●学園ツアー参加者集合
「あやしいヤツが増えたな」と吉高フミヤが言った。入学資格を得た吉高まなみの兄である。
「男が二人に女が五人か。大勢で言いくるめようって算段か? 俺の目はだませないぞ。この世に理想郷なんてないんだ!」
「そのとおりよ」と声を上げたのは銀髪の少女だ。背丈はまなみと同じくらいである。
「この学園、確かに良い子が多いんだけど、私みたいに職業や家柄が特殊な子もいるわ。一応不良もいるし」
少女はちらと横をうかがう。
「おいおい、珠真先輩、俺、実家出て以来初めてちゃんとした服着てきたんだが」
「儀礼服似合ってるわよ、遊佐くん。でも隠せないオーラが……」
ふふっと笑い、少女は吉高兄妹に向かって珠真 緑(
ja2428)と名乗った。
「驚かせてしまったかしら。貴女がこれから撃退士になるのなら、取り繕った外面でなく真実を語りたいと思うのよ」
では皆さん、後はよろしくね、と加賀谷真帆が後ろ歩きで去ってゆく。あら転ぶんじゃないの、と緑が目を丸くした。
「正直言うと、俺はアンタの気持ち、痛いほどわかる」
遊佐 篤(
ja0628)はフミヤの両肩に手を置いた。
「俺にもすげえかわいい双子の妹がいるからな。でもさ、兄といえど妹の可能性とか将来をつぶすわけにはいかない。そんなことしたら大事な妹に一生恨まれるぞ? ってなわけで、学園案内に加わらせてもらう。遊佐だ」
どうも、とフミヤが首をすくめる程度の会釈をした。
「先に紹介を済ませましょうか」とニットキャップを外した少女が明るい声で言う。
「初めまして、高等部一年の権現堂 幸桜(
ja3264)です。こはるって呼んでください」
「こはるお姉さん、よろしく」
まなみが懐こく幸桜に近寄る。彼が「彼」であるとは言わない方がいいかもしれないと紅葉 公(
ja2931)は思う。幸桜の性別がどうであれ、彼がかわいくて明るいムードメーカーであるのに違いはないのだが。
幸桜が一人一人を紹介してゆく。
「お二人にとって左から、お兄さんと気が合いそうな遊佐さん。厳しい先輩、珠真さん。あ、珠真さんには弟さんがいるそうですよ。小等部を案内してくれる紫藤 真奈(
ja0598)さん。隣が紅葉 公(
ja2931)ちゃん。その陰にいるのが編入してきたばかりの村上 友里恵(
ja7260)さん。後ろで眠りそうになっている背の高い彼は七條さんです」
「大学部の七條です。……起きてるよ」
七條 奈戸(
ja2919)のぼんやりした挨拶が一同の笑いを誘う。
幸桜が学園マップを取り出し、吉高兄妹に一枚ずつ渡した。フミヤは地図に視線を落とし、広すぎる…とつぶやいた。
「新入生向けの案内ルートをご用意してます。まず小等部校舎と施設。続いて昼食を取ってから商店街、寮を見学します。お帰りの時間があるでしょうから、無駄なくこのルートで回れればと思いました」
まだ地理に不案内な友里恵は、まなみの手元をのぞき込んだ。
真奈が進み出る。
「小等部をご案内します。こちらへどうぞ」
「出発!」と、幸桜が号令をかけた。
●第一チェックポイント【小等部】
小等部の運動場では少年少女達が二手に分かれて追いかけっこをしていた。
「一人暮らしの境遇の子も多いのですが、どうです? つらそうに見えますか?」
真奈の問いかけに、まなみが首を横に振る。
「楽しそう。思いきり走ったり跳んだり、手加減しなくていいんだ。早くあたしもあの中に入りたい」
「まなみぃぃぃ」
兄は半泣きである。
「では校舎を見てみましょう」
真奈を先頭に一行は移動した。冷暖房完備の近代的な校舎だ。一行に遅れること数メートル、奈戸の瞳が輝いているのに気づいたのは振り返った篤だった。
