●有志集う
ここは久遠ヶ原学園内にある実験室のひとつ。
「ん〜っと、時間になったね。まだ来てない人いるけど仕方ないっか」
参加者名簿と入室者を確認し、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は口ずさむ。そして入り口の戸を閉めると、実験室前方まで歩き、教壇に立った。
「忘れ物はないかな〜? まあ、あってもボクには何もできないんだけど☆」
教室全体から反応がないと見ると、作業開始の合図を送るジェラルド。実験参加者のひとりであるが、依頼主を説得し記録係を交代。現在に至る。また当の大貫薫(jz0018)は、
「あたしの薬をアレンジしてくれるっていうメイシャ先輩も気になるし、仄先輩も気になるのよね」
などと、他の参加者の手伝いを考えていた。
配布された精製手順書の一部、歯抜けで読み取れない部位については豊かな想像力に任せられることになる。
不穏な単語も散見される中で、
「『古く伝わる呪いの一種であり』か‥‥なるほどね」
含みのある言葉を誰にでもなく呟いたのは白衣を羽織る鴉乃宮 歌音(
ja0427)。
作られる薬が真であるか偽であるか。既に答えを得たような様子であった、と気付いた者は後に言う。
●緑×紫=?
胡散臭さや危険性は感じつつも、何事も試してみなければ始まらない。
わずかな量であったが、既成の薬を口にして、メイシャ(
ja0011)は感想を漏らす。
「ふむ‥‥確かに此の侭では飲み難い代物だな」
「自分で作っておいてなんだけれど、飲み難さだけには自信があるのよね!」
近くに居るだけで、なんとなく鼻も痛い。薫は料理が得意という話のメイシャならばよい解決策を見つけてくれるに違いないと信じて、応援。
「そうだな。そもそもの問題点は口にするのに抵抗を感じさせる色。そして臭気なのだから‥‥」
メイシャはわずか考え、解法を導き出してみせる。
「ホウレン草を用いた印度カレーなどよいのではないかな」
――その心は?
「実際混ぜてみぬことには解らぬ塩梅だが、色の毒々しさは薄れるだろうし、香辛料で臭気も紛れよう」
薫は納得気に頷くとメイシャが作業しやすいよう道具立てに回る。メイシャ自身は工程を短縮することなく、一から丁寧な作業に取り掛かった。材料を丁寧に選び抜き、みずみずしいホウレン草をさっと湯がき、他の食材と共に基礎となるソースに仕立てる。己にも他者にも完璧を求めるメイシャは決して手を抜かない。手際よく下ごしらえを済ませた鶏肉を鍋に加え、小気味よい音をたたせ、煮込ませる。
「あとは焦がさぬよう煮込むだけだが‥‥さて。どのタイミングで試薬を加えるかだな」
「せっかく美味しそうに出来てるのだから混ぜるのは勿体ないような気がしたりそうでもなかったり」
だが目的を達成するには避けて通れぬ選択。元々引き締まった顔を更に引き締め、紫色の液体を緑豊かな鍋へ。
まもなく、
「‥‥あら? これって‥‥」
「カレー、だな」
緑は紫と混じると茶に近い色に変じていった。メイシャの想定どおりかどうか、色、臭気の問題は無事解決。
「これは味も効果も期待できそうで楽しみね!」
(想えば凡そ適う‥‥とのことだが。治したいものが先か、求めたいものが先か)
メイシャは念を込めながら鍋をかき混ぜる。
●時間跳躍?
御堂島流紗(
jb3866)は用意された手順書をじっくりと読んだ。虫食い文章は人によって解釈が異なるであろう。
「カタカナなのが気になるですぅ〜」
ふんわり、のんびりとした可愛らしい様相で、わずかに眉をひそめる仕草もまた可愛らしい。
「やあ。記録係ってことで進捗確認に来たんだけど‥‥――難しそうな顔してどうしたの?」
笑顔でやってきたジェラルドは身を傾かせ、怪訝そうに流紗の顔を覗き込んだ。
気付き、ゆっくり視線を上げる流紗とジェラルドの視線が重なる。
「薫さんのいうように、『シヨウキ』が『勝機』ならいいんですけどぅ、『瘴気』とか『笑気』だったら困るな、って」
音が同じでも伝わる意味が同じとは限らないという心配。
「あ、きみもそう思う☆ ボクも実はそう感じてね。飲まないでいいように記録係になってみたって訳」
ちゃらっと軽薄そうな見た目に反し、考えることは真面目に考えていることが窺い知れるジェラルド。事故対策等の着替え準備もバッチリ。抜け目はない。
「ん〜〜、心配はあるですけどがんばって挑戦してみるですぅ」
ぐぐっと握りこぶしを作り、自身に活を入れてから流紗は腕まくりし、薬の精製に挑む。
最初に用意したのは小麦と大豆。
「ショウユは美味しいとききましたのです」
「へぇ、ショウ――ユ?」
解釈というか、音からして違っている気がする、と思えどジェラルド口にせず。
「はいです。本当は蒸すらしいですが、ここは塩水で煮込んだのを発酵させ――って、あ。時間が足りなさそうなのです」
