●再び、物語が動き出す
「ようこそおいでくださいました!」
自宅療養中のスター・サーカスの団長は、若い撃退士たちの姿を見るなり、車椅子から立ち上がらんばかりに歓迎の意を示した。
「聞いております。レオとマリコを助け出してくださるとか」
撃退士たちは団長の勢いに気圧されながらうなずく。
「はい。救出に行く前に、団長さんのお体に障らない程度にお話を聞かせていただけますか」
「何でもお話ししますよ。頼れるのは、皆さんだけですから」
「檻は動かせるんですよね。普段、どこに置いていましたか」
神月 熾弦(
ja0358)が尋ねる。
「北側の楽屋です。ケージにはストッパーがついていまして、移動させたり、固定したりできるんです。柵の両側が開きます」
団長が視線を走らせる。牧野 穂鳥(
ja2029)がテーブル越しにペンとメモ帳を差し出すと、団長はサーカステントの見取り図とケージの簡略図を描いてくれた。
「彼らが弱っているときにも食べられる好物はありますか」
穂鳥の問いに、団長は目尻を下げ、顔いっぱいにしわを作って答える。
「肉の消化が難しくなってきたライオンにはキャットフードを与えることもあります。象のマリコは……そうですね、食パンやサツマイモが好物です。水分も大量に与えなければなりません」
動物交渉スキルを持つ二人、熾弦と穂鳥がそれぞれメモを取る。
ライオンの名前はレオ。象の名前はマリコ。
続いてリゼット・エトワール(
ja6638)と小田切ルビィ(
ja0841)が身を乗り出す。
「行方不明になっている道化師さんのお名前と」
「特徴があれば教えてほしい」
「乃木春香、といいます。背は、170cmくらいですかね。女性にしては大きい方です。年は……三十だったかな。もしよかったら写真を」
団長は脇のテーブルに置いてあった封筒を探り、A4判のカラー冊子を取り出した。
ルビィは冊子を受け取り、ぱらぱらとめくる。団員紹介やステージ風景の写真に付箋がついている。
「乃木の写っている写真に印をつけておきました」
と、団長が言い添える。
「助かる……。借りてっていいのかな」
「もちろんです。どうぞお持ちください」
ありがとうございます、と撃退士たちは頭を下げる。
「他に必要なものはありますかな? 皆さん、よろしく頼みます」
団長の両手が四人に向かって伸びる。四人も順番に手を差し出す。しわの刻まれた熱い手に包まれ、託された想いを受け止める。
* * *
常塚 咲月(
ja0156)は貸与された機器類の点検を終え、団長宅から帰ってきたルビィを迎えた。
「発見の合図……照明弾二発と…一発で分かるかな……?」
「道化師見つけたら二発な? OKだと思うぜ」
「よかった…懐中電灯と光信機も届いてる……」
「これ、道化師の写真。実際は化粧やら衣装で見た目違うかもしんねぇけど」
咲月はパンフレットをめくり、道化師の顔写真をじっと見つめる。濃い化粧の奥の素顔を見透かすように。
ほどなく準備を済ませた仲間たちが続々と教室に集ってきた。
道化師探索を主に担うP班(ピエロのPらしい)、動物保護を第一目的として動くD班、そのための路を切り開き、蜘蛛の駆除を引き受けるK班(「蜘蛛班」と連呼するよりも耳に優しそうだ)の三手に分かれ、人員の最終調整と作戦の確認を行う。
班を越えて共有すべき決定事項は黒板に列記されてゆく。
・連絡:小田切、佐藤、エトワール、青木、若杉、七種
・流れ:北から突入・安全確保→東から突入→合流
「ライオンはまだしも、象は撃退士の力でも持ち運ぶのは無理、ですね……」
D班では動物救出と搬送の方法を確立させるべく、最後の議論が交わされていた。
熾弦が言う。
「動物交渉スキルも使って撫でて落ち着かせつつ、ヒールで少しでも体力を回復させて、可動式の檻までは自力で歩いてもらう方がいいかもしれませんね」
「そうですね。重量的には力を合わせれば持ち上げられるでしょうが、象やライオンがおとなしくしているかはわかりませんし」
佐藤 としお(
ja2489)が同意する。
「こんなに集まってくれて嬉しい」
P班の末席に着いた真帆が両手のひらを合わせて、口元に当てる。
(文化祭シーズンで皆、忙しいはずなのに)
「あ、クインさん」
クインV・リヒテンシュタイン(
ja8087)の姿をK班の中に認めた真帆は、借りていたナイフを返そうと呼び止める。クインは受け取らない。
「持ってて。テント内に蜘蛛が巣食ってるらしい。糸を切るのに使えるかもしれないからね」
「わかった。持ってく」
クインの眼鏡がきらりと光る。
「さぁ、サーカスの幕引きといこう」
突入決行のときが近づいてくる。
●一章 一幕(北)
東京、湾岸地帯。頭上には秋晴れの空が冴え冴えと広がるが、上着が必要な肌寒さである。
一般人立入禁止区域に入ると、さらに風が容赦なく吹きわたる。
黄色い巨大テントを囲む形で先輩撃退士が監視に当たっている。上空に異変なし、との定期連絡が学園撃退士に寄せられた。
事前調査で侵入可能と判明している北口に向かったのは、K班の十三名だ。
敵の罠が用意されているのではという慎重な意見も出た。だが、動物を短時間で救出するためには、楽屋のある北側に経路を調達するのが最適との結論に落ち着いた。
御堂・玲獅(
ja0388)が先頭に立ち、テント入口の覆い布をはぐ。ナイトビジョンで視界を保ち、闇の中の生命反応を確かめる。
「入口付近に動物たちはいませんね。蜘蛛の巣も……見えません」
玲獅の報告を受け、若杉 英斗(
