●明日のために
二月二十八日、午後。
カカカカカカ、と音が響く。
エプロン姿で腕をまくった権現堂 幸桜(
ja3264)はボウルを抱え、大量のホイップクリームを泡立てていた。
子供たち三十人と先生、メンバー、全員分のケーキを手作りで用意するのだから時間がかかる。幸桜の家のオーブンはフル稼働である。
香ばしく甘い香りが部屋中に漂う。
アシスタント役の栗原 ひなこ(
ja3001)はケーキの焼き上がりを待つ間、画用紙に向かっていた。
「それ、蛇に見えるかも」
横からのぞいた幸桜に言われ、ひなこはぶんぶんと首を振る。ポニーテールが揺れる。
「ちがーう。蛇じゃなーい!」
「ひなこちゃんは最後の場面の担当だっけ。前の場面でちゃんと『龍』らしく描いておくから大丈夫だよ」
「くうう」
ひなこは絵の中の龍にひげを描き加えた。ぐっと龍らしさが増す。画竜点睛というが、この場合は瞳ではなくひげが、龍の威厳を表すのに必要な箇所だった。
「そろそろ焼き上がるよ」
タイマーが鳴り、幸桜がオーブンからケーキ型を取り出す。
大きな四角いケーキが四つ焼き上がった。粗熱が取れたところで、飾りつけにかかる。
ひなこは絞り袋を持ち、クリームを絞り出す。白いキャンバスが生まれる。
次はフルーツだ。
「こはるくん、苺はここでいいかな?」
「いいと思うよ。もっとつめて並べても大丈夫」
「あ、ゆがんでる……」
「隣にキウイの列を作るね」
四種類の異なるケーキが仕上がった。子供が喜ぶように、フルーツのデコレーションによってうさぎやパンダなど、動物の顔を模した絵柄になっている。
さらに二つのケーキには、特別な飾りつけも施した。
「できたっ。おいしそう!」
「ほこりがつかないようアルミホイルかぶせておくね」
二人は満足感に微笑みながら、エプロンを外す。
「こはるくんの紙芝居はできたの?」
「まだ。これから描くところだよ」
「そっか。あたしも残りは帰って仕上げるね」
そこへ訪ねてきたのは、逸宮 焔寿(
ja2900)だ。
「ケーキ作り、進んでますか? ……あ、もうできたんですね!」
ケーキに飛び込みそうな勢いの焔寿は、
「権現堂様とひなこ様で全部作ったんですか? すごいっ」
感嘆し、四つのケーキを眺め回している。
「焔寿ちゃん、情報収集はどうだった?」
「二年生の生徒さんたちにどんなお菓子や飲み物が好きか聞いて、買い出し班さんに伝えてきました」
「ばっちりだね」
「はい。あ、調理用ボウルをお借りしてもいいですかー?」
手際よく調理器具を洗い終えた幸桜が、どうぞ、と銀色のボウルを差し出した。
同時刻、天風 静流(
ja0373)と影野 恭弥(
ja0018)は商店街のスーパーマーケットで買い出し中だった。
静流が使い捨ての紙コップと紙皿、フォークを手に取ったところで、恭弥が言った。
「食器は借りられる」
「そうなのか。買わなくていいなら、その分の予算は浮くな。どこで借りられるんだ?」
「食堂」
恭弥の根回しが済んでいるなら大丈夫だろう。静流は飲み物が並ぶコーナーへ向かった。
2Lサイズのリンゴジュース、オレンジジュース、グレープジュースをそれぞれ二本ずつ、お茶を三本。全てをかごに積むと、ショッピングカートがずっしり重くなった。
「次はお菓子だ」
静流は、小分けされたクッキーやプレッツェルを棚から取る。代わって恭弥がカートを押す。
ポップコーンとポテトチップス、コーンスナックを追加し、二人はレジ待ちの列に並んだ。夕方のスーパーのレジ係は、アルバイトの学園生と思しき若者だ。
食器を買わずに済んだため、合計金額も予算内でおさまった。会計を済ませ、恭弥は買った品を袋に移す。かなりの大荷物だ。
