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概ね一本道の地下水道。
紅葉 虎葵(
ja0059) らは細く分かれる枝道も見逃さぬよう、コンクリートで固められた空間を注意進んでいた。その最中、
「よっし、今回も頑張るぞっ! om vajra――svaha‥‥!」
蛍光テープが巻かれた手首を高らかに掲げ、呪文を唱える虎葵。途端その手に発現するグレートソード。己が背を越える刀身は、暗き照明を受け、鈍い輝きを返した。
眼前には2体の鼠。無論ただの溝鼠ではない。朝から一部の寮を、生活区域を騒がせている元凶、ディアボロだ。
そのうちの1体目掛け、力強く踏み込んでは剣を振り下ろす虎葵だったが、
「う――ぁれ!?」
身の小さな鼠は攻撃をあざ笑うかのよう、容易に回避し、通路の隅で尾を揺らしている。
「このっ!」
続けて攻撃を試みるがなかなか当てられない。それでも虎葵は根気よく攻撃を続けた。
今自分が1体の注意を引き付けていられる、つまりそれは――
「まったく‥‥ぞろぞろと湧いて出てきて、面倒だな」
山崎康平(
ja0216) も虎葵に次いで、その掌に鉤爪を現していた。彼は同じ道を選び進んできた仲間。
康平は直線上に居る鼠に向かい、構え叫ぶ。
「切り裂けッ!」
刹那、発動された飛燕により、爪に風のような光が集まり、衝撃波となって鼠を襲う。
そうして鼠を切り裂いた光が霧散する頃には、通路が血潮で濡れていた。どれが元を模っていたかも分からぬ物体の中に動くものは存在しない。
「加勢する!」
亡骸には目もくれず、康平は一直線に虎葵の応援へ向かう。
未だ虎葵は奮闘中。幾度か刃で掠めたものの、残念ながら致命傷を与えるには至っていない。
「こいつすばしっこくて――!」
虎葵が苦戦するのには訳があった。
「その武器では仕方ない」
それは康平の助言。
配管を傷つけてはならない。この狭い通路で、且つすぐ横を配管が走っているのだ。万が一この武器で叩くことがあってはどうなるか。その先にあるものを守るため、虎葵は力を抑えて戦っていたのだ。
「このまま挟み込み、封殺する!」
虎葵の横を駆け抜け、鼠の背後に回る康平。虎葵も是の呼吸を返す。
歯をむき出しにし、虎葵に飛び掛ってくる鼠。
「相仍りて、逃がるべからず! ――重真の凪よ!」
歯を鎬で受け止めると、地下一帯に耳障りな金属音が反響した。
小さな身なりのどこにそんな力があるのか、鼠は刃に噛り付いたまま離れず譲らず、動かない。
「そのまま押さえていろ!」
「わかって、るよ!」
それも好機。康平が吼えた。3本の爪が閃き、鼠を襲う――直前に虎葵が刃を引く。
爪は肉を抉りながら鼠を跳ね飛ばした。
「もらった!」
宙に投げ出された無防備な鼠を、虎葵が一閃に断つ。命中さえすれば何のことはない。
こうしてふたりの道を阻んだ敵は潰えた。
「ありがとう、大丈夫だった?」
「う――あ、いや。問題ない。まだ道は長い、いくぞ」
礼を返された途端、言葉を詰まらせた康平は、踵を返し奥へ足を向けた。確かにまだ先があるのだが、
「あれ、耳赤くない? いまのでもしかして怪我したとか」