ja4230)は阻霊符を発動し、テント内に身を滑り込ませる。
トワイライトで灯りを作ったクインが英斗を盾にし、前に出る。視線を巡らせ、異変がないことを確かめ、後続の仲間を手招きする。
トレンチコートと黒髪を強風にあおられ、さむ…と身を震わせる七種 戒(
ja1267)の隣に、アスファルトを踏むピンヒール。
「行こうかね、だーりん」
「OK、ハニー」
青木 凛子(
ja5657)が応じる。ナイトビジョンをかけ、ヘッドセットに光信機を仕込んだおかげで両手は自由だ。形のいい爪で忍術書をつまみ、サーチトラップスキルを走らせる。
戒は夜目を利かせる。仲間の光源さえあれば暗闇をものともせず立ち回れるのだ。
テント内は風もなく、外より暖かい。しかしどこかうすら寒い気配に満ちている。ゲートの空気の流れ方は特殊なのかもしれない。
カイン 大澤(
ja8514)は口にくわえたペンライトを頼りに、そろそろと足を踏み入れた。後ろに立った清清 清(
ja3434)の星の輝きがあたりを広く照らすおかげで、ペンライトは常時点灯させなくても平気なようだ。
清は真珠色の衣装に身を包み、顔に星と滴の形のペイントを施し、華やかな道化師に扮している。
アイリス・L・橋場(
ja1078)は華奢な身をさらにかがめ、物陰を探索する。
ナイトビジョンを装着した御影 蓮也(
ja0709)、月影 夕姫(
jb1569)が続く。
差し迫った危険はなさそうだ。アンジェラ・アップルトン(
ja9940)はデジタルカメラで内部の撮影を試みる。
「シュトラッサー……居るんですかねぃ……」
十八 九十七(
ja4233)がつぶやく。
テト・シュタイナー(
ja9202)は周囲を観察するが、目視で判別できる罠は見つからない。狡猾な罠が用意されていると踏んでいたが、これだけの人数が難なく侵入できること自体が不気味だ。
「蜘蛛にしか会えなかったら残念ですねぃ……」
九十七は手になじんだショットガンを構え、もう片方の手でフラッシュライトを四方に当てる。
ゆるゆると進むいくつもの光。
十三名がテント内に侵入するのと、玲獅が簡易結界を形成するのはほぼ同時だった。使徒のゲート内で感情吸収に対抗できる安全地帯の存在は、動物の救出活動の助けになるはずだ。
アンジェラは手元のカメラのディスプレイを注視した。ズーム機能で撮った一枚に白い靄のようなものが写っている。光の反射を疑いつつ、拡大すると、規則的な模様が見て取れた。
「上に巣があるようだ」
アンジェラの言葉に、数名が上を向く。
「確かに白っぽいね。あれが巣?」
「どうして上に?」
想像していた絵と異なるが、異常の発見には違いない。
「何か動いたわ……」
いくつものライトが天井に向けられる。
凛子は光の弱まる高みに目を凝らす。索敵スキルに手応えがあった。
「カインちゃん、真上!」
カインが首をすくめて飛び退く。
濡れた雑巾が叩きつけられるような音がした。
カインの後ろに衣装をかけたハンガーラックが倒れている。色とりどりの衣装が闇の中に浮かび上がる。動くものは、ない。
ほっとした矢先、衣装の下から異形の脚が現れた。黒い先端は鉤爪にも似ている。
「……!」
スパンコールのついたドレスを振り払い、橙色と黒の縞模様を持つ巨大な蜘蛛が姿を現す。
椅子のクッションに似た体から八本の脚が伸びる。大きさはおよそ一メートル。脚部に生えた剛毛は縫い針並みの太さだ。
どこを見ているのかあまり目を合わせたくはないが、おそらく蜘蛛にとっての闖入者である撃退士たちを観察しているのだろう。
「頭上から降りてきたわ」
夕姫が冷静に告げる。
アイリスの目の周りに黒いバイザーが出現する。Alternativa Luna――アイリスの中の原始的な凶暴性が解き放たれる。
手の届かない巣と、目の前の蜘蛛型サーバント。
前衛と後衛、また手持ちの武器の射程を考慮し、自ずからそれぞれの対応は決まる。
蓮也が躍り出た。蜘蛛が脚を振り上げるより速く、紅色の金属糸を巻きつける。狙うは頭胸部と腹部の間。敵の動きを止めれば味方が倒してくれる。
「鋼糸はこう使うんだよ」
蓮也はぎりぎりと糸を絞る。
「十六夜が夢をお見せします。さぁさぁ、大いに愉快に笑いましょうっ☆」
清が笑みを浮かべ、蜘蛛に切り込んでゆく。華奢な手に握られた漆黒の大鎌が迷いなく蜘蛛の頭部めがけて振り下ろされる。
カインはパイルバンカーで脚を叩きつぶす。反撃を受け、手の甲に血の筋が浮いても臆することはない。
複数の光を上に向けると、天井部分の様子があらわになった。
一つの巣と別の巣がつながっている。蜘蛛はテントの骨も利用して糸を張り、自在に移動している。
「さらに上から来るわ。巣が連結されてるから面倒ね」
夕姫が指さして言う。
アイリスは退治する蜘蛛を締め上げていた青色の金属糸をゆるめる。蜘蛛の高速移動を阻害するべく、蜘蛛の巣に絡めようとアジュールを伸ばす。しかし天井は高く――もう少し、届かない。
「おそらく生命力二割を切った。分裂が始まる!」
アンジェラの声に、アイリスは金属糸をブラストクレイモアに持ち替える。
「……Dedic tot pentru acest ideal」
後衛への被害は避けたい。アイリスは剣を蜘蛛の体に叩きつける。少しは止められたか。
二十センチ大の小蜘蛛があたりに散る。
「ハニー、九時の方向!」
「おーらいだーりん、ハート狙いは素早く正確に、な」
逃れた小蜘蛛が大蜘蛛の周りに集まってくる。小蜘蛛の動きは速い。逃れる標的を戒の拳銃が追う。
