●
「アウルの暴走か……」
鐘田将太郎(
ja0114)は眉を寄せ呟いた。
己がアウルに覚醒した際はあっさりと受け入れてしまったが、学園生にはアウルの暴走がきっかけで心に深い傷を負った者も多い。
心理学を学ぶ上で、多くの傷ついた心を見てきた。トラウマの一言で終わらせられるものでないと将太郎は知っている。
そして今、将太郎の眼の前で患者が一人増えるか否かの瀬戸際に立たされている。
「早く、止めねぇと……」
「ああ、そうだな」
片瀬 アエマ(
jb8200)は深く同意した。
悪魔であるアエマにとって、アウルの暴走は縁遠い現象だ。だが、唐突な環境の変化には覚えがあった。
かつて、冥界からの使命で人界に降りた時のことを思いだす。
必死に、周囲に馴染もうとした。自分は他とは違う、その異物感がずっと付きまとっていた。その違和を誰かに話すことはできず、一人身分を隠し続けた日々。
人と親しくなる度、心が痛んだ。騙しているのだと、殺すためにやって来たのだと。
「大変、だろうな……」
違いが表に出てしまったユウタのこれからを思うと、胸が痛んだ。過酷な生活が待ち受けるだろうことが容易に想像つく。
そこで彼らは現場に辿り着いた。
朱頼 天山 楓(
jb2596)は周囲を見回した。
警官が一名、錯乱した様子の女性が一名。二人を遠巻きにする衆人。そして、地面に走るいくつもの亀裂。
「うむ、新しい目覚め、いとめでたし!」
当人はこの場にいないが、情報に誤りはなさそうだと結論付けて楓は頷いた。
地面に傷はあるものの、周囲に怪我人が出たわけでもなし。子供は腕白なぐらいがちょうどよいというし、この程度は問題がない部類に入るだろう。
とはいえ、これ以上問題が大きくなることはあまりよくない。楓は女性と警官に歩み寄った。
女性を宥めていた警官が顔を上げたのに対し、藤堂 猛流(
jb7225)は学生証を提示し、話しかける。
「叱られたり、ワガマママが通らなかった時にユウタ君が逃げ込む場所に心当たりはありませんか」
猛流の言葉に、母親は頭を振った。
「普段はとてもいい子なんです……あまり叱ることもありませんし、わがままを言うこともなくて……」
「秘密の場所、あるいは思い出のある場所とかは?」
問いには考える素振りはあるが、母親は要領を得なかった。
「お母様……。ユウタくんをあまり怒らないでくださいね、ユウタくんも混乱しているのですわ」
華澄・エルシャン・御影(
jb6365)は眉を下げて訴えかけた。その気遣いに、母親の精神は一気に氷解する。眼には涙が溢れ、体が震えた。華澄は落ち着かせるよう背を撫でる。
「あの、あの、子……は、わた、わたしが……っ」
「落ち着いて、ゆっくり呼吸するんだ」
興奮のし過ぎで過呼吸の症状を表し始めていることに気付いて、将太郎は呼吸を指示した。大きく息を吸い、通常まで呼吸が整うも嗚咽は収まらない。
「私があの時……あの子を傷つけたんだわっ もっと、もっとあの子の事を考えて……あげれば……」
「あまり自分を責めないでください」
華澄は言葉を詰まらせる母親の手を握った。
「突然のことでビビっているのはわかるが、あんた母親だろう。信じて帰りを待つんだ。子を救えるのは、母親しかいないんだよ!」
その言葉に母親は息を詰まらせた。未だ顔は蒼褪め、唇は震えていたが虚ろだった瞳に力が籠りはじめる。
