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マスター:朝来みゆか
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:10人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2012/08/29


みんなの思い出



オープニング

●コウモリ

 関東地方北西部、魔の蔦が絡みついた33F建てのビル。かつては県庁舎として機能していた建物も、今は悪魔の支配の象徴である。
 魔族好みの内装にカスタマイズされた上層の一室で、とある悪魔は部下の報告に、眉を顰めていた。
「周辺地域で撃退士がでしゃばっている?」
「はい、埼玉北部、栃木東部‥‥所謂『県境』と呼ばれる地域でも、奴らの干渉が確認されております」
 壁掛け鏡の表面が歪み、ぼおっと明るさを増した。
 映しだされたのはどこか遠くの山中。久遠が原学園の制服を来た少年少女たちと地元の住民が、嬉しそうに握手を交している様が見える。
「ふん、このような子どもにやられるとは‥‥この地域の担当者は余程の無能か」
「恐れながら、ここだけではございません」
 その言葉を裏付けるように、鏡の映像が変わった。
 埼玉県北部、通称「骨の街」。ドラゴンゾンビを中心に据え、既に自治を奪って久しいはずの地域だ。
「‥‥これはいつの記録だ」
「斥候のコウモリが持ち帰ったのは、1ヶ月ほど前かと」
 広がる廃墟の中、凛と駆ける撃退士の姿。
「さらに他にも‥‥」
「もう良い、貴様の懸念はわかった」
 さらに実例を示そうとする部下を制し、悪魔はううむと唸る。不愉快極まりないが、部下の手前、ここで露わにするわけにもいかない。
「だが、このエリアはアバドン様の膝下。強大なお力で結界を施している。撃退士とはいえ所詮人間、這い入ることはおろか『気づく』こともできぬわ。それとも何か、貴様はアバドン様の偉大なるお力を、信じられぬと申すか?」
「滅相もございません。ですが‥‥」
 強大な支配者の名に、部下が一瞬身震いする。だが、憂いの表情は晴れないままだ。
「人間の慣用句に、念には念を入れる、というものがございます。ここは我々の力を示し、撃退士、ひいては人間どもに無力な身の程をわからせることも、無駄ではないかと」
「ふむ……」
 悪魔は天井からぶら下がったシャンデリアに視線を移し、考えをめぐらせた。
「それも一理あるな」
「左様で」
 強大な支配者の側近として「この地」に遣わされてもう随分になる。支配は安定しているが、拡大の目途は中々立たないままだ。
──ならば積極的に、撃退士を「駆除」するのも悪くないのではないか?
「よかろう。周辺地域の撃退士を、根絶やしにしてやろうではないか。二度と「この地」……アバドン様のお膝元に近づこうなどと、思わないようにな」
 立ち上がり、笑みとともに判断を下す悪魔。
「かしこまりました」
 部下は一礼し、大きなコウモリに姿を変える。そしてそのまま、割れた硝子の隙間から外へと飛び立った。
 受け取った命令を、同胞に伝えるために。


●夜が来る前に

 瑪瑙色の川が流れている。
 ときは夕暮れ。残照が万物の影を長く伸ばす。
 昼過ぎに35度を記録した気温はまだ下がらない。風はなく、熱い空気がじっとりと辺りに溜まっている。
 川沿いの温泉施設から出てきた男は首にかけたタオルで頬や額の汗をぬぐった。以前世話になった撃退士事務所が、盆か暮れの挨拶に作った名入りのタオルだ。
 男は山並みを背に歩き出す。道沿いの自動販売機の前に立ち、節電中の表示が掲げられたボタンを眺め、投入口にコインを入れた。

 ごとりと音を立てて落ちた清涼飲料のボトルを取り出し、口をつける。
 いい国、だよな。地下を掘れば温泉が湧く。こんな風にボタンを押せば飲物が出てくる。風呂に入れば皆裸だし、販売機はニートを差別しないし。
 視界の端で何かが走り抜けた。
 ボトルのキャップを閉めて見回すと、民家の塀の上を駆け抜ける黒猫が見えた。
 それだけではない。
 木陰に身を隠す一匹。軒の雨樋を伝って歩く別の一匹。植木鉢の向こうに揺れる尻尾。
 ずいぶんと猫が多いんだな、と思う。しかもどれも黒い。兄弟だろうか。
 民家のポストにするりと滑り込んだ仔猫は、そのままどこかへ消えたようだ。まさに黒猫郵便か? 浮かんだたわいない妄想を肩で笑う。
 その癖のせいで、周囲からは変わり者扱いされているのだが。

