●祭り会場 入口
「じゃ、自然な感じで動いてください。3、2、1」
ディレクターがキューを出す。
(ヒナちゃん緊張してるなー。右手と右足が一緒に動いてる)
ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は、隣を歩く川内 日菜子(
jb7813)に視線を向けた。まれに見るガチガチな様子だ。
「わ、私なぞカメラに映したって、需要ないだろう……」
そんなことないよ、と言いたいのを呑み込む。
友人間のことで喧嘩して以来、日菜子との仲は多少ぎくしゃくしていた。
恋人同士のツーショットを撮ると言われてひらめいた。
こういった演技は彼女の得手ではないのはわかっているものの、ラファルの相方は日菜子以外にはいないわけで。
「ごめんなーヒナちゃん、依頼でしかオフが取れなくてさー」
多忙なラファルとしては、二人で過ごせる時間にうきうきしているのも事実。
「せっかくだから今日は、ヒナちゃんのやりたいことしようよ。ヨーヨー釣り? 金魚すくい?」
にぎわう屋台を冷やかして歩く。
日菜子が足を止めたのは飴屋の前だった。
「俺が買うよ」
早速買い求めた赤い飴を日菜子に渡す。
「ラルは?」
「俺はいいの。ほら、これでおそろいになったよ」
ラファルは自ら纏った浴衣を指さした。白い地にリンゴ飴が鮮やかに染められた柄だ。
テレビカメラがモデルたちを追う。
“夏の恋が一歩進む瞬間”をとらえるために――
●学園
高柳は困惑していた。
巫 聖羅(
ja3916)に撮影時の相手役を頼まれ、もちろん快諾したのだが、当日になって問題が生じた。
「それじゃ絵にならないわ。先生も浴衣よ浴衣! 夏祭りなんだから」
長い髪を二つに結い上げ、黒地の浴衣に赤い帯を締めた聖羅は当然といった顔で一歩も譲らない。
「持っていないものはどうしようもないよ。誰かに借りるか」
そこへ現れたのが、雁鉄 静寂(
jb3365)が手配した着付け師だった。男性用のレンタル浴衣もあるという。
あっという間に鼠色のレトロな浴衣姿になった高柳を見て、聖羅はうなずく。
(これで格好はついたわね)
「さあ、出発よ先生! シチュエーションは頭に入っているかしら?」
(小学生時代の学芸会くらいしか演技の経験がないから不安だけど)
「……年の差のある幼馴染みカップルだったよな?」
「お互いを意識し合いながらも素直になれない感じで、ね」
「ああ、努力するよ」
(そういえば、先生の演技力も未知数だわ)
●祭り会場 逆バンジー
会場の端には、静寂とリョウ(
ja0563)が中心となって準備し、商店会に設置してもらった『ドキドキ逆バンジー』がそびえ立つ。
二人が作ったチラシの効果もあってか、アトラクションの前には早くも行列ができていた。
「安全確認を兼ねて、わたしたちも体験しておきましょう」
「職業柄、飛び降りたり壁を駆け上がったりすることは多々あるが……打ち上げられるのは初めてだな。楽しみだ」
リョウと静寂は二本の塔の間に支えられたゴンドラ型の搭乗席に座った。
「体験者には手を繋いでもらい、お互いの心拍音を聞かせる仕掛けを用意しています」
「テレビの視聴者にも心臓の音がわかるのか?」
「はい。心拍音つきのバンジー実況放送です」
屋根のないゴンドラはゴム紐で塔に結ばれている。紐の伸縮性を利用した上下動で、空に放り出されるようなスリルを味わえるはずだ。
撮影隊のカメラチェックが始まった。
――数分後。
「……あれが飛ぶ感覚というものかな」
「気持ちよかったですね。応じて頂き有難うございます」
「なかなか得難い経験だった。こちらこそありがとう」
動きの止んだゴンドラからリョウが先に降りる。二人とも終始冷静な実況を続けたものの、互いの心拍音を聞き、体温を分け合う手はわずかに汗ばんでいた。
「安全面もばっちりです。心拍数は計測できましたか」
撮影クルーがOKサインを出した。
アトラクションから離れても手を握ったままのリョウに、静寂は戸惑った。
