●あの頃と違う覚悟を
定刻に着いた船から吐き出される人影の中、月居 愁也(
ja6837)は目当ての人物を探した。
桟橋に立ち尽くす男がいる。
その視線は海に向けられ、次に島の施設に向けられる。長めの髪を無造作に流し、まぶしさをこらえる横顔はいかにも女子の興味を引きそうだ。
高柳から聞いていた風貌と一致する。愁也は男に近づいた。
「石堂さんですね」
男はナップザックを背負い直し、両手で愁也を拝んだ。
「あぁ、高柳先輩の教え子か。わざわざ出迎え悪いなぁ」
「いえ。月居愁也です、よろしくお願いします」
石堂の足はしばしば止まった。2004年から流れた時間のギャップを埋めるためには、幾度もの小休止が必要なようだ。
スーツケースの車輪が道の凹凸の上で音を立てる。
石堂は現職のイベンター業務について語った。休みは少なく、給料は上がらない。そんな愚痴さえも明るい口調に彩られ、不満だけではないことが見て取れる。
結婚しているのかと愁也が尋ねたとき、 石堂の顔から表情が失せた。
「……できたら、いいんだけどな」
饒舌さから一転し、口が重くなる。
当たり障りのない話に戻し、石堂が予約した宿の前へと到る。
「明日からは仲間が分担して案内しますので」
「ありがとう」
ほんの十数分話しただけだ。愁也の中で、石堂の像はまだ定まらない。なぜ彼は再び撃退士を目指すのか――。
翌日から、今回の「見極め調査」を高柳に頼まれた面々が、都合のつく順に石堂を案内して回った。
「ごきげんよう。私は雨宮アカリ(
ja4010)。よろしくねぇ」
軍服姿のアカリが石堂に握手を求める。
「長旅お疲れ様ぁ。今の学園はいかがかしらぁ? 以前と変わったところでも?」
隊の帽章のついた緑色のベレー帽を傾け、アカリは校舎の入り口を片手で示した。
夏休みの校内は学生の数こそ少ないが、冷房は効いて快適だ。
「何もかもが違うよね。まず規模が違う、雰囲気も何だか自由で……これなら俺でもやっていけそうかなぁ、なんて。ははは」
かつて彼が訓練を抜け出していたと高柳に聞いているアカリは笑うに笑えず、あいまいに応じた。
「あ、これお土産。愁也くんとアカリちゃんと、あと何人かな。足りるといいんだけど」
石堂が取り出した包みを受け取り、アカリは妖艶に微笑んだ。
長い階段を上りながら問う。
「石堂さんはもし次に過去と同じことが起こったとき、自身の安否を問わず仲間のために行動することができるかしらぁ?」
「あぁ。今度は逃げない」
覚悟を裏づけるような確かな足の運びが、最上段へとたどり着く。
「今ならわかるでしょうけれど、過去に亡くなった撃退士たちは決して石堂さんをとがめたりしないわぁ。彼らは彼らの意思で、少しでも多くの仲間の命のために行動したんでしょうねぇ」
アカリは鉄扉を押した。
「ここが屋上よぉ」
晩夏の風が二人を包む。
「あっちに慰霊碑も見えるわねぇ。石堂さんが生き残り、彼らの意思を継ぐのなら、彼らの戦死は無意味ではないわぁ」
アカリは空を仰ぐ。この空の下のどこかで、天使と悪魔が暴れている。人間同士の争いも続いている。蝉たちは今が盛りとうなっている。
「昔、ここに通ってらっしゃったのですよね?」
「うん、建物はもう全然違うけどなぁ」
近衛 薫(
ja0420)は石堂にぶつける強い言葉を持っていない。
学園内にいながらして、いきなり大勢の仲間が殺される図が想像できない。
非日常の悲劇が数年前に起こったなんて。
仲間が目の前で息絶えてゆく惨状を前に、どれほどの恐怖が石堂を襲ったのだろう。逃げたくなる気持ちもわかる。
「なぜ急に戻ってこようと思ったのですか? 基先生がいたからですか?」
