●彼女の依頼
先輩が残した言葉――青いノートの文面を何度読み返しただろう。
雁鉄 静寂(
jb3365)は自分の死について深く考えたことはないが、エンディングノートが故人と生きている人を繋ぐためのものだという点は理解している。
「学園の後進たちに譲ります」の一言が象徴するように、後輩として穂積佳苗の想いを受け止めたいと思う。
形式としては教師からの依頼だが、元は佳苗から後輩への依頼ともいえる。
十二月初旬、雲が空を覆う寒い日。
遺品整理を請け負う六名は佳苗の住まいを訪れた。都内のマンションだ。
鍵は大家から受け取った。月居 愁也(
ja6837)が扉を開け、壁のスイッチに触れた。
学園内の寮でも見る1DKの間取りだ。
しかし――
「……シンプルな部屋、やね」
志摩 睦(
jb8138)がつぶやく。物が少ない。
(エンディングノートなんて書くくらいやし、いつ死んでもえぇ様にしとったんかな)
たたんだ布団一式の横に文机がある。机の上には電源の抜かれたノートパソコンが置かれている。
借主が戻らなくなって久しい部屋は静まり、寒々しい。睦は自らの手でそっと両腕を覆った。
「私たちの作業が終わるまでは電気や水を使えるよう取り計らってくれているそうだ」
リーガン エマーソン(
jb5029)は落ち着いた足取りで入室する。
(別れは世の常とはいえ、やはり時として理不尽であることは避けられないものだ)
水色のラグマットに体重を載せる。足裏の感触、生きているからこそ得られる感覚。
(戦に身を置く者としては良くわかっているつもりだが……)
「煙管でも吸ってから始めましょうか」
窓際に立った加茂 忠国(
jb0835)は不承不承の態度を隠さない。彼女の「準備」に到底納得できないからだ。
(三十になって間もない女性が書く物じゃないでしょうに)
初めてノートを見たときから、気づけば心の内で佳苗を叱りつけている。
海外へも行きたがっていたと、高柳が佳苗の夢を教えてくれた。
もっと人生を楽しめるはずだったのに、まるで早く逝くのを見越していたかのような遺言が忠国を苛立たせるのだ。
(本当に……馬鹿な方だ)
天界から下ったという立場は、樹月 ルミナ(
jb3876)を慎重にさせる。
ルミナは、話すことのかなわない相手に向かって呼びかけた。
(命を尊ぶ態度に種族は関係ありません……私はそう信じて生きています)
自らの信念を確かめた上でなければ、今回の依頼はこなせない。
(だから、佳苗さん……私が貴女の心に、想いに触れること……どうか許してください)
乞いつつ、壁際に積まれた本を手に取る。
静寂は文書類からてきぱきと整理を始めた。
祖母の穂積千代子からの郵便物以外に、環境保護団体の刊行物が見つかった。
続いてパソコンを起動させる。
メールの交換相手は数名おり、皆、佳苗と同じフリー撃退士のようだ。実務的なやり取りが多いが、必要な個人情報を別途記録しておく。
佳苗の知人リストが徐々にふくらむ。順次、訃報を伝えることも考えなくてはならない。
「デジカメ……?」
棚に置かれたデジタルカメラを手にした睦は、慣れた様子で操作すると感嘆の声を上げた。
「ぎょーさん撮ってあるなぁ」
撮影場所は各地に及んでいた。水辺の景色、緑深い山中、道沿いの緑地。撃退に赴いた先で任務の合間に撮影したのだろう。
野生動物の一瞬のシャッターチャンスをとらえた写真が多くあった。鳥は種類も問わず多数、その他にリスや猿、鹿、ヒグマらしい数枚もある。
「……うち、この写真整理するわ。環境保護団体に寄付出来そうなもんと、御家族に遺品として渡せるもんに分けとく」
