●教室――筋道
「捜索対象は四つで、捜索は九グループ……単純に半分は空振りですね」
道明寺 詩愛(
ja3388)が加賀谷 真帆(jz0069)から受け取った地図に矢印を書き足しながら言う。
旧支配エリア西地区を担当する人員は八名。撃退士としての鍛錬を怠らず、実戦経験を積んできた仲間たちだ。
突入前の打ち合わせで撤収条件、移動経路の意思統一を図る。
猫野・宮子(
ja0024)が入手した下水道の敷設図を広げる。三十年前の日付が記された、黄ばんだA3判だ。
「この地区はこの地図しかないみたいだよ」
「入口の位置を把握できれば」
そう言っていた新井司(
ja6034)も地図の古さに、やや言葉を失う。地域全体が棄てられるまでは保全されていただろうが、残存する下水道がその図と異なる可能性も考慮の上で、要所を確認する。
地上の建造物の位置を頭に叩き込んだ若杉 英斗(
ja4230)が、机上の図を眺め、駅の北側のレンタカー営業所付近と、南側の歴史資料館駐車場の下に下水道の分岐点があると指摘する。
確定情報ではないが、いざというときの抜け道として使えるかもしれない。
「もし追跡者から逃げるときに地下を通るなら、阻霊符を展開して、ところどころ道をふさぎつつ……かな」
ユウ(
ja0591)は手の中のコンパスを見つめながら提案する。
「そうだな」
英斗がうなずく。
現地では駅の北と南の二手に分かれ、捜索対象の早期発見を目指す計画だ。
歴史文化資料館の展示目録をぱらりとめくり、諸葛 翔(
ja0352)が小さく息をつく。
「中に潜むこともできそうだな」
「歴史研究のために来た子、ミルザムっていったっけ、いたりして…ね」
司が言う。
「まぁ何と言うか、私の専攻とかち合ったような気配?」
神道系霊魂使役術を身につけ、神話や宗教を専攻する鷺谷 明(
ja0776)は、考古学、歴史学も履修している。現在は天魔の間で伝わる伝承や思想について研究しているが、貴重な情報収集源に遭える可能性を考えると笑みが増すのを止められない。
明と英斗が貸与申請した光信機が届き、準備は完了した。八名は急ぎ、スフィアリンカーの元へ集う。
「南の通信役お願いしますね」
「了解したわ。北は鷺谷ね」
英斗から受け取った光信機を司が握り締める。
転移後、最も長身の獅童 絃也(
ja0694)が東方向の空を仰ぎ見、眼鏡の奥の目をすがめる。
「飛行能力を持った敵がいてもおかしくなさそうだな」
ほんの胸騒ぎ程度の勘だが、捨て置けない予感が絃也を満たす。
一行は地図とコンパスを頼りに東へ向かう。
通行人の影がまばらになり、やがて無人の区画が続くようになる。
ユウにとってこのエリアへ足を踏み入れることは特別な感慨をもたらす行動だ。
「……会えるかな、会えないかな」
よどんだ空気のどこかに憧れの存在の気配を感じる。任務の成功を考えると、会えない方がいいとわかっているのに。
「ん、今回は目立たないようにしないとだね」
宮子が人差し指を口元に当ててささやく。
「魔法少女マジカル♪みゃーこ、隠密バージョンにゃ♪」
猫耳と尻尾をつけ、潜行スキルに無音歩行を重ねる。砂利を踏んでも音はしない。
斥候役は宮子と明だ。周辺一帯の位置関係を頭に入れた明の下半身が術により透き通ってゆく。
光纏し、足音を立てずに進む二人の合図を見て六名が続く。線路沿いの塀に身を隠し、警戒しながらのエリア突入だ。
草でところどころ隠れているものの線路は途切れず伸びている。
緑の間にのぞく彼岸花の赤が禍々しい。
プラットホームの間をつなぐ橋は崩れ落ち、瓦礫となっている。そこに潜むものがいないか、翔は目をこらす。