薬の精製手順書と、醤油の手順書を比較しながら読み進めるうち、新たな問題発覚。
「う、うん。確かにそうだねぇ、依頼時間中じゃ完成にこぎつけられないかな?」
鍋の中で浮き沈みを繰り返す素材を見てから流紗を見ると、流紗は言葉に反し笑顔を浮かべている。
「ですから、こちらが熟成完了しましたものなのですぅ」
手の中には小瓶に納められた立派な醤油。慌てて先ほどの鍋に目を向けるジェラルドだが――中身はなかった。
「お料理番組ではじょーとー手段なのですぅ」
流紗の1分とジェラルドの1分が同じとは限らない。天使と人間、種族からして違うのだから周囲で流れる時間も違う可能性が――などと、ジェラルドは自身に言い聞かせるほかない。
●魔女の魔術
「いやー、表明あったときからすっごく気になってたのよね! 仄先輩のこと!」
メイシャの作業台を離れ、薫が訪れたのは仄(
jb4785)の元。仄は薫の言葉に表情を変えることなく、ぼぅっと作業を進めていた。手元にはおどろしい名前を持つ植物がずらり並んでいる。
「そう。仄、興味深く、面白い、依頼だ、な、って、思って」
手元にあるのは道具一式のみで、参考資料の手順書がないことに薫が気付くと、
「問題、ない。覚え、てる。好き、だから。手順書に、一応、沿って、作る、が、独自の、製法を、加え、る」
仄の想定する薬は、正気を失ったものを正気に戻すという薬。人に害を及ぼすだけが魔女魔術ではないことを示すのがオカルトマニアもとい魔女仄に出来ることであると信じて。
「どの、植物、にも、ちゃんと、した、効果、は、ある。薫の、薬に、何が、入って、るかは、知らない、けど、より、素晴らしい、薬を、完成、させて、みせる、ぞ?」
切り刻んだマンドレーク、トリカブト、朝鮮朝顔、行者大蒜、霊芝等を鍋に移しながら、仄はぽつり薫に問う。
「ところ、で。手順書の、元、は何処からだ? 魔術書の、一種、と、思った、が。他にも、ある、のか?」
「――ん? あ、あぁ原本は実家に色々。持ち出させてくれないから帰省した時に気になったのメモってるのよ」
踊る鍋の具に魅入りながら応じる薫に、仄はわずか残念気な「そう」を返した。
変化の仕組みは不明だが、液体は次第に鮮やかで澄んだ紫色に変容した。立ち上る細い煙からは強烈な大蒜の香りが漂っているが、他に不快な刺激臭は感じ取れなかった。色も遮光瓶にでも入れてしまえば気になるものでなくなるはず。
「どう、だ。完璧、だろう」
言葉は自信にあふれるもの。けれど表情は決して変わらず、真意は窺い知れない。
「大体一緒なのに、あたしと何が違ったのかしら? 仄先輩みたいな人の精製みるのも勉強になるからいいんだけどっ」
薫は植物の切れ端の片付けや洗い物を請け負いながら、仄の精製法を記憶に刻む。
直面する問題は、正気を失った人がいなければ試せないことなのだが――。
●ミンカン療法
「はい、記録係のジェラルドだったね。これが私の作った薬だよ。飲んでみて」
歌音はジェラルドが訪れると、待ち構えていたように澄んだ液体を差し出した。
「あ、いや〜、さっそくだね☆ でもボクはあくまで記録係で、体験側じゃないんで」
のらりくらり笑顔で回避を試みるジェラルド。変色したカレーの結果は不明だが、刻を越えた醤油だったり真・オカルト薬だったり、素面であおるには難しい前例があるから。
「警戒しなくてもいいのに、ほら」
一口飲んで見せる歌音は「ただの生姜湯だから」と告白。
「材料を明かすとね。生姜に蜜柑、梅干。砂糖も少しいれたね。あ、丸のままとか無粋なことはしてないから安心を」
容貌は幼げながらも、人に大人びた印象を与える歌音は、新たに一杯を注ぎ直すと、ジェラルドに差し出した。
「え〜っと、入れなおしたモノは実は別物でした〜☆ なんてオチじゃないことを祈るよ?」
ジェラルドが思い出したのは安心して食べてみたらダメでしたという白雪姫と毒林檎の逸話。もう一度歌音の表情を窺ってから――覚悟を決め、口を、付けた。
「‥‥‥‥これ、‥‥は‥‥」
鼻につんと来るのは生姜の香りで、口に広がるほのかな甘さは蜜柑と蜂蜜だろうか? 十分に濾過されているため沈殿物もなく、大変飲みやすかった。
「ね? 大丈夫。私はお茶やお菓子の類に細工はしないよ。お菓子じゃないけど蜜柑もあるよ? メモを見た時点で思ったけど、この呪い(まじない)は所謂迷信の事だろうね。生姜湯続けていれば冬や冷えに強くなるだろうというのは、結構知られているよね」
ゆえにメモから考察できるのは、薬として効果が認められているものではなく、効果に個人差のある民間療法の記録。事実歴史上で魔女と呼ばれていたのは薬剤師であると歌音は語る。
「そもそも呪いとはどんな形であれ自身に帰ってくるからね。その辺り、依頼人はわかっているのかな?」
冷静に憂う歌音がするように、ジェラルドも視線を向ける先には女性陣。
●普通の献立?