飲み物が入った重い袋を恭弥が手に取った。天風は残りの袋を持ち、学園への帰路に着く。
紅葉 公(
ja2931)は自室でデジタルカメラのバッテリーを充電しながら、画用紙に色鉛筆を走らせていた。淡い色を重ねてゆくうち、時間を忘れてしまう。
戸次 隆道(
ja0550)はペーパークラフトのデザインを考え、雪成 藤花(
ja0292)はバースデーカードに貼るシールを選んでいた。
メンバーが思い思いの準備に没頭する夜更け、小等部二年X組の子供たちは既に夢の中にいた。
●パーティーはもうすぐ
二月二十九日、天候は晴れ。
寒空の下、前もって打ち合わせておいたとおり、メンバーは幸桜の家からケーキを運び出した。崩れないようバランスを保ちながら、一つのケーキを二人ずつで運搬する。続いて、学食から借りてきた食器と飾りつけの道具、飲み物、お菓子も運び込む。
教室には行儀よく座った児童たちが待っていた。机は六つずつまとめられ、五つのグループに分かれている。
教師が言った。
「今日は皆さんお待ちかね。上級生がパーティーのお手伝いに来てくれました。皆さん、お兄さんやお姉さんの言うことをよく聞いて、楽しいパーティーにしましょう」
はーい、と力いっぱいの返事が教室内を満たす。
「ではお兄さん、お姉さんたちのお名前を教えてもらいましょう」
え、と戸惑いつつ、一番端にいた藤花が半歩前に出る。
「中等部二年の雪成藤花です。あだ名は『とっと』っていいます。とっとちゃん、って呼んでね」
「とっとちゃーん」
早速呼ばれた藤花はワンピースのすそを持ってお辞儀した。
次に焔寿が名乗る。
「小等部五年、逸宮焔寿です」
「あー、この前来たひとー」
一人の児童が焔寿を指差す。
「覚えていてくれましたか。今日は皆に教えてもらったお菓子や飲み物を持ってきましたよー」
子供たちが歓声を上げる。
「私は高等部一年、紅葉公です。後で皆で写真を撮りましょうね」
公がデジタルカメラをかざすと、活発そうな男子が立ち上がり、両手でピースサインを作った。
「あたしは高等部二年の栗原ひなこです! 楽しいお誕生会にしようね♪」
「大学部三年の戸次隆道です」
「高等部二年の天風静流だ」
「高等部一年、影野恭弥」
上級生の自己紹介の度に、小等部二年X組の生徒たちは拍手を送る。
「僕は高等部一年の権現堂幸桜です。よろしくね」
幸桜が名乗ると、一人の児童が言った。
「『僕』って男の子みたいー。スカートはいてるのに変なのー」
周りの児童も、おとこおんな、と連呼を始めた。幸桜はあわてることなくやわらかな笑みを浮かべたまま応じる。
「もしも僕が男の子だったらどうする?」
はやし立てた児童たちは頬を赤らめ、口をつぐんだ。
教師が言った。
「ここからはお兄さん、お姉さんたちに任せましょう。先生は後ろで見てますからね。何か困ったら言ってください」
教師は黒板に、誕生日を迎えた二月生まれの二人の名前を書くと、後はよろしく、と教壇から降りた。
藤花、ひなこ、公の三人は、子供たちのバースデーカード作りをサポートする担当である。
「皆、はさみと色紙はあるかな? 陽子ちゃんにあげるカードと、当馬くんにあげるカード、二種類を作るよー」
「どんなカードにしようか?」
子供たちの座席を回り、相談を受けながらアドバイスをしてゆく。
「ぷくぷくシール、貼ってみる?」と藤花は手持ちのシールを見せる。子供たちが頭を近づけてのぞき込む。
「あたしたちも作るからねー」
ひなこと藤花は、児童たちの席の一角に予備の椅子を持ってきて腰を下ろした。
さらさらとペンを進める藤花を横目に、ひなこはイラストを描いては塗りつぶす。