振り返りざまに見えた耳の色。心なしか赤みを帯びていることに気付き、尋ねた虎葵だが、
「き、気のせいだ」
「化膿したら大変だよ!」
「別に怪我なんてしていない!」
「じゃあなんで!」
等と、しばらくの間騒がしく声を張り上げ合うことになる。鼠等を蹴散らしながら、ふたりは進む。
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「結城殿、そこには深い水場が」
「あ、はい。ご注意ありがとうございます」
神凪 宗(
ja0435) と結城 馨(
ja0037) は、また別の道を掃討していた。
ふたりの進む道の配管はところどころから水が滴り流れ出、通路に水場を作り出している。
「汚水でないのがせめてもの救いか‥‥」
ため息混じりに呟くのは宗。幸い溜まっているのは汚れの目立つ水ではなかった。
「本当、厄介なことをしてくれる敵です。こういった生活関連への被害は、地味に辛いものですし」
言葉を引き継ぎながらも、周囲への警戒の目を緩めぬ馨。全力の力を出すにも、帰れる場所があるからであって。
「トワイライトの回数も限られていますし、注意しないと――」
怪しい気配がした場では、辺りを広く照らす光球を作り、馨はじっくりと捜索した。しかし1回の効果は1分もなく、ここぞという時のみに限定していた。
「ただの鼠が更に紛らわしい――ん」
宗は紡ぎかけた言葉を飲み込む。
「今度のは確実にディアボロだな。結城殿、構えよ」
「はい。宜しくお願いします」
明確な殺気を捉えたのは宗。馨にも臨戦態勢に入るよう促した。
改めて気を入れなおし、丁寧に応じる馨。
まもなく複数の水音が聞こえ、闇の中から3体の鼠が飛び出してきた。それらは道を塞ぐように居並ぶ。
「私はまず中央を狙います、射線に気をつけて」
馨は十分な間合いでスクロールを広げると、目の前に光の弾を現した。狙うは壁際の配管群から一番離れている中央の鼠。
しかし狙いは外れ、光は水に溶けて消えた。馨は落胆の息を漏らす。
「だが倒さないと道は開けない。となれば‥‥!」
追って宗は忍刀を強く握ると、先ほど攻撃を回避した鼠に挑む。人間にはどうという深さではないが、鼠等にとっては深いらしく、回避後の動きは愚鈍であった。
そんな体勢を整えるまでの僅かな隙を突いて、攻撃を命中させる宗。衝撃波が水に波紋を生み、その先で切っ先が鼠を貫いた。
「――ッシ」
短く息を吐いて、刃を抜く。事切れた鼠の躯から染み出た体液が、周囲の水にじわじわ広がっていくのが見て取れる。
(水に足を取られるということは、透過能力を持っていない‥‥ということでしょう)
場合によっては阻霊陣を展開しようとも考えていた馨だったが、鼠の動向から不要と判断。灯りを生み出し、攻撃に集中する。
「次、狙います!」
再び宣言してから光を放つ。万が一にも宗を攻撃に巻き込んだりしてはいけない。 光は再び鼠の傍で霧散するが、先ほどの件もある。合間に宗が入り、隙を埋めて撃破。
残り1体だが――宗が異常に気付く。
「――む。靴が‥‥」
魔具。それは大抵、日常の動作でそうそう損傷することはないのだが、長靴の表面には傷が出来ていたのだ。主に水に浸かっている部分。
(倒した鼠の体液が水に溶けているのか?)