「おじさん、うちの猫、知らない?」

 もう一口飲むと、既にボトルの中身は半分に減っていた。家に着く前に飲みきってしまいそうだ。
「ねぇったら」
 自分に話しかけられた声とは思わず、歩を進める彼の足に、冷たい何かがまとわりついた。
「んぉ?」
「おじさん、話しかけられたら、お返事するのが決まりでしょ? ねぇ、一緒に探してよ」
 つっかけサンダルの足を止め、彼は背後を振り返る。
 彼の身長の半分にも満たない、おかっぱ頭の少女が腰に手を当て立っていた。
 紺無地の長袖ワンピースはまるでやんごとない私立学校の制服のようで、背には黒いランドセル、胸元には校章なのかブローチをつけている。
 少女が放つ暗い冷気のおかげで、先ほどまでの暑さが消え失せる。
「……用事頼むなら、ちゃんとした言葉遣いをしろよ」
 若干二十歳の彼は、おじさん呼ばわりされたことなどなかった。
 正しい指導をすべきだ、と思う。
「こっちが子供だと思って馬鹿にしてるの?」
「ガキでござい、って特権を振りかざすガキは嫌いだ。猫なんて知るか。夏休みの宿題やって、風呂入ってクソして寝ろ。それとも」
 彼は後ろ手に持った袋からそっと携帯電話を取り出して操作する。
「こう見えて100才なんだからね、とか言い出すつもりか?」
「ざーんねん、まだ60才ですよーだ」
「なるほどな。そっちの基準だと、おばさんってことになるよな」
 少女が頬をふくらませる。
「失礼ね、世に出たばかりの猫使いよっ」
「ほう。名前も教えてくれるか?」
「おじさん、変態ね? でもあたしを誘拐なんてできっこない。うちの猫が許さないんだから。ほら、もう暗くなってきた」

 少女につられて空を見上げれば、群青の幕が茜雲を覆ってゆく。
 小さな黒い影は家路を急ぐ山鳥ではなく、コウモリだ。夕刻にはいつもコウモリが飛ぶ。
「ホントに困る。うちの猫、すぐいなくなっちゃうんだもの。せっかくお風呂に入ろうと思ったのに」
 思い出した。新聞ともテレビとも無縁の彼だが、最近、町内で殺人事件があったと聞いた。続けざまに三件も。
 ……被害者の体には鋭い爪痕が無数に残っていたらしい。
 男は自分を囲む黒猫の群れを見たくなくて目を閉じた。はったりも限界だ。アウル適性のない身では、猫一匹も相手にはできないだろう。
 口の中が渇く。早く来てくれ撃退士、と念じる。


リプレイ本文

●光運ぶ者たち

 転移先は道の駅の駐車場だった。
 派遣された十名は、素早く辺りを見渡す。
 民間の撃退士事務所から入った情報によると、闇猫と呼ばれるディアボロが現れた現場はここから二百メートルも離れていないはずだ。
「要救助者の位置を特定しました」
 機嶋 結(ja0725)はスマートフォンの地図に目を落とし、無機質な声で告げた。
「急ぎましょうっ」
 駆け出す氷月 はくあ(ja0811)を制したのは、ジネット・ブランシャール(ja0119)だ。相手に悟られない位置まで近づいた上で鋭敏聴覚を発動させ、現場の情報収集を試みる。

 その間に、亀山 淳紅(ja2261)は付近の地理を把握し、いざというときの退却ルートを描いていた。
 桐生 直哉(ja3043)は阻霊符を確かめ、LEDミニランタンを灯す。
 日が沈んだ町はまだ昼間の熱気を残しているが、急速に暗くなってきている。
 ジェラルド&ブラックパレード(ja9284)が持参した観光ガイドブックに近くの温泉施設が載っていた。作戦の進行によっては、ヴァニタスを温泉へ誘導することになる。電話をかけ、人払いを頼む。
 直哉は戦闘による器物破損の可能性も考慮し、その際は後日改めて修繕作業に向かうと係員に伝えた。
 周辺住民へは連絡があるまで出歩かないよう、温泉施設の係員が電話を入れてくれるという。

「……会話がない……?」
 ジネットは眉をひそめ、さらに感覚を研ぎ澄ませる。囁き声でも会話が発せられていれば聞こえるはずだが、今のところ感じるのは雑音ばかりだ。
 ようやく人の声がジネットの感覚網に引っかかった。
 ――待てよ、おい!
 ――どうしろって言うんだよ、こんなに……置いていくな……!
 ――俺は餌じゃないぜ……来るなよ、こっち来るなよ……ご主人のとこに戻ってくれ――
 声の主は要救助者だろう。男性、二十三才のフリーター、名前は重松朋樹と判明している。
 通報の通り、彼は闇猫に囲まれている。喋れる状態にあり、無傷もしくは軽傷と見られる。
 一方、闇猫の「使い手」であるはずのヴァニタスは重松の前から立ち去っているのか。声が聞こえない。
 ジネットは奇妙な状況を仲間に説明した。

