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「人を攫う天魔、‥‥か。裏がありそうな気もしてならないが狩ることに変わりはない」
空が色を変えようと角度を西に傾けたはじめた頃、町に到着したアスハ=タツヒラ(
ja8432)は現場で聞き込みを行ってみた。斡旋所から提出された情報と違わず、紅く染まる空から闇とは異なる――場合によっては永遠の闇をもたらす黒い影が地表に降り立ち、人を攫ってゆくという。
――恐怖の翼。
対抗する術を持たない一般の人々は冀う、闇が払われるその瞬間を。
「商店街のみなさまにおしらせっすよ〜! これから天魔討伐の為、周辺で戦闘行為がおこなわれるっす! 危ないっすから近くの建物に避難しておいてほしいっすよ〜!」
外出する者の少ない町内に、明るくやわらかな少女の声が木霊した。一陣の光、携える加護、大谷 知夏(
ja0041)。
天魔が現れる前に、と慌てながら買出しに出歩く主婦や、帰宅途中の学生への避難誘導を怠らない。敵の脅威もさながら、撃退士の力も人並み以上だ。万が一にも巻き込むことがあってはならない。
「あ、よかったらお友達にも教えてあげてくださいね、僕たちが今、ここにきていることを」
鈴代 征治(
ja1305)も知夏と並んで穏やかに注意勧告の徹底を行った。え、あなたも撃退士なんですか? などという声が何度となく投げかけられたが、それも彼が纏う普通らしさによるものだろう。一見だけなら一般学生となんら変わらない。尚、カラーボールと消火器については調達適わなかった。
「うーん‥‥持ち物はこれでよかったのかな? ‥‥人を守る為に狼を倒す‥‥うん、がんばろう」
アウルの使い方について訓練は受けてきたが、初めての実戦を前にカロン(
ja8915) は決意を独りごちる。知識だけなら学園の図書館等である程度習得しているつもりだ、あとは場数を踏み、目的に手を伸ばせるだけの力を得よう。陽を受けて紅く染まる銀の髪を風に任せ、碧い瞳は空を仰いだ。
――被害が集中している時間まで、あと、僅か。
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鋭い夕陽を遮光する為、それぞれサングラスを着用するなどして対策を取った。色眼鏡越しの風景はいつもと違ったが、勝手は変わらない。
「この辺の一般人さんには避難してもらったっすから、心置きなくやれるっすよ!」
破壊しないよう注意は払ってのことだが。知夏は立ち並ぶ電柱やブロック塀等に誘い出し用の生肉を吊るしていった。おそらくヒトの方が口には合うだろうが――少しでも注意を逸らすことができればと。
「今のところ周囲に敵影なし。どこかで誰かが襲われている気配もなし。‥‥まだ現れてないのかな?」
カロンは敵に動きがないかと、仲間から離れない程度に周囲を歩いて回っていた――その時。
『〜〜〜〜〜♪ ♪ !!!』
一瞬それが何であるか解りかねる程の騒音――大音量の軽快な楽曲が耳をつんざいた。振り返ってみれば、知夏が手持ちの携帯音楽プレイヤーの音量を最大にしているようだった。音を囮に敵を呼び寄せようという作戦らしいが――
(‥‥狼はイヌ科。もし犬と同じ特性をもつならむしろ‥‥)
目を凝らすカロン。なんとなくだが動物――天魔を模倣する動物と同様の能力があるかはともかく――の心理や行動に少し学ある者として、僅かな挙動を捕らえることに成功した。
「ねぇ、あの隅――多分潜んでる、ね」
近くにいたアスハにそっと耳打ちする。
「――狼‥‥か?」
塀で視界が遮られた曲がり角から、伏せた動物らしき影が伸びていたのだ。品定めしているのか、警戒しているのか、近づいてはこない。遠巻きに様子を見ているだけ。耳を澄ませば低い、不機嫌そうな唸り声が聞き取れた。
「時間を掛けるつもりはない、仕掛けよう」
まだ報告はないが、この間にもアスハの愛する半身は作戦の都合上矢面に立っているはず。信頼しているとはいえ、安心するためにも、させるためにも。
「僕は回り込んでブザーを鳴らしてみます。音を嫌っているならこちらに誘導できるはず。ここはお願いします」
足場に注意を払いながら、征治はひょい、っと近くの民家の屋根に飛び乗り、そのまま屋根伝いに狼の裏に回りこむよう移動していった。
まもなく開戦の合図に等しい、防犯ブザーの音がけたたましく鳴り響く。音に驚くように塀の壁から飛び出した狼は――3体。うろたえているようだ。その隙を、見逃すアスハではない。
「メイガスよ!」
速攻。誰よりも早くアスハは一足飛びに狼へ詰め寄ると、真紅の大型パイルバンカーをその腕に現し、魔法陣を纏わせ――撃ち貫く!