「あぁ、天魔の事件が報道される度に久遠ヶ原を思い出した。忘れたことなんてなかった。高柳先輩は戦って生き延びたひとなんだ。次は俺も、男を見せないとな」
「そう…ですか」
薫は言葉にできない思いを心の奥に抱え込む。ざらざらした危惧を感じる。
(それ相応の覚悟を持ってここに来ているのでしょうか……? わたくしは、そういうわけではないので……)
もし、石堂が罪悪感から復学を望んでいるのであれば、戦う理由を他人に預けてしまっていることになる。それは巡り巡って、自分を苦しめることになるのではないか。
(わたくしがそうであるように……)
もし、仲間や一般人の死を目にしたら、彼はまた2004年の景色を思い出してしまうのではないか。
まだ引き返せるのであれば、引き返すのが彼のためではないか。
いくつもの「もし」が薫の中でこだまする。
体育館からボールの弾む音が響く。
●選ぶことは、他を捨てること
昼にはアーレイ・バーグ(
ja0276)が食堂で待ち構えていた。
「石堂様……でしたか。復学とは正直、正気を疑いたくなる申し出ではあります」
「そう言われても仕方ない…かなぁ」
「このご時世に就職できただけでも僥倖でしょうに、辞めて撃退士を志望なさるとは」
アーレイは皿からあふれそうな特大ステーキを注文し、空いている席に座る。
石堂の注文は同じくステーキ定食、ただし通常サイズだ。
「一応確認しておきますが、撃退士になれなかったら学費は全額返済ですよ? 三十から返済開始では、年収三百万程度の収入として、返済完了は十五年から二十年というところですから……五十近くまで返済に追われます」
アーレイはびし、びしっと指を立てて告げる。
「そこまでの金銭的不利を無視できるだけの魅力が撃退士にあるとお考えならば、ぜひそれをうかがいたいものですが」
「……君はずいぶんビジネスライクというかドライというか……」
戸惑いを見せる石堂に、アーレイはうなずいた。
「今回の入学希望が罪滅ぼし……だという気分が少しでもあるならそれは勘違いだと申し上げておきます。
石堂様は2004年に果たすべき義務を果たしませんでした。寄せられていた信頼を踏みにじり、友情を放り捨てて逃げ出しました。
それは2012年に何をしても変わらないのです。たとえ石堂様が私など及びもしない強靭な撃退士になって悪魔や天使を滅多切りにしても、2004年に死んだ学生が生き返るわけではありません」
口に入れた肉を噛み続ける石堂に、アーレイはさらに淡々と告げる。
「2004年に何があったか隠し通すのは無理です。一からではなくマイナスからのスタートになります」
そうだなぁ、と石堂はうなだれた。
覇気をなくした石堂を、愁也は訓練場へと誘った。勘を取り戻してもらうための手合わせだ。
「愁也くん、強そうだよねぇ」
へつらい笑う石堂に、構わず尋ねる。
「専攻はディバインナイトでしたっけ。何使ってました?」
壁際に並んだ訓練用装備に視線を走らせ、石堂はおずおずと長槍を選んだ。
「そちらからどうぞ」
愁也は木盾で応じる。距離を置く。体格は互角だ。
最初、石堂の振るう槍は空を切るだけだったが、やがて愁也の盾をとらえ始める。
カン、カン、と両者がぶつかる音が続く。石堂が慣れてきた頃を見計らい、愁也は紅蓮の光を纏う。そのまま闘気解放すると、
「ちょっ、君……っ」
石堂が飛び退く。
じりじりと追い詰め、けれど愁也は相手に一撃を撃ち込むことなく、ただ言葉で問うた。
「貴方にとって、撃退士として戦うことって何ですか?」
「……」
答えはない。
「ここまでにしましょうか。お疲れ様でした」
