●瑠璃とヤヨイの部屋、そこは修羅場の一丁目
「私たち…ついこの前も…別のサークルさんのお手伝いをしてきたの」
神埼 律(
ja8118)が告げると、
「今回は小説のアイデア出しから関われるなんて…最高ね!」
桐村 灯子(
ja8321)がほくそ笑む。
「夏はやっぱ原稿に向き合ってないとね!」
「ないとね♪」
挨拶もそこそこに意気投合したのは、佐藤めいぷると海老名瑠璃。
海老原ヤヨイも黙ってはいない。
「へぇ、そのペーパー、めいぷるるんが作ったんだ? サークル名『紅葉堂』かぁ。
ナイス画力、一万馬力、ふぉぉ、ここをついてくるとはっ。激レア隙間産業」
めいぷる? 聞き慣れない名前を耳に留め、
「ん……嵯峨野さん、だよな?」
神楽坂 紫苑(
ja0526)が玄関で靴をそろえながら尋ねる。散乱している女子たちの靴もついでにそろえる。
「あぁ、同人活動用のハンドルネームだよ。さすがに本名は出せないからね」
「本名でやったら親に殺されるだろうな」
ぼそっとヤヨイもつぶやく。
なるほど、佐藤めいぷる=嵯峨野 楓(
ja8257)なのだと理解し、紫苑はうなずく。
「とりあえず締切まで何十時間だ? 修羅場……忙しそうだな」
「イケメンゲット。一気に創作意欲湧いてきたー!」
ヤヨイが目を血走らせる。
「祭典が近いんですよね……」
持参した美術の参考書に顎を載せ、相羽 菜莉(
ja9474)が壁かけカレンダーを見上げる。
カレンダーには〆切と書かれた二文字がいくつも並び、赤い×印がつけられている。
「表紙のカラー原稿だけは先に入れるんですよね?」
菜莉の指摘に、瑠璃がぶんぶんと頭を横に振る。
「タイトルも決まってないのに表紙描けるわけないじゃない」
「確かに無題…じゃ困るよね」
ルーナ(
ja7989)が額に垂れてくる髪をピンで留めて言った。
「でもどうにかするんだよ。仲間のためにがんばるのが腐女子の基本なんだよ」
左右に画材。後ろにはいつでも参照できる背景用資料。完全装備だ。
原稿用紙は白い。白い虚無の中で手を動かし、前へ進むしかない。
「もう印刷所の早期入稿も通常入稿も受付終わってて、『最終滑り込み入稿』しかないのよ。明後日の朝までに仕上げるわ……2冊」
瑠璃の言葉を律が継ぐ。
「2冊もなんて大変だけどがんばってお手伝いするの。絶対に落としたりしないの」
やたらと話がわかる助っ人が集まったものである。
「眠りません仕上げるまでは!」
「我ら同人! 肌色同盟!」
ボルテージが上がってゆく。
「詳しく聞いてないんだけど、俺は作品制作サポート兼メシスタントってことでいいのかね」
コック服姿で遅れて訪ねてきた柊 太陽(
ja0782)が、野菜の入った袋を掲げる。
●自家発電すればいいじゃない
「表紙に委員長、裏表紙にロリっ子を描こうと思うのよ」
早速、部屋の片隅で、委員長をイメージした菜莉のポージングが始まる。
瑠璃に渡された水色のプリーツスカートに着替え、立ったり、座ったり。
眼鏡のつるをつまみ、足元を見下ろしてみたり。
「あぁん、いいわぁ。そのまま! 見えそうで見えない角度でお願い!」
瑠璃監督の指示に従い、菜莉はアングルを変える。
女優である。
「瑠璃さんは、この登場人物を使ってどういった作品を作りたいんですか」
「非日常ね。現実ではおにゃのこと縁のない男性読者が、委員長とロリっ子のどちらかいいか迷うという贅沢」
「なるほど……」
茉莉はアドリブで立て膝の姿勢を取る。白い腿のその奥は、上手に足で隠している。
「わぁ、眼福〜♪」
「瑠璃さん、休んでいる暇はありません。手を動かしてください」
