●心の舵を沖へ
「くっ、天魔か!?」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)は波間をにらんだ。
赤い瞳に映るのは、助けを求めて手を伸ばす少女と、彼女に襲いかかる何匹もの海蛇――いや、同じ胴から複数の頭を生やした一匹の巨大な海蛇だ。
「んー、見たところヒュドラ型サーバントだね。伝承によると強力な毒を使うらしいし、仕方ないから助けてあげようかな」
腰まで届く髪をくくり、アリーセ・ファウスト(
ja8008)が白いうなじをあらわにする。救助宣言はしたものの、水着姿のままだ。
「暑いから泳いで涼もうと思ったら、ここにも天魔かい。迷惑だねぇ」
ぼやきながら銅月 千重(
ja7829)は早くも青い光を纏い、放送ブースへ走る。
「海から上がれ! 離れるんだ! 沖に天魔がいるよ!」
マイクを握った千重は、海水浴客に避難を呼びかける。格好はセパレートのフィットネス水着だが、撃退士であることは明白だ。
係員たちは色めき立ち、千重の指示のもと、避難誘導を開始した。
「本当に最近は暑くなりましたわね」
コントラストの強い白と青の水着は新調したばかりだ。桜井・L・瑞穂(
ja0027)は熱く焼けた砂を踏みしめながら、猫野・宮子(
ja0024)と波打ち際へ向かう。
「あの娘たちがいないのは残念ですけど、今日は宮子と思う存分……って、何事ですの?」
宮子も遊泳エリアの異変に気づき、波に浸したつま先を引っ込める。
「サーバントだ……せっかく遊びにきたのに。さっさと倒さないとね」
隣で険しい表情を見せる瑞穂に目配せをし、
「魔法少女マジカル・みゃーこ出陣にゃ♪」
黄色に白の水玉模様のビキニ水着に猫耳、尻尾をプラス。宮子はすっかり戦闘モードだ。
「あのひとたちを助けるために、まずサーバントの興味を引くにゃ」
「了解しましたわ、宮子。しばらくの間、任せますわ……!」
幸い、宮子は水上を歩くスキルの持ち主だ。波をものともせず、まっすぐに海蛇めがけて走ってゆく。
遅れること数十秒、あまね(
ja1985)も海面に立った。
水上歩行できる時間は長くて二十分。時計を確かめる。
持参した浮き輪をアリーセと瑞穂に投げ、
「無事に助けてあげてねなのー」
ピンクの水着のフリルを揺らし、あまねは沖へ向かって駆け出す。
水着とそろいのサンダルが海面を蹴る度、長い髪が風に踊る。
インドア派の羽山 昴(
ja0580)がこの海水浴場にやってきたのは、アルバイト先が夏季休業になり、まる一日空いたからだ。
たまには外で遊ぶのもいいのではないかと思い立ち、千葉県までやってきた。
まさに泳ごうとしたところで、サーバント出現とは。
(やはり俺にはアウトドアは向かないらしいな……)
「あたしは撃退士だ! 怪我はない?」
身分を明かしつつ、一般人を避難させている千重の姿を認め、昴は光纏した。偶然にも浜辺には数名の撃退士がそろっているようだ。
昴は準備運動もそこそこに海へ入った。
海蛇はいくつかの頭を海面に出し、四方を見渡す。
水と戯れていた人間が一人、また一人、陸へ上がってゆく。
魚や小さな水生生物では殺戮欲求が満たされない。
水面を走ってくる小さな人間が二人、そして――
「誇り高きディバインナイトの名に賭けて! 私は貴様を滅ぼそうッ!」
声は上から聞こえた。
陸にへばりついているはずの人間が海という深遠な領域を我が物顔で闊歩するのも許せないが、それ以上に海蛇を怒らせたのは「彼」の姿だった。
誰が呼んだか非モテ騎士、海パンいっちょで宙を飛ぶ。
口上の格好よさと、服装のアンバランスに、仲間である宮子とあまねも一瞬、視線を奪われる。
