●with Milk?
冷気をまとって入ってきたのはアスハ・ロットハール(
ja8432)。
「遅れてしまったが、オープンオメデトウ、カガヤ」
「来てくれたんだ、いらっしゃいませ!」
「……流石にこの悪天候だと盛況、とは言えないかな?」
「ご覧のとおりアスハさんが今日のお客様第一号です。どうぞこちらへ」
真帆に案内された暖かい席に座り、アスハは店内を見渡す。丸テーブル、猫用の玩具。居心地は悪くない。
(メフィスを呼ぶ、か)
携帯電話を手に取ったアスハは、履歴を埋める妻の番号を選択した。
「こんにちは、すごい雪だね」
二人目の客は桜木 真里(
ja5827)。プラチナブロンドの髪から滴が垂れる。
「タオル使いますか」
大丈夫と微笑み、真里はメニューに目を走らせる。どれも甘いです、の表記が目立つ。
ちょうど甘いものが欲しかったところだ。真里はシフォンケーキと、甘いロイヤルミルクティーを注文すると、仔猫の甘え声に顔をほころばせる。
真帆がアスハにコーヒーとフレンチトーストを出し、真里の紅茶を入れたところに女子の来訪が相次いだ。
桐原 雅(
ja1822)はコートを脱ぎ、待ち合わせ相手がまだ到着していないのを確かめる。
華成 希沙良(
ja7204)は室内を横切るミルクを見て一瞬表情を固めた。メニューにハーブティを見つけ、おずおずと席につく。
「ミルク様、よかったね。退屈せずに済むね」
真帆の言葉で猫の名を知った雅は、撫でさせてもらおうと手招きする。気まぐれ猫は首をかしげ、ととと……別の方向へ駆けてゆく。
「待ち合わせ? もしかして久遠さんと?」
真帆の問いに雅がこくんとうなずく。進級試験前の勉強会の夜、雅と久遠 仁刀(
ja2464)も共に机を並べた。あれから半年弱、二人の関係はどう変わったのか。
「着いたらスフレサービスするね。今日は甘いお茶会なの」
美森 あやか(
jb1451)は来店してすぐ、携帯電話に視線を落としてため息をついた。それでも指はメール返信の画面を開き、耳は他の客の会話をとらえている。どうやら今日、ねこかふぇに集ったメンバーは幸せな恋の主人公ばかりのようだ。
二枚重ねた膝かけに触れながら、希沙良がなれそめを答える。
「……ある依頼…で…御手伝い…を…させて…頂いたのが…きっかけ…です……」
「告白はどっちから?」
「……えっと」
希沙良は頬を染めたまま、ハーブティで唇を湿らせて言葉をつなぐ。
「彼の方…から…です。……クリスマスパーティ…で告白され…ました。……とっても…嬉しかった…な……」
「私の友達でもパーティで知り合って、さらにお茶会で親しくなった婚約済カップルがいるよ」
真帆が口にしたまさにそのとき、
「こんにちは〜。藤花ちゃんとかまくら作ってるんだけど、加賀谷さんもどうかなって」
来店したのは星杜 焔(
ja5378)、真帆が思い浮かべた二人の片割れだった。
「びっくり! 噂してたところ。かまくら…楽しそうだけど、夕方までここで店番なの」
焔は真帆の説明を受け、なるほどね〜と店内を見回す。
男性客は真里とアスハ、女性客は希沙良に雅にあやか。厨房に立つバイト学生はどうやらいない。
「手は回ってる? もしよかったらお手伝いするよ」
「助かります。らっちー兄さんも雪かきに行っちゃったし」
焔は真帆からエプロンを受け取り、
「藤花ちゃんもじき来るよ。ところで噂って?」
「えっと、つまり今日は相棒自慢のお砂糖会で……そこに座ってる希沙良ちゃんがクリスマスパーティで告白されたって言うから、星杜さん達を思い出しちゃった」
「去年の今頃だったな〜。ケーキ食べにきた藤花ちゃん見て、散弾銃持たせてみたいな〜と思ったんだよねえ」