「そんな風に厳しく叱ってくれるあたり、委員長っぽいわぁ。ね、委員長キャラの名前、菜莉にしてもいい?」
「……構いませんが……」
「お兄ちゃん、リツのことも見てほしいの」
律がクッションを抱き、ころんころん、とカーペットの上を転がる。
あいにく狭い部屋のため、すぐ何かにぶつかってしまう。お菓子の食べかすが入ったゴミ箱だったり、床から積まれた漫画本だったり。
「律ちゃんはきゃしゃだからロリっ子もいけるわね」
ほめられた、のか。
高校生なのだけれど。
「私もそう思うの……でも本意じゃないの」
律の黒目がちな上目遣い攻撃に遭い、瑠璃の上半身がくらりと傾く。
「しっかりしてください!」
茉莉がとっさに手を伸ばし、倒れかけた瑠璃を支える。
「……ツインテールの律ちゃんがかわいすぎてめまいが」
瑠璃は肩で息をしながら言う。
「絡ませてみたいわ。そのためにはお兄ちゃん役、つまり主人公のモデルも必要って気づいたのだけれど、男子が足りないわよう」
委員長: 茉莉
ロリっ子:律
二人の美少女にはさまれる僕(お兄ちゃん):?
「え、あ、ボク……?」
茉莉、律、瑠璃の三名の熱い視線がルーナに注がれた。
(いける!)
その瞬間、天井の照明、音量を消したテレビ、懐かしのアニメソングを流すコンポ、涼風を吹き出すエアコン、検索用のパソコン、全てが止まった。
「あれ?」
「ブレーカが落ちたようだな」
紫苑が冷静につぶやく。
「落ちるとか言わないでー!」
瑠璃が悲鳴を上げる。
よっこらせ、とヤヨイが立ち上がる。
「電子レンジ使ったらまずかった?」
太陽が台所から顔を出す。いあ、とヤヨイが首を横に振る。
「うちでこんなに冷房効かせることないからさ。怪我してない?」
「平気! 暗くても包丁の扱いなら慣れてるし。カロリーを考えたヘルシー料理、もうすぐできるよ」
「悪いね。こんだけ腐女子がいたら、煩悩でお湯くらい沸かせそうだよね」
●生まれたままの欲望
電力供給を回復させ、ヤヨイが編集会議の場に戻ってくる。
部屋には小さな机が二つ並び、瑠璃を囲む「男性向け漫画」の卓と、ヤヨイをけしかける「女性向け小説」の卓になっている。
瑠璃の表紙描画作業が着々と進む一方で、ヤヨイ側は何も決まっていない。
ブレインストーミングが盛り上がっているのだ。
アイディアの奔流に溺れる。恋のビッグバン、愛の宇宙だ。♂×♂の。
「最近は同級生が来てるけど、下剋上もアツいんだよねぇ。
悩むくらいならいっそどっちも入れちゃうってのはどうですかっ?」
楓の提案に、紫苑が具体性を加える。
「そうだな、同級生二人と、先輩一人、後輩一人の四角関係はどうだろう」
「てんこ盛りね!」
灯子が手を叩く。
「盛るのはてんこだけ?」
余計な突っ込みを入れてしまうヤヨイである。
「ちょっ…ヤヨイさん」
「サイテー☆♪」
「仲のいい四人組で、最終的に同級生組と下剋上組に落ち着くとか」
楓が軌道修正する。
「後輩は、先輩に一目惚れ。でも先輩は鈍感で、よほどのアプローチじゃないと気づかない」
紫苑の綺麗な顔に影が差す。
「あぁ、一方通行のせつなさ! 俺っ…先輩Bのことが! 後輩Aついに我慢できなくなる、みたいな」
思わずこぶしを握る灯子。
「同級生CとDの方は幼馴染設定で、長年の関係が崩れるのが怖くて言い出せず思いだけが募り、毎晩悶々…とかっ」
口調に熱がこもる楓。
「間違いなく私、天魔と戦うときよりもずっと生き生きしてる」
教師に聞かれたら苦笑されるであろう本音を灯子が吐く。
「どうして男同士っておいしいんだろう……しかもどれだけ摂取してもまた欲しくなる」
