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ぽたり、雫が垂れる。
洞窟の縁に溜まった朝露が重力に惹かれる様に入口を下降したのだ。自然の恵みは洞窟の地面を濡らし、いつしか泥濘を作り上げてゆく。
ただいまは、その泥は八つの靴跡をくっきりと浮き立たせていた。
森から出てきた足跡はまっすぐと、洞窟の内部へと続いている。
冬も近くなった山中の洞窟。内部から漂う冷気は微風なれど、自然とは相容れぬ異様さでもって口を開いていた。
「そろそろ、一つ目の分かれ道にぶつかるはずだよ」
列の中央近く、前から四人目に並んでいたジェンティアン・砂原(
jb7192)はきゅっと握ったロープを二三回引き寄せる様に揺らしながら注意を呼びかけた。
もう一方の手は胸当たりまで上げられて、一つの紙を掴んでいた。肩のところで固定したフラッシュライトが照らすのは地図だ。
「麻夜」
「うん」
短く交される会話は前方から届く。麻生 遊夜(
ja1838)と来崎 麻夜(
jb0905)のものだ。ロープを持ち列になりながらとはいえ、それなりに一人ひとり距離が開いている。それでも前方の二人の声が聞こえるのは洞窟という、音の反響する場所だからだ。
前方の二人が警戒を強めるのに、ジェンティアンの背後に並ぶ四人も気を引き締め直したのか、若干ロープが揺れた。
(失敗から学ばないとね)
暗い洞窟の中、各自の持ち寄ったライトでのみ照らされる周囲の空間の中、麻夜は前を歩く先輩の背を見ながら思った。
ロープを握りしめる手に力がこもる。周囲に警戒の視線を投げながら、視界の端に離れたくない人の背を見る。
入り組んだ洞窟の中、先の撃退士たちは逸れてしまったと聞いているから。
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「やれやれ吸血鬼ねぇ。洞窟に迷路に暗闇と、厄介な状況だけど」
九十九(
ja1149)は今回の依頼の問題点を端的に上げて見せる。
一つだけでも厄介な事象がいくつも重なり合っている依頼だ。キチンと対策を立てていかなければ先の撃退士と同じく、敵に遅れを取るであろうことは容易に想像がつく。
「吸血鬼を名乗るにはもう少し高貴でなければね」
奇襲なんて美しくない、そう青空・アルベール(
ja0732)は零した。アルベールの目標とする、ヒーローとは真逆の卑怯な手段につい批判的な言葉が口を吐いた。
「ぬぬっ……ふゆみたちみたいなビジョは襲われかねないんだよっ」
ね、と言って新崎 ふゆみ(
ja8965)は麻夜の手を取った。
「襲われるのに性別関係ないと思うけど」
麻夜は冷静に言葉を返した。被害者の村人には男性もリストアップされている。吸血鬼とはいえ、天魔であるため人を襲うのは本能だ。性別の差異などあまり関係がない。
ふゆみはその返答にうぅ、と詰まりつつエレナ・クロフォード(
jb7561)に顔を向けた。
「はっつしっごとー♪」
しかし、エレナは初めての依頼ということにテンションが上がっているため、会話を聞いていなかったらしい。は否定も肯定もなかった。
「ふたりはビジョの自覚がうすいんだよ……」
い二人の反応に意気消沈しつつ、ふゆみは恋人の顔を思い浮かべた。
「ばんぱいあとか、ビケーってゆうけど……きっとふゆみのだーりんのほうがかっこいいもんねっ☆」
終わったら会いに行こう、と決めればふゆみのテンションは上がって行った。
「あそーさん、どう思う?」
入学以来の友人である遊夜に九十九は話を投げた。
「戦前から、ってことは随分長いこと居座ってんだな。経験や地の利は向こうにある以上、油断できんな」
「まずは話を聞きに行った方がいいいんじゃないかな」
腕を組んで考え込む遊夜に麻夜が言った。文章と話を聞くのではまるで違う。ちょっとした違和感や印象は時にどんなものより重要となる。戦いに身を置く熟練者ほど、そういった感覚は鋭いものだ。
麻夜の提案に遊夜は頷いた。それを見てジェンティアンは方針をまとめる。
「先遣隊がマッピングとかしてる可能性もあるし、まずは病院に行くということでいいかな」
確認を取る様に見回す視線に鷺谷 明(
ja0776)は同じく頷いた。異論は出ず、一同は先の撃退士たちの病室を訪ねることになった。
「ふむ。……テセウスのミノタウロス退治だな」
明は地図に視線を降ろし、呟いた。入り組んだ道筋は古典にある迷宮を思い起こさせたのだ。
先達たちはやはりというか、洞窟の内部地図を手製していた。とはいえ、分岐点が多く、先の書かれていないままの部分が多く、どう見積もっても未完成の地図である。
