●
本島から日本海に突き出す形を成す男鹿半島。そこは八郎潟調整池とそこから伸びる東部承水路によって本島と断絶させられている。
男鹿市上部は山本郡三種町と南秋田郡大潟市に隣接するものの、下部は潟上市と男鹿大橋によって僅か繋がっているのみ。
潟上市から男鹿市へと案内するよう、男鹿大橋の手前で二体の巨大なまはげが佇む。国道101号、船越にてそれは起きた。
「チッ!……狐とか……うざってぇ……」
不満を吐き出すよう、恒河沙 那由汰(
jb6459)は小さく舌打ちした。
金の髪が雪景色に反射して眩しい。やる気のなさそう、というよりも不機嫌の様相をしょっぱなから見せているのは敵の外見が狐に近いと知ってからだ。
なにやら、魔界にいた際に狐に似た形状を取っていた、というのは本人談。だが、事件現場に近づくほど機嫌が降下していっているのが現状だ。
とはいえ、その変化はあまり大きいものではない。今回同行している友人二人がわずかに気付く程度の、些細なものだった。
雪を左右に、横広の道路は路面が凍っていて滑りやすい。その対策として靴に装着してきた滑り止めで氷を削り取るように進む。
そうして行くうち、薄暗く代わり映えのない景色に変化が起きた。
「あれが現場なのかなー?」
ユウ・ターナー(
jb5471)が首を傾げた。
平坦なだけの道にはいくつもの人が立っていた。そこが道路であることを度外視したような位置で静止している。――いや、自力で動ける状態でないので停止と呼ぶにふさわしい状況か。
「まずは邪魔なゴミから清掃しようぜー」
一般人たちが凍りつき、氷像状態となっているその景色を見てラファル A ユーティライネン(
jb4620)がまず思ったのは邪魔。
戦闘で壊れる恐れがあり、またそのままにしては戦場を限定するという二重のリスクを背負っているのだ。
「ふむ……氷の華の美しさに囚われた人々、といったところですか」
安瀬地 治翠(
jb5992)は立ち並ぶ人々をそう評した。
「人間の冷凍保存……」
同意するよう、時入 雪人(
jb5998)がぽつりと口にした。
「ですが、あまり芸術的センスがあるとも言えませんね……」
柔らかく笑みを乗せていた表情が厳しく、普段は優しげな瞳が敵として前を見据える。
「まだ、生きてるのかな……」
雪人は疑問に首を若干傾げる。透けるように白い肌の指を氷に寄せて、触れる前に引っ込めた。
氷の華に触れるようにして固まる氷像たちだ。氷の華に何らかの特殊作用があることは間違いない。不用意に触れるのは良くないだろう。
「万が一にでも壊れたら面倒なこととなりそうです、移動させてしまいましょう」
「面倒だな……」
やる気のなさそうな表情ながらも瞳だけを剣呑に尖らせていた那由汰。一般人の移動という治翠の提案に異を唱えないながらも、雰囲気がほんの少しだけ和らぐ。
作業に集中することで、敵となるきつねへの敵意に染まっていた思考が逸れる。
暫く、道中の氷像を氷の華から引き離すよう、端に寄せ集めていた六人だったが、背後でボスッと雪の沈み込む音が鳴った。
振り返った那由汰は即座、その顔を凶悪に変化させた。
「てめぇか、」
その手に、鞭を掴んだ。
紺碧色をした鎖鞭だ。禍々しい雰囲気のそれが、雪景色に毒々しい。
くぁ。
間抜けなほどに気の抜ける欠伸をして、小動物じみたそれは自らの短い足で顔を掻いた。
カシカシカシ。
ふわふわとした白い毛並みが揺れ、その尖った口元からポロリと氷塊が転げ落ちた。道端に転がり、一般人たちが触る「氷の華」だ。
「……っ」
雪人はキュッと唇を噛みしめた。
敵サーバントに警戒心、あるいは戦闘意欲などといったものはまるでない。漂うのは、眠気とのんびりした空気。
「も、モフモフしたい………((´-ω-`))」
シノン=ルーセントハート(
jb7062)が口にした。
雪人はシノンのことをぐるり、と振り返った。それに、シノンはハッとして自らの口元を覆う。
思わず口に出してしまったものだったが、それは雪人の心の内を代表したような言葉だった。
「ち、違うのです! 私たちは市街の住人さん達を助けるために来ましたっ!」
慌てた様に、自らの目的をきつねっぽいサーバントに向け、主張する。
「あなたは倒すのです!(><)」
グッと突きつけた人差し指の先、きつねは首を傾げた。そして、その背後からぴょんっと言った感じで、姿を見せたのは二体目のきつね。
道路から雪を除けてつくられたうず高い雪山。その向こう側に、二体目はいたらしい。きつね二体のかわいらしく、無邪気な動作にシノンは口が開いていた。
「ほ、ほわ〜……っ」