睦がカメラを持って部屋を出てゆこうとする。パソコンを使える環境で作業するつもりだ。
「あ、接続ケーブルはありますよ」
忠国に呼び止められた睦は立ち止まり、カメラの付属品ケーブルを受け取る。
「……シンプルなアルバム買うて、ピックアップした写真印刷して入れるわ。高齢の人でも見易い様にアルバムに収めようかな思う」
それはいいね、と愁也が応じる。手伝おう、とリーガンもうなずいた。
「志摩さん」
静寂が睦を手招きした。これ、とパソコンの中身を見せる。
静寂から受け取ったマウスを動かし、睦は画面をスクロールさせる。
佳苗が撮影したのだろう。時期によって分類された膨大な写真データがそこにあった。
「ほんまに写真、好きやったんやなぁ」
「メールの整理が終わったら、写真の整理に協力します」
おーきに、と睦は答える。
「ルミナちゃんが一緒ならやる気も200%ですよ!」
忠国のテンションが上がっていた。視線の先には、桃色の髪を束ね、細い指先でそっと遺品に触れるルミナの可憐な姿。
きょとんと見返され、忠国は震える。遺品整理よりもルミナを口説く方に注力したいところだ。
しかし他のメンバーに囲まれた状況でいつまでもそのモードではいられない。
「加茂さん、本の間に何かはさまっていないか、確認をお願いしますね」
「あぁ了解です。やだなぁ、ちゃんとお仕事はしますってば」
手を動かしながら忠国は笑う。
「丁寧に扱いますよもちろん」
ルミナは一つ一つの品に残る佳苗の想いを汲み取ろうと意識を澄ます。天使だから出来る芸当、なんてものではない。
ゴミとして処分すべき本はほとんどない。持ち主がどれも大切に扱っていたとわかる。そのまま学園の図書館に寄贈できそうだ。
「佳苗さん、きっと……優しい人だったんですね……」
丁寧に生きていた、穂積佳苗という存在。もしかすると自分もそんな人柄の“ヒト”になりたくて、この世界に来たのかもしれない、と思う。
本の仕分けを終えた二人は、衣類の整理に移った。
ルミナはクローゼットを開き、廃棄かリサイクルか、さらに季節ごとに一点ずつ判断する。
箱へつめるのは忠国の担当だ。
こまごまとした作業が進む横で、愁也とリーガンが布団や箪笥、机を運び出す。
できるだけ内装を傷つけないよう注意深く抱え持つ。
カーテンの取り外しも済み、全ての品が運び出された後に残ったのは、小さなサボテンの鉢が一つ。
「形見として千代子さんに持っていく許可を取ろうか」
リーガンの提案に、全員がうなずく。
この鉢を持って六名が部屋を出れば、故人の生活の痕跡は何も残らない。遺品整理はそういう作業だ。
手際よく第一段階を終えた面々だが、部屋を片づけて完了ではない。この先は後輩としての腕の振るいどころだ。
「この部屋で穂積さんは何を考えてたんでしょうかね。あぁ雨が降りそうですねぇ」
忠国が四角い窓に切り取られた空を見上げ、つぶやいた。
●涙雨
忠国とルミナが粗大ゴミの手続きと、学園内で物資不足に苦しむ寮への物品搬入を終えた頃、冷たい雨が降り出した。
「さて……寝てる暇はねえかも」
愁也は、学園の記録と撃退庁関連のデータベースから佳苗が関わった依頼を洗い出す作業に取りかかっていた。
各地で頻発する天魔事件はこの十年弱でおびただしい数に上る。関わった撃退士は数知れず。大勢が踏み荒らした地面に這いつくばり、一人の足跡を追う執念にも似た調査だ。
時系列で記録をたどってゆくと、入学後半年近く、佳苗が撃退士としてのジョブを決めかねていたことがわかった。
ある時期以降、阿修羅としての佳苗が記録に登場する。道を選んだ後の彼女は、2010年の卒業まで定期的に天魔討伐に出ている。
