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中空に素早く五芒星を描きだして夜劔零(
jb5326)は声を張り上げた。
「ドーマンセーマン!」
疾走する零を中心として五芒星が拡大する。空気が清廉な物へ変り魔除けの効果が発揮されるとサーバントが動きを止めた。その隙を見逃すことなく、他の撃退士がハエトリソウの核へと刃を突き入れる。
サーバントの最後を看取ることもなく零はその場を走り抜けた。
「見えた!」
先頭を行く鳳 覚羅(
ja0562)が迷路の終わりに声を上げた。素早く後方の人群れがいくつかの部隊に分かれる。
「あの天使のプライドをへし折ってやる」
目元を険しくさせた幽樂 來鬼(
ja7445)は握りこんだロッドに力を籠めると、スッと気配が変わった。極めて薄くなった気配と足音が來鬼の存在を仲間の目からも隠す。
「皆様……お気を付け下さい……」
憂慮に瞳を揺らしながら、Viena・S・Tola(
jb2720)は仲間へと声をかけた。
「任せてください」
しっかりと目を合わせ、鍋島 鼎(
jb0949)は頷いた。続く地領院 恋(
ja8071)も力強く頷く。強い信頼に背を押され、ヴィエナはワーム担当班・コア担当班を引き連れ足を遅らせた。そんな彼女を神雷(
jb6374)が抜かしてゆく。
一瞬だけ、彼らの背後に足音が増えた。
先ほどから足を忍ばせていた狗猫 魅依(
jb6919)だ。前回の戦いの時に覚えた恐怖に、否応もなく動揺し、足が震えた。けれど大戦を前に魅依は覚悟を決め、ヴィエナの後ろへと足を向けた。
魅依たちの先を行くよう、疾走していた六人が迷路の出口へと到達した。
「……そう、来たんだね……」
草原に座す男は呟いた。
翡翠の瞳の先には植物で作られた迷路がある。そちらから微震が男の足元へと伝わってくる。
男は嘲笑的笑みを浮かべたが苛立ちが混ざっていた。人間たちの行動は男の予想よりも早い。
「まぁいい。相手をしてあげよう。絶望を与えてやるさ」
植物を編み込んで形成された華奢なつくりの椅子に腰かける男は一方の腕を空へと突き出した。
地面に向けられた掌の下、草地が自ら蔓を編み込んでゆく。そうして出来上がったのは、一つの台座と弓矢だった。
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ビュンッ!
空気を裂く音が聞こえ、何が思うよりも前に体が反応した。
「前回と同じ手――既に見切っているよ」
覚羅は最小の動きで矢を躱すと、身を低くしながら敵との距離を縮めてゆく。
視線を鋭くさせながら利き手を細かく揺らす覚羅に従い、指先から伸びた糸は対象へと奔った。
眼に見えないほど細い鋼糸は標的を絡め取らんと伸び、――蔦に絡め取られた。
(全自動か……)
標的の目前で、糸は止まった。
事前に分かっている敵の防衛ラインは越えたものの、届かなかった。蔦の反応速度が速すぎる。そして、視力ではとらえられない攻撃のため、それが感知によるものだと知る。
推測に推論を重ねると覚羅は距離を詰め続けていた足を一端止めた。
標的の戦法は攻撃よりも防御に重きが置かれている。下手な攻撃をするより、敵が攻勢に出るのを待つ方が易い。
「既に半ば破っている技に頼っているようでは三下だよ、天使」
全身緑の男へと零は言葉を投げつけた。
「――決着つけに来たぜ、怠け野郎……っ!」
零に躱された弓が地面に穴を穿つ。その破壊力によって小規模のクレーターが出来上がり、零の背中を風圧が襲った。
だがそれさえも瞬発の威力に加え、更に距離を詰める。
「今回ですべての因縁を断ち切ってやる。――終焉だ、天使リノフェス!!」
激昂に染まった銀の右目が真昼の草原に強く輝く。
リノフェスの足元で、炎が円を描いた。深淵より湧き出る炎がリノフェスを――いや、その足元を燃やし尽くさんと黒々揺らめく。
「また是か! 忌々しい……っ」
薄く笑みを浮かべていたリノフェスは途端、表情を歪ませた。凪ぐよう、腕を横に動かすリノフェスの動きに順じ、足元の草がその密度で炎を押しつぶす。