「まずは救出やな」
 淳紅の一言がスイッチとなった。一同は現場を目指す。
 義足でありながら滑らかな疾走の合間に、結は言葉を発する。
「闇猫は暗闇で威力を増します。影の部分を減らすよう、常に光源を確保します」
「現場で殲滅させられるかな? 猫の数と、温泉の客の避難状況次第よね」
 雪室 チルル(ja0220)がヘッドライトの角度を調整しながら走る。
「倒しきれない場合でも、複数が融合するという未確認情報の真偽は調べておきたいわね」
 シルヴァ・ヴィルタネン(ja0252)の指摘に、前衛、後衛共に今回の目的を再確認する。通報人の保護、ならびに闇猫とヴァニタスの情報収集だ。
 関東北西部で魔族が暴れている。いずれ大勢で赴くことになるだろう。そのための索敵だ。
(魔族の猫は……暇なときにはやっぱりのんびり寝てるのかしらねえ)
 高虎 寧(ja0416)は猫の寝姿を想像し、うらやむ。

 路地には、四つ足の黒い小動物がたむろしていた。
 闇猫の群れだ。
 群れとしての統合された動きは見られないが、目視で二十体ほど、隠れた気配はそれ以上の数に及ぶ。
 猫の向こうに男がいた。
 地面には清涼飲料のボトルが転がっている。湯上りの姿のまま、男は精一杯の虚勢で猫たちから身を守っている。
 間に合った、と撃退士たちは安堵の息を漏らす。
「撃退士です。安心してくださいっ」
 はくあの呼びかけに重松は放心状態となる。
 猫たちは新たに増えた「標的」に背の毛を逆立てる。興をそがれた怒りをあらわに、撃退士たちへ飛びかかる。
 寧が槍ですくい上げるように猫を弾き飛ばした。
 テレビの撮影のように明るくなった路地で、重松に通じる道ができる。
 すかさずシルヴァが進み出て、重松の身を確保する。
 淳紅のトワイライトが、重松の腕や足にできたかき傷を浮かび上がらせる。
「じっとしてて……動くと危ないのです」
 シルヴァが消毒処置を施した後の傷を、はくあが甘い香りを漂わせながら治療する。
 背中に立てられた爪を感じる。重松の治療が終わるまでは、とはくあは微笑んで耐える。攻撃の手が緩んだ。仲間が猫の相手を継いでくれたのだ。

 ヴィンセント・マイヤー(ja0055)が動いた。
 予測と異なる状況だが、数体の闇猫が戦闘に突入した以上、選択肢は一つしかない。重松と仲間をかばう。
 開幕でヴァニタスとの戦闘に陥らずに済んだのはいい。しかしこのままでは情報を得られない。物言わぬ闇猫は、主人であるヴァニタスについて語ってはくれない。
 ヴィンセントははくあに向かった猫の攻撃を代わりに受け、口内を狙って一撃で倒す。
 どこから湧いてくるのか。周囲の闇から生まれるのか、闇猫の個体数は減らない。

 直哉が前線に身を滑り込ませ、メタルレガースで闇猫を蹴り飛ばした。反撃に遭っては自身も派手に吹っ飛ぶ。
「もしかして、猫がすぐいなくなるのは、何か苦手なことがあるからじゃないのか? 風呂が嫌いだとか」
 背後からヴィンセントも疑念を口にする。
「猫を大切にしていると読んだのだが、これだけ猫が傷めつけられてもなしのつぶてというのは、いかなる魂胆だろうか?」
 彼らは気づいていなかった。現場へ向かう隊列が長くなり、仲間の一人が路地へ着いていない事実に。