アンジェラは思う。地上から放つソニックブームは巣を揺らすも、破るには至らない。よほど長い射程を持ったスキルでなければ届かないようだ。
(敵は糸を伝い縦横無尽に移動可能。我々の行動に合わせ、布陣を直に調整できるのやも)
ならば届かない場所の巣を払うよりも、動いている個体の駆逐を優先すべきか。
一匹、二匹。降ってくる蜘蛛は次第に獰猛さを増し、着地するなり脚を上げ、口を開け、こちらに襲いかかってくる。
英斗と玲獅、アンジェラの三名がシールドで蜘蛛の総攻撃を食い止めている。
「むしろ邪魔者が向こうから集まってくれたってことだね」
クインが泰然とうなずく。
「水責めの後は鞭打ちよ」
凛子が忍術書から持ち替えた蛇腹剣のワイヤーをゆるめながら艶やかに宣言する。
「しかしこの八本脚、舞台を彩るには、華が無いんじゃないかね?」
蜘蛛の群れを見回して戒が言う。
「範囲スキル使うぞ! どいてな!」
「私ごと撃ちなさい」
蜘蛛に囲まれた玲獅の言葉にテトが首を横に振る。
「それは最後の手段だ」
「いいえ、このまま。時間勝負だから」
折れる気配のない玲獅を前にテトは渋々うなずく。
「仕方ねえ。なるべく当てないようにする」
夕姫が虚空のリングから五つの魔法弾を生み出す。クインは眼鏡を押さえる。
「ふふふ、僕の眼鏡に灼かれるなんて光栄だと思うんだね」
「纏めて一掃する。行くぞ!」
クインと夕姫はテトにタイミングを合わせる。玲獅に当てないよう限界を狙い、三人のアウルが炸裂する。クインの眼鏡光線が蜘蛛の体を断つ。
英斗は光盾で仲間の攻撃を防ぐ。
「……撃退士でなければ…正気を…保てなかったかも…しれません……」
撃破された蜘蛛の残骸を見て、アイリスが小さく息をつく。伐採された枝のように脚が積み重なり、持ち主がわからない状態だ。
その中にまだ蠢く個体がある。九十七は蜘蛛との距離を維持し、退路を保全しつつ、援護射撃を行う。
「北側クリア。退路は確保できてます、はい」
●一章 二幕(東〜舞台裏)
「お嬢ちゃん、がんばれや!」
テント周囲のサーバントを監視する先輩撃退士に肩を叩かれ、佐藤 七佳(
ja0030)はつんのめりそうになった。
「初めて使うけど……これでいいのかな?」
ナイトビジョンを装着し、説明書に書かれていた使用法を復唱する。暗視ゴーグルだが、明るいところでつけていても問題はないらしい。
七佳たちP班は、東口の出入口を切り開いた後、北口の蜘蛛対処の続報を待っていた。
「K班からの連絡、まだ来ないね。難航してるのかなぁ」
背伸びを繰り返す真帆に、
「焦らなくてもきっと大丈夫です」
フラッシュライトと光信機の点検をしながら、リゼットが微笑む。
サーカスのテントに沿って形成されたゲートは近くから見るとまるで丘だ。
夏の惨劇の余熱を内にはらみ、静かに建つ。
ユウ(
ja0591)は真帆のサーカス観覧から始まる報告書を思い返す。学園に集まった情報を精読すると、導き出される答えは一つ。
(……今日こそは会えるはず……)
憧れの使徒がこの場所を本拠地としてひそんでいるのは間違いない。
『北口周辺の駆除完了、避難経路を確保したわ』
K班の凛子からの連絡が待機中のD班、P班に伝えられた。
「いざ突入でござる」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は遁甲の術を使い、先頭を進む。
後ろに仲間の存在を感じながら、わずかな異変も逃さない気迫で目、耳、鼻、肌、すべての感覚を鋭く保つ。
淡い影がさっとよぎって消えた。
(――蜘蛛か?)
再びにらむも、影はもう見えない。
虎綱に続くのは十二名。
動物救出班の六名と、道化師探索班の六名だ。
穂鳥は虚空に手のひらをのべ、灯鬼灯を発光させる。
両手を空けておくつもりだったが、意外にかさばるキャットフードと食パン、サツマイモ、ボトルの水で片手はふさがってしまう。
「少し持つよ〜」
森林(
ja2378)が分担してくれた。
目指す前方を阻む椅子や舞台装置らしい残骸を数人がかりでどかしながら、一行はテント中央へ進んでゆく。
北口に近い楽屋の蜘蛛をK班が引きつけてくれている間に、できるだけ早く突破する必要がある。
(お願い、布都御魂……)
久遠 冴弥(
jb0754)は布都御魂を召喚した。額の角と脚の剣を振り、通路を切り開いてゆく。
「かわいいのに力持ちなんですね。名前はあるんですか?」
「ふつみたま、です」
鑑夜 翠月(
jb0681)の賞賛を受け、布都御魂の脚にますます力があふれる。
「召喚は長時間はもたないんです」
布都御魂に騎乗し、先頭に躍り出た冴弥は勢いよく客席前の通路を走り抜け、舞台に駆け上がる。
速度をゆるめようとしたが、間に合わない。ふ、と布都御魂が体勢を崩す。
壊れた椅子を退かし、客席エリアと舞台の境目にたどりついた一行はあたりを見回した。
「久遠さんは?」
熾弦が首を四方にめぐらせる。
D班は散開し、冴弥の姿を探す。
翠月は視界を覆うコグニショングラスの望遠機能を働かせる。ステージ上に穴を見つけた。穴に張られた蜘蛛の巣が、布都御魂に乗った冴弥を呑みこもうとしている。
ゆっくりと喘ぐように冴弥の手と布都御魂の脚が動く。
翠月は木花咲耶を握り、走り寄る。
「今助けます」
としおは夜目を利かせ、ステージ上で薄桜色の刀を振る翠月の姿を認めた。蜘蛛の巣の罠にかかった冴弥を救おうとしているのだ。
『こちらD班、舞台中央に罠を発見しました』