駅舎手前で八名は目配せをし、二班に分かれる。
●旧支配エリア――歴史文化資料館
南側に向かったのは、宮子、司、翔、ユウ。
静かにたたずむ資料館が主な探索範囲になる。
壁面のタイルがいくつかはがれ落ちているが、建物の倒壊はなさそうだ。
かつて駐車場だったはずの土地に車は停まっていない。司は砂利で埋もれたマンホールを見つける。いざというときには下へ逃げることになるだろう。
駐車場から建物までの数メートルの距離を飛び移るように越え、宮子がOKサインを出す。
しかし、資料館の扉を押した宮子は眉根を寄せ、首を振る。
中から鍵がかかっているのだ。
「……他の出口も探す? ゆっくりもしてられないから」
ユウがうながし、四人は建物の周囲をめぐりながら別の出入口を当たる。
建物の正面には大きなひさしがついているが、裏側はほんの形だけの日よけしかない。自分たちの影が建物の陰からはみ出してしまう。
警戒を絶やさず、開いている窓がないか確かめる。
結果、一階に設けられた三つの出入口と八つの窓、すべて錠がかかっていることが判明した。
人間の入り込めない密室であっても、堕天使ならば侵入は可能だろう。さらに、ノックをしても開けてくれるとは限らない。
「建物の管理者が今も存在するのか問い合わせて、鍵を受け取っておくべきだったわね」
「もう一度出直す時間はもったいないにゃ」
「だとしたら、扉を外すか、窓を割る?」
司の提案に宮子が首をかしげ、次の刹那、大きな青い瞳で空の一点を注視する。
三名も宮子の視線を追い、空を見上げる。黒い影が空を横切るのが見えた。その大きさからいってただの鳥とは考えにくい。サーバント、あるいはディアボロの類か。
「こちら南班、上空に鳥に似た影を目視で確認。探知はされてないわ」
司が北班に連絡する。
「二階の窓はどうだろう」
翔の一言に、宮子がうなずく。見てくるにゃ、と壁面に貼りつくように上り始める。
三名も宮子と共に地上を移動する。
宮子の手が「開いていた」と報せる。第一関門突破。気配を消したまま、宮子が窓から内部へ侵入する。
一階の扉の錠が開いた。司、翔、ユウの三名は宮子の招きに応じて、静まり返った建物内に踏み込む。
●旧支配エリア――陰から陰へ
「日の高いうちは上から見下ろされれば簡単に発見されるな。警戒を続ける必要がある」
南班からの連絡を受け、絃也は売店の陰に身を隠す。
駅の北側の探索を担うのは、明、絃也、詩愛、英斗だ。
どこからか現れたネズミが道路を走っていく。
詩愛が屋根の下で光纏する。天魔の変身を見破るためだ。
「万が一もありますしね……」
ネズミに対する異界認識スキルの手応えは、白。上空を旋回する鳥までは距離がありすぎて計れない。
鳥が敵だとして、向こうがこちらに気づかない限りは先制攻撃はしない計画だ。
四名はかつて売店だった小さな小屋の探索を終え、駅舎をくまなく回る。
英斗は身をかがめたまま感知スキルを駆使し、ベンチの下に隠されたものがないか確かめてゆく。
「次は駅事務室とトイレか」
まず明が遁甲の術を展開し、暗がりに敵が潜んでいないことを確認する。
人の営みが行われていた場所は今や廃墟と化している。事務室のドアは壊れ、草木の侵入を許している。
無言で室内を調べる四名に、南班からの連絡が入る。
『こちら南班、資料館一階では捜索対象発見できなかったわ。これから二階を探索します』
明も状況報告を返す。
「北班は予定通り売店、ターミナル、事務室を探索。天魔の気配はない」