何の意味もなさない言葉が、口から流れ出る。
「って、だ、ダメ!」
首を振って、シノンは正気に立ち直ろうとするが――その先に、三体目のきつねが姿を現していた。
「う、うう……キツネさーん、市街の住人さん達を凍らせたりしないでー゜(゜´Д`゜)゜」
どうにも、戦意を持続できず、がっくりと氷の上に膝を落としながらシノンは懇願するように言った。
ダメダメのグダグダである。
中学二年生とはいえ、戦闘ではまだ初心者丸出し状態のシノン。王子様を夢見る一介の少女でしかないのだ。
天魔が人の死骸からできたとか、人に害をなすなどと聞かされていても実感は薄い。特に、恐怖を覚える外見ならばまだしも、キツネに似た外見で可愛らしいと来ると、――今、シノンの中には動物虐待のような気持ちが競り上がってしまっていた。
そんなシノンの肩に、そっとか細い手が乗った。
「……うん、子狐だ。可愛い」
ジッと、敵きつねを見ながら雪人は告げる。敵サーバントを見た反応として、正しいものなのだと。
敵は倒さなきゃいけないという義務感・責任感と自分の持つ感情の狭間に心を痛ませていたシノンの心が軽くなった。
一時的だとしても、どうせ倒さなければならないのだとしても、可愛いと認めること自体は悪くないのだと、そう肯定を受けたからだ。
「ケッ……狐に化かされてるんじゃねーよ!」
相当に機嫌を斜めにしながら、那由汰が声を張り上げた。
だが一方、ラファルは鼻を鳴らして笑った。
可愛い、というのは評価基準で高得点という、それだけのことだ。天使・人・悪魔。さまざまな種族がおり、それぞれの別の価値観を持って生きている。
価値観が違えば、その評価もまるで違うものになる。ある一面では正義でも、逆から見れば悪に。可愛いは醜悪に。
そして、天界側のサーバントと魔界側にいるラファルの価値観が同じだろうか。――否。
「可愛いから正義と思ったか、バカめ」
撃退士とは人類の希望であり、正義だ。一方でその存在は天魔にとって、この目の前にいるサーバントにとって害悪であり、敵であり――死をもたらす存在。
「ハッ……気が合うな」
那由汰はその手にアウルを溜めた。
バチバチと激しい音を鳴って、雷の剣が形成される。それを、那由汰は握って構える。
「限定偽装解除――ナイトウォーカー始動……」
ラファルはグッと拳を握りしめ、体に引き寄せた。途端、腕と脚にあたる部分の服が破け、そこから義肢が覗く。鈍い色を反射させるそれは日常生活を行うのに不足ない形から、戦闘モードへと形を変形させる。
「さぁて、一丁派手にやったるぜー」
シニカルな笑みを浮かべるラファルの鈍色の肌の上を、一瞬アウルが電気のように奔った。
「うざってぇから、さっさと消えろ!」
那由汰が鎖鞭を握らない方の手で、雷剣で斬り付けにかかった。
●
治翠は狐型のサーバントに一瞬瞳を揺らがせた。
那由汰の放った剣を素早い動きで避けたきつねだが、その際に掠めたらしく数本の毛がパラリと抜ける。まるでダメージを受けた様子はないが、きつねの表情は悲し気に見えた。
(何を、馬鹿な……)
幼少の頃より戦闘訓練を受けていた治翠が、敵の外見がどうであれ同情や躊躇いを覚えるはずがない。
多少、外観が害悪のなさそうな動物であったとしても、実際にその巨悪の所業は目の前に陳列されていたではないか。その程度の事で、戦意を削がれるはずがないのだ。
本来、ならば。
「――」
治翠は頭を振った。そして、ふと、雪人を見た。
(あ……)
己の保護対象。大切な人。
彼が、泣き出しそうな顔で耐えていた。
「雪人さん……」
治翠は眉を下げながら雪人の傍によると、
むにっ
「……なに」
唐突に自らの頬を摘まれて、雪人は尋ねた。
「ずっと外にいては体が冷えてしまいます。じっとしていても何も終わりませんけれど、動けば暖かくなります」
引きこもりがちな雪人が冬に外へ出て、動物と戯れるというのはいいことだと思った。だが、そんな顔をさせたいわけではないのだ。
ですから、といって治翠は機嫌の悪そうな那由汰を振りかえる。
「――三人できつねうどんでも食べに行きますか? 温まりますよ」
「あ?? たぬきにしろよ、たぬきに」
治翠の言葉を聞いた那由汰は鎖鞭を放ちながら、怒鳴る様に言葉を重ねた。だが、雪人は治翠を見上げ、自分の素直な欲求を口にする。
「キツネうどん食べたい」
「あ?ぁあ!? たぬきだろ、ここは。きつね喰いたかったら今倒したの食えよっ」
それに過剰なほど反応した那由汰。激しくたぬきを推し、断固として譲らない。その間にも、きつね型サーバントへの攻撃は繰り返されている。