(――リョウさんの右腕になりたい。今はまだ距離を測りかねているけれど)
鍵をかけるように秘めた淡い想いを、いつか解き放てる日が来るだろうか。
「お、雁鉄、浴衣の手配ありがとう。助かった。君たちは着ないのか?」
ざわめく人波から現れたのは聖羅と高柳だ。
「今から着替えます」
「そうか」
聖羅が目を輝かせ、高柳の手を引いた。
「先生、逆バンジーですって! 参加しない手は無いわ。……ね?」
「ああ、乗ってみるか」
どうやら『吊り橋効果で心も急接近』企画は人気を集めそうだ。
●屋台が並ぶ通り
「加賀谷さんとお祭りに来るなんてなんだか楽しいですね。姉妹みたいなんてよく言われていたし」
「偶然だけど、この浴衣も似てない?」
「似てますね」
星杜 藤花(
ja0292)が着る浴衣は白地に金魚柄、加賀谷 真帆(jz0069)はピンク地に蝶の柄だ。
「今日は、結婚前の出来事を再現しようと思うんです」
「本当に結婚しちゃったんだものね〜。すごいなぁ」
「今更恋バナなんて気恥ずかしいですけど、せっかくなので、つきあい始める前という設定で楽しむことにします」
藤花が微笑む。真帆も微笑み返す。
しのぎやすい暑さで、蝉の鳴き声もひと頃よりは弱まった。
お面を売る屋台に立ち寄り、藤花がもふらのお面を買い求める。
「アニメのだっけ? かわいい〜。見てるだけで和むね」
「こういうのを集めるのも楽しいんですよね、お祭りって」
過ぎゆく夏の空気を吸いながらそぞろ歩き、やがて二人が足を止めたのは射的屋の前。
(料亭を営んでいた家にあった広いお風呂……恋しいな〜)
星杜 焔(
ja5378)は射的の一等賞「銭湯入り放題券」を狙っていた。
銃にコルクを詰め、深呼吸をしたところで現れたのは白い浴衣の二人だった。金魚と蝶。
「……焔先輩、こんばんは」
少し離れた位置からテレビカメラが向けられているのに焔は気づいている。
撮られている間は、非モテ騎士友の会に所属していた頃に戻る設定だ。藤花とはまだ友人関係だった。
「二人とも浴衣似合ってるねぇ」
「ありがとうございます」
声をそろえる二人に、焔は銃を下ろして訊ねた。
「藤花ちゃんと加賀谷さんも射的やるの?」
「いえ、わたしはからっきしですから」
「私も無理無理」
(でも欲しいものがあるんだろうな)
焔は微笑みかける。
「取ってあげるよ」
「え、わたしたちに?!」
「うん。どれが欲しいの?」
藤花がおずおずとロップイヤーのウサギのぬいぐるみを、真帆が貝殻のヘアピンを指さす。
「わかった」
次の瞬間、焔の外見が変化した。アウル覚醒前の銀髪碧眼に戻り、段に置かれた的へ狙いを定める。
(……この姿なら、星になった父さんと母さんにも俺を見つけてもらえるのかな)
よぎる想いは遠くへ。意識はどこまでも研ぎ澄ませて。
――手応えあり。
「兄ちゃんすごいな! お嬢さん方、おめでとう」
眺めていた他の客からも喝采が上がった。
焔にプレゼントされた賞品を抱え、藤花と真帆が顔を見合わせて嬉しそうに笑う。
「先輩……?」
気づけば焔は姿を消している。藤花はあたりを見回した。夕陽がまぶしい。
(こっそり『絆』でフォローしていたこと、気づいたのでしょうか)
陽が傾いた頃、一台のカメラが人混みをかき分けて進む二人を追いかけていた。
「聖羅、ちょっと待て」
「基ったら、これしきで疲れたの? 意外と体力ないんだから」
「お前の荷物持ってるんだぞ? 綿飴にイカ焼きにかき氷……食べかけのまま次々と買うのはやめろって」
「私、一口で充分なの。残りは食べてもかまわないわよ? あ、あれもおいしそう!」
「どんだけ食うんだ……」
幼馴染みの日常会話である。
少女が青年を強引に連れ回すのも、いつもの光景。主導権は常に、年下の聖羅にある。
(モデルなんて務まるか心配だったけれど、なかなかうまく演じられてるわね)
「ったく……バンジーではあんなに怯えてたくせに」
ぼそりとつぶやく高柳の声は演技に聞こえない。聖羅はいぶかしむ。
(……さっきのあれは本気じゃないわよ? もしかして先生、誤解してない?)