光信機で他班に連絡を入れ、としおは翠月の加勢に向かう。
「つかまって」
冴弥を引き上げる。森林のスぺツナズナイフが糸を断ち切った。糸は何も残さずぱらぱらと宙に消える。主がいない巣だったのは幸いだ。
「怪我はないかな? さぁ、ライオンと象の救助にいこう」
「大丈夫です。ありがとうございます」
一度目の召喚時間が終わった冴弥を、としお、森林、翠月、熾弦、穂鳥が囲む。
穂鳥は団長宅で受け取ったサーカステントの見取り図を広げた。
目の前の荒れ果てた光景との違いが見て取れる。椅子の壊れた客席エリアには弾痕がいくつも残っている。使徒との戦闘の跡に違いない。
D班、P班とも全員がテント内に侵入した。今のところ、判明した脅威は舞台中央の罠のみ。糸を切った今は、単なる落とし穴としての危険になった。
「ここからは班ごとの行動を取ろう」
としおが言った。
「ただし班でまとまって、ですね」
リゼットが言い添える。
「何かあったら連絡するぜ」
ルビィはケイオスドレストを活性化させ、警戒を続ける。備えの光をまとい、どんな攻撃が来ても受けて立つ意気だ。
D班は舞台右端から舞台裏に回った。
ライトを当てると、上演時に使われていたと見える大道具、小道具が暗がりに浮かび上がる。束ねられた風船が力なく揺れ、棚に立てかけられた仮面の眼窩はうつろな影を宿している。
冴弥はカーテンで覆われた一角を注意深く見つめる。すぐには言葉にしない。
先走らないよう充分観察し、確信を得た上で仲間に告げる。
「ライオンと象……そこにいますね」
冴弥の報せを受け、仲間が集まってくる。
翠月は息をひそめ、感覚を研ぎ澄ませる。人間ではない、天魔でもない、二つの命がそばにあるのを感じる。はかない熱と拍動。
「本当ですね。どうやって救出しましょう」
熾弦以外の五人とも優れた感応力で生命の存在を察知している。熾弦にはわからないが、五人が見つけたというのだから、きっとそこに動物が囚われているのだろう。
「カーテンの上の方に大きな蜘蛛が」
「床にまで巣が広がってます。また穴が開いているかもしれません」
冴弥と穂鳥が蜘蛛の巣について語る横で、としおは早速、他班に連絡した。
『こちらD班。まだ姿は見えませんが、動物の気配を感知しました。大規模な蜘蛛の巣が張り巡らされてます。舞台裏、上手です』
すぐに二つの返信があった。
『K班は避難経路を確保しつつ、D班に合流するわね』
『了解! P班は引き続き目標探索に当たるぜ』
穂鳥は床に動物の好物を置いた。レオとマリコに向かって念じる。
(私たちの存在に気づいていますか。助けにきたんです。どうか力尽きないで)
「この奥か」
北口で大量の蜘蛛を退治したK班の仲間が、多くの光源を伴って現れた。
「天井からの奇襲に注意」
突入時の教訓を活かし、目を凝らして警戒する。
「動物はカーテンの向こうにいるんだな」
カーテンから床にかけて、どれだけの時間をかけて作ったのかと問いたくなる網目が広がっている。高さは五メートルに及ぶだろう。
敵であるサーバントの業とはいえ、その芸術的な模様は見事であった。
「邪魔な部分から排除するぞ」
蓮也がチャクラムで足元の巣を切り裂いていく。
「深いな」
戒はアジュールを操って幻の繊維を断ち切り、丹念に絡め取る。
穂鳥の作り出した緋籠女の炎が、カーテンに沿って蜘蛛の巣に燃え広がる。
アウルの火は布自体を焦がすことはなく、サーバントが作り出した細かい模様を焼いてゆく。
厚みのある巣は魔法で弱めた後、手作業で一本一本糸を切るのが有効なようだ。アイリスは錣を手に縦糸と枠糸を断つ。
蓮也は手を動かしながら、あたりに視線を走らせる。
(以前、道化師が舞台裏にいたのなら、この周辺にコアもありそうだ)
コアをつぶせばゲートを壊せる。問題はコアがどんな形状かわからない点だ。ゲートの中心地に近づいている気はするが、確信が持てない。
地表の糸を取り去ると、地下への穴が口を開けていた。奥にも蜘蛛の糸が見える。
「また罠か。気をつけて」
としおの声に、蓮也は身をすくめる。
そのまま踏み込んだら、足を取られるのは間違いない。そして、中には――
「出てきました」
冴弥は一歩下がり、異変に備える。
穴から蜘蛛が這い出てくる。
玲獅と英斗が姿勢を低く構える。
「一匹見かけたら百匹っていいますからね」
「それってゴ……」
英斗は言いかけてやめた。
巣を壊された怒りをあらわに、蜘蛛が撃退士たちに襲いかかる。
執拗な攻撃を受け、撃退士側にも傷が増えてゆく。玲獅は回復役に移り、代わってアンジェラが前線に立つ。
「何か穴をふさぐものを探してきますね」
森林はペンライトをつけ、楽屋内に適したものがないか探して回る。
巨大なルーレットの丸い盤。羽根のついた棒。装飾の施された平均台。
かつて舞台上で観客に夢を見せた装置がほこりにまみれ、放置されている。
人間の背丈ほどの箱を見つけた。ばらせば使えるかもしれない。
箱の外側から何本ものナイフを刺した後、無傷の演者が再登場するマジックの小道具だろう。側面にはいくつかの切り込みがある。
森林が近づくと、箱の扉が開いた。
「うわ」
中から現れたのは九十七だった。
「コア、どこにあるんですかねぃ……」
「分裂させないよう、一気に撃破を狙った方がいい」
アンジェラの助言は一瞬遅かった。大蜘蛛が分裂し、としおと翠月が後退する。
出現した小蜘蛛は、しかし大蜘蛛を回復することもなかった。
清が投げたデュエルカードに磔にされ、テトのクリスタルダストに粉砕され、カインのジェットレガースで踏みつぶされたのだ。