しかし、有ると無いでは違う。
「迷宮のアリアドネか」
アルベールも心当たりがあったのか、呟く。
古典にある、テセウスのミノタウロス退治に際し、アリアドネという少女は毛糸玉を持ってミノタウロスの住む迷宮を攻略したのだ。これは迷路という言葉の語源にもなった。
「迷宮に持ち込むは長ささえ足りれば毛糸玉で完璧だろうよ」
先人の知恵を模するが一番だ、と明は示す。
とはいえ、通常の毛糸玉一つ分の長さでは到底、足るはずがない。複数を繫ぎ合わせてゆくしかないが、洞窟の規模が分からないので、どれほどを持ち込めばよいのか見当がつかない。
「そっちも気にはなるが、厄介なのはもう一つあるぜよ」
「ライトが効かなくなる、か……。一撃が重いって言うのも、ナイトウォーカーっぽいね」
不意打ちの一撃必殺は攻撃力重視であることがわかるし、暗闇の特殊エリアはテラーエリアに似ている。
「えっと、洞窟だからライトは必要でしょ? それに、毛糸と、マップの続きを書くための筆記用具と……」
エレナはうーん、と唸り首を捻りながら指を折り曲げ事前に準備しておくものを数える。
「戦闘中の視界の確保は僕がやるよ。星の輝きなら敵のスキルの影響を受けないと思うしね」
後は、とジェンティアンが促し順調に決まってゆく。
道はさほど狭くないが、横一列ともいかない。奇襲対策としても、縦一列か二列が妥当。毛糸玉による迷い対策に、地図作成の続き、ロープと点呼によるはぐれ対策、列の同順と奇襲における各自の第一行動を決める。
そうして、現在。
遊夜・麻夜・ふゆみ・ジェンティアン・明・エレナ・九十九・アルベールの順に、八人は一つ目の分岐点に辿り着いた。
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「どうするかね」
道があるということは、そこから敵が出てくる可能性もある。それぞれの道へ警戒の視線を緩めないまま、遊夜は誰ともなく尋ねた。
「どこを選んでも同じ気がするがね。どちらにしろ、危険度は変わりようがない」
明が簡潔に、どれでもいいと返した。
それなりに広さがあるため、現在はロープを握ったまま列を崩している。
先達は明たちよりも人数が少なかったため、分岐点でのパーティ分けを避け、順々に道を辿っている。しかし、奥まって洞窟にすむ蝙蝠の登場でそれぞれが道を外れてしまった。それども、彼らは最終的に同じ場所へと辿り着いている。
「棺の間、ねぇ……」
揶揄めいて、麻夜が口にした。
敵と遭遇した場所を、彼らはそう名付けていた。広い空間で箱のようなものが中央にあったため、吸血鬼の棺にかけて、棺の間と呼ぶことにしたらしい。
それぞれ分かれてしまった後、最初に棺の間に踏み入れた者は奇襲を受けたらしい。そして止めが刺される前に、別の道からメンバーがやって来た。ダメージが大きく、後退したいものの防戦状態、そこに最初のメンバーが現れた道から他のメンバーがやって来た。全員が揃ったことで、なんとか撤退できたという話だ。
いくつもの分岐の内、いくつかは合流し、いくつかはそのまま棺の間へと到っているというのが分かる話だ。
「分断対策はしてありますし、このまま進んじゃいましょう」
敵の居所と到る道はわかっているのだ、分断されることさえなければそのまま進むのが一番安全と言える。
エレナは分断され、奇襲を受ければ一撃で窮地に陥る自信があるため、未踏の道をゆく不安よりも、対策を立ててある分断の道のほうがよほどマシである。
「うちも同じさね。いくら、棺の間に続く道がいくつもあるからといって、わざわざ地図に書かれてない道を辿る必要もないだろうしねぇ」
九十九が言って、改めて方針が固まったところにふゆみが手を挙げた。
「じゃぁじゃぁ、ふゆみメジルシ作るねっ!」
目線の高さにペンライトを押し付けると粘着テープで留めた。スイッチを押せば、毛糸が照らし出される。
「では、れっつごー☆」
「先輩っ」
鋭く、注意したのは麻夜だ。ライトの届かない先に、生物の息遣いがある。
一体いつからそれらが住んでいるのかはわからないが、天魔でもない普通の蝙蝠らしい。ただし、今回の敵――ヴァンパイアという天魔には一部、蝙蝠型の天魔であるデーモンバトに変身する能力のある個体がいるということも知られている。
蝙蝠たちに交じってデーモンバットに化けたヴァンパイアが襲ってこないとも限らない。
「行くぜよ」
警戒と緊張に満ちた声で遊夜は返す。ライトを上方に向けつつ歩み、それは来た。
バサバサバサッ!
