●下準備
住人不在の寮の中、沈黙と活発を織り交ぜた不思議な状況下で、その依頼は開始された。
「掃除は高いところから、と」
しばらく使われていなかったせいか、その部屋のあちこちに埃が目に見えて堆積していた。黒田 圭(
ja0935) は掃除の基本に従い、上から順に叩きを振るおうと戸棚の上へ伸ばす。
「あ、待って待って! もっと上があるよ、ほら、あの電灯の傘っ!」
だがそれはふと窓を拭く手を止めて、叩きの軌跡を見ていた天王寺茜(
ja1209)により制される。そして天井に釣り下がる、蛍光灯の傘を指摘する。この部屋の一番高い場所はおそらくそれだ。
「っと、危ない」
その声に、払い落とそうとしていた手を止め、移動。改めて傘の上を覗き込んだ圭は、一瞬言葉を失った。
「あー‥‥っと、これは。全員ちょっとマスクしてくれ。多分――すごいことになるだろう」
仲間の装着を確認してから小手調べとばかりに、軽くひと払い。すると、まもなく視界は土色に染まった。最前線にいた圭は反射的に目を閉じ、第一陣を回避。治まったであろう数秒後に目を開いて傘を見ると、茶色の中に一筋だけ白い線が出来ていた。
「これはしっかりやらないとだめだね。パーティ会場が汚れてたんじゃまったくお話にならない」
その様子を見た海本 衣馬(
ja0433) は肩を竦めて嘆息した。実家が旅館でもある衣馬は、宴席の準備にも何度となく携わっていた。それゆえ、より一層それを実感できたのだろう。この部屋こそ、依頼によってパーティを設けようとしている場なのだから。
そうして3人は大掃除よろしく、徹底的に部屋の掃除にかかるのだった。畳を傷めないよう気をつけて。
それからしばらく経ち。丁度掃除が終わろうとしたその部屋に、元気な声が飛び込んできた。
「たっだいま〜! 聞いて聞いてっ、クラッカー買いにいったらさ〜、ライゼさんったら、最初これ買っちゃって‥‥!」
声の主、並木坂・マオ(
ja0317) は手に提げた小ぶりの袋の中から箱を取り出し、掃除班の面々に見せた。箱にはビスケットのような絵とクラッカーという文字。――確かにクラッカーだ――そんな微妙な間を挟んで、慌てて追いかけてきたライゼが取り上げたとか。もちろん火薬式のクラッカーは改めて買い直しました。
「こらこら、危ないでしょう? 楽しみなのはわかるけど、そんなに急いで走ったら転んじゃうわよ?」
穏やかな暖かな声で諭すのは百嶋 雪火(
ja3563) 。彼女の下げている袋はマオよりやや大きめ。野菜のようなものが透けて見えている。
「結構沢山買えたよ。歳末セール、っていうのかな? おまけもしてもらえたし、鮮度もすごくいいと思うんだけどどうかな?」
桐原 雅(
ja1822)が部屋の戸をくぐりながらそんなことを口にする。事実雅の言葉通り、予算よりも多目の買い物が出来ていた。おかげで少しだけ、あるものに予算を回せた。
「買出しおつかれさま。丁度掃除も終わったし、これで下準備は完了だね。本番前の本番スタートだ」
仲間が全員揃ったところで、衣馬が改めて宣言した。
●台所にて
台所にある設備の説明を一通り受けた後で、雪火は「飾りつけをよろしくね」とライゼを会場予定の部屋へと戻した。いくつか理由はあるのだがそれはあえて明かさず。
依頼人の背を見送ると、それぞれ持ち込んだエプロンを締め、手を洗ってから作業開始。
「オーブン、今火を入れたから、使うのはちょっと待ってね」
各種サポートに走り回るのは雪火。自身が担当する食材もあるが、さほど時間がかかるものではない為、他の準備に手を回していたのだ。その中で、オーブンを使う予定の雅と茜に言葉を掛ける。
「ええっと‥‥じゃあまだ入れないほうがいい、か。どうしようかな」
丁度オーブンを使おうかと、型抜きを終えた生地を抱えていた雅は、雪火の言葉に足を止めた。そして、それならば温まるまでに別の品にかかろうか、と考えはじめた時、
「雅さん、よかったらパイ作り手伝ってみない? 結構簡単に作れるんだよ」
と、茜が誘いの手を差し出した。
「あ‥‥でも、ボクから揚げの下ごしらえしないと‥‥」
興味はあるが他にも作業が残っているから、と雅は天秤に揺られ迷う。そんな彼女の背を押したのは、
「クッキーは温まったら入れておくし、から揚げもあたしが下準備しておいてあげるから、みていらっしゃい。でも、その代わり‥‥というのもあれだけど、揚げるときは手伝って頂戴ね♪」
雪火の微笑。それによって雅もようやく頷くと、感謝を述べてから茜の元へ寄って行った。
「今はリンゴの甘煮作ってるの。これは焦がさないように注意して煮詰めないといけないんだけど――」
