ」と手を振って後退、職員室の扉を閉めつつ非常階段へ向かった。クマ型はただちに扉を粉砕したが、非常階段を通るには身体が大きすぎたため、それ以上の追撃は不可能だった。
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命からがら撤収してきた撃退士を出迎えたのは、塾の校長先生が用意した送迎バスであった。
「賢治、無事か! 皆さん、本当にありがとうございます!」
「話は後だ塾長! 敵が追ってくるかも!」
賢治君の言葉で状況を察した校長先生は、全員が乗り込んだことを確認するとただちに送迎バスを発車させ、戦域の外までアクセル全開で走り抜けた。
「みんなは無事なの?」
安全圏まで退避し落ち着きを取り戻した賢治君は、真っ先に同級生たちの安否を気遣った。
「ああ、平気だよ。君が守ったんだ」
キクカは賢治君の頭に手を添えると、穏やかに微笑んだ。
「よかった、いや、よくない。みなさん、僕のせいで……」
傷だらけとなった撃退士たちの姿に、賢治君は悲痛な表情を浮かべている。
「気にしなくていい。君と同じだよ。守りたい、助けたいと思ったから戦ったんだ。それだけだよ」
「一人でも立ち向かった。君は勇敢だね、力があるからって誰にでも出来る事じゃないんだよ。誇りを持っていいからね!」
賢治君の背中を笑顔で叩く伊都。その頭からはどくどくと血を流れていた。そのアンバランスさは仲間たちの笑いを誘ったが、少年はというと真剣な顔つきで頷くのだった。
「人の命を守る方法も、勉強しなきゃな……」
「だってさ、先生」
急に話を振られ、校長先生は笑った。
「賢くて勇気もある。賢治ならすぐできるようになるさ」
戦いは終わった。犠牲者の数、ゼロ。危険を厭わず戦い抜いたからこそ得られた戦果だ。
「賢治、お母さんがご飯作って待ってるってさ。帰ろうか」
「うん」
賢治君は素直にそう答えると、自分の行為の重みと誇りを胸に、微かな笑みを浮かべた。
送迎バスは晴れやかな空の下を走り抜けてゆく。西側の山際では、太陽が落ちた直後の茜色が控えめに輝いていた。