羽ばたきと甲高い鳴き声が耳に煩い。黒い軍勢が飛んできて視界が狭める。遊夜は片手に握ったロープの感触に集中しながら、もう一方の手で蝙蝠を振り払った。
握った武器が蝙蝠にぶつかるのを何度も感じながら、歩みを進めて漸く、蝙蝠の群れは過ぎ去った。
「いるかっ!」
顔の前に掲げた腕を退けながら、遊夜は後方に問いかけた。
前方からの問いかけに、全員の点呼が返ってアルベールは胸をなでおろした。
背の高いジェンティアンや明、最前の遊夜に比べ最後尾のアルベールに被害はそれほどなかった。一列であるため、前が切り開けば蝙蝠たちは構うこともなく通り過ぎたのだ。
この、蝙蝠の群れによる視界の妨害を敵が視野に入れているのかどうかは知らないが、先人たちはこの自然の猛威によって分断された。しかし自分たちは最初の関門は突破したのだ。
とはいえ、これから先が本番だ。棺の間の奇襲と暗闇が待っている。
(長い間、こんなとこいたって楽しくもないと思うのだ)
こんな奥まった洞窟に一人住んでいても、退屈で仕方がなかろうに。自分であれば寂しい、一人は悲しい。――故に、逃がさない。眠りという死を与えよう。
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「皆、そろそろ」
地図を見ながら距離を測ったジェンティアンが声を上げ、一行の足は止まった。敵の潜む棺の間はもうすぐなのだ。
「同じ轍を踏むわけにはいかんからな」
言って、遊夜は荷物や装備の確認を始めた。
敵前での準備確認は普通ならば阿呆に近い危険行為だが、敵が戦場を固定している限りにおいては違う。洞窟に潜った際よりも現在、装備等の確認を改めて行うことができるというのは嬉しい限りだ。
「ホイッスルやハーモニカは必要なかったさぁね」
荷物の中に潜ませた、はぐれ対策に九十九は呟いた。洞窟は音が非常に通る。はぐれた際には音の出所を辿ることで再び合流できるだろう、と目論んだのだが、はぐれなかったので出番はなかった。
「引きこもりとはいえ、今まで討伐されなかった強い個体であることも確かだし、攻撃食らいたくないね」
予めわかっている奇襲ほど間抜けなこともない。しかし、分かっていても防げない攻撃などもある。油断と侮りは戦場では命取りになる。
はぐれ対策のロープは既に外した。戦闘になれば確実に行動を阻害するからだ。遊夜たち棺の間に足を踏み入れた。
途端、ライトが使用不可になった。急ぎ、ジェンティアンは星の輝きを使用する。
「麻夜っ」
遊夜の声に敵の攻撃対象がわかる。ほぼ間を開けずに重い音と銃声が暗闇に響く。ジェンティアンを中心にして周囲に光が戻った。
影はサッと、光の当たらない場所へと後退して言った。
「チッ」
マーキングを打ちそこなったアルベールが舌打ちをした。
ふゆみははふ、と息をついて盾による防御態勢から身を起こした。麻夜へと行われた襲撃に、ふゆみが前に出て防いだのだ。
奇襲の失敗した敵に、アルベールがマーキングを放ったが、暗闇のままでは照準が合わずに失敗した。
ジェンティアンを中心に、前衛と後衛に分かれながら背を守る様に八人は陣形を取る。
アルベールは掲げた銃の口を視線と共に移動させながら、周囲に目を凝らした。
照らされた空間は丸みを帯びた四角い部屋だった。中央には確かに、棺のようなものがある。蓋に視線を移した時、微かな音を拾って上を見た。
天井を蹴り、突っ込んでくる人型の姿。円陣の中央を上方という場所から狙う作戦。
「そこは私の射程内であるよ? 当てさせやしねーのだッ!」
銃弾を避ける様に身を捩った敵は当初の着地位置からずれていた。体勢を整えようと顔を上げた敵の前にいたのは明だ。ニンジャヒーローの注目効果が発動し、明に狙いを定めて更なる体勢の入れ替えが起こる。
いくら素早くとも制動時には慣性のひっぱりがあるので、一瞬の間が開く。それを狙って容赦なく、銃弾が撃ち込まれる。
明に向かって距離を詰めようと身を低くした敵がガクッと膝から落ちた。その身に、聖なる光の灯った鎖が巻きついていた。
強靱な筋力で、敵はその拘束を弾き返した。だが、それと同時、一陣の風が激突した。
「ふゆみ必殺☆どどどーんっ!」
眼にもとまらぬ突撃に敵は壁まで弾き飛ばされた。壁の一部と共に地に崩れた身体には開花を待つ花の模様がついていた。
「夜に嫌われると良いよ」
麻夜は闇色の羽を敵の周囲に霧散させながらニヤリ、と笑んで見せた。敵は頭を激しく振り、正気づこうと繰り返す。小さく細分化された羽が視界に入り込み、情報をかく乱させているのだ。
明は駆けた。援護するように、エレナが銃撃を敵に打ち込む。認識障害から立ち直っていない敵に詰めた距離からアイアンクローを繰り出す。獣のような腕が敵の首を握りつぶすかのように締め上げる。
痛みに喚き散らす敵が明の手を両手で固定したかと思うと、そのまま蹴りの体勢に入った。だが、それが放たれるよりも前に、銃撃が飛んできた。
眉間を射抜いた銃弾が二つ。敵の体から力が抜けた。晒された銃撃と、毒の効果による死亡だった。
「「おやすみなさい、良い旅を」」
遊夜と麻夜が旅路への餞を告げた。