「ひなこ先輩……そんなに力強く塗ったら裏にしみちゃいます……」
「う」
ひなこは藤花の作品を見た。カラフルなペンやスタンプでデコレーションしたカードだ。
「とっとちゃん上手だなぁ。あたし、やり直そうかな……」
手元を隠すひなこに、児童が言った。
「いいじゃんー。僕らと同じくらい上手いよー」
「えっ? いやいやいや! あたしこれでも高校生なんだよぉっ!?」
机に突っ伏し、じたばたとするひなこを見て、児童たちが笑う。
一方、アイディアが浮かばないのか、準備開始から十五分が過ぎても手が動かない児童もいた。公はそっとその子の肩に手を置いた。
「迷ってる? まず折り紙を選んでみましょうか。何色にする?」
「赤がないの……」
「赤い折り紙?」
児童がこくん、とうなずく。
先生にもらってきますね、と公は微笑んだ。
隆道と幸桜は、折り紙を切り抜いたペーパークラフトの用意にいそしむ。
はさみを握った幸桜の手から、キャラクターの切り絵が次々と生み出される。
「次、何を作ってほしい?」
「ぞうさん!」
「きりんさん!」
「ラッコ!」
「ステゴザウルス!」
「ステゴザウルス? ……ってどんな恐竜だったか、僕覚えてないなぁ……」
「こはるちゃん知らないの?」
「うーん、教えて。ここに描いて見せて」
「いいよー。草食なんだよ」
静流と恭弥は、隆道と幸桜が作ったペーパークラフトを、「谷田さん、わたなべくん、おたん生日おめでとう」と書かれた黒板に貼ってゆく。
色紙で作った輪をつなげた鎖飾りを天井から吊るすにあたっては、二人の長身が生きた。
「もうできちゃいましたか?」
それぞれ一枚のバースデーカードを作成するだけの陽子と当馬が、カード作りを終え、手持ち無沙汰になっていた。焔寿は二人を誘い、一緒に教室の飾りつけを手伝う。
隆道は風船を膨らませ、動物の姿を作り始めた。バルーンアートと呼ばれる技術だ。細長い風船が犬やうさぎの形に変わってゆく。
「すごーい」
思わず子供たちが見とれるほどの鮮やかな変貌だった。
●Happy Happy Birthday!
焔寿は調理用ボウルを二つ合わせたお手製品のくす玉を掲げた。
「皆で『一、二の三』ってかけ声をかけてあげてね。せーの」
「いっち、にの、さーん」
二月生まれの陽子と当馬がひもを引く。
くす玉が割れた。紙吹雪が舞う。
同時に教室の後ろでメンバーがクラッカーを鳴らす。
藤花は、折り紙の金色を使って作ったメダルを主役の二人に渡した。
「お誕生日っていうのは、その人が一年で一番幸せになれる日なんだよ」
陽子と当馬が照れた表情でうなずく。
「そしてうるう年がよくわからない皆のために紙芝居を作ってきました。手作りだからつまんないかもしれないけど、許してね」
焔寿に誘導され、陽子と当馬も椅子に座る。
藤花が紙芝居を取り出し、教卓で上演を始めた。
「これはとてもとても長生きをする龍たちから聞いたお話。
まだ日に名前がなかった昔、龍たちは毎日をのんびり過ごしていました」
子供たちは、始まった物語に惹き込まれ、お喋りもせずに紙芝居を見つめている。
第二場面は焔寿だ。
「毎年毎年、同じように過ごしていたのですが、いつの間にか人というものが暦というものを作り、日々に名前をつけました」
幸桜が引き継ぐ。
「それを見たある龍はおもしろそうだったので自分もそれを真似して日を数えることにしました。
長い年月がたったある日、お祝いしている春の日と季節がずれていることに気がつきました」
公の描いた色鉛筆画の龍が現れる。
「年月のずれはほんの少し。
長い長い時を過ごす龍だからこそ、そのずれに気づいたのでした」
物語制作者であるひなこがラスト二場面を担当する。
