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からりと適度に乾いた空気に混じる、潮の香りにマクシミリアン(
jb6190)はクン、と鼻を動かした。
学園に入学する前まではよく嗅いでいた、海の臭いだ。
懐かしさが込み上げると同時、慣れ親しんだ港や海のものではないと感じて苦笑する。
そんなマクシミリアンの前を楽しげに、花菱 彪臥(
ja4610)が歩いていた。猫耳のように跳ねた赤い髪が歩くたびに揺れている。
ちょっと立ち寄っただけの町だが、ぜひに浜の景色を、と町人に勧められたのだ。思わぬ観光スポットに、彪臥は浜へと続く一本道を先導して歩く。
傍から見ても解る程ご機嫌な様子の彪臥とは正反対の様子を見せるのが、雫(
ja1894)だ。気が進まないらしく、幼い顔に眉をしかめた表情で足取り重く殿を務める。
別に海を見るのが嫌なわけではない。ただ、それに付随するもの、町人たちの思惑が明け透けだったことが気に食わない。
「――はぁ、ただ働きですね……」
溜息を吐いて、どうにか心の内に整理をつけようとする雫に、アイリス・レイバルド(
jb1510)が深く頷いた。
「体よく押し付けられたな」
無表情にいうアイリスは同意のような言葉を紡ぐも、表情にその内面は写されない。
「ん? なんのことだ?」
押し付けられた、という言葉に首だけを振り向かせたのは笹鳴 十一(
ja0101)だった。こちらも彪臥と同じく、良い気分が見て取れる。
京都で負ったという傷が治りきっていないため、海という景色に心落ち着かせようという心積もりなので、高揚した気分のままに彪臥と町人にもらったパンフレットを眺め話していた。
「あら、気づいてなかったの?」
と、大きな瞳を瞬かせて言ったのは稲葉 奈津(
jb5860)だった。
そう言う奈津に海に向かうことに対して悪感情はない。町人たちの思惑を知ってなお、人助けならば苦労を背負おうと納得している。
「岩の話よ。林道にあって邪魔だって話じゃない」
「ああ。困ってるようだし、ぜひとも退かさなきゃな」
十一は正確に、町人たちの言いたいことを読み取っていたようだ。
町人が言うに、この町は海が綺麗で浜は観光スポットだ。しかし、唯一の道である林道に最近、大きな岩がある。とても大きな岩であって、重さもそれ相応であろうから、自分たちでは退かせない。でも、道は通れるからぜひとも立ち寄ってほしい――。
「……彼らは……私たちの善意……に……頼ってるんです……」
支倉 英蓮(
jb7524)はぽつり、と呟いた。ゆっくりな口調だが、的確に状況を表している。
本来ならば、一般人でできないその作業を学園なりなんなりに頼んだりして退かすことも、数人掛かりでなんとかすることもできる。
しかし、依頼は出さずに、あくまで意向をそれとなく伝えることで撃退士たちに退かしてもらおう。あくまで依頼ではないのだから、依頼報酬は出さない。
「ふむふむ。岩は退かしたいけれど、依頼を出して報酬をせびられるのが嫌だ、ということでしょうか」
オルタ・サンシトゥ(
jb2790)が首を傾げた。
そういうことだ、とアイリスは頷く。わざとらしい、までは言わないが岩について詳細に、そして強調して話していた。
「ケチったということだな」
ふーん、と彪臥は言った。
別に岩をどかすくらいはさしたる労働にもならないので、依頼でも依頼でなくともどっちでもいいらしい。雫も金銭の問題どうこうを言うわけではなく、ただ町人たちのその魂胆に頭が悩ましいだけだ。
さっさとことを済ませて、海を見よう、と心に決める。
「――待ってください。何か、気配がします」
言って足を止めたのは雫だった。
天魔かと思い、英蓮はそれまでの思考を切り替える。他人に無関心でゆっくりとした口調でしかしゃべらない英蓮だが、戦闘では違う。