「わたし、でも、どうしたら……」
「今回の事は誰が悪いというわけでもないだろう」
暗い様子で言う母親にインヴィディア=カリタス(
jb4342)は告げた。涙に滲んだ瞳がカリタスを向く。
「子は子の、親は親の、民衆は民衆の、当然の反応を取ったに過ぎない。急な事態に、他人を思いやる余裕を失くすのも当然ならば、そのことで誰が責められるべきでもない」
当然……。カリタスの言葉を母親はゆっくりと口にし、確認する。
「落ち着いたかい?」
溜まっていた感情が一気に爆発したことで、一時とはいえ母親は平静を取り戻し始めている。カリタスは天使様な風貌に優しい笑みを浮かべ、尋ねた。
「じゃあ改めて聞こうじゃないか。――あなたの望みは何だい?」
「息子を……、ユウタを探してくださいっ!」
涙を浮かべながら頭を下げた母親に、カリタスは笑みを深めた。
愛。それはカリタスが最も尊ぶべきもの。そして、母から子への愛は今ここに証明された。
「彼は僕達が探し出す、誰にも傷つけさせやしないさ」
絶対の安心を含ませ、告げた。
「さぁ、泣きやんで。幼子が戻って来た時、母が狼狽していてはいけないだろうさ」
●
九条 静真(
jb7992)は皆で集めた情報を紙にまとめ、皆に配った。衆人で起きた事件だったので、意外と多くの情報が集まった。
『ユウタの向かった方向に思い出はないの?』
静真の差し出した紙に、母親は黙った後そう言えば、と口を開いた。
「公園……。あの時は確か、久しぶりに夫も休みが取れて、三人で遊んだんです」
「ほぅ……」
その言葉に楓は興味深げに相槌うった。皆に視線を逸らせば、他の者たちも見当がついたように頷く。
「それじゃ、公園周辺を中心に捜索に入るか」
猛流が声をかけ皆が頷く中、将太郎は声を上げた。
「俺は後から行く。もう少し、母親の方に付き添おうと思う」
ユウタの母親は落ち着いたとはいえ、動揺が深い。
将太郎としてはこのまま一人にするのに忍びない。警官の方は周囲の人々への対処へ手一杯で、きちんとしたフォローができるとも思えない。臨床心理士を志す将太郎が適役だった。
「わかった。携帯で随時連絡を取り合おう、小まめに確認してくれ」
「ああ、よろしく頼む。こちらも他に情報を得られたら連絡を入れる」
頷きを後に、猛流たちは玩具屋の前を発つ。見送ってから将太郎は母親を促した。
「ここもいつ壊れるかわからん、俺と一緒に移動しよう」
静真は街の中にある喧騒に顔を出しては落胆した。
ユウタが何か騒動を起こしたのかもしれない、と覗き込んだ先にその姿はない。
誰かを傷つけるような事態にはなっていて欲しくないと思いながら、騒動を起こしていれば見つけやすいと矛盾が奔って。
ユウタを見かけなかったかと尋ねる際には文字を見せて。
多くの人は怪訝な顔をする。喋れない、ということをアピールするのに時間がかかって。
もどかしい。その思いが競り上がってくる。
慣れたはずなのに、こういう時ばかり思ってしまう。不便だと、黒い感情が沸き立ってしまう。
初対面の人と積極的に話すことは普段しない。無口と思われても、話すことは最小限にしている。それでも、今は。
(はよ、見つけてやらんと……)
周囲に視線を走らせながら静真は眉を寄せた。それは見様によっては泣きそうなのを堪えているかのような表情だった。
(安心させてやらんと……っ!)