アイリスの両手の銃口が暗赤色の煙を吐いている。
ぽっかりと開いた穴からそれ以上蜘蛛が出てこないのを見てとり、森林は運んできた板を置いた。足元の危険をふさぎ、橋を渡す。
「全部倒した、かな……」
穂鳥は板の上に立ち、カーテンを開けた。
ペンライトの光の輪の中に、二つの檻が浮かび上がる。
その中に二頭の動物。
やせ衰え、それぞれの檻の隅でうずくまっているが、ライオンと象にはまだ命がある。生きている。
柵に絡みついた蜘蛛の糸を、翠月と冴弥がほどく。
「レオ。マリコ」
熾弦が呼びかける。
象がわずかに鼻をもたげる。
ライオンは立ち上がるのもおぼつかない様子だが、警戒の唸り声を上げる。
「久しぶりに光を浴びて、怯えているのかもしれません」
ペンライトをつけていた者がいくつかスイッチを切った。
穂鳥は餌を手に、マリコに近づく。柵から手を入れ、労わりの気持ちを込めて撫でる。
レオには手を触れない方がよさそうだ。柵の隙間から餌を与える。食器らしき皿は空だが、誰かが面倒を見ていたのだろうか。
水も餌もなしに二ヶ月以上生きられるとは思えない。もっとも、使徒の力を持ってすればそのような「奇跡」も可能なのかもしれない。
「よく頑張ったね。すぐに出してあげるからね」
森林が声をかける。
熾弦はゆっくりと二頭に近づく。二つの檻の間に捨て置かれた布をどかし、レオとマリコへヒールを繰り返す。
団長から聞いていたとおり、檻の下には小さな車がついている。
柵越しでも想いは伝わるらしい。動物たちの目に弱々しい光が宿る。このまま回復させれば移動も可能になるだろう。
「今のうちに北口に車を持ってきますね」
としおが言い、班を離れる。
撃退士たちは大きく息をつく。
救出対象の発見。今回の作戦の主目的達成に向け、大きく前進したことになる。
しかし、穏やかなひとときは長くは続かなかった。
『異変あり。影が動いてる。確証はねェが、道化師かも』
それはP班のルビィからの一報だった。
●二章 一幕(楽屋〜舞台)
D班に続いてゲートに突入したP班の役割は、道化師の捜索。
スター・サーカス所属の道化師、乃木春香は八月七日までは通常通り出勤し、ショーに出演していた。
その夜はまっすぐ帰宅、翌日はいつもと同じように出勤した。
他のサーカス団員とアパートの管理人から得られた証言をもとに行動を組み立てると、行方不明になったのは八月八日の午前中。このテント内で姿を消した。
午後、サーバントが場内で暴れる騒ぎが起こったとき、ステージ上にいたのは偽者の道化師だ。
春香と長年接しているサーカス団員ですら、彼女が偽者であるとすぐには気づかなかったという。
いつ入れ替わったのか。
リゼットは何度も見たサーカスのパンフレット写真を脳裏に浮かべ、二度目の索敵を行なった。
フラッシュライトで四方を照らし、夜目も発動している。しかしヘッドセットが拾うのは、仲間の立てる音や声のみだ。
もしシュトラッサーがこのゲート内にいるのであれば、撃退士たちが踏み込んできたことに気づいていないはずはない。
「……いませんね」
「この中のどこに、人間一人を隠し通せるのかな」
七佳は側面や後方からの敵襲を警戒しつつ、部隊後方位置を守る。
自分が敵の手中にいると思うと、一瞬も気が抜けない。
「……倉庫とか…怪しい」
ユウがつぶやく。
「見てみるか」
「生きていてくれたらいいけれど」
真帆が言う。
なお先輩撃退士による事前調査では、二頭の動物以外にゲート内で生命反応は見られなかった。ただし生命探知スキルには効果の及ぶ限界があり、事前調査では充分な時間をかけていない。
「生きていても、敵とグルになっている可能性がありますね」
リゼットが穏やかな声音で残酷な疑いを口にする。
「ですから見極めが肝心です」
「敵だから、という理由だけで殺めたくはないけれど……」
顔色をくもらせた七佳をルビィが励ます。
「自己嫌悪とか不安な感情はなし。使徒が好んで吸収しそうだぜ」
対象の生死を含めた調査であると皆、心している。そして偽者の道化師と対面したとき、こちらの命も危険にさらされることも。
楽屋内の倉庫を捜索していると、としおからの連絡が入った。
『こちらD班。まだ姿は見えませんが、動物の気配を感知しました。大規模な蜘蛛の巣が張り巡らされてます。舞台裏、上手です』
『了解! P班は引き続き目標探索に当たるぜ』
通信を終えたルビィがふぅ、と小さく息を吐いた。
分担した役目を着実に果たす仲間の報告を聞き、先を越された感があるのは否めない。
虎綱が足を速める。
「我らの探し物は一体どこに隠されているやら」
班をさらに分割して別行動する手もある。限られた時間でより効率的に多くの場所を調べることが可能になる。しかし強敵と遭遇したときのリスクが大きくなる。
まとまって行動する基本方針を崩さないまま、楽屋の西側を捜索し終えた六名は舞台に戻ってきた。
「これって、動物班のひとが言ってた罠?」
真帆が舞台中央の穴を指して言う。
「罠の跡でござろう」
確かに今は、どう見てもただの穴である。衝撃などで生じたくぼみではなく、床板が一メートル四方に綺麗に切り取られている。
「でもどうして舞台に穴が開いてるんだろう?」
「舞台演出上、あっと驚かせる場所から登場したり、消えるように退場するためではなかろうか」
「せり上がりとかいうんだっけ」
虎綱は穴の縁に手をかけて下をのぞき込む。
「なるほど、奈落とな」