気付いた件を馨にも短く説明すると、ふたりは足場に気をつけるようにした。鼠の体液には溶解効果があると聞かされていたのを思い出す。特に敵陣に踏み込んでいる宗はその影響を受けやすい。毒の沼地で戦っているようなものだ、しかも敵を撃破するほど影響が増すのでは対処の仕様がない。
早々に撃破し、突破するしか。
そんなことを考えていると、遠くから、再び、複数の水音が響いてきた。
「この局面で‥‥敵側に援軍とかは流石に参りますね」
馨は眉を潜め水音のするほうへ灯りを広げた。が、そこに見えたのは鼠よりも大きな影、人間であった。
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「他のみんなは今頃どこ辺りにいるんだろ〜‥‥この先にきっとボス、でかいのがいるかもしれないんでしょ?」
楽しみ、と心躍らせているのは今回が初依頼となる守叉 典子(
ja7370) 。
「ええ。―-しかし、合流地点を決めたはいいですが、連絡方法を決めていなかったのが痛かったですね」
ペアを組むは歴戦の勇士、雫(
ja1894) 。あらゆる面でふたりは対照的だった。
そんなふたりが今背あわせに通過しようとしているのはとても細い枝道。ここを抜ければルートの最奥に抜けるはずなのだ。
「戦いの痕跡から、そこを通過したのはわかりましたが‥‥まあ、目的地は同じです」
後ろから整備班も迫ってきているだろうし、悠長に待っていることはないだろう、と雫。
「うんうん。後から来た人が戦いやすいよう、露払いしとくのも大事だよね! あぁ‥‥どれだけ倒せるかな〜♪」
そんなことを話しているうちに、先に開けた空間があるのを風の流れで感じた。
「‥‥大きな気配がひとつと、小さな気配が複数‥‥。注意していきましょう」
「うん!」
抜ける直前、雫は先の気配を探っていた。背後の典子にもその旨情報を流し、来るべき戦いに備え――飛び出す。
前方に雫が立ち、典子は後ろからペンライトの光で辺りをさっと検める。
すると雫の察知通り、中央に巨大なひとつの影と、壁際に複数の小さな影。
「これは、多いです‥‥。まさか、鼠算式で増えているわけではないですよね」
雫の脳裏にぞっとする情景が一瞬浮かんだが、すぐに払拭。今は考えている場面ではない。身体を動かす。
「むしろ固まっているなら好都合ですね、地すり残月!」
真紅の刀身をもつフランベルジェを発現させると同時、雫は貫通攻撃を一直線に放った。その軌道は三日月のような衝撃波となり、複数の鼠を一挙に襲う。
「わぉ」
目にした典子も思わず見とれて嘆息。威力こそ劣化する技であるものの、本来の力がそれを上回っていたことから影響は少ない。ものの一瞬で2体の鼠が躯と化す。
「私も頑張らないと! 細かいヤツ、喜んで引き受けるわ! これだけいるんですもん、十分暴れがいがありそうで♪」
典子も遅れまいと打刀を手に、戦線に加わった。まもなく3体の鼠が典子を囲む。
「無理はしないで」
「大丈夫大丈夫ぅ♪」
雫はひとり巨大な鼠と対峙しながら、典子に注意を促す。彼女は初戦で気が高ぶっているのかもしれない、ともすれば危険が伴う。
しかし典子は艶っぽい声を返し、敵に挑んだ。
まずは一撃。
「砕け散れ!!」
そう叫び、隣接する1体に渾身のスマッシュを叩き込む。重い一撃は幸運にも対象を押しつぶした。肉塊が弾けて飛ぶ。
「われながら上出来!」
と感嘆するのもつかの間、両脇の鼠が同時に襲い掛かってきたのだ。しまった――と思うも回避に間に合わず、甘んじて受ける。
纏っていたカーディガンの糸が解け、晒された肌に血が滲む。
「っつ‥‥痛った〜!」
即座反撃に転じるが刀は空を切った。その隙を疲れて再び傷を負う典子。
(このままでは危険かもしれないですね――)
そう思う雫も手は離せない。どうにか自身の力で凌いでもらう他に、手立てはなかった。
かくして満身創痍の雫と典子。いかに個の力が抜きん出ていようと、手数で押されていた。お互いの死角を補うよう、連携も試み一進一退を繰り広げる。
そんな折に援軍到来。
「法の下に顕現せよ‥‥、エナジーアロー!」
背後から小さな文言が聞こえたかと思えば、典子のすぐ横を薄紫色の光が一隻飛んでいった。そのまま1体の鼠を撃ち滅ぼす。
馨だ。
「大丈夫‥‥ではないですね。でももう大丈夫です、私たちも加勢します!」
虚を突かれ、後退した鼠の布陣に割って入った馨は、典子の傷具合を軽く検めると優しく微笑みを浮かべた。
「ここなら存分に戦えるな、雫殿もよく堪えた!」
同じく到着した宗は手の内に影から成る棒手裏剣を発現させると、巨大な鼠の目めがけ投げつけた。命中した鼠は奇声を発す。
「すみません。それでは、少し下がります」
と、雫は一度後退。呼吸を整える。
「整備の人もまもなくきちゃいそうだよ! ぱぱっと片付けないと」
そう言いながら敵に踏み込むのは虎葵。道中、馨と宗が整備班に追いつかれてしまったと聞いていた。しかし、倒した鼠の体液が混ざる水場を迂回する為として、今は別のルートを歩いているはずだとも。ならばおそらく、もう少し時間はある。
「神凪が親玉を抑えている間に雑魚を殲滅する、ゆくぞ!」
康平は迫り来る鼠を初段で一閃。しかし留まることなく移動し、体液に触れないよう気をつけた。長く白いみつあみが宙で踊る。
そうして仲間が集結したこと、典子が敵数を減らしてくれていたこと等もあり、撃退士側の優位にコトは運ぶ。
馨はここぞとばかりに温存していたエナジーアローとトワイライトを駆使、仲間に活路を開く。
「これ以上はいかせない! 朱星の薙!」
虎葵は葵のリボンを揺らし、回転切りを放つ。白いオーラが暗がりに舞う。
(設備の損傷‥‥騒ぎはこいつのせいか‥‥!)