不意を付かれた狼は回避すること適わず、腹を大きく穿たれた。この状態で追撃を避けることなど不可能。
「1体ずつ確実にいきますよ!」
ブザーの音源は遠く、発せられる声は近く。持ち前の健脚で駆け戻ってきた征治は、勢いを殺さぬまま、狼へ終の一撃の構え。一瞬にして、手首に巻かれたチェーンはツーハンデットソードに姿を変え、夕陽を反しながら刀身は一閃。
いちの狼は復讐の機会も得られぬままその身を血に浸す。
流石にこのときには他の狼も我を取り戻していた。不快な音源を破壊しようと跳躍する先には――知夏。
「そんな嫌そうな顔されても、悪いのはそっちっす! お帰りいただくっすよ!」
鳴り響く音源を背に、知夏は狼の体当たりを、三節棍で難なく受け流した。回避は困難だったかもしれないが、受けは護り手として最も得意とするところ。安定感に揺るぎはない。
唸る狼を前に次なる手を考えていると――
「‥‥僕だってこのままじゃいられない」
より早く、カロンが狼の背へ光球を放っていた。死角からの焼かれるような衝撃に狼は大きく吼え、反転、駆けた。
「え、ぅわ!」
狙われたのはカロン。光球は狼の下半身を大きく焼いたが、動きを封じるまでには至らなかった。痛みは怒りを呼び、怒りは攻撃としてカロンへ向けられる。受けは適わず、回避も間に合わず、護り手の足も届かない。
「――ッ!」
全身を満たす痛覚に、一瞬呼吸を失うカロン。そのまま背を地面に打ち付けるよう転倒する――その目にもう1体の狼の姿が映った。この体勢に追撃受けたら避けられないな――、それでも命は繋ぎ止めたい。カロンは全身の筋肉を強張らせ、その刻に備えた。
が。
「そう、貴様らの都合よくはいかないのさ‥‥」
熱くも、冷徹な声が地と血に響いた。アスハだ。カロンが瞼を開けば血色の髪が、己が喉元に一房垂れていた。
腕から連なる同じ紅が貫くは狼。骨は打ち砕かれ、顎は外れ、だらしなく開かれた口からねっとりとした血混じりの涎が垂れている。にの狼が事切れていることは見まがうことなし。
「間に合ったようで何よりだ」
言葉短く、行動は素早く。アスハはカロンの手をとり引き起こす。残るはさんの狼。
「いーかーせー、ないっ‥‥すぅよぉ!!」
なんと、知夏が持てる力を振り絞り、足止めしていた。拮抗する砕く力と護る力。
征治らが応援に駆け出そうとした刹那、騒音に混じって聞きなれた電子音が身辺から響いた。
「‥‥! 向こうからの通信か‥‥!」
すぐさま受信釦を押し、通話状態にする。手は武器で塞がっているものの、ハンズフリー型マイクロフォンのため行動に支障はない。駆けながら応対する。
『あ、すぐ繋がってよかった。今メフィスさんがちょっと大変そう? 大鳥と狼両方でたんだ。出来るだけ頑張る、って言ってるけど早めに応援頼むよ。場所は――』
通信相手は別働中の平山 尚幸(
ja8488)。互いに交戦中のようで、用件のみを伝え、素早く切る。
「出たんだね? あと1体みたいだし僕は先向かわせてもらうよ」
真っ先に駆け出したのはカロン。
「あれは僕がどうにかしますからタツヒラさんもどうぞ!」
「すまないな」