「……奈落? 奥までつながってる……?」
咲月の問いに、虎綱は身ぶりで答える。大きな空間が広がっているようだ。
「降りてみようか……」
六人は順に舞台の床下へ降りた。
「咲月、頭打つなよ」
「小田切くんこそ……」
天井は低く、ときおりルビィの頭はつかえそうになる。
「狭いですね」
華奢な七佳ですら首をすくめる圧迫感だが、虎綱は身をかがめてひょいひょいと進んでゆく。
舞台を支える何本もの柱や梁が組まれている。建設途中で放り出された現場に忍び込んだならば、きっとこんな感じだろう。
「この矢印、何だろ……」
柱に書かれた矢印に咲月の指が触れる。咲月のオーラである烏羽色の蝶が柱に留まる。
「方向を示す矢印だろうな。蜘蛛はいねぇ、か」
動きが制限される狭い場所であっても、戦いの見通しを立てる必要がある。ルビィは柱に書かれた矢印を目で追い、舞台中央のせり出し部分との距離を計る。
各々が持つペンライトやオイルライターの灯りが作る影がゆらゆらと揺れる。
「……柱の向こう、何か動いた」
ユウの言葉に仲間たちは足を止める。ユウは早くも魔法書を手にし、臨戦態勢だ。
「ってことは」
「進みましょう」
ルビィの目にも確かに人影が映った。
この地下空間に、自分たち以外の誰かがいる。
『異変あり。影が動いてる。確証はねェが、道化師かも』
リゼットの索敵スキルが何かをとらえた。
「柱でよく見えませんが、確かにいます」
咲月はためらう。
(ここだと…照明弾を撃っても、他の仲間に伝わらない……)
「一度上に上がって報せてくる……」
「待て」
(一人で動くと危ない)
ルビィが咲月の腕をつかむ。
影を追ううちに、最初の入り口からはかなり離れた場所に来ている。
「あれって」
不意に七佳が前に出た。
「コアでしょうか」
「……嘘」
七佳の指さす方向に顔を向けた真帆が、信じられないといった表情を見せる。
ガラスに似た透明な何かで包まれた空間が、奈落の隅に存在していた。
繭のようでもあり、アニメ番組に出てくる未来の宇宙船のようでもある。
『P班だ。妙な空間見つけたぜ。コアだと思う。舞台下な』
撃退士たちの瞳が、繭の奥に眠る女性の姿をとらえた。
簡素な服を着て横たわる、その顔に化粧っけはない。
咲月が透明な壁越しにペンライトを当てる。
光を浴びても女性は反応しない。
事前に顔写真を確認しておいてよかった、と咲月は思った。
「乃木…さん――」
「壊すか」
ルビィの一言で、彼らは透明な繭に切りかかる。最初はおずおずと、次第に強く。
腕がしびれるほどの打撃も、金属糸もアウル弾も、繭の表面に傷一つ与えることができない。
「……畜生」
「これ…きっとコアだと思う……」
「ダメージを与えられません。全て弾き返されます」
リゼットが肩を落とす。
「想定以上の硬さで御座るな」
虎綱が難しい顔で透明な壁をにらむ。
捜索対象はすぐそこに見えている。助け出したい。あきらめるにはまだ早い。早いはずだ。しかし。
ルビィが何も言わず、あごの動きで知らせる。
第三者の出現を。
「騒がしいこと」
咲月の手のひらに汗がにじむ。振り向くと、乃木春香が立っていた。
道化師の衣装に身を包み、化粧は途中。目の周りを白く塗り、表情は読めない。開演前の準備をしている風情だ。
(乃木春香が二人――?)
咲月はいぶかしむ。再び目の前に視線を移せば、コア内部で眠る「同じ顔」。
先ほどまで何度か気配を感じた人影の正体は、この無表情な道化師に違いないのだが。
(何考えてるかわからない……)
リゼットが口を開く。
「すみません、お名前を確認したいです……」
唇だけをゆがめ、春香が笑う。
「名乗る必要があるかしら。よく知っているのではなくて? 特に、銀の目を持つお嬢さん」
乃木春香――道化師――に扮した使徒が、ユウを見すえる。
「ナターシャ様」
感情のこもらない声をわずかに震わせ、ユウがその名を呼ぶ。
「自ら飛び込んでくるとは思っていなかったわ。ようこそ、命知らずのお子様たち」
使徒はぐにゃり、と顔をゆがませる。まばたきの間の一瞬、冷たい風が渦を巻き、学園撃退士であれば資料で目にしたことのある相貌が現れた。
「ここだと不利だ。俺に構わず先に行け……!」
(上へ)
ルビィは小声で仲間に合図を送る。
ケイオスドレストが有効な今ならばシールドで受け、仲間を逃す時間は作れると信じる。
光信機の通信によって、他の班の存在を使徒に知られるのは得策ではないだろう。戦力を読まれる前に、まずは自分たちの逃げ道を確保すべきだ。
(――時間を稼ぐ。頼む)
合図を解した虎綱が、
「押し通る!」
全力で使徒に攻撃し、靄を発生させた。命中の手応え、あり。
白と黒の光をまとったルビィが虎綱と視線を合わせ、ニヤリと笑う。
真帆たちは靄の中を走る。邪魔な柱に何度か体をぶつけた。七佳はユウの手を引く。リゼットは咲月をかばう形で走りながら、後ろを振り返る。
この狭い場所で大きな武器を扱う自信はない。どうにか弓を扱える空間までたどりつく必要がある。
靄の晴れる地点まで抜けると、舞台中央の穴から降りてくるK班の数名が見えた。
こちらの必死の形相が伝わったのか、彼らは再び舞台上に上がり、P班の面々に手を差し伸べた。
「ありがとう、ございます」
引き上げてくれた礼を言うと、夕姫は首を横に振り、訊ねる。
「襲ってきたのね? 使徒?」
リゼットはうなずき、愛用の弓、姫椿を構えた。いつでも的を狙える状態を維持し、光信機を操作する。
咲月は息を切らしながら照明弾を撃つ。一発。