「てめぇは小蠅と馬鹿にする俺ら人間に、負けるんだ」
(リノフェスは足元の草に指示をした。ってことは自動じゃ炎が消せないってことだな)
零は笑みを浮かべ、対照的にリノフェスは歪めた表情のまま零を睨みつけた。
「あなたのその傲慢――燃やしてあげましょう」
静かに呟いて、鼎は握りしめたものをリノフェスへと投げつけた。
それは一瞥もされずに蔓で絡め取られた。しかし、全てが防がれたわけではなかった。コポリ、音を立て蔓が濡れそぼる。
鼎が投げつけた物、それはオイルライターだ。簡単な細工で、穴を事前に開けて置いたものを、中身がこぼれないようにと一時的に塞いでいた栓を抜いてから投げつける。
走りながら鼎はもう一方の手に開いた魔法書に命令する。
生まれ出た炎は剣の形を取り、リノフェスへと突撃してゆく。炎剣は標的に届くより先、蔓が絡め取った。しかし、
「植物は炎に弱い、その理を私が証明して見せます」
植物壁を作り出したリノフェスは余裕の態度を変えることはない。だが、一方で蔓は炎の剣に炙られ、燃えた。
そこへ追撃が重ねられる。炎球が飛び込んでゆく。
オイルに濡れた部分も巻き込まれ、一気に燃え広がる。あっという間にリノフェスを中心として焔の海が出来上がった。その景色は草原を、いやゲート内を赤く染める。
「これだから、人間は……すぐ図に乗る」
火の粉舞う空間でリノフェスは盛大に舌打ちした。
流動的に動く火壁の隙間から、ナイフが投げ込まれるのをリノフェスは指で掴んで防ぐ。
リノフェスは真っ白な翼を背に出現させると上昇し、酸素の総てを燃やし尽くさんとする炎の円を飛び越える。
「――ふぅ。まったく、疲れさせてくれる」
再び、足先を地に付けたリノフェスは翼を仕舞い込みながら呟いた。その足元を中心に、色の濃い植物が生えはじめ、リノフェスの防御陣が再度広がる。
突如、高笑いがその場に響いた。
「クククククッ 余裕なんてネェようだな」
恋がそう、告げた。不快気に眉を潜めたリノフェスの視線と勝ち合う。
「目障りな蚊トンボに、随分時間かけて相手してくれんだな?」
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リノフェスが翼を出し、場所を移動した。
(今だっ!)
魅依はワームとの戦闘から離脱した。身を隠し、移動する。
ちらりと横目でみたリノフェス戦は人数の有利があってさえ優位とは言えなかった。弓矢が引き絞られるのを目にした。ドォン、と大きな音と振動が地を揺らす。
それでも魅依は焦らず、慎重を期した。
(これが……)
前回はガゼポのあったその場所、噴水の湧き出るその中央に仄かに光る球形があった。
息を詰め、
「ぶっっとべぇ!!」
三日月のような形をした無数の刃は狙い違わず、ゲートコアに突き刺さった。
「――っ!」
ハッと息を飲む音をすぐそばに聞き、恋は顔を上げた。
身体は軋む様に痛い。足は棒になったかのように疲れて動かず、膝をついてしまっている。矢の掠った片腕は本当に掠っただけかと疑いたくなるほどに血で服を濡らしていた。もう一方の腕も盾を支えるのではなく、盾で体を支えているような状態だ。
そこまで恋を追いつめた相手はしかし今、顔色を変えて隙だらけの背を恋に向けていた。
「ハッ 背中が、がら空きなんだよ……っ」
自身へ回復弾を撃ち込みながら、恋は鼻で笑った。
恋には仲間がいる。だが、傲慢な天使は背中を預ける者さえも持たない。
その違いを哀れとさえ思う。
人は天使に搾取されるだけの存在ではない。リノフェスがゲートを展開したからといってこの街がリノフェスのものになるわけではないのだ。
「てめぇが立ってるこの場所はてめぇのもンじゃねェッ!」
恋は立ちあがった。その背には、暖かな手があった。隠れていた來鬼が恋にライトヒールを重ね掛けする。
恋は笑いが止められなかった。視線を戻したリノフェスは怒りの表情を隠そうともしない。
リノフェスは汚い言葉を次々と吐きつけ、腕を振るった。単純な軌道に跳び退って躱す。しかし拳の風圧は凄まじかった。
(まだこんな力があるのか……っ!)