 ジネットは重松の周囲にランタンを配置し、闇猫の戦闘能力を計る。
 黒猫と称する相棒と組むとき、ジネットは白猫を名乗り、「灰色猫」コンビとして動く。今日は単独での依頼参加だが、相手が悪魔の猫とあっては容赦しない。
(灰色猫として闇猫を撃つ! 闇は闇へ帰るんだ!)
 チルルは身長よりも大きな剣を両手で構え、氷の砲を放つ。
「あたいの必殺技よ! 耐えてみせなさい!」
 与えたダメージを調べ、闇猫が融合したときに再び同じスキルを使ってみるつもりだが、敵の数が多すぎる。氷の結晶が消えた後、どの猫に攻撃をしたのか見分けるのは難しそうだ。
 重松の護衛に力を注ぐはくあは、迎撃と受身に徹する。
「来たら狩るから、そのつもりでね……?」
 淳紅が確保した退路をたどり、一同は徐々に戦闘の場を移す。温泉施設の方角へ。
 寧の手裏剣が闇猫の一匹一匹を分断する。融合の一手を見せないまま、闇猫は撃退士たちを追ってくる。
(複数いるより一体になった方が相手にしやすいことはないかな)
 淳紅は思うが、追われる身でありながら猫を一方向に追い込むのは難しい。足を速めると、七、八匹がついてきた。曲がり角の先でもしや、と立ち止まる。
 現れた追手は組体操のように積み重なっていた。個体の境界が溶け、猫とは言いがたい形になっている。
「融合だ!」
 淳紅が叫ぶ。
「二回目よ! 今度はどうかな!?」
 チルルが再び氷砲を撃つ。
 もわ、と大闇猫は広がり、白く輝くアウルを受け止める。
「防御が上がってるわ!」
 未知の能力を見ようと、撃退士たちは融合した大闇猫を取り囲む。
 呼吸するかのように大闇猫が伸び縮みする。数秒後、つむじ風が空気を裂いた。
 はくあは重松と共に身を伏せる。
 重松をかばって遠距離攻撃砲を受けたジネットが痛みをこらえ、訴える。
「この場で倒した方がよくない…かな……」
 結が大闇猫にパールクラッシュを叩きつける。インフィルトレイターたちの銃が炎を吐く。
 倒せる、と誰もが思った。しかし、大闇猫は破裂するように広がり、もとの数匹に戻った。
「スピードか、被ダメージか、何らかの条件で発動する……」
「でも時間にして三十秒ももたないようです」
 寧と結が融合スキルを分析してうなずき合う。
 シルヴァは直哉を盾にし、そっと戦場を離れた。


●闇の少女

 ほんの十分、時間は巻き戻る。
 ジェラルドは猫じゃらしを手の中でもてあそびながら、仲間の後を追っていた。
「いいところだねぇ♪ 空気も美味しいし……温泉もあるし」
 早い星が山並みの上で瞬き始める。
「お、また猫だ〜」
 すた、と塀から下りた黒猫がジェラルドの行く手を遮る。撃退士としての知覚はその猫が魔物であると告げているが、目や心は罪のない黒猫としてとらえてしまう。
「ん、これが欲しいのかい?」
 黒猫は猫じゃらしに興味を示したように見える。
 またたびも試してみるか、と思った矢先、
「うちの猫、おじさんのことが気に入ったみたい」
 幼い声が頭上から聞こえた。
 ジェラルドは猫に視線を向けたまま立ち上がる。
 ランドセルを背負った少女が、民家の屋根の上に立っていた。スカートのすそからのぞく足は白くて細い。
「おや、かわいらしいお嬢さん。猫もかわいいけど、お嬢さんの美しさにはかなわないね」
「おじさ…お兄さんも人間にしてはなかなかよ」
 人外の者であることを隠しもせず、少女はジェラルドに笑いかける。小さな八重歯がのぞく。
「ありがとう。このあたりにいい温泉があるんだよ☆ 美肌の湯♪ よかったら一緒に行くかい?」
「行く! ちょうどお風呂に入ろうと思ってたの」
 ジェラルドは手を伸ばし、屋根から下りる少女を迎える。
 彼女を温泉施設へ誘導するのは計画通りだ。

 重松の護衛をはくあに任せ、シルヴァは来た道を戻った。
 曲がり角に達する度、前後左右を見回す。いた。見つけた。
 ジェラルドが身長一メートルほどの華奢な少女と連れ立って歩いている。間違いない、ヴァニタスだ。
「初めまして、お嬢さん。かわいらしい猫さんを連れているわね。お名前は教えてもらえるかしら?」
 少女はシルヴァを見上げ、その表情に皮肉や侮蔑が刻まれていないと感じたのか、口を開いた。
「テネブラエ・アストルム。猫はテネブラエ」
「同じお名前なのね」
 不用意な刺激を避けるため、シルヴァは武器を収めている。テネブラエと名乗ったヴァニタスの少女は、おばさんは、と聞いた。
「……私はシルヴァ・ヴィルタネンよ」
「シルヴァ、一緒に猫探してくれない?」
「その猫さん以外も、お嬢さんの猫なの? たくさんいるのね、お世話が大変でしょう」
「世話してない。百より多い数、あたしわかんないし」
「あら、飼い主がお世話をするのが、世界のルールよ?」
 ジェラルドとシルヴァは少女の左右を守る形で温泉施設の敷地に踏み入る。駐車場や建物の照明は灯ったままだ。
 数匹の闇猫が三人の前後を行きつ戻りつ現れる。主人である少女が落ち着いているせいか、猫もおとなしい。