●二章 二幕(舞台〜楽屋)
「今の……一発でしたね」
穂鳥がつぶやく。
マリコは森林の所持していたカロリーブロックを咀嚼するまで回復していた。
撃退士の姿を見て最初は警戒していたレオも、檻の中に伏せたまま甘える仕草を見せ始めた。もとはサーカス団でかわいがられていた動物だ。突然、団員が消え、人恋しかったに違いない。
「佐藤さん、戻ってきませんね」
翠月が心配そうにカーテンの向こう側を見やる。
* * *
『偽者の道化師が舞台の下に現れました』
リゼットの報せに、舞台そばに集まってきたK班が陣形を整える。
「敵の名は?」
「ギメルの使徒ナターシャです」
「魔法攻撃か、了解」
情報が行き渡る。
「D班が救出終わるまで、足止めしないとな」
戒の言葉に、凛子がきっぱりと返す。
「そうね。動物を巻き込むのは大嫌い」
「天魔ぶっころは正義」
九十七がショットガンを構える。
ほどなくルビィと虎綱が舞台中央の穴から這い上がってきた。
「怪我は?」
咲月が駆け寄る。
大したことねェよ、とルビィが笑う。
「人間はもろいとわかっているはず。それなのになぜ愚かな抵抗を繰り返すのかしら」
透る声は客席方向から聞こえた。
いくつものペンライトが客席に当てられる。
ブロンドの髪をおもむろにかき上げ、ナターシャがゆっくりと舞台に近づいてくる。蜘蛛よりも自在に動けるのは、彼女こそゲートの主であるからに他ならない。
「抵抗すらできない動物を狙うなんてむかつくんだよ」
カインの言葉に、ナターシャが答える。
「ならば、獣たちに代わってお坊ちゃんがここに残るとでも?」
「冗談じゃねーや」
カインは一気にナターシャに駆け寄った。右手は逆手に持ったサバイバルナイフで足を狙い、左腕はパイルバンカーで相手の頭を吹き飛ばす――つもりが、ナターシャの服の裾に触れることもできないまま後ろに倒れる。
すぐに玲獅のヒールを受けるが、咳込んだカインの口元に血が垂れる。
舞いながら舞台に上がったのは清だ。
「道化師として、お楽しみいただくことが我が務めっ☆ 心ゆくまでお楽しみくださいませっ☆」
派手な衣装をさらに華やかに彩る輪と珠。全身で宇宙を体現しながら、清はトランプを繰り出す。
カードはキング。ひるがえる。巨大なゴリラの幻影が現れ、周囲の仲間を守る。
壊れた空中ブランコが影絵のように揺れるテント内で、道化師「十六夜」を演じる清にとっては敵味方ともお客様なのだ。
「さあ、サーカスの終演だ。派手に踊ろう」
クインがトワイライトを宙高く掲げた。
ナターシャの手から紫色の稲妻が発せられる。宙を切り、地を裂く。
すぐにクインはマジックシールドを広げ、正面から受け止める。火花が散る。クインの顔がゆがむ。
「君の攻撃なんてただ派手なだけさ」
「もう一度浴びても同じことを言えるかしら」
再びのナターシャの刃をクインは受けなかった。クインを突き飛ばした英斗が光盾で防いだのだ。
「あ、僕の眼鏡が……」
体勢を崩したクインは急ぎ眼鏡をかけ直す。
光と闇の中、アウルの輝きが弾ける。
彼らが待つのは、D班の報告だ。動物を無事に輸送車へ乗せ、ゲートを離れたと聞くまでは、倒れるわけにはいかない。
虎綱は形勢を読む。
即時撤退するのならばむしろ容易だ。先ほど奈落で使った目隠の術を繰り出すまで。自分が残って、皆を逃す。だが今はまだその機ではない。
(せっかく拾った命、動物たちにも失ってほしくないので御座る)
できる限りこちらの被害を抑えつつ、時間を稼がねばならない。
「咲月、背中は任せたぜ……!」
ルビィもまた、最後まで前線に残る覚悟をしていた。
コアの中に閉じ込められた道化師――乃木春香の体を回収するのは難しそうだが、動物保護完了の報せを聞くまで退くつもりはない。
惜しみなく封砲を発し、紫雷を浴びて失った生命力を剣魂で補う。
リゼットが渾身の力で弓を引く。
闇にまぎれる漆黒の矢を素早くかわし、ナターシャは次の標的に向かう。狙いは後衛。
戒の撃った弾がナターシャの頬をかすめた。
輝く髪の一束が切れてぱらぱらと闇に散る。ナターシャは左手で自らの頬に触れる。粘度のある液体が指先についた。
ナターシャは戒に近づく。撃てるものなら撃ってごらんなさい、と迫る。
そんなナターシャの背後を七佳が狙う。
吐息が混ざるほど戒に近づくナターシャ。戒の指が震える。引き金が重い。
左右から放たれる凛子と九十七の魔弾。ナターシャは表情一つ変えず、それらの弾を弾き返す。
真後ろからナターシャの頭部をつかもうとした七佳の手を、くるりと振り向いたナターシャが押さえつけた。
「あなたの行動は読めてしまう」
「……っ」
ナターシャの両手に咲いた紫雷の剣は、至近距離で戒と七佳を貫いた。
仲間のヒールに癒されるまで、二人は歯を食いしばり、白く飛びそうになる意識を保つ。
「……隣に並ぶまで。その背を追うって決めたから」
ユウの生んだ凍吹迅風が、ナターシャの稲妻とぶつかる。
(……いつか隣に並んだとき)
風と雷。耳をつんざく音が弾ける。続けて飛んできた投剣を魔法障壁で受ける。
(……わたしの名を…呼んでくれるかな)
銀の氷面鏡にひびが入る。持ちこたえた。ユウは自身の鼓動を確かめる。被ったダメージは、間違いなく記憶の中の痛みより少ない。
しゃがみ込んだユウに目もくれず、ナターシャは足元を狙ってきた英斗に斬りかかる。
クイン、テト、真帆、三名のダアトがユウとは異なる手でナターシャに魔法を浴びせる。
ナターシャの優位は揺らがない。それでもこちら側に戦闘不能者は出ていない。偏りなく癒し手を配した陣形で敵を囲み、善戦しているといえる。