ますます過激になる攻撃に、徐々に敵は傷を増やしていき、動きが鈍っていく。
「……ええ、きつねうどんにしましょう」
治翠は那由汰と雪人を見ながら、くすりと笑みをこぼした。
うどん屋に行けばたぬきもきつねも、両方あると思うのだがそれをわざわざ口に出すでもない。
「ったく……。倒してさっさと喰いに行くぞ」
いつの間にか那由汰はきつね型をするサーバントへの嫌悪感がすっかり無くなっている。雪人と治翠との会話で、敵への関心が極薄くなったためなのだが、那由汰はそれに気づかない。
●
きつね型のサーバントたちは眠いのか、戦闘意欲がかなり低い。
けれど、それも最初の話で那由汰の放った攻撃が当たった一匹がほんの少し、好戦的になった。
足元にいくらでもある雪から、雪玉を増産して投げつけてくる。
さほど威力のあるものではないが、かなりの速度だ。
「……っひゃ!」
顔面に当たりそうだったそれをシノンはスクールシールドで防御した。雪が弾けて、一瞬視界が真っ白に染まる。
「き、きつねさん怖い……」
こんな姿をしていてもやはり天魔なのか、と顔を蒼褪めさせつつシノンは盾を強く握りしめた。同時、アウルを集中し雪人に向けて聖なる刻印を放った。
状態異常に対する耐性を高めるものであるが、きつねの可愛らしさが魅了によるものなのかどうなのか判断がつかないので、ほんの慰めでしかないがしっかりと後衛サポート役を務める。
その時、ラファルを中心に深い闇が広がった。
敵サーバントは三匹とも呑み込まれ、視覚を塞がれる。そこに那由汰が素早く距離を詰めた。雷の剣を闇の中に一閃、だがサーバントたちはこともなくそれを避けた。
消耗してきたとはいえ、敵はやはり動きがかなり早い。加え、視界が効かない場であるということに一切の負担を感じていないようだ。
野生動物と同じく、視力よりも嗅覚が優れているらしい。
初めの頃よりも戦闘意欲が湧いたらしきサーバントたちが、那由汰に向かって突撃してくる。だが、それを遮るよう、雪人が立ち塞がった。
その俊足で突撃して尻尾で叩く、というのは先ほどからのパターンで、そんな単純な攻撃を受ける那由汰ではなかったが、尻尾で叩く姿勢を取る前の段階で勢いの殺されたサーバントが何もできないまま地面に着地する。
俊足に割り込む、雪人の足元は特殊な磁場が渦巻いていた。
両脚に溜めた雷のアウルで蹴りつけようとするも、その前にきつねはその俊足で後ろに後退した。
「は、やっぱ動物だな。知恵が浅い」
ラファルがふいに、口を開いた。
ラファルの視線の先、雪人が下がらせたきつねAがいる。そこに、那由汰の鎖鞭に巻きつけられたきつねBが放り投げられた。
「十連魔装誘導弾式フィンガーキャノン」
言うが早いか、ラファルの両腕が変化した。
肘から下の部分に大型な機械が捕り付く様な形だ。その砲塔は十指に即したもので、十個の銃口がサーバントたちに向く。
仲間の危機に、一番戦闘意欲がなく逃亡しようとしたきつねCが反応する。その隙を、治翠は逃さない。装備しているプロスボレーシールドを前に押し出し、その上下に押し出された槍できつねの横面を叩いた。
「――斉射!」
きつね型のサーバント三匹がころころと転がって集められたそこ。ラファルは最後の合図を口にした。
閃光と同時に轟音が雪街に響いた。
「うぅ……」
シノンは悲しみに顔を歪めた。それでも、三匹の死骸から眼を逸らさない。
撃退士は人類の味方であり、天魔の敵だ。それでも、天魔も命ある生物であることを忘れてはならない。そして、シノンはそれを摘み取る側であるということも。
「私が、処理します……」
撃退士は天魔を倒すだけが仕事ではない。倒した後、その死骸を処理することも必要なことなのだ。
それを、わざわざシノンは自ら引き受けた。
蒼い顔をしたまま言うシノンの頭に、ラファルがポン、と軽く叩いた。
顔を上げたシノンにラファルは快活に笑ってみせる。
「おう、俺も手伝うぜ」
「ユウはあの人たちの方見てくるねー!」
ぶんぶん、と大きく手を振ってユウは退けていた一般人たちの方へ寄っていく。
どうやら、サーバントを倒したと同時に一般人たちの氷は溶けたようなのだ。先ほどは意識がなかったが、外傷もないのでそろそろ目覚めているかもしれない。
「行きましょうか」
はぁー、と白い息を自らの手に吐きかける雪人に治翠は声を掛けた。その横には那由汰がやる気のなさそうな雰囲気で立っている。
雪人はシノンたちに――地面の痕に背を向けた。
戦闘で踏み荒らされた黒い雪から離れ、真っ白な雪に足を着けていく。
「……寒い」
空気が身を突き刺した。