征治に背を押されアスハもこの場を離脱。全力で走る。
「これでどうっす‥‥?!」
丁度同じくして知夏が狼を突き飛ばした。無論ダメージはないが距離は開いた。そこへ直剣を手に征治が割り込む。
「終わってください!」
夕陽が沈むのは早い。先ほどまで紅を返していた刃は闇を映して――背骨を粉砕し、身を両断した。
「見事っす! 知夏たちも急ぐっすよ!」
「はいっ」
称賛する知夏。しかしまだ終わっていない。音源を回収しながら、征治と共に街を疾駆した。
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空が紅から紫に移り変わり始めた頃、急に空が翳った。
「‥‥こないだ取り逃がしたやつに似てるわね‥‥、犯人はあなたたち‥‥?」
メフィス・エナ(
ja7041) は現れた大鳥を見据える。だが答えなどない、大鳥は一声大きく鳴くとその場で翼を羽ばたかせる。巻き起こる風。メフィスの赤い髪と深い紫の光纏がゆらり揺れる。
(出現報告はした‥‥どうにかふたりで持ち堪えないと。――に、しても攫おうって動きじゃないな、撃退士はいらないのかな?)
街路樹の陰に隠れ、尚幸は射撃の機会を待った。黒い髪と黒い服が周辺に溶け込みだすが――、
「っと、あぶなっ!」
たとえ様々な臭いが入り混じる街中であっても狼の嗅覚にとって、人ひとり捕らえるなど造作もない。飛び掛ってきた狼を、地を転がり避ける尚幸。
「その狼もこないだのと同じよ! 当てられればいけるから!」
大鳥の羽ばたきから逃れるよう、バックステップを踏みながら後退してきたメフィスが叫びざま、鶴の形に折られた召炎霊符を放つ。招く炎は漆黒の不死鳥。その狙い精度は狙撃の本職にはかなわないまでも、正確に狼を捉えた。
ぎゃん、と大きく吼えながら体勢を崩し転がる狼。だがまだ息がある。
「なるほど、ね」
即座に勝手を理解した尚幸はスナイパーライフルCT-3を構え、放った。時間を掛けて狙いを定める必要はない、一瞬だけスコープを覗き込めば、素早くも動かない的には十分だった。弾丸は赤黒い軌跡を残しながら胸を貫通し、地にて止まる。まもなく事切れる狼。
だがまだ残っている。
「狼もそうだけど、鳥のほう気をつけて。どうもあいつ、姿を消せるみたいなのよ」
以前交戦した記憶を辿り、メフィスは注意を喚起した。すると――
「んー‥‥そういえばそんな情報も。これ、どうですかね?」
言うが早いか、尚幸は再び銃を構えると上空にて羽ばたく巨体に狙いを定め、特殊なアウルを練りこんだ弾丸を射出した。命中した反動か、地面で風が逆巻いて解けた。
「なにをしたの?」
「ははっ、自分から逃げられないようにしたのさ!」
弾丸を繰り出すたび、尚幸は饒舌になっていった。撃鉄中毒だ。
打ち込んだ弾は一定時間相手の居場所を特定し続けることの出来る特殊なもの。どこに姿を隠そうが尚幸には居場所の特定が可能となる。
「じゃ、警戒すべきは狼の方だけど――」
気配は感じれど動きが見えない。メフィスは奇襲に警戒しながら刻を待つ。
(アスハは必ずきてくれる。がんばるっきゃない!)