「……まだまだ遠いけど、ちょっとは近づいた…かな」
脈打つ傷みをこらえ、ユウは立ち上がる。
* * *
「車、持ってきましたよ」
北口から走ってきたとしおの姿を認めた翠月は、安堵に頬をゆるませる。
冴弥は再度、布都御魂を呼び出した。
「さぁ、外へ出ましょう」
マリコも鼻を上げて応じる。しわまみれの太い足が檻の底をこする。
玲獅が作り出した二つ目の結界が、ゲートの感情吸収を遮っている。
D班の六名はレオの檻に手をかける。数センチ動いた後、檻が急に重みを増した。スレイプニルの力も加え、六人がかりでどれだけ押しても進まない。
穂鳥が檻の下部をのぞき込む。
「車輪のストッパーは外したんですが、檻自体が地面につながれていますね。枷…のようです」
「アンロックを試します」
としおが請け負う。
「……」
一瞬でも惜しい。焦る気持ちを抑え、としおは指先に力を込める。
檻をつなぎとめている鎖の錠が開き、檻が動き出す。森林の靴がマンホールのふたのような出っ張りに引っかかる。
「マリコの枷も外しました」
「板の上、気をつけて」
六名は二台の檻を出口へ運ぶ。
外界の光が目にしみる。レオとマリコにとってはどれほど恋しいまぶしさだろう。彼らを愛した猛獣使いは、もうこの世にいない。
「あと少しだよ」
としおが二頭に声をかける。
「ここを出れば、きっとまた豊かな感情が戻ってきますね」
熾弦が微笑んだそのとき。
足元に稲妻が落ちた。
(なぜ雷が)
爪先のしびれに呆然としながら、熾弦は立ち尽くす。自身を癒す魔力は残っていない。
隣ではとしおが肩を押さえている。
(ここまで来たのに)
通路に立ちはだかるのは使徒だ。光を背にして金髪をなびかせ、頬に血を流したままナターシャは言う。
「その獣は私の糧。私の力となるモノ。あなたたちには渡さないわ」
「動物はモノじゃない」
布都御魂に騎乗した冴弥が凛と言い返す。
「そうね、餌も食べれば、排泄もする。天使とて糧が必要だということ、おわかりいただけるかしら」
(理屈を聞いている場合ではありません……強引にでも突破を――)
熾弦はバルハードを杖代わりに、震える足で立つ。相手はシュトラッサーだ。頼るは「神の兵士」、仲間の回復に賭ける。
ナターシャが道化師の衣装を脱ぎ捨てる。
雷刃が激しい音と共にレオの檻に落ちた。森林の回避射撃によって、レオ自身に刃は当たらずに済んだが、ほっとする余裕はない。レオが暴れ出す。痩せた体を檻に打ちつけ、歯を突き立てる。
穂鳥は微風の魔法書をかざし、優しく語りかけた。
「眠ってください、大丈夫」
二頭の獣は深い呼吸を一つ残し、眠りに落ちる。機転のスリープミストだ。
背後からの靴音が希望の太鼓のように聞こえる。
としおは肩の痛みをこらえ、アサルトライフルでナターシャを狙う。
「Regina a moartea」
檻を飛び越えたアイリスがナターシャの懐に飛び込み、剣を振り抜いた。ナターシャがわずかによろめく。
その機を逃さず、としおは外に走り抜ける。車は出口のすぐそばに持ってきてある。運転席に身を収め、エンジンをかける。
ルビィの両手が紫雷に裂かれる。ふさがった傷の上に新たな傷が開く。それでも盾を握り、踏みとどまる。後ろには咲月が、そして大勢の仲間がいる。
「次に目を開けたときには、団長さんやサーカスの皆さんが迎えてくださいますよ」
穂鳥、熾弦、冴弥、森林、翠月は二つの檻を押し進める。
光の方角へ。
揺らさないよう気を払いつつ、輸送車に載せる。
静かに呼吸を繰り返すライオンと象。
二頭を救うのが、ここに集った皆の願いだ。死したサーカス団員を慰める何よりの供養だ。
としおはちらりとバックミラーを見た後、アクセルを踏み込む。
テント北口、二度目の目隠があたりを覆う。
ライトも利かない濃い靄の中、虎綱に導かれ、撃退士たちは撤退する。
夕姫は振り返りざま、深淵に向かって黒いアウルを放つ。弾は虚空に吸い込まれた。
蓮也、九十七、テト、カイン……順にゲートを離れる仲間を咲月は確かめる。
リゼットをかばうルビィ、清のヒールを受けるアンジェラ、ユウを癒す玲獅。
「あと…二人……」
「――空蝉を使うほどでは御座らん」
裂けた皮膚から血を流す虎綱と、赤いオーラの余燼を帯びた英斗、二人がテントから転がり出てきたのが最後。
誰一人欠けることなく。
『全員脱出完了』
作戦のひとまずの成功が、外を守っていた先輩撃退士に伝えられる。
芳しくない報告は学園に戻ってからだ。
* * *
「お疲れ! 頑張ったな!」
ゲートを遠く見ながら、戒はクインの頭をはたいた。
「動物を保護できてよかったわ」
凛子が伸びをしながら一歩前に出る。
ピンヒールが硬質な何かを踏み砕く。
「……」
凛子はまず足元――変形したフレームと砕け散った破片を、続いてクインの顔を見る。そして両手を頬に当てて叫ぶ。
「激マブ!」
クインの素顔が凛子に与えた衝撃はいかほどであったのか。足を踏み鳴らすほどの感動と見える。
「しっかし、服がぼろぼろだなー」
涙目で言葉を失うクインをいなす戒もまた、すぐには癒せない傷を負っている。
「あ、クインさん! これ、長いことありがとう」
駆け寄ってきた真帆が、借りていたサバイバルナイフをクインに差し出し、
「どうして泣いてるの? あれ、眼鏡してないと、クインさんじゃないみたい」
さらに傷に塩を塗る。
「め、目にゴミが入ったのさ……」
強がる声は風にかき消された。
――閉幕。