心細くいるだろう少年を思い、静真は走る。
一人でいることの孤独は、静真が良く知っている。隣に人がいないことの寂しさは、身に染みている。
不安なのだ。一人は、怖い。
息が乱れた。喉を通る空気が攻撃的に感じた。それでも足を止めない。
ユウタを思えば、足が急いた。踏み出すたび体に冬の冷たい風が押し寄せてきて、マフラーを強く握りしめた。
●
「一人でどうしたんだい?」
熊が少年へと話しかけた。
ブランコを揺らすこともなく、ただ腰かけていただけの少年は驚いて声の主を見上げた。
「へ……」
少年、ユウタは熊のぬいぐるみに一端、呆気にとられたような顔をし、一瞬後にはくしゃりと表情を歪めた。
瞬間的に突き飛ばすよう、ユウタは腕を突き出した。
それから、ハッとしたように熊を見る。後悔と罪悪感の混じる表情だった。
猛流が大丈夫だとアピールするよう、体を動かせばユウタは安堵の息を漏らし、次には困惑の表情を浮かべた。
「寄るなっ!」
一歩、近寄るように踏み出せば鋭く声が飛んだ。
そしてユウタは後ろに跳躍して見せた。熊の隣にあるブランコは大きく揺れている。
(――やはり、か)
猛流は心の内で呟いた。
尋常でない跳躍力や人を威圧するような気を発していたことなどから、大まかな状況は察していたが目の前で見てアウルの覚醒を確信した。
力の発現の方向性は阿修羅やルインズブレイドに似ているようにも思うが、はっきりとはしない。
どうするべきか、考える。
ユウタが現状をどこまで把握しているかわからない。しかし、己を恐れ行動一つ一つに注意しているのだろう。
先ほど、突き飛ばそうとした時も。己の体が通常と違っていることに気付いているからこそ、咄嗟に取った行動を後悔したのだ。そして、制御できないそれに押された熊――猛流に痛がる様子がないことに、困惑したのだ。
表情がくるくると変わってゆく様子は動揺の深さを物語っている。
「おお、熊じゃ!」
親しげに、楓は熊のぬいぐるみに近寄った。
実際、猛流が中に入っていることは知っている。ユウタに近寄る口実と言ってもいい。
「おんし、わしに付き合え。熊と一緒に遊ぼうぞ」
熊とユウタの間にある、険悪なムードもなんのそのとカカッと笑って見せる。そんな楓にユウタは若干、怯んだようだった。
「う、うるさいっ 僕は、あ、遊ばないぞっ」
「なんじゃ、つまんないのぅ。では熊よ、共に遊ぶか」
公園を出ていくだろうと思っていた熊と楓がその場にいようとするのに、ユウタは戸惑った。他にも公園にやって来た女性が熊の着ぐるみと、赤い髪の男に親しげに話しかけている。
その様子に、ユウタはどう反応してよいのかわからず困惑する。
「本当に遊ばぬのか?」
再びの問いかけに、ユウタは何と言っていいかわからなかった。
「ぼ、ぼくは……駄目だ。力、強い、から……」
目的の公園を発見したアエマは周囲に人がいないことを確認してから高度を下げ、地面に足裏を付けた。そっと、背にあった翼を消す。
翼を見た人は何を思うだろうか。銀色のそれはあまりに目立ち、己の異質を伝える。
(あんま、悩むのは合わないよな)
暗く考え込む前に苦笑に変え、そこへ踏み出した。
「サカキユウタ君、だよな」
「誰……」
公園に入ってきたアエマに、ユウタは問うた。
「お前の同類、かな。アウルって力を持った、撃退士だよ」
お母さんに頼まれて、迎えに来た。
そう告げたアエマにユウタはハッと目を瞠らせた。
「アウルって何、この力の事? 撃退士なんて、知らないよっ! 僕はこんな力いらないっ!」
興奮し、叫ぶユウタに、楓は静かに口を開いた。
「力が怖いか? それでよか。恐れがあるからこそ、力を持つに相応しいのじゃからの」
「じゃがの、力は力でしかなか。扱うのは己よ」
力は何かを破壊するものにも、何かを守るものにもなる。
「己を強く持て、童子よ」
ユウタの心は決壊する。
●
「僕に構わないで……っ!」