海上数メートルの高度を保ち、ラグナ・グラウシード(
ja3538)が飛んでくる。繰り返すが、海パン姿だ。
宮子とあまねは自らの役目を思い出す。後続組が一般人を救出するまでの囮役だ。敵の意識を少女たちから自分たちに切り替えさせねばならない。だとすれば、ラグナの突飛な行動も充分理解できる。
「海水浴場の平和を乱す悪いサーバントはやっつけちゃうのにゃ! でも救出まではこっちに引きつけないとにゃ」
「あっちいくなー! こっちこいー!」
「マジカル♪シュートにゃ!」
宮子は拳銃を構え、海蛇を挑発する。
白い鱗はアウルの攻撃をはじき返す。
水中では倒せまい。だが、海蛇の意識が宮子たちに向いたのは計画どおりだ。
遊泳エリアで化け物に出くわし、震えていた少女はうつろな視界の中、撃退士の活躍を見た。
化け物をおちょくるように、小柄な二人が海面を飛び跳ねる。赤銅色に焼けた青年がしぶきを散らしながら高く飛び上がる。
化け物の首が大きくうねり、三人を追い回す。
既に友人は気を失い、浮き輪の力でどうにか沈まずにいる状態だ。
(でも、自分は。
助かるかもしれない)
「死にたく…ない……助けて!」
少女は本心からのつぶやきを喉から絞り出す。
先行の囮役が海蛇に近づき、その興味をつかんだのを見計らい、瑞穂とアリーセは一般人の確保に向かう。
二人より先に泳いで沖へ向かった昴は水中から海蛇を攻撃していた。
(これは敵の気を引くための行動だから)
深追いはしまい、と心がける。
昴の計算外だったのは、毒の効果の及ぶ範囲が、思うより広かったことだ。
九つもある頭が次々に毒を吐く。避けきれず、食らってしまった。
「……倒れてられっかっ! ぶっ倒す……っ!」
威勢のいい言葉と裏腹に、意識にもやがかかり、手足の自由が失われてゆく。
大きな波をかぶり、昴は塩水を飲んだ。
●何よりも大切なこと
ミリアム・ビアス(
ja7593)は状況の把握に努めた。
砂浜では千重が一般人の介抱に当たっている。
瑞穂とアリーセは救出対象の一般人のもとへ到着し、海蛇から遠ざかるよう誘導を始めている。湾内を迂回して砂浜へ運ぶつもりだろう。
宮子とあまね、そして海パン姿で飛翔するディバインナイトは今のところ、敵の攻撃を器用にかわしている。
気がかりなのは昴だ。同じルインズブレイド職である。戦法は各々のスタイルで磨くとはいえ、海蛇相手の水中戦で優位に立てるだろうか。
もしや――
(根性でどうにかできるものなら、耐えてみせる。
気合いで実力以上の力が出せるなら、限界を超えても剣を振るってやる。
壁を壊したくて、俺はもがき続けていた。
決別した家族の声が聞こえた気がする。そんなはずねーのにな。あぁ、これは夢か。
俺は見つけたんだよ、新しい道を。
だからこんなところで倒れるわけにはいかねー……)
ミリアムは自前の浮き輪に加え、ライフセイバーから借用したライフジャケットを着用し、海蛇の頭が見え隠れするエリアへ向かう。
千重が勝利のおまじないだと言って、アウルの衣の加護を与えてくれた。
水は思ったより冷たい。
大きく息を吸い、浮き輪から手を離し、深く潜る。ジャケットの浮力に抵抗するため、両手の筋肉に力を込める。
海蛇に気づかれないよう、海底近くを平泳ぎの要領で進む。
音のない世界で、魚の死骸がゆっくり流れに乗って移動してゆく。その先を漂う昴の手に――ミリアムの指先が触れた。
先行した囮班にサーバントの相手を任せ、瑞穂とアリーセは少女たちを敵から遠ざける。まずは負傷者の安全確保が最優先だ。
他に逃げ遅れた一般人がいないのを確認し、陸を目指す。