夜は高柳と会うらしい。愁也は元学園生の背中を見送る。
石堂の滞在三日目。
今日は教材としてのディアボロとの模擬戦闘が計画されている。
宿へ石堂を迎えに出たのは、唐沢 完子(
ja8347)と雫(
ja1894)だ。小柄な二人を見て、石堂が目を丸くする。
「こんなかわいい子も撃退士…なのか。すごいなぁ」
かわいい、の意味するところを察し、完子は鼻で笑う。
「久遠ヶ原に戻るのは構わない。でもまず言葉でもって、戦場に立つ覚悟を確認させてもらうわ」
完子が家族を喪ったのは五才の頃だ。十七才の石堂が仲間を置いて逃げた時期と重なる。
「それは死ぬ覚悟をすることであり、大切なひとと二度と会えなくなる覚悟をすること。戦場はかつての汚名を灌ぐための場でもなければ、楽観主義で済む場でもない」
きっついなぁ、と石堂が首を振る。
完子は鋭いまなざしを石堂に向けたまま、本気のほどを問う。
覚悟のない者が戦場に立つことによって傷つくのは本人ではなく、弱者なのだ。
「今一度、戦場へ踏み込むというの?」
「……あぁ」
(敵を前にしたときの行動をしっかり観察させてもらうわ)
日々過激さを増す訓練にやつした完子の頬に、暗い影が落ちる。
雫がまっすぐ石堂を見上げる。
「なぜ復学を考えたのですか?」
彼の紡ぐ答えに嘘はないか、感知スキルを発動させる。
「自分だけが大事だった十代の頃は、とにかく生き延びるために……逃げた。俺より優秀な奴らが次々に倒れて、ただ怖くて」
石堂がしゃがみ込む。視線の高さを雫に合わせ、くしゃっと顔をゆがませる。
「逃げた後の方がきつかったさ。背中に何かが貼りついてる気がした。死んでいった奴らが守ってくれた世界で、俺は独りだった。でもさ」
「大切なひとができたのですね」
あぁ、と石堂がうなずく。
「あのひとのいる世界を守るために、弱くてどうしようもない『俺』を使えたら、って思ってるよ」
雫は唇を噛んだ。石堂の言葉に嘘はない。
平穏な生活を捨て、あえて危険な道を選ぶ。
その理由は明確だ。
愛する存在を守るため。
「でも、戦うことだけが唯一の守る方法ではありませんよ。そのひとの隣に居続けるのも強さの一つです。私が言えたものではありませんが、こんな命の危険に晒されるところに戻らなくてもいいのではありませんか?」
雫の提案に、石堂はやわらかく微笑む。
「どの道、隣にはいられないのさ。……ヒトヅマだからなぁ」
渇いた声が雫の耳に残った。
隣にはいられない、自分のものにはなってくれない、大切なひと。
雫は完子と顔を見合わせる。高柳から得た情報にわずかな不足があったことを知る。
●だとすれば答えはいずこに
「模擬戦をしてもらうわ」
完子と雫は、仲間が待つ訓練場へと石堂を導いた。
前日に愁也との立ち回りを味わった石堂は、二人がかりかぁ、君らも強そうだなぁ、と言いながら素直についてきた。
「今日の相手は私たちではないわ」
「というと」
石堂が足を止める。
室内には、既に顔見知りとなったアーレイ、アカリ、愁也、薫の四人がいる。
「まさか、四対一?」
愁也が黙って首を横に振る。小さな檻を脇に抱えたまま。
アカリが前に進み出た。
「対人も対天魔も、戦場は確かに怖いわぁ。でも、一番怖いのは自分が仲間のために何もできないこと」
白い指先が、檻の掛け金を外した。
中から黒猫が降り立つ。透過されない床の上で、胴を反らせて伸びをする。
「そ、そいつは悪魔の手先だよな……」
そうです、と雫が答える。
「……ディアボロ」
「闇猫よ。一対一で対戦してもらうわ」
完子が後ろに退く。
いつでも割り込める距離で盾を構える。
愁也に渡された長槍を握り直し、石堂は振り抜いた。闇猫は悠々とかわす。