それは悲痛な叫びだった。
「俺は、お前や周りのみんな、誰も傷つけたくねぇんだ!」
アエマはそう、叫び返した。
びっくりしたように目を見開くユウタは溜まっていた泪を頬に零した。
「傷つけて来たから……っ! 何度も、何度も傷つけたから――もう誰にも傷ついてほしくないっ!」
過去は、変えられない。
傷つけた事実は変わらないし、出生が変わるわけでもない。
だからこそ、今が大切だった。これから、どう生きるかが大事なのだ。
静真は説得には加わらず、公園の外で人の流れを見ていた。
ユウタは今、自分の力を制御できない。変わってしまった今の姿を誰かに見られることも避けたいはずだ。きっと、その力で人を傷つければ心に深い傷を負う。
野次馬が集まらないようにするのが静真の役目だと思った。けれど、
静真は服の胸元をぎゅっと握りしめた。
ユウタの想いに胸を突かれたような気がした。
所詮、他人なのだと言われてしまえば反論できない。他人事で終わらせたくないと思うけれど、関係ないと突っぱねられれば。
(っ…………)
「こらっ 人の優しさは受け入れるものですわ」
むにっ、と頬を摘んで華澄は小さく叱った。
「独りで傷つこうとしないで、自分で、自分を傷つけないで……」
華澄はギュッと、ユウタの小さい背を抱きしめた。
一人で抱え込み、立つ姿は、人によっては強く、凛として見えるかもしれない。けれど、本当は。周囲から、自ら離れることはとても辛く、悲しい。
「あ……」
眼を見開いて、ユウタはその抱擁を受けた。
離れようと身じろごうにもその柔らかな身体を壊してしまいそうで、ユウタは動けなくなった。華澄はユウタの背を優しく、叩いた。
トン、トン、トン。同じ調子で繰り返すそれがユウタを落ち着かせる。
「君は皆を護れる。その力で、皆を仲良しにできる」
公園から少し離れたビルの上、柵に凭れる様にして様子を見守っていたカリタスは笑みをこぼした。
「歪みなく、愛は伝わったようだね」
公園の中にいるユウタを発見したのはカリタスだった。
しかし、皆に連絡だけしてカリタスはユウタの元には歩み寄らなかった。
己の容姿が日本人であるユウタにあまり馴染みのないものであることはわかっているし、好かれるかどうかは不明だから、近寄るのを避け、見守ることにしたのだ。
「歪んでしまおうとも、それはまた愛であるが故だけれど」
愛と愛がぶつかり合った末に、分かり合えなくなってしまうということもありえる。それもまた愛だ。しかし、分かり合えた方がより良い。
「解決、だね」
カリタスは囁くかのように口にした。
母親まであと数メートル、というところでユウタは立ち止まった。
手を繋いでいた静真は握っていた手を外し、俯くユウタの頭を撫でた。
そっと、伺うように顔を上げるユウタに笑みを返す。大丈夫、安心していい。そう少しでも伝えられたらいいと優しく、優しく。
(おかん……心配しとるやろか……)
母親に駆け寄るユウタをぼんやり見やって、静真は思った。
学園に入ってからは場所的に離れていることもあって、あまり頻繁に会うことはできていない家族。
そっと、寂しさが心に擦り寄って来たが静真は笑みを浮かべた。
「ねぇ、ユウタくん」
玩具屋の店主に謝罪をした二人のもと、華澄はしゃがみ込んだ。
同じ高さの視線が、見つめてくる。そこにはもう先ほどまでの怯えも影も見えない。
「私たちは君をいつでも歓迎するよ」
にっこりと笑んで、華澄は立ち上がった。
「久遠ヶ原学園はあなたたちの味方です。だから、いつでも頼ってください」
そして、ありのままのユウタ君を愛してほしい。
この場にはいない父親がどういう反応をするか、どう思うかはわからない。それはきっと、家庭の問題で、突っ込むことなどできないけれど。
願わくば、善い力の使い手と育ってほしい。
母親はただ頭を下げた。その手には、ユウタの欲しがった玩具が握られていた。