「散弾銃? えぇ!? イメージが……」
「清楚可憐な森ガール、プラス散弾銃。そこがいいんだよ」
「星杜さんの萌えポイントって……!」
目を白黒させる真帆を見て焔は笑う。アスハがうなずく。
「意外な一面を知ると、また見惚れるぐらい可愛いし、な」
「そういえばアスハさんも気づいたら姓が変わっててびっくりしたよー。いつの間に?」
「初めて会ったときから、気になっていた、かな……僕にとっては誰よりも魅力的だった。今でも変わってないが」
「第一印象から決めてました、って感じなのね。いいなぁ」
「本当に、僕には勿体ない、素敵な女性、だよ」
そんな風に紹介されたーい、と身悶える真帆。
「正義感が強くて真直ぐで、家庭的で……お化けや虫が苦手という、可愛い一面もあったり」
(俺の彼女はそれに加えて絶叫アトラクションも苦手だな)
真里は胸の内でひとりごちる。
「あ、あやかちゃんの待ちびとは来られそう? さっきため息ついてたけど……」
水を向けられたあやかはカップをソーサーに置いた。
「授業がなくなりましたし、お兄ちゃんの予定聞いてみたんですけど……休止ゲートから現れたモノ退治だそうで…ここで待ってますってメールしたんです」
「お兄さん? ご兄妹なのね」
「あぁ、ごめんなさい。お兄ちゃんって言っても、あたしの恋人で、従兄ってことになってるんです」
「やっぱり恋人かぁ。表情が甘いもんね」
「孤児になったあたしを引き取って、ずっと育ててくれたひと。頼りになって、優しくて。あたしのことを一番大事にしてくれて……」
あやかの言葉は白い湯気に溶けてゆく。
猫好きの念を感じたのか、ミルクが雅の手に全身を預け、喉を鳴らす。
(最初はね、信頼できるひとって感じだったんだけど)
静かに雪が降り積もるように、いつの間にか好きになっていた。
「いつも見ててくれて、優しく包んでくれて、落ち込んだときには励ましてくれて……」
互いに恋愛初心者なこともあり、『お付き合い』では戸惑う場面もいっぱいだ。このお茶会の仲間のように、素直な気持ちを言葉にできたら――
雅は窓の外を見る。
「先輩は無茶してばかりで、ボクが護ってあげなくちゃって気もしちゃうんだよ」
「雅ちゃんの存在が久遠さんの支えになってるといいね」
「きっと支えになっている、だろう」
真帆の言葉にアスハがうなずく。
真里は学友達の醸す甘い空気に微笑む。
(幸せな気持ちって伝わってくるよね)
自然と思い出されるのは大切な彼女。その笑顔。
(一年前はこんなに大切な存在ができるなんて思ってもみなかったな……)
「桜木さん、今、誰のこと考えてますか?」
「え、うん、ころころ表情が変わるひとのことを……」
「可愛いひとですか?」
「そうだね。どの表情も可愛いけれど、やっぱり笑顔が一番好きだな」
「今日は待ち合わせしてるの?」
焔が訊ねる。
「いや、俺は甘いものが食べたくなって立ち寄っただけなんだ」
まさかのろけ披露のお茶会になるとは思ってもみなかった真里だ。テーブルの上のスイーツに負けない甘い話は、聞くのはいいけれど自分が話すとなると照れが先に来る。
●スフレのおいしい食べ方
「あたし、小さい頃からお兄ちゃんのことしか恋愛対象として見てませんでしたから。あたしのこと女性として好きだって言ってくれて本当に嬉しかったんです。16歳になったら結婚しよう、って」
あやかのプロポーズ報告に、今日初めて知り合った仲間からも祝福の声が上がる。
「でも浮かない顔してるのは何か不安なのかな?」
焔の問いかけにあやかが答える。
「怖いんです。今が幸せだから。お兄ちゃん、年齢忘れたって言ってるんですけど……どうも900超えてるみたいなんです」