「でもずれを戻すために一年に一日増やすと、今度は多すぎてしまいます。
頭のいい龍は、日付のずれを計算して四年に一度だけ一日増やすことを考えつきました。
そして仲のいい人間にもこっそりそれを教えてあげたのです。
教えてもらった人間は日付のずれを知り、四年に一度だけ二月二十九日を作り、その日を盛大にお祝いすることにしたのでした。……おしまい」
伝わっただろうか。息を呑みながら、ひなこは台本から教室内に視線を戻す。
一心に紙芝居を見ていた児童たちが、手を打ち鳴らした。よかった、楽しんでもらえたようだ。
拍手が治まった後、メンバーたちは補足の説明を行った。
「うるう日が誕生日の場合、それ以外の年は前後の日にお祝いを行うことになっているよ」と静流。
「うるう年がないとね、日にちがずれてみんな困っちゃうんだ〜。四年に一度だけ来てくれる陽子ちゃんのお誕生日はすごく大切なんだよ」
ひなこの言葉に、陽子が嬉しそうに笑う。
焔寿は去年と今年のカレンダーを見せながら言った。
「四年に一つしか年を取らないというのも魅力的ですが…皆と一緒に進級できないのはイヤなのです」
窓際に立つ隆道が続ける。
「陽子ちゃんの誕生日は四年に一度。本当のことを言っていたって、皆わかりましたよね。『嘘つき』って言ったことを謝れますか?」
うん、謝る、と児童たちがしおらしくうなずく。
焔寿が前に出た。
「仲直りのための魔法の呪文があります。『ごめんなさい』って一言です」
「……ごめんなさい」
子供たちは陽子に謝意を伝える。陽子は目をうるませて答えた。
「もう怒ってない。あたしの誕生日、四年に一度しか来ないけど、四月になったら皆と一緒に三年生になりたいな。ずっとずっと、皆と一緒がいい」
「さぁ、ケーキだよ!」
幸桜はケーキのおおいを取り去った。
現れた動物の絵に歓声が上がる。
四つのケーキのうち二つには「ようこちゃん、おめでとう」、「とうまくん、おめでとう」とメッセージを書いたチョコプレートが飾られている。
隆道が用意した音源を流す。『ハッピーバースデー』の前奏だ。
全員で歌う。音程は不ぞろいだが、誕生日を祝う気持ちは一つだ。
恭弥は後ろの壁に寄りかかり、表情を変えずに合唱を聴いていた。
「さっき作ったカードを集めるね。陽子ちゃんと当馬くんにプレゼントしよう♪」
ひなこがカードを回収する間、幸桜はケーキを手早く切り分けてゆく。一つを十等分し、四十切れの用意となる。
「ケーキを受け取った子は自分の席に戻ってね」
もちろん陽子と当馬のお皿には、チョコプレートつきの特別なケーキが載っている。
児童たちははしゃぎながら、お菓子に手を伸ばす。
2Lサイズのペットボトルは子供の手には重く、メンバーたちは要請に応じて児童たちのコップに希望の飲み物を注いで回った。
公が教室の後ろにカメラを構えた。セルフタイマーで集合写真を撮影する。
陽子と当馬の胸には、金色のメダルが光っている。全員が納まった記念の一枚は後日、プリントアウトして配布することになった。
「最後にみんなでお片づけです!」と幸桜が言うと、児童たちは抵抗した。楽しい時間が過ぎるのは早いものだ。
「お姉ちゃんたち、帰っちゃやだー」
泣き出す児童までいる。
「大丈夫、同じ学園にいるんだもん。いつでも会えるよ」
「また遊んでね」
「うん、約束する」
ひなこや幸桜が児童と指切りをするそばで、恭弥は黙々とゴミを分別してまとめている。
「風船の欲しい子供には配ってしまってください」
そう告げた隆道に、教師が満面の笑みで答えた。
「私も一つ持って帰りたいくらいです。今日は皆さん、本当にありがとうございました」