私は死ぬんだ…あのときのバチが当たった…と震える少女を抱え、瑞穂は眉を吊り上げた。
「気をしっかりお持ちなさいな。このわたくしが死なせはしなくてよ!」
「抑圧されてる感情か。ふふ、おもしろい毒だなぁ。まぁ、その程度で運がよかったね」
アリーセは余裕の笑みを崩さず、少女たちの反応をうかがう。
体温が低い。岸に着く前に、二人で手分けして解毒と応急手当を行う。
上空から奇怪な声が降ってくる。
「逃さんぞッ、リア充!」
「……リア充? わたくしたちのことですの?」
さぁどうかな、と水を含んだ髪を揺らしてアリーセは肩をすくめる。
水泳が得意な瑞穂は立ち泳ぎで体勢を保ち、サーバントとの距離を計る。
あまねが指で一、五、の合図を送ってくる。十五分経過だ。
「逃さんぞーッ、リア充!」
再びの声に瑞穂とアリーセは空を仰ぐ。
青空を背景に、光り輝く両手剣をかついでカモメと並び飛ぶラグナがいた。
「非モテ騎士ですわね……」
「ボクの目にはすごく楽しそうに見えるよ……」
カモメが鳴いた。
●真の首を探せ
「羽山くん! あたしの声、聞こえる?」
「う……」
千重の呼びかけに昴が反応した。
ミリアムに助け出され、日陰で横向きに寝かされた昴は海水を吐いた。濁った水だ。
解毒を待たずしてライトヒールを受けた。大事には至っていないようだ。
「どうやらボクの出番かな」
髪からしずくを垂らしながらアリーセが近寄り、
「サーバントでなくても海蛇の毒は強いしね」
昴の体内に残った毒を中和する。
「これで弾切れだからね」
作戦ではここから陸上戦になる。こちらに利があるはずだ。
(もう毒なんて食らっていられない)
昴はのぞき込んでくる仲間たちに、強くうなずき返した。
二十分が経過した。
あまねと宮子が浜辺に引き返してくる。
「囮役、お疲れさま! 怪我はなさそうだね」
出迎える千重に、宮子が仔猫のポーズで応じる。
「うに、後は砂浜へと誘導にゃ!」
ぱたぱたとサンダルを鳴らして走るあまねの小さな足跡を追うように、海蛇は波打ち際へ身を乗り上げてきた。腹部分をこすっているのか、濡れた音がする。
一般人の避難は完了している。今頃は山側の高台から遠巻きに撃退士の動きを見守っているだろう。
「避難はOK、と。今日はこの動きやすい格好でいっちょやってみるか」
千重は救急箱のふたを閉じた。
無人となった放送ブースからBGMが流れ続けている。気持ちを奮い立たせる夏の歌だ。
「よし」
昴はジャマダハルを握り直す。
アリーゼが後方に下がる。
砂浜に陣形が描かれる。
「汚らわしき天魔よ、こっちだ、私を見ろッ!」
鉢巻をなびかせ、ラグナが砂を蹴る。狙うは蛇の頭部だ。どんな生き物であれ、頭を切り落とされては生きてはいられまい。
手応え、あり。
白いうろこに包まれた頭が砂地に落ちた。金色の瞳が空をにらんでいる。
「その頭は駄目だ、また生えてくるぜ」
「何だと!?」
昴の指摘どおり、ラグナが落とした頭部は砂に溶けるよう消えた。頭を失った首には再び新たな頭が形成されている。
「どうなッてんだ……」
ラグナを笑うように敵は首を振る。
「地を這う貴様などに負けてたまるかッ!」
ここまでは来られまい、とラグナは飛翔する。きっと天使に作られたこの海蛇に翼はない。
ラグナに牙が届かなくていら立ったのか、海蛇は千重へと標的を変えた。
千重のシールドに重みが加わる。歯を食いしばり耐える。
「むやみに移動させると速度で負ける! このままあたしが相手にするから、弱点を見極めよう!」
光纏したミリアムが黒い霧を放つ。直線的に動く海蛇の狙いをそらすためのドレスミスト――戦闘が有利になるはずだ。