親友にしか相談したことのない不安を打ち明けたのは、このひと達ならわかってくれると思ったから。いつもは目をそむけている心の奥底に沈んだ冷たい小石を思いきって握って見せる。
幸せな未来に影を落とすのは、悪魔の寿命。
「遅くなってごめん」
いつから聞いていたのか、美森 仁也(
jb2552)があやかの両肩を後ろから包んだ。
「お兄ちゃん!」
あやかは身をすくめ、仁也に向き直る。
天の定めた寿命を天寿というなら、悪魔のそれは何と呼べばいいのだろう。わからない。ただ一つ、仁也には言えることがある。
「無為に生きてきた900年より、あやかと歩く100年足らずの方が俺にとっては価値があるから」
一目惚れしたあやかと共に過ごすためにはぐれる道を選んだ悪魔は変わらぬ決意を瞳に宿らせ、お茶会仲間に一礼した。
「じゃぁ買い物行こうか」
財布を取り出し、あやかの分の支払いをしようとする仁也に、お代はいただきませんと真帆は返すのが精一杯だった。
「運命の恋……」
それまでの生き方を大きく変えてしまう出会いは、決して甘いだけのものではない。せつなく苦い。
ひとの世の儚さなど意に介さないミルクが真里の指をなめる。
「っと、この寒いのにどこへ行ってるかと思ったら」
扉から顔を見せたのはメフィス・ロットハール(
ja7041)。アスハが自慢の美人妻を皆に紹介する。
「よろしく。……あ、私にも熱いコーヒーをお願い。ブラックでね」
「呼び出してスマン。キミと家族になってもう四ヶ月、か。あっという間、だ」
恋する時間は早く過ぎるらしい。きっと二人は結婚してもまだ恋を続けているのだろう。
激甘スフレを真帆が持ってくると、アスハはスプーンを手に提案する。
「食べさせ合いでもしよう、か?」
照れながら応じるメフィス。
「来年も、その次の年も、その後も…ずっと、キミとこうしていたい……。なら、心配かけるな、と言われそうだが、ね」
「心配させてる自覚があるなら無茶しないでよ、まったく」
苦笑混じりにたしなめるのは、妻としてこれからもアスハの帰りを迎えたいから。アスハ以外の相手など考えられない。
「愛してるよ、メフィス」
最後の一匙は、さらに甘く。
仁刀とサガ=リーヴァレスト(
jb0805)が入ってきたのは、ロットハール夫妻が激甘の一口を分け合ったところで――
「悪い、遅れた」
まばたきして雅を見つめる仁刀と、迷わず希沙良の隣に腰を下ろすサガ。
待たされてすねた雅が仁刀を連れて席を移動する。
「遅いよ」
何をしていたのかと上目づかいで問う雅に、
「雪にタイヤを取られた車の脱出を手伝ってきた。遅れた分、色々希望があるならつき合おう」
仁刀が説明する。
よく見ると髪も肩も濡れている。困っているひとを放っておくことはできなかったのだろう。
優しいところを好きになった。それは本当のこと。
幼い屈折を反省し、雅は仁刀の手に触れる。指先まで冷えきっている。両手で包んで温めようとすると、仁刀の瞳が揺れ、手を引こうとする。
「希望につき合うって言った……」
先ほどの発言を盾に、雅は仁刀の手を離さない。
(つき合うって言ったのは俺だしな、仕方ない)
本当は嬉しい気持ちもあるが、恋人らしい行為にまだ慣れない仁刀は自分の心もごまかしてしまう。
「カップル専用のスフレ、ほの甘タイプです」
真帆が二人のテーブルに皿を運んできた。
(あ、他のひともいたの忘れてたよ)
雅はあわてて仁刀の手を離す。指に残る温度。照れくさい気持ちはすぐには消えない。
ハートの形のスフレにそっとスプーンを入れる。
好きなひとと分け合う味は、温かな想いとなって雅の胸を満たしてゆく。
「外…寒かった…でしょう?」