浸っている場合ではない。
書かねばならんのだ。形にするのだ。この妄想を。
ヤヨイはノートパソコンに向かった。
「プロット立てる。ぜひ意見はさんで」
了解、と紫苑、楓、灯子がうなずく。
「Cに告白され、Dは迷う、と」
「そこ、気持ちが揺れ動く様子をしっかり描写ね」
灯子が鋭く指を立てる。
「結末は少しだけ関係が進展した状態でふんわり終わらせるのもいいと思う。読者に判断をゆだねるの」
楓が言えば、
「結末をぼやかすのはいいわよね」
と、灯子が同意する。
「先輩の意思無視で、全員で、交代で、日代わりでつき合うことになったりして」
紫苑のびっくり発言である。
「ま、まさか総受〜!?」
まさにや○いとはそういうものだったはず。この男、只者ではない。
「私は、平凡攻×男前受が一推しなんです」
楓が熱く語り始める。
「攻と言えば、眼鏡ドSの鬼畜攻が人気高いですし、全然逆のへたれ攻も見ますよね。
誘い受やら、健気受なんてかわいいのも多いです。
そんな世の中に私は一石を投じたい! 男前受を布教したい!」
「さすがだ、めいぷるるん……」
圧倒されつつ、ヤヨイは言葉を継ぐ。
「今回は私の得意な路線で、下剋上カップルはへたれ攻×俺様受、同級生は尽くし攻×クール受にしていいかな」
「オッケーです。俺様キャラは、瑠璃さんに頼んで、男前に描いてもらいましょう!」
「聞こえてるわよう」
瑠璃がひらひらと手を振る。
A.へたれ攻(後輩)× B.俺様受(先輩)
C.尽くし攻(同級生)× D.クール受(同級生)
「紫苑さん、ちょっとこの台詞読んでみて。A×Bのところ。アレンジOK」
ヤヨイに指名され、紫苑はパソコン画面をのぞき込む。
『先輩、優しいからライバル多いんだよな〜積極的にいくかな』
「うーん、何かイメージが違う……紫苑さん、後輩ってキャラじゃないし」
そこへ料理人がネギを背負って登場。
●四角は豆腐、豆腐は……
「え、台詞の実演? 栄養摂ってからにしてください。冷める前にどうぞ」
太陽が差し出す器から上がる湯気を見て、茉莉と律は机の上を片づける。
「ありがとな」
紫苑が太陽と目を合わす。
「お安いご用」
「それ! そういう自然なアイコンタクトからにじみ出る二人の関係を文章にしたい。腐女子のすくつ…なぜか変換できない…にハニーが飛び込むなら、俺も行く! ビバ野菜!」
ベジタリアン男子なの、と律がつぶやく。
「ヤヨイちゃん落ち着いて。紫苑さんと太陽さんは、ヤヨイちゃんが思うような関係じゃないはずだわ」
そうよね、と瑠璃が太陽に確かめる。
「あ、俺は――どうしてこうなった……」
青ざめる料理人。
友人だぜ、と紫苑がフォローの一言を入れる。
野菜たっぷりのチャンプルーを前にしても、ヤヨイの口はアウトプットに忙しい。
「仕方ないじゃん。タイプの違う美形が二人いるだけでストーリーが生まれるんだから」
ヤヨイを黙らせたのは、ルーナだ。
「豆腐って総受だと思うんだな」
「……」
「だって、何にでも合うし、ネギ×豆腐や味噌汁×豆腐なんだな」
さすがに擬人化についていけるメンバーは少ない。
「私、変じゃないからね! 真の腐女子なら何でもカップリングするんだからね!」
勝者・ルーナが明らかになった瞬間だ。
「ごちそうさま」
栄養を補給した九名の戦士は午後の戦いに挑む。
小説へのアイディア出しを終えた楓は、漫画の手伝いに移行する。
持参したパソコンで開いた風景写真を見ながら、背景を描いてゆく。
『このコマ、パースゆがんでるよー』
鉛筆で指摘事項を書き加えるのも忘れない。