その願いは間もなく叶った。遠く聞こえる愛しき声。
だがそれをかき消すよう、大鳥の翼が大きく羽ばたく。
「旋風、くるっすよ!!」
駆けながら知夏が叫んだ。対象が誰であるかわからない以上全員が受身の態勢を取るしかない。メフィスのランタンシールド、征治のブロンズシールドはそれぞれ風を防いだ。
「ちっ‥‥!」
「アスハ!」
メフィスの悲痛な叫びをよそに、アスハは旋風に絡みつかれた。風は魔法、魔法への抵抗が高いのが幸いし致命に至らないものの、元々が耐えに向いていない。トレンチコートが引き裂かれ、露になった肌から血が流れ出る。
「これくらいの傷なら知夏にお任せっすよ!」
仲間陣営の中ほどで駆ける足を止めた知夏が笑顔で手を付き伸ばす。沸きあがる光の風は周囲の仲間を包み、癒した。
「余所見しちゃあぶないよ!」
顧みながら、胸を撫で下ろした瞬間のメフィスに狙いを定め、闇から飛び出してきた狼――に気付き対応したのはカロンだった。薄紫色の矢が闇を走り狼を貫く。だが仕留めるには威力が届かない。
「鳥より狼の方が邪魔だね、消えておくれよ!」
挙動はともかく、常に居場所が特定できる大鳥より、地を駆ける狼の方が厄介であると尚幸は、照準をカロンが一撃を加えた狼へと変更。素早く引鉄を引く。これでこの場で2体目だ。まだ潜んでいるかいないか――そんなことを考えた時、戦場の変化を察知する者。
「大鳥が高度をあげた‥‥?」
尚幸は闇の中に浮かぶ大鳥を凝視した。狼が倒された直後だろう、それまで低く飛んでいた大鳥が急に浮上したのだ。
「光を!」
慌ててペンライトを点灯させ、カロンが空を照らす。すると大鳥が闇に融け消えようともしていた。
「逃がしなんかしないんだから!」
捕らえられるだけの条件は十分に揃っているはず。仲間の合流後合間をみてスキルをセットし直していたメフィスが咆哮を上げる。手の内から放たれるは渾身の魔法力。一直線に空へ。おそらくどこかに命中したのだろう、はらはらと羽や羽毛が降ってきた。手ごたえが合っても結果が伴わなくては――と、歯噛みするメフィス。
「まだだ、まだまだ! 魔弾よ、喰らい殺せ!!」
撃ち足りない、と尚幸は射程が続く限り弾丸を撃ち続けた。見えないながらも着弾したその箇所で、赤黒いアウルは獣のように獲物に噛り付く。時折吹く突風は大鳥の抵抗だろう。
「堕とせたら今夜は焼き鳥だな! 『喰』せ!」
3弾目が放たれた時、変化は起きた。どこかに、どすんと、大きな何かが落下し、地を揺らしたのだ。
――仕留めたか!?
誰ともなくそうも感じたが、
「‥‥いや、まだ動いてる。高度を上げながら‥‥海の方か? ――遠いなぁ‥‥」
居場所を特定できる尚幸が否定した。効果時間中追いかけることも可能だろうが、障害物のない空を飛ぶものと、地を駆けるものでは移動速度が違いすぎる。追いつく前に特定効果は切れてしまうことだろう。それに、大鳥が去ったとしても街にはまだ狼が潜んでいるかもしれない。
「かなり遠いんですよね? それなら今は街の安全確保を優先しましょう。もしまた、現れるようならその時です」
征治は照明の少ない街を見渡し、そっと告げた。悲鳴なども聞こえはしないが索敵しておくに越したことはない。
――結果、連日現れていた大鳥も狼も、翌日、翌々日も姿を現すことはなく、この街での件は解決と判断される。
――例え、失われたものが戻れなくても、これ以上失われることはない、と。
――発見後程無く消滅してしまったが、落下したのは大きな翼だった。1翼削げても飛行に問題ない様子。
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恨めしい撃退士。どれだけ私から奪えば気が済むの‥‥!
狼はまだいっぱいいる。あなただけでも帰ってきてくれれば、まだ、大丈夫。