希沙良の温もりが移った膝かけを受け取り、サガは首を横に振る。
「有難う、この程度なら大丈夫だよ」
サガが希沙良の頭を撫でる仕草はまさに「愛でる」という表現が似合う。
「希沙良ちゃんは彼氏さんのどんなところが好きなの?」
「……影のある…ところ…かな……? 勿論、優しい…ところも…あ…意外に…照れ屋な…ところも…かな……?」
希沙良が指を折りつつ答える。
つまり全部じゃないの、と突っ込みたい言葉を真帆は呑み込む。
「優しいかはともかく、影があるのは昔からか……しかし、照れ屋か?」
サガが首をかしげる。当人にも見えない一面を知っているのは恋人ならではかもしれない。恋はときに鏡よりも雄弁に真の姿を写す。
「真帆先輩、遅くなりました」
「待ってたよぉ、あったまってって」
雪成 藤花(
ja0292)の登場により、焔は自分達のためのチーズスフレを用意する。
藤花と分け合うほのかな甘さは、どれだけ食べても飽きない味で。
「シキさん直伝か〜美味しい訳だねぇ」
「レシピどおりに作ったんだけど、星杜さんにほめてもらえてよかった!」
「うちでも作ってみるかな〜」
日々の暮らし。命の糧。
幸せになっても良いと教えてくれた藤花がそばにいる限り、何度でも焔は思い出す。救われた心はここにある。共に生きてゆく。
「焔さんのお料理も毎日いただいているけれどどれも美味しくて、でも太らないんです。不思議」
「いいないいなー。お料理のできる彼氏さんうらやましい……」
姉のような真帆が今日は妹にも見える。藤花は微笑んだ。
運命の相手とは必ず出会える。意識しないほど早く出会い過ぎたとしても、焔と藤花にもう一度、縁が巡ってきたように。
「ずっと一緒に」
焔は左耳の誓いの証に触れる。
藤花の右耳には絆の証。藤の花と炎。互いのイヤーカフに刻まれた模様は幸せな未来を教えている。
雪が溶けてもきっと消えない予想図が、二人の前に広がる。
●恋人達の季節
「加賀谷様……皆様……本日は…有難う…ございました……」
希沙良は丁寧にお辞儀をし、サガと手をつないで戸外へ出た。
サガが歩幅を合わせて歩いてくれるのはいつものこと。不意に立ち止まったサガを希沙良は見上げる。
「寒いだろう、これを……」
サガが羽織っていたマントを希沙良に着せる。
膝かけのお返しのように、戻ってきた温もり。
実際はそれほど寒くない。でも嬉しいからそのまま恋人の温度に包まれることにする。雪道を踏みしめながら、二人は再び歩き始める。
「ごちそうさまでした。今日はありがとう」
お茶会お開きと同時に、真里は足早にねこかふぇを出た。
幸せな恋人達とテーブルを囲んだ時間が、真里の中の一番大切な気持ちに火をつけた。
(どうしよう、すごく会いたい)
溶け始めた雪に足を取られそうになる。こんな天気でなければ走ってすぐの帰り道。
我慢できずに真里は携帯電話を取り出した。
(せめて先に声だけでも聞きたい)
数秒のコール音ももどかしい。
「もしもし。ごめんね、今大丈夫かな」
どうしてひとは誰かを好きになるのだろう。
他の誰とも違う、たった一人を魂が見分けるのはなぜなのだろう。
親も教師も恋なんて教えないのに、気づけばこれが恋だとわかる。
「大好きだよ」
口をついて出たのはあふれた気持ち。
驚いている彼女の声。
(会えたらもう一度言うから)
真里は白い息を吐き、電話をつなげたまま彼女のもとへ急ぐ。
どうしようもなく大切で愛おしく思っているこの気持ちが少しでも伝わればいい。
皆を見送った真帆はミルクを抱え、お裾分けされた幸せの残り香を味わうように深く息を吸い込んだ。
いつか誰かの自慢の彼女になれる日が来たら、今日の雪を思い出す、そんな気がした。