ぐつぐつと心地よい音を立てて鍋に揺られるリンゴを覗き込みながら、雅に作り方を説明していく茜。そうしているうち、いつの間にか暖かな笑い声が上がるようになってく。
少し作業場を移して。
衣馬は慣れた手つきで魚のサクを切り分けていた。荒れて厚くなった掌が握る包丁に迷いはない。
「切り分けはこのくらいか。あとは‥‥そうだ、卵も焼かないとな」
手近なボウルに卵を落として軽く溶く。そして少し探してみたものの、生憎専用の焼き器がなかった為、一般的なフライパンに薄く延ばして巻く。
「って、あ。味付け何がいいのか聞くの忘れた。‥‥ま、いいか」
ふと自分の慣れ親しんだ味付けで焼き始めた途端、地域によって味付けが違うことを思い出した衣馬。しかし今からどうにかなるものでもなく、むしろこの機会に旅館の味を味わってもらうのもいいだろうと、前向きに考えることにした。
「お魚の切り分けは終わってたのね、あたしも野菜を切ってしまわないと」
から揚げの下準備を終え、クッキー生地をオーブンに入れた後で、雪火は衣馬の元へやって来た。
「ああ、具材は、な。まだ米が炊けてないからそこまでだが。それより、かなり忙しそうだが大丈夫か?」
ほぼ全員の手伝いをしているといっても過言ではない様子を気遣う衣馬だったが、
「このくらい大丈夫よ。家ではいつもやっていたわけだし。むしろ今回は手伝いで済むからから楽なくらいなのよ? ええっと――これが手巻き用で、こっちがスティック用‥‥まあ、残っても問題なし、っと」
作業をしながらそんな言葉が返ってきた。
また、同じ頃のオーブン前では、茜と雅が顔を並べ、仲良く小さな窓から中を覗き込んでいた。
「たくさん美味しいモノが出来上がって‥‥これが焼きあがればもうひといき、だね♪」
「うん、焼き色もついてきたし、いい香りも‥‥」
料理の完成もまもなくのようだ。
●設営にて
時間はライゼが会場となる部屋に戻ったところから再開して。
「パーティしたことないなんて絶対人生損してるよ! この機会にちゃんと覚えて開けるようになろっ」
マオは台所から戻ってきたライゼを準備作業に誘い、共に畳の上に腰を下ろす。
「せっかくだからにぎやかでー、派手な感じを目指そう!」
「まあ、素材が派手だし、そのあたりは解決できそうだな」
マオの言葉に、色とりどりの千代紙を切り分けていた圭が反応を示す。圭は紙チェーンを作る為の下準備中。それをマオが横から摘み上げて輪にして留める。
「こーやって紙をわっかにしたら、その中に新しいのを通して、またわっかにするんだよ。これをずら〜っと繋げてくだけの簡単な作業です!」
「なるほど‥‥」
ライゼはマオに倣って輪を繋いでゆく。
「あ、できるだけ同じ紙は連続して使わない方がいーかなぁ? 同じのだけで作れるならいいんだけど」
「王道は交互、だな。と、いうか切るのが追いつかないとか早いな」
輪の繋ぎ方は感性によるが、とりあえず思うままに作業を続ける。途中で圭の作業が追いつかなくなればマオが切るのを手伝う等して、チェーンは程なく完成した。
「飾りつけは〜、作るもの全部作ってからの方が一気にできていいかな? 次いこー!」
邪魔にならない場所へ完成品を避け、作業場を確保するマオ。改めて圭は千代紙を取り出したが、今度はハサミを握らず、テーブルの上に広げた。そして辺をあわせる様に折り出す。
「折る、といえばやはりこれだろう」
マオは圭の3手目程で予想がついた。しかし答えは出さず、なんとなくライゼの反応を窺う。当人は――わかっているような、わかっていないような微妙なところ。
そうしているうちに折りあがったものは華やかな、鶴。
「千羽、とまではいかないだろうが、これを繋げて吊るすのもいいと思うぞ」
用意しているメイン料理に合わせて和に繋げようとも考えた圭。そしてゆっくりと2羽目を折り始める。マオも倣って続くのであった。
●最後の仕上げ
完成間近に迫る準備は、極めて慌しい局面にあった。
「から揚げあげ始めるよ、会場の方大丈夫?」
雅は油の温度を確認すると、他の準備がどうなっているかと声を上げた。
「ちょっとテーブルが小さくて全部置けるか心配、というくらいかな、それ除けば大丈夫だと思うよ」
小皿や箸を集めながら、茜が応じる。食器類も寮の備品を使うことになった為、一応一通り洗ってから運ぼうと数えている最中だった。
「はい、適当な油きり紙がなかったからこれで代用してね」
と、古新聞をライゼから預かり、運んできたのは雪火。そして油鍋の隣に広げて置く。
「あ、ありがとうございます。じゃあ揚げ始めますので、切れたのからお皿に移すの手伝ってください」
「ええ、もちろんよ」
雅と雪火は最初の約束通り、連携してあつあつのから揚げを作り上げてゆく。