「うちの猫がいじめられてる」
 少女が足を止めたのと、「彼ら」が駐車場に駆け込んできたのは同時だった。闇猫ともみ合う仲間を見て、シルヴァは息を呑む。
 寧は闇猫の四肢を封じながら、ジェラルドとシルヴァ、少女の位置をつかむ。
 隊が分かれたのは闇猫の挙動による流れだ。いかに撃退士といえど、天魔の思考や行動を完璧に予想できるものではなく、そこに咎はない。
 非情な現実を前に、撃退士たちは最善の手を模索する。
 救いは重松が遠く離れていることだ。ランタンを手にした直哉が警護している。
「増えたからって、殺さなくてもいいじゃない!」
「お嬢ちゃんの猫が人を襲わんかったらええんやけど」
 淳紅は懸命に会話をつなぐ。
「嫌なことされたらやり返すのは当然でしょ」
 ヴィンセントは眼鏡を押し上げる。既に交戦している以上、闇猫への攻撃予告をヴァニタスへの「切り札」として使うことは叶わない。
「猫が大切なら、撤退させることだ」
「うちの猫は前にしか走れないの。後ずさりはできないの」
 少女が地団太を踏む。アスファルトにひびが入る。
 ジネットは黙って少女を観察する。戦意はわずかだが、小さな体に隠し持った能力は桁違いだ。
 闇猫と押し合う寧と結がヴァニタスの注意を引きつけている。チルルは背後の直哉に合図を送る。重松を安全圏に逃すのは今しかない。淳紅のトワイライトが消える前に。
 直哉は重松の肩を抱き、施設の裏口へ廻った。群れからはぐれた闇猫がついてくる。小さな一匹だ。後ろに向かってペンライトを投げると、足音は止まった。
「猫使いは、ここに来た理由を言ってたか?」
 戦闘区域外へ重松を連れ出し、直哉は訊ねる。
「気まぐれ……だろ。俺に猫けしかけて、ふらっとどっか行っちまうし。60才だとよ、あの小娘」
「なるほどなぁ」
「っと、命拾いしたわ。他の撃退士にもお礼、言っといてくれ」
「また何かあったら、俺たちでよければ力になるから」

 少女がランドセルから縦笛を取り出し、宙にかざす。数メートル毎に設置された電灯が次々に割れた。
 結はトーチで光を補う。続けて防壁陣で闇猫の前肢を防ぐ。殲滅したいのが本心だ。もし自分一人なら、義肢が壊れようとも少女に挑むのに。
「シルヴァと素敵なお兄さん」
 少女が呼びかける。
「うちの猫をいじめた悪い輩をこらしめて!」
 命じたのは、同士討ちだ。
「そうだなぁ……お嬢さんがそう言うなら」
 ジェラルドは両手を大きく広げ、猫じゃらしとまたたびを放り投げる。闇猫が散開する。
 足元の邪魔がなくなれば、後は学園に集う撃退士だ。
 九名は舞うように日頃の訓練を再現する。互いの魔具をぶつけ合う。
 シルヴァも銀色の髪を気だるそうにかき上げ、ショットガンを構える。
 七対二。まともにやるつもりはない。今は少女の気まぐれによって生じた機を最大限に生かす。
 ジェラルドとシルヴァが優勢であると見せかけ、ヴァニタスの参戦を抑止し、距離を置く。
「わたしを導いて……クラウ・ソラスッ!」
「Just Dance♪」
 はくあが高速で振る剣を、ジェラルドが鮮やかに避け、蹴り返す。外したつもりが、はくあの腰に当たってしまった。
 すまない、と視線で詫びる。
 大丈夫、とはくあは答える。……後で生命の水を使うから。

 せめぎ合う中、互いの姿にまぎれて闇猫を撃つ。
 戻ってきた直哉を巻き込み、彼らは一つとなった。
 温泉を横目で見ながら――できれば汗まみれの体を洗い流し、湯に浸かって帰りたかった、改めて訪問の日を設けようと考えつつ撤退する。
 空には細い月が残された。
 結とチルルが隠し撮りした少女の写真、そして全員が持ち帰るデータは稀有で有益な情報として受領される。その価値をまだ十名は知らない。


依頼結果