その区切り目となる依頼が、佳苗にとって何らかのきっかけだったのではないだろうか。
愁也は「白ウルフ出没案件 No.7」と記された依頼に同行した撃退士の名をピックアップする。
データベース経由の問い合わせと同時に、高柳にも連絡先を知っていれば教えてほしいと言伝をした。返答を待つ間も休む気になれず、静寂がまとめたリストから、佳苗がメールを交わしていた撃退士に連絡を取る。
どんな戦い方をしていたか聞けば、阿修羅の道を同じく選んだ者として感じ取れるものがあるはずだ。
「……周囲をよぅ見とる人やからこそ、いつか来る終わりを、誰よりも早く見てもうたんかな……」
「何か?」
静寂が顔を上げる。睦は首を横に振った。
「あー…、独り言。これが寄付するもん、頼むわ」
思ったより長い時間を要したが、環境保護団体に寄贈する画像データを静寂に渡し、ようやく写真整理の完了だ。
明日からは千代子へ渡すアルバム制作を始める。
ルミナは傘を差し、佳苗を知る人物を尋ね歩いていた。
佳苗が自宅の台所を使っていた形跡は薄く、外食が多かったと思われた。学園提供の写真を頼りに、飲食店へ聞いて回る。
「この女性をご存じですか? 憶えていることがあれば話していただけませんか?」
戦う場面以外の、佳苗の暮らしぶりを知りたい。
好きな食べ物や、些細な日常会話のかけら。ありのままの姿を探し出し、遺族に伝えようと思う。
翌日、小雨が残る中、静寂は佳苗が支援していた環境保護団体の事務所を訪ねた。
電話で訃報は伝えていたが、担当者は肩を落としていた。
「本当は学生時代から、先輩もここで働きたがっていたそうです。天魔絡みで自然が壊されるのは辛かったんでしょうね」
静寂は持参したDVDを取り出す。
「先輩が撮影した野生動物の写真を持ってきました。よく戦闘後に生態系の心配をしていたようです」
「おぉ、ぜひ見せていただきたい!」
腰を浮かせる担当者に、静寂は頼んだ。
「もしよろしければ生前の先輩の話を聞かせてもらえませんか」
「もちろんです」
写真を見ながら撮影者を偲ぶひとときは雨音に包まれ、長く続いた。
佳苗の活動記録をまとめる愁也のところへ新たな情報が届いた。佳苗のメール仲間からの返信に、彼女がこぼした言葉があった。
『自分は剣であると同時に、盾でもありたい』
欲張りで傲慢な考えかもしれないが、近接攻撃を中心とする愁也にとっても理解できないものではない。結果、佳苗は単身で敵の群れを相手にし、命を落とすことになったのだが。
彼女は常に死を隣に感じていたのかもしれない。
戦いの合間に遭遇する野生動物は、佳苗の目に、生きている命そのものの輝きとして見えたのか。
リーガンは睦と相談の上、選んだ写真をアルバムに収まる最大範囲で印刷した。一枚ずつ貼りつけてゆく。豊かな自然がどのページにもあふれている。
サボテンを形見として届ける許可も得た。
傭兵時代、多くの仲間を送った経験がこの学園に来てからも活かせている。
高柳の紹介で、真島有登というインフィルトレイターが時間を作ってくれた。
「ユーが月居くんだね」
口調に特徴のある男だった。彼は学生時代の話をした。後衛ばかりがそろった戦で、ジョブが未定の佳苗が躍り出たこと。
「ミーも大活躍したけど、あの日の穂積の健闘にはかなわないね。目立つのを避けてたくせに、肝心な場面で全部持っていったよ」
身振り手振りで真島が語る佳苗の立ち回りは気迫に満ちていた。
その後も数名の話を聞き、愁也は不思議な感慨を覚えていた。
先に逝った一人の先輩の人生をとらえようと追いかけた。
この依頼により、彼女を知る者が少なくとも六名増えた。自分たちが動くことによって、彼女を思い出す関係者もいたはずだ。