「桶がないのが残念だよな‥‥まあ、贅沢はいえないか」
少し大きめの皿に広げた酢飯を、衣馬はうちわで扇いで冷ます作業をしていた。その横で油を跳ねさせて慌てている2人の女性がいたり。
『お皿みつかりましたかー?』
部屋の方から声が届いた。
「あ、はーい! 拭いたら持って行きますからもうちょっとお待ちをー!」
洗いは終えたものの、水気を布巾でふき取る作業が残っていた。茜は手早くそれを終わらせると、一通りを抱えて部屋に向かう。
「これがコースター、グラスを乗せたりカップを乗せたり。あ、グラスは最初ひっくり返しておいてね。えーっと、確か埃対策? とかだっけ?」
ちょっとわからないな、というところはなんとなく直感で補いつつも、マオは首を傾ける。そんなテーブルに置かれているグラスは7つ。食後に使う予定の紅茶用のカップは温めたものを使うためにまだ部屋にはない。
「これが箸置き、っと、ライゼさんは箸大丈夫で?」
圭は、ふと参加者の中で箸が使えないものが居ないかと思い直し、大丈夫そうと思ったところで依頼人に気が止まった。だが特に問題はないということでそのまま設置。
コースターも箸置きも、千代紙を使って作った品だ。
「はいはい、お箸と小皿もってきたよー。もう配って大丈夫?」
落さないように気を付けつつやってきた茜が、状態の確認をとると、
「ああ、丁度準備できたところだ、置いていってくれ」
「は〜い」
それを皮切りに、「あがりたてだよ」とから揚げが、「できるだけ中央に乗せてくれ」と酢飯の盛られた皿と具材が、続々と運ばれてきた。そうしてあっという間ににぎやかなパーティ卓の出来上がり。
天井からは華やかな飾りが吊り下がり、その下では美味しそうな料理が暖かな湯気と香りをたたえている。6人はこうして、パーティの準備を教えるという依頼を完成させたのだ。
「この度はありがとうございます。お誘い頂いたおかげもありまして、概ね理解することができましたわ。これで次から自分で――」
と、ライゼが感謝の意を述べた始めたときだ。
「あら? 何をいっていらっしゃるのかしら?」
妖艶な笑みを浮かべる雪火の言葉に、ライゼの言葉はさえぎられた。
「ああ、そうだな。これで完成とは言いがたいね。最初に言った通り――」
「そうそう、むしろここからが本番だよ!」
衣馬とマオも言葉を引き継ぎ、訳あり気に笑うのだった。
●真・最後の仕上げ
「一応年長ということで、こういうのは正直柄じゃないんだが‥‥乾杯!」
圭はジュースの注がれたグラスを掲げ、そう宣言するや、
「「「かんぱーい!」」」
かちん、という音を立ててグラスが打ち鳴らされると、続いてぱぁん、という軽やかなクラッカーの破裂音が響いた。
その背後――壁に立てかけるように、小さなホワイトボードが置いてあり、そこには何色かのペンを駆使して『忘年会&新入生歓迎会』と書かれていた。文字の周りにはイラスト。いずれも筆跡がことなっていることから、何人かで描いたのだろうことが窺える。
と、いうわけで真の本番、準備編から実践編へと移行した今。
「自己紹介いっきまーす! えーっと、えーっと‥‥好きな食べ物はリンゴとカレーです! アップルパイおいしいです!」
好物のリンゴがみっしり詰まったパイを頬張り、満足げに歓喜したのはマオ。
「ふふ、今日はパーティに参加出来て光栄、みんなお疲れ様♪」
雪火は、楽しいことを覚えようとする姿勢に好感がもてる、と終始張り切っていた。今も安く購入できるパーティグッズについて、あれこれ書いたメモをライゼに渡している様子。
「茜さんって同じ学年だったんだね。高等部ってクラス多いから同じ人と顔合わせること少ない気がして」
「うんうん。と、いうか茜でいいよ。で、よかったら――私も雅って呼びたいから、さ」
雅の言葉に、ただいま友人募集中を掲げていた茜が、巡り合った同級生に、アップルパイの時と同様、にこやかに手を差し伸べるのであった。
「うちは旅館をしててな、目の前には一面大海原が広がってて、晴れた日なんか最高だぞ」
「海か、それはいいな。こう見えて俺の特技は水泳と昼寝なもんで、そんなロケーションは願ったりだ」
衣馬は、圭の空いたグラスに飲み物を注ぎながら故郷の紹介をした。縁があったとき寄ってもらえれば歓迎する、と。それは圭自身の嗜好に見事合っていた様子で、なんとなく意気投合。水辺の話で盛り上がる。
祭の最後は暖かに。
陶器のポットには雅の手で茶葉が落とされ、茜の手で湯が注がれる。
それに被せるティーコジーを手渡す雪火。
衣馬と圭の手によって温められた白いカップが部屋に運ばれてくると、
それはマオの手でテーブルへ配られた。
そして、そのカップへと注がれた紅茶は、部屋を良い香りで満たすのだった。