攻撃は確実に入っているが、一向に底が見えない。天使と人間の差というもの改めて感じさせられる。
「くそ虫が、くそ虫が、くそ虫がっ!!」
リノフェスは罵りの言葉を羅列させる。
戦闘に夢中になるばかり、コアを破壊された。それを悟ったリノフェスが噴水との距離を一息に詰める。
「っ!」
突然の接近に、魅依は大きな瞳を更に大きくさせた。即座に防御する魅依にリノフェスの手が伸ばされ――その腕に小さな陣が出現した。
「っ」
手を引っ込めるリノフェスだが、爆発の方が早かった。陣を中心に炎と爆風がリノフェスを襲う。
「傲慢な天使様に良いことを教えてあげます」
怯むリノフェスの背に十字が痕をつける。
「――人間なめてると痛い目見ますよ!!」
最後の仕上げ、と掌に溜めた風の玉をリノフェスの背に押し付けた。神雷より二回りは大きい身体が吹き飛ぶ。
「あなたの防御は地に固定した範囲です。移動した直後は無防備に他ありません」
はっきりとした手ごたえに、神雷は断言した。
「てめぇの腐った世界も、高慢な力も終いだな――リノフェスっ!」
吹き飛んだリノフェスに、突撃を仕掛ける零。援護するよう神雷は炎の槍を投げつける。握った符から雷の刃を放つ恋。
「……私が負ける――?」
リノフェスは立ち上がりながら、呟いた。
「まさかっ」
鼻で笑い、攻撃を腕で払い除けるとリノフェスは翼を広げた。
「この状況で何を仕掛ける気だっ!?」
零は次の攻撃に身構え、詰めていた距離を一気に離す。一方、鼎はリノフェスの行動を阻止しようと攻撃を打ち込む。
地を蹴ったリノフェスは、上昇する前に墜落した。
「なに――っ」
その体には細い糸が纏わりついていた。覚羅が時間をかけて張り巡らした鋼糸の檻、それに囚われたのだ。
「これで最後だね……」
天使の腕力で覚羅の糸が強引に千切られた。しかし、
「這い蹲りなさい。見下ろすしか能のない天使にはお似合いでしょう」
炎の剣がリノフェスの片翼を貫いた。そうして、もう一方をナイフが貫く。
「行ってください」
ワーム討伐に加わっていたヴィエナに、声が掛けられた。
既にワーム退治の方は終盤に至り、怪我人の回収や戦闘区域からの離脱を始めている。
「俺たちは撤収します。だから……行ってください」
ここは大丈夫だ、そう告げる戦友に、ヴィエナはふわりと飛翔した。
眼下に見下ろすは本願たる天使リノフェスが地に磔される姿。ボロボロに傷ついた仲間がその周囲、未だ警戒を解かないままリノフェスと戦闘を継続中である。
「――……」
目を閉じる。
ヴィエナは人間界で生活するに当たり、外見の形態を偽っている。けれど光纏する際にのみ、その本性が一部露出する。それは決して人間に歓迎させる容姿とは言い切れない。
それでも、ヴィエナは自らその姿を現すことを決めた。
「或いは海 或いは沼――記されし言ノ葉が生み出したる総て……」
纏うマントが漆黒のドレスへと変化する。
「ぬらぬらと照る黒に染まりし己が身……」
ほっそりとした両腕は伸び、歪んでゆく。掌は不自然なほどの大きさまで肥大した。
「その姿は……紛うことなき……輝ける星――」
ドス黒の液体が作り出した刺青の上、限界まで見開かれ瞳に一つの紋章が浮かんでいた。
「私は……自らの姿を晒すことのできる仲間がいる……」
人の世では厭われるべき姿を、晒すことに躊躇はない。仲間を、信じるが故に。
「……知識之鍵……」
失った、本性。その力の一部をヴィエナは解放した。
どくんっ
「う、ぁ……」
突如放られた闇纏う力の塊はリノフェスへと吸い込まれるようにぶつかった。
そして、天使リノフェスの体を冥魔の力が浸食する。
「きもち、わる……ぃ……」
体の中が熱く、血が滾るようだ。苦しい。気持ち悪い。辛い。
その思いを吐き出すかのよう、吐血した。地に這い蹲り、体を縮こまらせて吐き出す。
「――ひっ!」
己の中を暴れ狂う力に、リノフェスは恐怖を覚えた。
「いやだ、いやだっ!」
初めて感じるその感情に、リノフェスは恐慌状態に陥った。
「――ぽっきり、折れたのか」
來鬼は無感動の瞳を向け、呟いた。
リノフェスの中にあった自尊心もプライドも。全てが今、恐怖に塗り潰されていた。
「あぁあああああ!!」
リノフェスは拘束を破り、上昇する。そして、翼からハラハラと何物かを落とす。
「花――?」
空を落ちるそれに気付いたのは魅依だった。
「気を付けろっ!!」
強い語調で、注意が飛ぶ。その瞬間、花が爆発した。
黄色い花粉が爆散し、空気中に広がってゆく。
(これは、麻痺っ)
手足のしびれに気付き、覚羅はすぐさま呼吸法を変え、空気を選別する。しかし、最初に吸ってしまった分はどうにもならない。視線を走らすも、皆が麻痺を食らっており、リノフェスは逃走を開始している。追いかけられない。
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「っくそ!」
零は憎しみのこもった瞳で空を見上げた。
皆が、同じように空――天に浮かぶ円盤を見上げていた。
その活動を示すかのように発光していたそれは今や、光ることもなく樹上にあった。
核の破壊されたゲート。主のいなくなったそれはいつ無くなるとも知れない――。
しかし、
「病院から連絡がありましたっ!」
撃退士関連の病院から連絡を受け取った者が歓喜の声を上げた。
ゲートに精神吸収されていた人々に、回復の予兆あり。
それは敵の逃亡を許した、その悔しさと不満を吹き飛ばすに相応しい、朗報だった。
空には未だ、壊れたゲートが残る。天使リノフェスの逃亡。
街の住人がいないため、活気もなく寂しい――壊れた街。
それでも、この街は漸く平穏を取り戻した。
暗く寂しいだけの冬は終わりに差し掛かっている。
來鬼はやってきた風に髪を乱され、目を瞑った。――来る春、復興に賑わう街の光景を瞼の裏に幻視する。