愁也は雨上がりの空を見上げる。
死後も、故人の存在が広がってゆく。それはまるで――
●京都
愁也の運転する車で、六名は京都へ向かう。途中、リーガンが代わってハンドルを握り、愁也は休憩を取った。
佳苗の後輩だと名乗ると、千代子は快く面々を家へ上げた。
事実と経緯はリーガンが伝えた。
孫を送る悲しみなどまだ想像もつかないが、常に礼儀を備えた振る舞いはリーガンの特質だ。感情を抑え、淡々と話すリーガンの言葉に、千代子は耳を傾ける。
伝達が終わり、しばらく沈黙が続いた。
「長く生きていると、悲しみをいくつも知りますね。手紙の返事がないから、最悪のことも想定していました」
千代子が事実を受け止めたのを察し、一行はアルバムとサボテンの鉢を渡した。
リーガンが再び口を開く。
「直接の面識もないのに想像で勝手なことを言うのをお許しいただけるなら、私は彼女がとても優しい人であった、と思いました」
「皆さんも、とても優しい方ではないですか。準備して、遠いところを来てくださって」
千代子はアルバムを開き、ゆっくりと微笑んだ。
「そう、動物がね、好きでした。あぁ、あの子が撮ったんですね」
「穂積さんが撮ってきた写真をネットに上げて色んな方に見てもらうのはいかがでしょうか」
忠国が尋ねる。そんなことができるんですね、と千代子は軽く驚き、快諾した。
「本当に素敵な写真がたくさんあるんです」
静寂が魅力を言い添える。睦は黙って儀礼服の袖を握る。
(……何言うて良いんか…ほんまに、分からんねん。……こころは、むずかしい……)
大切な人を失った気持ちも、大切な人を置いて逝く気持ちもわからない。精一杯作ったアルバムを千代子が喜んでくれたようで、それだけはほっとしていた。
ルミナは佳苗の日常を語った。一人で定食屋に行く様子や、さっぱり明るい態度で皆に好かれていたことを。
千代子が受ける衝撃が激しいようならマインドケアを施そうと考えていたが、六名の態度が功を奏したのか大丈夫のようだ。
愁也が、佳苗の撃退士としての活動記録を渡した。千代子は眼鏡をかけ直す。
「剣であると同時に、盾でもあろうとして、いざというときは前に出る。広く心を配れる、目立つことは嫌いだけど芯の強い、潔い人でした」
最後の依頼まで追いかけた愁也は、言い切る自信を得ていた。
「佳苗さんの『生』が、ここにあります」
「……知らないままでなくてよかった。ありがとうございました」
千代子が深く頭を下げた。
七名は関わり合い方こそ違えど、佳苗の人生に触れた。彼女は消えていない。いつだって思い出せばそこに彼女は生きているのだ。
●想いの余地
帰りの車では、佳苗が野生動物の撮影にこだわった理由について意見が交わされた。
そこに純粋な『生』があるからだと考える愁也。
家族を失った喪失感を埋め、昔家族と見た景色を形にしたかったのではないかと述べる忠国。
真相は明かされないが、彼女が撮った写真は残っている。
学園に戻るなり早速、忠国は画像のアップロードを開始した。
ネット上で写真展を開催すれば、彼女の撮った写真は世界中どこからでも見てもらえる。
「これで彼女の夢を叶えたと思うのはおこがましいでしょうか」
(後悔しない生き方を、というのは俺も同じ。でも)
愁也は佳苗と違う一点を強く感じていた。
彼女は『帰る場所』を作っていなかった。これから作るつもりだったかもしれない。
「埋まらない」のではなく「埋めていない」ノートだとすれば、その空白にあったものは未来だ。
そんなことを考えながら、愁也は仲間と待ち合わせ、高柳のもとへ報告に向かう。