「七條先輩、HP増えてます」
「……え?」
「砂漠でオアシス見つけたような顔してますが」
「えっと…うん、ほら、小等部の女の子達かわいいなぁって」
「七條先輩、まさかのロリコ…」
皆まで言わせるか、とばかりに走ってきたのはフミヤだ。
「ぐおおおお、どこのどいつだぁ? 俺のまなみにいやらしい視線を向けてる輩は!?」
「落ち着いてください、そんな人はいません」と幸桜。
「害はないです。何も企んでいないし」と弱々しく主張する奈戸。
そこへ現れたのは魔法少女マジカル――ポーズを決めた猫野・宮子(
ja0024)である。
「何か困ってるみたいだね? そんなときの魔法少女マジカル♪ …って、今は普通の服着てたんだった。と、ともかくボクもお手伝いするよ」
公からことの次第を聞いた宮子は、学園案内ツアーに加わる。そうだ、と手を叩いて言った。
「せっかくだからここにいる小等部の人に話を聞いてみようよ。学園生活のことよくわかるんじゃないかな。制服も見られるし」
名案だ、と真奈が賛成する。宮子は教室に踏み込み、小等部女生徒の輪の中に入ってゆく。体格も違和感がない。
「ねぇ、そこの君と君、ちょっといいかな?」
声をかけられた生徒が上級生達のところへやってきた。
「君、学校楽しい?」
「うん!」
おさげの少女は全力肯定。
「怖い噂はない? 大きなお兄さんに連れ去られそうになったとか、嫌なことされたとか。そんな話聞いたことある?」
「ないよ! 中等部の人ももっと上の人も優しいもん」
そっか、ありがとう、と宮子は女生徒一人を解放する。そしてもう一人。
「ねぇ君、このお兄さんを見てどう思う?」
宮子の指が指し示すのは奈戸だ。尋ねられた生徒は首をかしげ、
「牛乳飲んで大きくなったの?」と言った。
ありがとね、と宮子が女生徒を元の輪の中に戻す。
「全く警戒されてないな」と篤。
「そりゃそうだよ。俺、これっぽっちも悪意ないもの。お兄さんが心配するようなことは何もないよ」
篤と奈戸のやり取りを見ていた友里恵は、ロリコンとは違う嗜好を奈戸の中に見出した気がした。
●第二チェックポイント【学食】
「では皆さんお腹も空いたことでしょうし、昼食にしましょうか。食堂のご案内は友里恵さんお願いしますね」
教室の扉から机や椅子、ロッカーなど全てが小さめの世界から離れ、一行は友里恵が選んだ学生食堂へ向かう。学生が昼に利用する混雑のピークは過ぎたようだ。
「ここで食券を買います。ランプがついているのが販売中のメニューです。券を買ったら、こちらへ。トレーを持って並びます」
「食堂は他にもあるんですよね」とまなみが尋ねる。
「ええ。ここはおいしくて値段もお手頃、量は多めと、文句なしの学食です」
「そうですか……」
「駄目だ、駄目だ!」とフミヤが大きく両手でバツ印を作る。さらに勝ち誇った顔で言う。
「まなみはこう見えて食が細いんだ。俺が食うのを手伝ってやらないと、一人前なんて残しちまう」
「そういう方のための半ライスもありますよ。しかも五十久遠引きです」
しっかり事前調査しておいた友里恵の言葉を聞いて、まなみはうなずき、フミヤは鼻息で応えた。
「なかなかおもしろいお兄さんだけど、家でもあんな感じなの? ボク、兄弟いないからよくわからなくて」
苦笑混じりの宮子の問いに、まなみは大人びた笑みを浮かべた。
「前はここまでひどくなかったんだけど、二人きりになってから過保護になっちゃって」
「へえ……見学してみて、お兄さんの考え変わるといいいんだけどね?」
真奈と緑がトレーをテーブルに置いた。大盛りを頼んだ男性二人と幸桜はしばらくレーンで待たされている。
真奈が割り箸を両手ではさんだ。
