●医務室にて
連続ボヤ事件の被害者、佐原由之の医務室で氷雨 静(
ja4221)は驚きの声を上げた。
生活費があるからそんなにバイト休めねぇという佐原に、龍仙 樹(
jb0212)は苦笑する。
「一つが崩れてしまうとどうにもならないのですね」
「そうなんだよ。入院とか、ないよなぁ……」
彼はバイトを常に複数掛け持ちして生活を立てているため、火傷を負った利き腕が一週間はまともに動かせないという診断に対して気落ちしていた。それゆえ事件解決へ動く静と樹に協力的だ。佐原個人への怨恨の線を考えて日常会話から入ったが、人間関係のトラブルはバイトも友人も概ね良好だという。
「今考えれば今月の始めには変だった」
その日もボヤ騒ぎがあったが、喫煙所でボヤ騒ぎが起こるのは然程少なくないので一点以外はあまり気にしていなかったらしい。ゴム手袋が焼け破れて火傷したという事件だ。
「喫煙所のバイトは主に室内の掃き掃除、吸殻の撤去、空気の入れ替え、給水点検、あと窓やドアの施錠といった各種確認業務だ。バイトはマスクとゴーグル、ゴム手袋をつける。火があったとしても手袋に焦げ痕が残るぐらいだ」
「熱いと感じて手を引くまでの一瞬にゴムが焼け破れるほどの高温で燃えてしまったということでしょうか?」
樹の言葉に佐原は頷く。それから三日も開けずボヤ騒ぎが連発するようになったらしい。
「では、昨夜も?」
「いや、昨日はちょっと……俺が悪いんだ」
急に歯切れの悪くなった佐原に静は首を傾げる。
「どうかしたのですか?」
不注意なんだ、と火傷を見やる佐原に静と樹は顔を見合わせた。
「ここの立て灰皿は上に小さな穴が連なる灰皿になってて、そこに灰や使用済みの煙草を落とす。中にはゴミ袋があって、下の鍵を開けて袋を取り換えるんだ。でも、吸い切らない煙草って上部の皿部分に置かれてるんだよ」
だが、うまく中に捨てられずに上部に放置されている煙草というのはどこにでもあるらしい。その時も上部には使用済みの煙草が散乱していて、ゴミ袋の取り換えとともに上部の吸殻を撤去していたそうだ。
佐原はある灰皿の撤去作業に移ろうとした時、視界の端に光るものを発見して換気扇を見上げた。その時、利き腕を火傷したらしい。
「煙草の燃え残りの山に爆竹……陰湿ですね」
医務室を出た樹が隣を歩く静に言った。佐原との会話はほぼ、樹が主導し静は適度に相槌を打ち話の整理していた。
爆竹の仕掛けは確実に怪我をしてしまうものだ。ボヤ事件の悪意が証明されたようなものである。行き過ぎた嫌煙家の仕業が強いが、彼らは愛煙家のことを考えたことはないのだろうか。社会的に喫煙禁止のムードが漂ってしまっているだけに、このような事件で喫煙所が停止してしまうと愛煙家は喫煙場所がなくなってしまう。
(自らがマナーの悪い喫煙家を増やすことになるというのに)
喫煙衝動というのはそうやすやすと抑えられるものではない。禁止されていても、喫煙は習慣として身についてしまっていて、喫煙所以外の場所でも吸う、というマナー違反に陥る。これでは何の解決にもならないどころか事態は悪化している。
「佐原さん個人の怨恨であるならば怪我をさせた成果を見に、見舞客として医務室に尋ねてくる、と言った可能性もあったのですが」
今のところはなさそうでしたね、静さん。と微笑みかける樹に頷いた。
医務室内で佐原に見せていたような表情の柔らかさは失われているが、それは社交的なものを取り払った、親しいものにのみ見せる静本来の姿だった。
一見すれば冷たいようにも見える平坦な表情と無口な態度だが、樹はわかってくれている。犯人は一体何の目的でこんなことをするのでしょう、と首を傾げている樹。とても優しい人であるだけに、人を傷つけるような悪意があること自体に頭を悩ませているようだ。
「爆竹は花火セットに入ってるものでしょうか?買っておいたものを利用しているのか、それとも新しく買ったのか……」
この時期に爆竹を新しく買うとなると、販売店は限定されてくるだろう。地図を片手に聞き込みをしている仲間のことを思い浮かべた。
●換気扇調査
「こんにちは!あの、ちょっといいですか?」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は喫煙所周辺の住民に事件当日の聞き込みをしていた。
喫煙所のことを尋ねると、彼らは顔をしかめたが、それは事件の頻発に対する不安が多いようだった。
「やっぱり、夕方が多いんですね。会社帰りとかかなぁ……」
喫煙所の出入りが多い時間帯は六時ごろに集中しているようだ。五時ごろから徐々に増えていくらしい。年齢層の統一はないとのことだった。