明はふと隠れ鬼の遊戯を思う。必ず鬼が隠れているから子供は遊びに興じるわけで、鬼がいないかもしれないのにいつまでも探す子はいない。
もし南班が人外を見つけたならば、光信機ごしでも話がしたいと考える。サーバントやディアボロを倒すのとは違い、人外とならば対話による知識交換ができるだろう。
「物質を透過するなら、目に見える範囲だけでは足らんだろう」
絃也は腰の高さのロッカーや机の引出も開け、人が隠れられない場所も集中して探す。机の脚を数え、ほこりだらけの空間に縮こまる存在がいないか、と。
●再び歴史文化資料館
建物内に入って、翔は生命探知スキルを二度使用した。
結果は生命反応ゼロ。察知できる生物に植物は含まない。
資料館の成り立ちを説明したイントロダクションコーナー、写真と映像を中心とした「都市と交通」コーナーに聖槍らしき武器はなかった。
電化製品の展示室に踏み入ったユウは、
「……歴史学者なら、ここにいてもおかしくないけど」
冷蔵庫や洗濯機の中までのぞき込む。
二階に上がった四名は、日本人の生活様式の変化を再現した模型の前に立つ。畳に腰を下ろしていた時代から、スリッパを履き、西洋風の生活を送るようになる現代まで、フィギュアやミニチュアの家具が並んでいる。
「隠れるところは多そうだけどにゃぁ……」
「確かに隠れるならもってこいの場所だが……」
翔が最後の生命探知を行い、首を横に振る。
「反応なし」
残るは、実際の農耕具を展示した一角だ。鋤や鍬といった昔ながらの農具が陳列されている。窓からの光が届かない場所は、ユウが持参したライトで照らす。
「誰かが握った跡があるわ」
司が指差す。槍に似た形状の農具は全体的にほこりをかぶっているが、一部、手で触れたような跡が見られる。
「もしかして、ここに潜んでいたことがあるのかもしれないわ」
「そうだな……きっと」
展示品に残る「誰か」の跡をそれぞれが解釈する。ユウの脳裏に浮かぶのは憧れの存在だ。
司が時刻を確かめる。日の入りにはまだ余裕がある。
隅々まで徹底的に捜索したといえるだろう。その上で見つからなかったのだ。ここには堕天使はいない。聖槍もない。
光信機を通じて静かに告げる。
「南班、資料館の探索を終了。対象の潜伏、隠匿はなかったわ」
●駅北側――空の網
地図上でレンタカー営業所と記されていた場所は、すっかり荒れ果てていた。
バスターミナルの跡地はがらんと広がり、倒れた標識や砂にまみれたベンチが点在する他は、秘密を隠すに適した暗がりもない。
詩愛が首を振る。
そのとき、風が吹いた。頭上を覆っていた雲が晴れた。
黒い影がすっと高度を下げる。
「感づかれた」
「サーバントのようですね。向かってきます、一体です」
詩愛は言いながら、すぐにヒールを使えるよう構える。
英斗と絃也が光纏し、明が戦闘開始を南班に伝える。
絃也は眼鏡を外し、強面といわれる風貌をさらす。
立派な骨格、羽毛ではなく膜のようなもので覆われた翼。近づいてくるのが鳥ではなく翼竜であると認め、英斗が躍り出る。
「間合いが……」
相手は一定距離を保ったまま近づいてこない。すぐにスネークバイトをオートマチックP37に替え、狙いを定める。
大きなコウモリを思わせる翼竜が、赤い網のようなものを吐いた。
「何だ……?」
網は空中に広がり、撃退士の頭上を覆う。彼らが纏う光ごと吸い取ってゆく。
「ドレイン?」
思いがけない範囲攻撃に、震脚しての闘気解放後、呼気と共に気を丹田に集中させていた絃也が膝を折る。
まるで空から地上の餌をさらうような攻撃に、初回はなすすべがなかった。