「べ、べつに怯えてなんか」
(企画として受けそうだと思って、大袈裟に怯えて見せただけなんだから!)
ひそかな意図を知ってか知らずか、高柳はかき氷を食べている。歯にしみるのか、しかめ面だ。
頭上にしゅるしゅると火の玉が上がった。
(あら、もうそんな時間)
始まった花火を見ようとして、付近の客が一斉に移動する。
「きゃ」
人波に押し流されそうになった聖羅の腕をつかむ手があった。高柳だ。
「あ、ありがと」
「……離れるなよ」
思いがけず力強く引き寄せられる。
見つめ合う数秒。
浴衣越しに伝わる体温。
(今のタイミング、ぴったりだったわよね! いい感じに撮れてるかしら)
ラファルと日菜子に密着していたカメラは、アクシデントを収めていた。
さんざん歩き回った挙句、ラファルの下駄の鼻緒が切れたのだ。
「歩けない。参ったな」
(裸足で歩くしかねーか)
腹をくくったそのとき。
「ほら」
ラファルの足元に、日菜子がしゃがみ込んだ。
意図はわかる。わかるが、ラファルはためらった。人前だし。
「ヒナちゃん……いいの?」
「ほら」
促され、ラファルは日菜子の背中におぶさった。浴衣の裾が割れる。
この依頼がテレビ番組の撮影だと知ったときにはあんなに緊張していた日菜子だが、今は堂々とラファルを背負っている。
(俺が本当に困ったときには、手を貸してくれるんだよなー)
日菜子の肩越しに見る景色は、さっきとは違う。
(こんなに広い背中だったっけな)
ラファルは前に回した手にぎゅっと力を込めた。
●花火鑑賞席
波が寄せては返す。
静寂は持参したペットボトルの麦茶の一本をリョウに渡した。
「ありがとう」
寄り添う二人が座るのは正面のブロックではない。鑑賞席のはずれ、人影がまばらなロケーションだ。
静寂が選んだ白地に紺の金魚模様の浴衣姿を、まっすぐ褒めてくれたリョウ。
――雁鉄は似合っているな。普段とはまた違った装いが凄く綺麗だ。
(凄く綺麗……なんて)
そのときはとっさに照れてうつむいてしまったけれど、本当に嬉しかった。
浴衣を着慣れていないらしく、おかしくないか、と気にしていたリョウだが、黒地に流れ星の柄はよく似合っている。
空を染める花火を見つめる二人の横顔を、撮影クルーの望遠レンズがとらえる。
「咲いて散る一瞬の美があります」
「穏やかで平和な時間。世界はこうあるべきだな」
「平和が早く訪れますよう」
「いつか必ず、誰もがこんな時間の中を生きられる世界を取り戻そう」
真摯な言葉に嘘はない。
戦闘では背中を預けられる存在だ。今、二人の想いは同じだと感じられた。
(一歩には満たない、半歩ほどの距離かもしれませんが、リョウさんに近づけた気がします)
リョウが微笑む。
「誘ってくれてありがとう。君のおかげで久しぶりにこんな時間を過ごせた」
「おつき合い頂き感謝します」
静寂は今日のできごとを振り返る。
(わたしたちは何度、『有難う』と伝え合ったでしょうか)
本来は「滅多にない」「珍しくて貴重」という意味を持つ言葉だ。
「これからもよろしくな」
「はい」
これからも――そう、これから先も、夏祭りの穏やかなひとときが儚く消えるのではなく、形を変え、色を変え、繰り返されるよう願う。
高台に立つ焔の周りに、虹色の花畑が現れた。夜に舞う無数の花びらを目にして、撮影クルーたちも息を呑む。