「でもね、そのちょっと前までは人なんてパッタリ、いなくなるのよ。三時過ぎから人が少なくなって、四時には全然」
ふむふむ、と主婦たちの井戸端会議に混ざりつつソフィアは時間帯をメモった。
主婦たちからは素行の悪い人も出入りしている、ということで喫煙所の印象は悪い。
喫煙所ができたことで他の場所でのマナー違反な喫煙が少なくなった、副流煙を吸う心配が減った、などという意見もあったがほとんどの主婦は喫煙所の設置に反対しているらしい。場所柄としても日差しを遮っていて洗濯物が乾きにくくなった、というような意見もあった。
一方、男性住民からは喫煙ルールの厳しくなった社会で肩身が狭くなっていたが、今は大いに助かっている、という好印象な意見が喫煙家から聞けた。嫌煙家は主婦と同様に悪印象を持っているようだったが、理由は煙草の副流煙や匂いが嫌い、といった喫煙そのものへの不満が多かった。
事件が頻発するということは犯人が喫煙所に、あるいはその場所に所以ある人物だと見て間違いない。喫煙所に用のある人物が犯人ならば、喫煙所使用が懸念されるようなボヤ事件など引き起こさないだろうから、喫煙所近くにゆかりある人物――つまり近所住民であることは十分に考えられる。それならば不審者には見えないし、仕掛けなども施しやすいだろう。
それでも、近所と言ったって一軒に一人というわけでもないし、喫煙所にも喫煙自体にも悪印象の人間というのは多いものだ。犯人を絞ることも、これ以上の有力な情報も望めなさそうだ。井戸端会議に参加してすっかりここ周辺の地理から秘密なことまで聞き耳を立ててしまったけれど、次はどうするか、と地図を広げ直したソフィアはふいに、携帯に振動が響いたことに気づいた。樹からだ。
「花火セット、か……なら、あそこだね!」
渡りに船とばかりにソフィアは踵を返した。
この近辺にある、花火セットがこの時期でも買える販売店というのは二か所しかない。
最近に買ったものではない、という可能性もあるが犯人は事件被害を拡大させるというかなりの計画犯だ。事件利用のために新しく買ってくる可能性も十分にある。
一方、喫煙所内で現場検証を行っていたミハイル・エッカート(
jb0544)は確信を深めていた。佐原が目撃したという、換気扇奥の光物と一つの灰皿。
「カメラで覗いてやがったのか、趣味の悪い野郎だぜ」
吹き飛んでいた換気扇の欠片の中にガラスのようなものが発見できた。拾い集めて見分すればそれが換気扇の他にもう一つ、カメラが破壊された欠片であった。
恐らく、犯人は壁際に設置された換気扇の一つにカメラを仕込んで、ボヤ騒ぎの一部始終を観察していた。そしてそれが佐原に知られてしまい、咄嗟にカメラを爆破して証拠隠滅を謀った。それを隠すために同時に今回の仕掛けである爆竹も作動させた。
「ふむ、粉塵爆発だな」
窓に被害が全くないことも考えると、換気扇が爆破源であることは間違いない。局所的に威力を調節して極力痕跡も残さない。それでいて個人で爆破物の材料が入手可能であることを考えると、この方法が最も可能性が高い。
「確か必要なのは小麦粉・硫黄・硝酸カリウムだったか。硫黄と硝酸カリウムは園芸肥料でも代用できるが、爆発の確実性を狙うなら二つを用いている可能性が高いだろう。園芸肥料だといろいろと配合されているからな……」
証拠隠滅の手段として用いているため犯人は威力調節にこだわった筈だ。薬品を入手しているだろう。報告を兼ねて携帯を弄る。
口元に滲んでいるのは苦笑だ。会社の仕事を思い出したせいだ。その時も自分は爆発物の処理をしていた。パートナーが喫煙家だったものだから引火の可能性も考えて外に出て居てもらったのだ。携帯で作業報告をしたのが今回と被った。
「ん、そろそろか……」
使用禁止のため施錠された喫煙所。密閉空間ではあるが俄かに外のざわめきが伝わる。
喫煙所には新たに、カメラが設置されていた。外に集まる野次馬を録画するためにミハイルが仕掛けたものだ。
●囮
(こういったことは俺に任せてくれ、って言ってたが……)
仁科 皓一郎(
ja8777)はミハイルからのメールを見て思った。
爆破された欠片から現物を復元して爆破方法の特定までよくもここまで短時間でできるものだ。やけに、一人で行うことを主張していたが、適度に人数がばらけたと思う。
佐原やその友人関係、バイトの方面などボヤ事件の聞き込みに二人。喫煙所自体に対する怨恨や事件当時の様子など近所住民に対する聞き込みに一人。事件現場の検証一人。