弱いアウルが魔具を伝い、黒猫を追う。
突如始まった戦闘から逃亡するキャストがないよう、一同は警戒しながら囲む。
ぎこちなく長物をさばく石堂を完子は注視する。戦闘能力ではなく、覚悟を計る。
槍の先が猫の尾を突いた。
愁也はアーレイに合図を送る。
室内が暗くなる。
対戦の場としてこの訓練場を選んだのは、光量を調節するためだ。アーレイが照明のスイッチを絞った瞬間、闇猫の能力が上がる。
まさに攻守交代だ。
闇猫は傷つけられた怒りを爪に込め、石堂に襲いかかる。
長く訓練から離れ、魔装能力の衰えた石堂の防御は一般人並みだ。脇が甘い。
流れる汗が床に落ち、靴音が鳴る。
闇猫が跳んだ。
石堂の喉から悲鳴が漏れる。
過去の亡霊が大きく口を開き、石堂を食らおうとしているのだ。
自らを癒すのも忘れ、石堂の皮膚から血が滴る。やみくもに振り回す槍は闇猫への反撃にはなりえない。石堂の受ける傷が増えてゆく。
「回収します。いいでしょうか?」
雫が尋ねる。異存はない。
完子は闇猫にスタンを食らわす。
教材用ディアボロが役目を終える。
「お疲れ様です」
戦闘終了を告げられ、石堂が膝をつく。槍を頼りにその身を支える。
アカリはライフルの構えを解く。時間にして四分の模擬戦だった。
アーレイが照明を元に戻す。
檻の中に闇猫を収めた完子は、うずくまる石堂を見下ろした。
かつては自分も石堂と同じレベルであったかもしれない。今は力の制御を覚えた。考えるより先に体が動く。
それでも足りない、もっと力をつけたいと願う。
気持ちだけでは戦えない。戦場でものを言うのは、訓練の成果だ。
果たして石堂は、なおも復学を望むだろうか。
模擬戦闘を通じて彼が乗り越えたものがあるとしても、新たな恥辱もまた塗り重ねられたのではないか。
傷の手当てを施しながら、一同はそれぞれの思いを巡らしていた。
数日経たないうちに、高柳の手もとに教え子からの報告書が届いた。
石堂静馬の復学に賛成か、反対か。整然と根拠を並べた文章もあれば、「石堂さんがうらやましい」とか細い筆跡で綴られたものもあった。
高柳は紙片を手に、学園の端にある慰霊碑へ向かう。
かつてのゲートの――今は訓練場として用いられるエリアの横を通り、木立を抜ければ、灰白色の石碑が立っている。散っていった仲間を悼むしるしだ。
手向けられた新しい花束は石の上に瑞々しい紅色をこぼし、生と死の鮮やかな境界を具現する。
これから情勢は険しさを増すだろう。
新たな戦力が必要なのは言うまでもない。
当人が希望するならば、学園は適性のある新入生を受け入れる。
高柳や他数人が反対しようとも、入学が取り消されることはないだろう。
迷いの中、答えを見つけるための頼みごとをした。しかし手がかりとしてつかんだ蔓は根を張り、より深い惑いへとつながっていた。
弱さを切り捨てていいのか、どこまで人間は強くなければならないのか、一度の失敗も許さない態度は教師として正しいものなのか。
あのとき逃げたにせよ失わずに済んだ命を、やすやすと投げ出してほしくない。
過去を語れるのは生き延びた者だけだ。未来は誰も知らない。
報告書を握る手が白くなっても、高柳はそこから動けずにいる。
「俺には、無条件で背中を預けて戦える親友がいます。
隣に立つ仲間がいます。
何より、親友の隣に立って恥ずかしくない自分でありたい。
先生が『未来を、希望を見たい』と言っていたのと同じく、
大切な親友と未来を、希望を一緒に見られるのなら、俺はそのために全力で戦います。
俺にとって『撃退士として戦う』というのはそういうことです。
先生は、彼と一緒に未来を見たいと思いますか?」