英斗は仲間をかばいつつ、翼竜を狙う。またも上から網のような攻撃が降ってくるとしたら、背後に隠しても意味がないのだが、盾職としての誇り、癖だ。
「地上には降りてきませんね」
詩愛が機を見計らい、掌から光を発する。光は無数の桜の花びらとなる。薄紅色の花びらは仲間たちの周囲を舞い、癒しとなる。
力を再び得た絃也が、ブレッドバンドから拳銃に持ち替える。震える脚で敵の目をくらましつつ、次の攻撃に備える。
明は敵が仲間を呼ばないか、戦況をにらみつつ、南班の状況を尋ねる。
「北班、翼竜一体と戦闘中」
『南班、資料館を出たわ。翼竜は一体、こちらの上を旋回中』
「今のところ敵が仲間を呼ぶ様子はないな。ただ遠距離範囲魔法の持ち主のようだ」
『了解、合流を目指すわね』
通信を終えた明は唇をなめる。翼竜に一部吸われた夜色の光纏がぽつ、ぽつ、と雫となって落ちる。
影の書を手に、地縛霊を発動させる機をうかがう。翼竜が近づいてくるのを待つ。
英斗と絃也が打ち込む魔弾が翼竜の翼を穿つ。いくらか飛行速度が落ちたようだ。
再び赤い網が降ってくる。
英斗の盾が金色に輝き、ゆらめく。絶対防御では防げない敵の魔法攻撃を光盾により無効化する。
「よし」
そのすきに仲間が翼竜を仕留めてくれれば。
明が放った地縛霊が翼竜に命中し、影をとらえた。空中に浮かんだまま、翼竜が動きを止める。
駆けつけた南班の加勢が、北班を活気づける。
駅舎の陰からユウが撃ち込んだ凍吹迅風が、翼竜を凍りつかせる。
「南では気づかれませんでしたか?」
詩愛の問いかけに、南班の四名がうなずく。
「ではさっさと倒してしまいましょう」
絃也が仕返しとばかりに翼竜の頭を狙う。
「一体、追加だ」
明が言う。
最初の翼竜と撃退士の衝突に気づいたらしい、もう一体の翼竜が西方向へ飛んでくる。
その飛行を遮り、司が矢を射る。宮子の銃弾が翼竜の行く手を阻む。
遠距離攻撃を得意とする職は少ないながらも、五分もかからず翼竜相手の戦闘はかたがついた。
翔による『南風』の回復も加わり、数回に及ぶドレインを受けた仲間も致命傷とならずに済んだ。
地面に落ちた翼竜は、さながら嵐で壊れた傘のようだ。
その頭を詩愛のかかとが踏み砕く。骨張った体と薄い膜が幻の亡骸と化す。
「仲間を呼ばれたら厄介ですからね」
戦闘を終えた八名は、駅舎の陰で呼吸を整えた。絃也は眼鏡をかけ直す。
日が暮れかけている。これ以上の長居は無用だ。
列車の来ない荒れ果てた駅に、人のにぎわいが戻るのはいつの日か。
(……会いたかったな)
(話を聞きたかったが)
(はぐれの三人は今どこにいるのかしら)
(行きはよいよい、帰りは怖い、撤収時こそ気をつけねぇとな)
それぞれの思いを胸に、物陰を伝って静かに西へ向かう。視界が悪くなる前に旧支配エリアを抜ける目算だ。
空にも地にも追っ手はない。
全員生還。迅速に探索任務を完遂した八名が、東地区での神器発見の報を受けるのは翌日のこととなる。
●廃駅――ターミナル
夕映えを背負い、細身のシルエットが近づいてくる。
プラットホームの手前で彼女――ナターシャ(jz0091)は歩を止める。
青い瞳がバスターミナルの異変をとらえる。
撃ち落とされた小翼竜の骸だ。原形をとどめず、地面に平たく伸びたそれはもう空を飛ぶことはない。数メートル離れて、もう一体の骸。
撃退士の来訪が隠密、かつ効率のいい短時間のできごとであったと示す証だ。ナターシャを悔やませるに充分な。
残照に照らされながら残りの小翼竜が滑空する。知能の限り忠実に。
二体の骸を消し去った後も、しばらく彼女はその場を離れずにいた。
盛りを過ぎた彼岸花がやがて周囲と同じ色の闇に沈むまで。