海上に咲く花火にも劣らない、現実と幻想が渦巻くスペクタクルが始まる。
焔の前に現れたのは幻の騎士たち。
そのうち一人は、焔が孤児になってから初めて仲良くなれた女の子にとてもよく似ていた。纏う鎧に刻まれた意匠はライラックの花だ。
(懐かしいな……。学園に来る前、妹のように可愛がっていたっけ)
焔は左耳のイヤーカフに手をやる。この片割れは、今もあの娘と供に眠っているだろう。
「焔先輩……!」
声の方を向くと、藤花がいた。
(あの娘を思わせるたたずまいだ……)
「お姉ちゃんとはぐれちゃったのかな」
「いいえ、加賀谷さんはご用事があるそうで、別行動にしたんです。先輩は……? ひとりぼっち、なんですか?」
ひとりぼっち。
(藤花ちゃんの瞳に映る自分は、どう見えるのかな?)
焔は笑い、答えをはぐらかす。
「先輩、今どんな顔しているか分かっていますか。笑ってるのに、すごく寂しそうなんです」
「……亡くなった人は星になるというけれど」
焔は背中に表出させた白い翼を羽ばたかせ、宙に浮いた。
星は花火よりも遠い。手を伸ばしても、その高さには届かない。
「とても遠くて……会いにいけないね」
失われた命とは二度と話せない。
ふと見下ろせば、眼下が美しく輝いていた。
「藤花ちゃん?」
「……」
静かな祈りのように放たれ、あたりを照らす光の輪。
(地上にも星があるんだね)
藤花が作る輝きは綺麗すぎて、自分が踏み込むのはためらわれる。
でもきっと、彼女は伝えようとしている。
過去にとらわれていてはいけない。新しい一歩を、と。
焔は大地を踏みしめる。
藤花の方から手を握ってくれた。
「わたし、傍にいてもいい、ですか……?」
目の前に咲く花はライラックではなく、藤の花だ。
「先輩は一人じゃないです」
それは救いの言葉。
「――俺、好きになっても、いいのかな」
「もちろんです……」
(ちゃんとプロポーズした覚えがなかったけど……)
何度聞いても飽きないおとぎ話のように、恋を顧みる度、愛しさはあふれる。
●男子寮
今日が放送日だ。リョウはテレビをつけた。
オープニング音楽と共に『恋愛バラエティ ジャッジ・ラブ! 〜僕らのナツコイスペシャル〜』が始まった。
――今回のロケ地は久遠ヶ原島。まずご覧いただくのは、年の差幼馴染みカップル。兄妹のような二人の関係が、夏祭りで一歩進展する瞬間をお届けしましょう。
高柳が聖羅を抱き寄せる。
教師の役得を見せつけられたような気もするが、制作側としては調理しやすい素材だったと思われる。
続いて、焔と藤花による七色の幻燈劇。高台でこんなやり取りが行なわれていたとは知らなかった。撃退士ならではの映像だ。
『恋人に惚れ直す瞬間』として紹介されたのは、ラファルが日菜子に背負われている図だった。
スタジオの芸能人たちがきゃあきゃあ騒ぐ。
――普段は甘い言葉をささやいたりしない恋人にいざ助けられたら、ときめきも倍増だよね!
――最後に、スリル満点で大人気だったドキドキ逆バンジーの映像をお送りします。乗った後、二人の距離はどう変わるのか気になりますね。
画面の中の自分と静寂は、平然と手を繋いでいるように見える、が。
(雁鉄の鼓動はこんなに大きかったのか )
当日は気づかなかった驚きに包まれるリョウだった。
じきに夏が終わる。
恋の芽が育ち、やがて実るとすれば、それは次の季節の話だ。