近接し刃を歯と交わすのは宗。手数を重視し、何度も何度も巨大鼠に切りかかる。故、相手は他に目をくれる余裕も無く、宗の相手に専念するほかない。
そうしている間に仲間も復帰する。
「もう大丈夫です」
そんな言葉と共に、巨大鼠の側面に、雫が放った石火が叩き込まれた。肉を大きく抉られ、鼠は巨体を振り回しながらのた打ち回る。
「危ない危ない、こっちにきちゃダメだよ!」
反動で壁に衝突しそうであったそれを、挟み込むように陣取っていた典子がスマッシュで打ち返す。強烈な一撃は骨をも砕く。
「これで仕舞いだ」
勝負は見えた。宗は淡々と言葉を紡ぎながら最後の一撃、辻風を巨大鼠に浴びせた。薄く発光を見せるオーラは鼠の腹に大穴をあけた。その状態で生命活動を維持できるわけも無く、まもなく崩れ去る――。
最後に空間をくまなく探査し、うちもらしが無いことを確認すると、一行はようやく肩の力を抜くのであった。
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「どうです? 今夜までに直りそうですか?」
雫は到着した整備班の作業を観察しながら、ぽそりと尋ねた。かくいう彼女の寮も今回の騒ぎで断水したようで、
「今晩のお風呂のためにも宜しくお願いします」
と頭を下げていた。
「そうだね。こういうところに潜ったわけだし、戻ったらお風呂も入りたいねー」
ふと思い出したように虎葵も言葉を紡ぐ。汗のせいか水のせいか分からないが、肌がべたつく。寮に戻ったら真っ先に洗い清めたいところであると。
また少し離れた壁際で、寄りかかるように座り込むのは典子。
「ねずみ掃除も意外とハードね。あ〜でも楽しかったぁ〜♪」
長らく奮戦していたせいもあり、全身傷だらけ。肩で息をしながらも初戦を振り返っていた。
「あ‥‥そのように座っては。傷に障りますよ?」
その様子を諭すのは馨。雑菌などが入ってはひどいことになる。
「ちょっと待っていてください、確か雫さんが救急箱をもっていたような――」
仲間の所持品を思い出し、整備班の作業をみつめる雫の元へ駆けて行く馨であった。
「にしてもゲートの残滓か。こういったことが今後も続くようであれば、なんらかの対策を立てて欲しいものだ」
穿たれた床、砕かれた壁を見詰め、宗は嘆息した。人工島にディアボロやサーバントが発生するのも、まだ過去のゲートが微小な稼動を続けている為だ。外の事件もさることながら、本拠地で毎度騒ぎでも仕方ない。
「確かに。その為わざわざこんな所にまで潜らされるんだからな‥‥」
康平も同意。
予防策は浮かばないが、処理は出来る。ひとまず今はそれで凌いでゆくしかないだろう。
これからもこういった事件はしばしば起こるはず――