試食台には3人分の食事が用意されていた。
内訳はメイシャによる、緑色から茶色に変色を遂げたホウレン草カレー。流紗による野菜スティック――だが本体は付けるべき醤油。仄による薄紫色の、大蒜水? 一見だけならサラダ付カレーセットに見えることだろう。
進んで食すると挙手したのはメイシャ、流紗。仄はもしもに備えて待機するとのことだ。薫も待機したいところであったが試食組に加わることになる。
「わ〜、とってもおいしそうなカレーですぅ。あ。カレーを食べるときはお水をのみながら、と」
こくんと躊躇いなく大蒜水を口に運ぶ流紗。味わっているのか、手が止まる。
「遠慮、するな。どんどん、飲め。自信作、だから、な」
担当の仄が煽りつつ見つめてくるが、流紗は自己を崩すことなく、のんびりした己のペースで飲み続け、飲み干した。
「グレープジュースじゃなかったのです。変な味がしますですぅ〜」
「特別、変化は、なし‥‥か?」
やや残念そうな仄をそのままに、流紗は続いてカレーの試食に取り掛かる。己の醤油には手を付けない。
「わぁ〜美味しいですぅ」
「ん‥‥さすが私の調理技術だな。満足の出来だ」
直前が直前だからか、普通の味に感動し、パクパクと食す流紗を見守りながら、メイシャも味を確認し安堵の意気。薬ということを忘れ食べ過ぎてしまえるほどの出来。
「薫さん、食が進んでないですぅ〜。野菜スティックど〜ぞ? 呪いのように後引くお味に違いないのですぅ」
「あ、あははは‥‥善処するわ。――コレは醤油、コレは醤油」
断るには流紗の笑顔が目に痛いと思う薫は、呪文のようにうわ言を呟きながらぽりぽりと齧った。味は大蒜水よりも気にならない程度とのこと。
和気藹々とした雰囲気から、特別なんの効果もないのだろうか――? と思い始めた頃に状況は動いた。
(‥‥何、だ? これは。座っていられない、圧倒的な力の衝動‥‥突き動かされる感覚は)
メイシャの手からスプーンが零れ落ち、床にからんと転がる。
「どう、かした?」
不穏の気配を感じ取りたずねる仄に、メイシャは立ち上がって応じる。
「何か殴るものを貰えないか?」
そう求められて簡単に出てきてしまうのが久遠ヶ原の怖いところだろう。「これでいい?」と差し出されたのは入替え直前、壊れかけの椅子。光纏もせず、おもむろに拳を打ち込むメイシャ。
――壊れた。勢いよく破片が飛び散り、ささくれ立った木片が歌音とジェラルドに向かい飛んだが、二人は難なく回避。
「何か変わった感じする!?」
「これ‥‥は‥‥!」
まだ飽き足らないと戦慄くメイシャの拳は身体を引きずり、開いた窓から外へ。
(違う。私が求めているのは強さだ、決して、破壊衝動などでは――だが!)
外から悲鳴が上がるのが聞こえ、慌て追いかけたのはジェラルドと仄。
残った流紗と歌音、薫は状況を分析する。同じものを食べたはずなのに、なぜメイシャにのみ異変が現れたのか?
「ん〜、メイシャさん、お水あんまりのんでないですぅ。私は一杯のみましたです」
「カレーを作ったのはメイシャ自身だったね。効能の真偽はともかく、誰より効能の思いこみが働いた可能性があるかな」
意見を出し合うも明確な解はでない。けれど流紗や薫が念じられた効能を知らず、目立つ影響がない以上、歌音の説が真実味が高いことに異論はなかった。
●後始末
メイシャは、仄と流紗の手伝いを受けながら暴れた痕跡の後片付け。薬には方向性は違えど効果があった、と説明するような会話が実験室の外から聞こえてくる。
「あ、ボクはレポート清書して提出してくるんで☆」
――と、ジェラルドは逃げるように去って、気付けば実験室には薫と歌音の二人だけ。
「‥‥ふふ。これで何杯目かしらね」
「ほら、呪いが返ってきた。毒は薬、薬は毒であることを忘れてはいけないし、安易に頼ってもいけないんだよ」
生姜湯を飲みながら、歌音は冷静に言い放つ。
実験室を使う条件のひとつ『作ったものは残さない』を完遂するため、薫はカレーセットに立ち向かっていた。
「ボクは自分の飲むので手一杯。他はお願いするよ」
歌音は既に手助けしているとばかり、見るからに怪しい成果に手を貸すことはないとはじめから宣告。
そんな現場に遅れて現れるのは救世主か、新たな被害者か?
時間を間違えて覚えていたと現れた参加者最後のひとりは、薫に歓迎されカレーを振舞われることになる。
まるで席替え当日に欠席した者の行く末の如く。