瑠璃の筆は進む。
次々とポーズ指定に応える茉莉と律の演技も板についてきた。
「お姉ちゃんも大好きなの 」
律が茉莉に体を預け、甘えた表情で頬をすり寄せる。
撃退士の訓練を受けていると、無駄毛の手入れなどおろそかになりがちだが、それは瑠璃だけなのか。
(はぅー、委員長もロリっ子も、肌、つるつるだわ。今の若い子はオタクでも女子力を捨ててないのね)
「下絵はOK、ペン入れに入るわね。順に回してくから、ベタとゴムかけお願い」
キーを打つ音と、ペン先が紙の上を走る音だけが室内に響く。
時間の感覚は既にない。
『りんりん♪ 早く出てぽ♪』
電話の着信を、人気声優のボイスが報せる。
「誰か出てー」
ヤヨイの指示に紫苑が従った。受話器を握り、耳元へ運ぶ。
「もしもし……はい。海老原、海老名です」
「印刷所なら、バイク便で送るって言っておいてー」
「……バイク便で送りますので、もう少し待ってほしいとのことです」
「バイク便って、島内の印刷所ですか?」
通話の後、茉莉が尋ねる。
「本土なのよ」
つまりバイク便が意味するところは、水上バイク便なのだ。
「データ入稿を検討するといいと思うんだよ」
ルーナの助言に、
「『エビュシオン』もデジタル化の潮時かしら」
瑠璃が首をかしげる。
さて、残りの原稿枚数は――
●リミット
紫苑が席を立つ。
「徹夜用に、栄養ドリンクとサンドイッチを用意した」
夜食として食べきれなかった者は、そのまま翌日の朝食にしている。
一時間だけ、と断って仮眠を取るメンバーも現れる。
この部屋を訪れてから二十四時間が経過した。
無駄な会話は途絶えた。
ヤヨイは、今はひたすら孤独に文章を練り上げる。
小説に意見を出していた三名とメシスタントの太陽も、漫画原稿の仕上げ作業に加わっていた。
ルーナと律は、黙々とスクリーントーンを貼っている。
とかく漫画は手間がかかる。
「紫苑さんと太陽くん、読んでもらえるかな? 台詞が自然に聞こえるかどうか」
沈黙を破ったヤヨイの声に、転寝をしていた律がはっと顔を上げる。
男子二人は、手渡されたプリントアウト原稿に視線を落とす。
どちらがどちらを読むか、一瞬の取引が行われた。
『俺がそういう目で見てたの、知らなかったんですか』
『悪かったな! っていうか、お前どこ触ってんだよ!?』
『ずっと先輩にこうしたかった』
『やめ――』
『あ、はい、やめますね』
『え……』
『なんてね、無理。やめられるわけないでしょ』
『こら、ばっ、馬鹿……変態……』
「俺様陥落の場面です」
静かにヤヨイが告げる。
「問題は…ないんじゃないか。実演はかなり恥ずかしいが」
紫苑はリミットを超えた自分を実感する。
「『鈍感だなあ、俺傷ついちゃいますよ』って台詞を入れたいですね」
楓が意見をはさむ。
声優さながらの二人の朗読をスマホに録音したのは、灯子だ。
ヤヨイの活動の邪魔をする目的ではない。ただおいしい場面を反芻するために。
律はトーンナイフを動かしながら、小説の一部に耳を傾けていた。
完成が待ち遠しい。
さらに一日が経過した。
チャイムが鳴る。
瑠璃とヤヨイは手早く原稿を梱包する。
「皆のおかげで、どうにか入稿できるわ! タイトルは『僕のかわいい両隣』と」
「『四分の一のあやうい感情』でいきまー」
部屋中に拍手の音が満ちる。疲れと眠さでまばらではあったが。
「確かに。お預かりしますっ。毎度!」
「白鳥マークの水上バイク便か。お急ぎ宅配の“チーター”とのカップリングかな」
ルーナの目が光る。
床に倒れている面々には、そのつぶやきは聞こえなかったかもしれない。