「まなみさんが撃退士になったら、いざというときに一般の人を守ることになります」
はい、とまなみは澄んだ目で真奈をまっすぐ見つめる。
「もし今この学園に来ない選択をしても、天魔にいつどこで遭遇するかわかりません。つまり危険は常にあるということです」
「はい。だからあたし、せっかくのチャンスだし、お兄ちゃんや他の人達を守れるように、ここに入ろうって思うんです」
「確認しておくわね」と緑がラーメンに七味唐辛子をかけながら言う。
「これから貴女は多くの命を背負うことになるわ。死力を尽くしても守れないときもある。大事な何かを犠牲にすることもある。貴女の決断が多くの人の人生を左右するの。覚悟はあるのかしら?」
「はい……」
まなみの表情が揺らぐ。
「撃退士の真実ってそういう意味よ」
トレーを運んできた男性陣がテーブルを囲み、緑とまなみの会話はそこで途切れた。
「お兄さんって何か部活とかしてるの?」
奈戸がフミヤに尋ねる。片手はチリソースの瓶を傾け、大盛り蕎麦に大量に振りかけている。奈戸はさらに酢も投入した。蕎麦+チリソース+酢だ。見ている周りが酸っぱい気分になる。
「部活は野球をやってた。もう…やめたけど」
「そう」
「まなみは同年代の子と運動すると差がありすぎて、全力を出せないんだ」
一同はわかるわかる、とうなずいた。撃退士としての訓練を積む前から、一般人との運動能力差を自覚する者も少なくない。アウル適性を認められ、学園に来てから真のライバルを得て、ますます切磋してゆくのは幸せなことだ。
――今はまだ守られる側にいる少女には、どんな未来が待っているのだろうか。
「こちらでお友達ができれば一緒に食事も楽しめますし、心配はいらないと思います」と友里恵が言った。
「案外うまかった」
食堂に関しては、フミヤの評価も悪い採点ではなさそうだ。
●第三チェックポイント【商店街】
公はまなみの手を引き、彼女が興味を示した店に寄ることにした。一軒目は洋服屋だ。春夏の流行の淡い色が店内に満ちている。
「食った食った」
「眠い……」
最後尾をちんたら歩き、婦人服店など目にも留めない篤と奈戸を見て、
「大丈夫? あんた達の担当はこの後よ」
発破をかけた緑は、つまづいたように体勢を崩した。
「珠真先輩……そこ、何の段差もないです」
「……」
緑はワンピースのひだを直し、まなみに見られていなかったのを確認した。
店内では公、幸桜、まなみが何着か服を試し、その都度、フミヤが「かわいいぞ」と叫んでいる。
「どれが欲しいんだ? 兄ちゃん、何でも買ってやるぞ」
フミヤの声を聞きつけた店員が流行遅れのB級品まで薦めてきたため、一行は店を後にした。次に入ったのは文房具店だ。
「ここにはよく来ますよ。やはり学生ですから、ノートとかペンは必要になります」
「公さんには、お兄ちゃんやお姉ちゃんはいるんですか」
「姉がいます。初めは反対されました。最終的に私の判断に任せてもらえたときは信用してくれてるんだな〜って、嬉しかったです」
「素敵なお姉ちゃんですね」とまなみが言った。フミヤの耳にも届いているはずだ。公が嬉しそうにうなずく。
「あ、これかわいい」
「本当だ、かわいい。新入荷って書いてありますね」
「お兄ちゃん、これ買ってもいい?」
まなみの小さな手がつかんだのは、きらきら光るハート型モチーフのストラップだった。色はピンク、オレンジ、ブルー、グリーンの四種類ある。
「いいじゃないか。兄ちゃんはブルーにする。まなみはどれだ? オレンジか?」
あっさりと二つ手に取り、レジに向かうフミヤを公は呼びとめる。
「あの、私もまなみさんとおそろいで買っていいでしょうか」
フミヤの顔に戸惑いが浮かぶ。