(んで、俺らが囮と見張り)
仁科は面倒事が嫌いだ。今回のような情報収集依頼というものは時間も手間もかかるし、面倒事ではある。だが、喫煙所に対する怨恨だか何だかのせいで喫煙をする場所が減ってしまうのは喫煙家である仁科にとって、他人事ではない。
隣でスマフォを弄る鈴屋 灰次(
jb1258)に目を移す。
「鈴屋、どうなんだ?」
「ん〜、もうちょい? 今、履歴検索してっからー。あ、きたきた」
ほい、とスマフォを仁科に見せる鈴屋。画面に表示されたのはミハイルの分析した薬品の購入履歴だ。スマフォもパソコンも得意分野らしい鈴屋がアングラサイトに検索を掛けたらしい。
「これ、多くねぇか?」
ため息代わりに煙草を吐き出した仁科。
「この近辺の住人だけに絞っていいんならこんなもんよ? んで、今俺たちを睨む奴らがこん中にいればいいんだからそう多くないんじゃねぇの?」
スマフォから視線を外した鈴屋に合わせて仁科も前を向く。痛いぐらいの視線が二人に集中していた。それもそうだろう、どこをどう見ても二人は素行の悪い喫煙家だ。
昨夜に引き続き喫煙所でボヤ騒ぎがあった、とネットに流れたのはつい先ほど。鈴屋が流したデマなのだが、既に喫煙所には相当数の野次馬が集まっている。その中、二人はしゃがみこんで咥え煙草に携帯を弄るという様。仁科に関してはタウントを使用している。注目されないはずがなかった。
「犯人、いるかねぇ?」
「自分はやってないのに事件が発生してるんだ、気になってくるだろうぜ」
周囲を気にせずに会話する二人。鈴屋がアングラサイトで手に入れた情報はソフィアに転送済みで、他の仲間たちも順調に聞き込みや調査が進んでいるという。
鈴屋も仁科も喫煙所には世話になっているし、事件の早期解決を願うばかりだ。
(煙草は俺の酸素だしぃ?)
「キミたち、ちょっといいかい?」
眉根を寄せた壮年男性が声をかけてきた。教師だろうか、と腰を上げかけた鈴屋だが、その前に仁科が立ち上がり、少しの会話でさらっとお引き取り願ったようだ。
「おぉー、すごいね?」
「まぁ、喫煙所にゃ世話ンなってるしよ……ちっと、真面目に働かねぇとな」
●確定事項
「ということで、情報を交換し合おうか!」
ソフィアが司会進行を務める。
聞き込みもデマ作戦も現場検証も終わって、皆、空き教室を使って情報をまとめることにしたのだ。ホワイトボードの横には樹が立ち、発言を書きとめる役だ。それを静が書面として起こす。
「では、私から。事件は平日の夕刻に集中していたようです。被害はアルバイトのお一人方が指に、佐原様が広範囲の腕に火傷を負ったようです」
静が最初に説明し、樹がボードに次々書いてゆく。息の合った動作だ。
夕刻は喫煙所の利用客が多くなる時間帯だが、三時から五時の間だけ人が途切れる時間帯があるらしい。サラリーマンならば五時以前に上がるというのは珍しいし、学生もしくは時間の不定期な職についている可能性が高いというのが静と樹の推測だ。喫煙所という場所柄から犯人は成人を越えているだろう。怨恨の線は薄いらしい。
「昨日の事件は二か所に仕掛け施されていた。佐原の火傷は灰皿に隠した爆竹。それと換気扇の爆破は監視カメラという証拠の隠滅。カメラの爆破は粉塵爆発によるものだ」
このミハイルの発言に対し、鈴屋が机に広げられた地図の一部に指を向ける。
「粉塵爆発に使われたっぽい薬品を扱ってる店でー、最近購入履歴のあったお店がこの丸ついてるところね」
大きく丸のついた複数個所。喫煙所にカメラを仕掛けて自らのボヤ騒動を眺めるという行動から、犯人はかなり計画的に行動しているだろうという予測をつけて、薬品購入のルートを探った結果だ。ただし、久遠ヶ原学園では化学薬品を買っても別に怪しまれるようなことがない。任務に必要な場合はいくらだってある。薬品店も相応に多い。
「そして、ボヤ騒ぎが頻発していることから考えると近所住民で、生活圏内はここからここ、っと。そして近くの薬品店は――やっぱ、ここね」
きゅきゅ、とペンで印をつけるソフィア。
「それで、デマ騒ぎに集まった野次馬の中で喫煙所に悪印象を懐いていて、この薬品購入者リストに載っている人が犯人ね?」
鈴屋の提案で犯人の検挙は、捜査の様子を逐一大幅に宣伝し、警備員の募集などに犯人が名乗りを上げるのを待つという方向性に決まった。計画的犯行であることと犯行のエスカレート具合から、犯人を罠に引っ掛けられるだろう。同時に警備強化にもなる。
静は犯人像と容疑者候補の名前をわかる範囲で陳列後、「犯人は必ず現場に戻ってくる」と一言を添えるとノートをぱたんと閉じた。