「隙ありにゃ! 必殺、マジカル♪兜割りにゃ!」
宮子の渾身の技が一つの頭を砕く。しかし数秒で元どおりに再生する。
あまねは扇を振る。あえて仲間とは異なる箇所を狙ってみる。
「右から三つめの頭、毒を吐かないのー」
「三つめってどれだ?」
「くねくねしてわからん」
「皆、一歩下がって」
ミリアムは仲間の位置を確かめ、右ひじを曲げる。振り払ったシルバーレガースから黒い光がほとばしり出る。
効果――あったか。
「あの首だね」
アリーセが舌なめずりをして梓弓を構える。
金色の瞳は、海蛇の目と同じ色だ。まっすぐにらみ合う。
ミリアムが印をつけてくれた。傷が再生されない首が識別できる。
瑞穂は麗華聖印を施した身を海蛇の前にさらす。
「わたくしの目は欺けなくてよ!」
白い八つの首が交互に毒煙を吐く。
「桜井さん、大丈夫っ?」
「おーほっほっほ♪ 少し煙たいだけですわ」
けほけほと咳込んだ瑞穂の背を、宮子がさする。
ラグナが一歩踏み込み、タウントスキルで海蛇を引きつける。
「届きはしないさ! 貴様の攻撃などッ!」
「今だ!」
アリーセと瑞穂、そしてラグナのいずれに標的を定めるべきか海蛇が迷いを見せた瞬間、撃退士たちの総攻撃が「黒くただれた首」に向かって放たれた。
九つの首を持つ海蛇はただ一つの真の首を失い、のたうち、砂浜に倒れた。
●貝殻の中の潮騒
サーバントの屍が処理班によって運び出される。一同は海の家で涼みながら成りゆきを見守った。
保護した少女たちは病院へ収容された。命に別状なしとのことだ。
荒れた砂浜はやがて風や波でならされるだろう。
戻らないのは貝や魚、蟹の命だ。
「さて、海も平和になったし、改めて…瑞穂さん、泳ごうか?」
「ええ、わたくしの美しい泳法を皆様にご覧に入れますわ」
猫耳と尻尾を外した宮子の誘いに瑞穂はうなずき、露出した肌を見せつけるグラマラスなモデルウォークで砂浜を横切る。
ヒューヒュー。誰かの口笛を背中で聞く。
毒を食らったまま海中でもがいていたら、今ここでこうしてはいないだろう。昴は仲間に礼を告げる。
ミリアムが軽く頭を振り、タバコに火をつける。
「休日がつぶされるかと思ったけれど、まだ遊ぶ時間はありそうだね」
サーバントがいなくなった海は、波音も平和な響きだ。
「ありがとうございました! あの、握手してください」
駆け寄ってきた見知らぬ顔が昴に握手を求めた。
「せっかく来たんだから、海を満喫しようか」
アリーセの言葉に同意し、昴はアウトドア適性を上げるべく波打ち際へ向かう。
「…疲れた」
ため息をつくラグナの耳に、避難場所から戻ってきた海水浴客の笑い声がこだまする。いちゃつくリア充バカップルめ。しかし成敗する元気は、もはやない。
「今日は…海辺に散策しにきた、ということにしておこう。土産は日焼け、だな」
海水と汗を吸った海パン姿のまま、非モテ騎士は立ち尽くす。
「ラグナは空飛んでお疲れだったね」
「!?」
耳元に冷たい何かを押し当てられて振り返る。
千重が缶ビールを差し出して笑っている。
「水着で暴れるのも悪くないね」
「う…うむ」
潮風に吹かれながら、乾杯。
胴にはめた浮き輪を両手で支え、あまねは太陽の下、白い波を追いかける。
波が砂を洗い、また次の波が新たな砂を運ぶ。
足元に手を伸ばす。
支えを失った浮き輪が細い胴を滑り落ちるのも構わず、あまねは桜色の巻き貝を掘り出した。
手のひらにすっぽり収まる貝殻を耳に当てる。
濡れた髪が少しきしむ。
潮騒が聞こえた。きっと小さな海がこの中に入っているのだ。
今日、自分たちが守った、目の前の大きな海とつながった海のかけらが。