「俺が金払うってこと?」
いえいえいえ、と公はあわてて財布を取り出す。
「自分で買います。今日の記念に、かわいい撃退士候補さんとおそろいのものを持ち帰りたいんです。入学したときの初心を忘れたくないから」
幸桜もピンクのそれを手に取った。
「私も最初は不安だったけど、学園でいっぱいお友達ができました。お兄さん、どうぞ安心してください。私が責任を持ってまなみさんを見守っていますから」
フミヤは自分の手に添えられた幸桜の手を見て、かすかに頬を赤らめた。
「ツアコンさんともおそろいか。あんた、骨がありそうだし、まなみを頼む…な」
●第四チェックポイント【寮】
商店街を抜けた一行は、篤と奈戸が選定した女子寮へ向かう。周囲より土地が高くなっており、植え込みに囲まれた白い建物である。
「とっておきの物件を探してきたぜ。完全男子禁制、つまり」
「ここから先は俺達は入れない」と奈戸。
「窓には鍵、ドアにも鍵、しかも二つ。一人部屋で三階より上の階。さらに……!」
「ストップ」
拳銃を取り出した篤を奈戸が後ろから抱えるように止める。もみ合う長身の二人を見て胸の高鳴りを覚えたのは友里恵だ。異なるタイプの美形二人。いい学園に来たと思う。幼いまなみには言ってもわからないだろうけれど。
篤の武器を収めさせると、奈戸は寮の建物を仰ぎ見て言った。
「強化ガラスなんだけどね。うん、実は俺、ここじゃない別の女子寮に忍び込もうとしたことあるんだよ」
「ぶおあああ…やはりお前はロリコンの変態……!」
「違う違う、麻雀で負けた罰ゲームだよ。それでどうなったかというと」
突然の奈戸の告白に全員、呼吸も忘れて聞き入っている。さすが大学部生はやることが派手だ、と。
「自警団に捕まってお縄。非常ベルは鳴るし、正座させられて一時間説教の上、反省文五枚提出。未遂でこれだよ? 割に合わないよね」
「奈戸さんには申し訳ないですが、未遂と聞いてほっとしました」と公が目尻を下げる。
「俺だったらそんなスケベ野郎の現行犯、海に放り込んでやる」とフミヤが息巻く。奈戸は両手のひらを上に向けた。
「つまり言いたいのは、自警団がちゃんと機能してるってこと。女子寮のセキュリティはさすがだよ。お兄さんにも安心してもらえるレベル」
質問だよ、と宮子がおずおず進み出た。
「もし忍び込むのに成功してたら……?」
んー、と奈戸は首をひねった。
「無理だろうけど、万一成功しても特に何かする目的じゃなかったから。忍び込めるかどうか、挑む時点で罰ゲームなんだよね」
「他に二軒ほど候補の寮があるけど、そろそろ時間か」と、篤が言う。
「楽しくてあっという間でした。お姉さん達、どうもありがとう」
まなみが先輩撃退士に頭を下げる。次に来るときは後輩として学園の門をくぐることになるだろうか。
「最初に声をかけてくれて、いなくなっちゃった人にもお礼を伝えてください」
「加賀谷さんですね。伝えておきます」と真奈が請け負った。
フミヤは怒ったような顔で「お世話に…」と言いかける。語尾はあいまいにごまかす。お世話になります、とはっきり言えないのは性格だ。
「アンタはいいシスコンだよ」と篤がフミヤに右手を差し出す。フミヤも右手を出す。固い握手が交わされた。
「たくさんメール書いて、毎日電話すればいい。兄の愛は時空を超えるんだよ!」
「……ああ」
「また遊びに来てくださいね」と幸桜が微笑む。
今日のできごとをどう記録しようかしら、と緑は思案する。
見学証を警備員に返した兄妹は船着場へ続く道を歩いてゆく。風が吹く中、いくつもの言葉がその背中にかけられる。声にならない声として、まなみの心に届いたはずだ。
「 待 っ て る よ 」