自分たちの後ろには町、前は浜。林道は狭く、二人並びで列になって歩いている。両脇は林道。さっと、自分たちの状況を確認し直す。
「とりあえず隠れるわよ!」
奈津が言って、皆が林に身を隠した。事前打ち合わせもないので、左右に分かれたがそれぞれ視認できる距離だ。
「敵を確認できるか?」
右側にしゃがんで隠れた十一が左側にいるアイリスに尋ねた。屈んだ状態で木に身を寄せているアイリスは前方を覗き込んだが、姿は何も見えなかった。
わずかに道は曲線を描いているので、まだ見えないのだろう。
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「あ、なんか見えた」
数分経って後、十一の背後にいた彪臥がそう声を出した。十一も覗き込み、目を凝らす。
「岩、か?」
道の先、そこにはゴツゴツとした岩の天辺がある。気づかなかった。いや、彪臥が見えた、といったのだから先ほどまではなかったのだろう。
だが、岩がひとりでに動くわけもない。
眉をしかめたまま見つめていれば、それが揺れているとわかった。
「あれは、天魔?」
十一や彪臥の後ろで、奈津が眼を細めながらそう呟いた。
岩が一人で動くはずもないが、天魔ならばありえる。
「ありゃ、亀だ」
もうすぐ全体像が見える、というところで左側に身を隠しているマクシミリアンは言った。高い背で見下ろす先はより遠い。
十一は前を雫に譲って立ち上がって岩のようなものを見た。ツルンとした頭部に乾いた皮膚、短い手足に長い首、ノソノソと遅い動きで甲羅を背負う姿。それは亀に似ていた。
だが、それは既存の生物に当てはめれば、の話だ。
鋭い爪と発達した顎、加えて牙も長い。瞳は黄色く、鋭い。一般の亀に比べるべくもなく、凶暴性を秘めている姿は天魔と言えよう。
しかし、それは十一たちの見る前で砂利を蹴散らかすのを止めて停止した。鋭く周囲を睨みつけると、手足を引っ込めた。
「は……」
頭までも甲羅の中に引っ込めて、引き籠る。それはあたかも、巨大な岩。――町人たちが困っていると称した、苔生す巨岩である。
一瞬、沈黙が広がった。
「アレ、だよな。言ってたのは」
マクシミリアンが、最初に口火を切った。
「鈍間、いや危機感がないな、あれは」
アイリスがそう評した。冷めた口調の割に、亀に類似した天魔を眺めることを止めない。少々、好奇心がわいているようだった。
「町へ、侵攻している、のよ……ね?」
自信がなさそうに、奈津は口にした。
道は一本道なので、進む先には町がある。疑いようもない事実だが、疑ってしまいたくなる挙動だ。
「亀というより怠け者じゃねぇの、あの気質は」
「――怠慢です」
飄々と、笑みを口に載せたマクシミリアンの言葉に雫は切って捨てた。
人に襲い掛かるでもなく、岩と認識されるほどに動かない天魔。そして、岩を天魔だとも知らずに依頼を出すのを渋って撃退士の善意に任す町人。
全く悩ましい出来事だ、と雫は頭を抑えた。だが、
「天魔であったので、事後承諾の依頼という形で進めましょう」
きっぱり、そう言って光纏する。
左側の後方にいたオルタが小さく光纏し、ヒリュウを呼び出した。視界の共有で空から姿を確認する。
「ま、見つけちまった以上は仕方ねぇ、か」
今のコンディションでどれくらいできるか、と苦笑を零しながら十一は光纏する。
「仇なすモノは……討ちます……」
そう言った英蓮の髪色は白く、変化してゆく。
「麗しき港町で騒動とは感心しないなぁ」
マクシミリアンは港町への愛着に、口は笑みを浮かべたままだが言葉には本音が混ざって出てくる。
「放っておいたら大変なことになるものね。……悪いけれど消えてもらうわ……」
奈津は亀に似た姿に、ほんの少しだけかわいいなぁ、と思ったが天魔であると討つ覚悟を決める。
「さて、装甲は堅そうだがその防御力、いかほどか確かめさせてもらおうか」
アイリスはヒヒイロカネを武器化すると銀の杖を手に取った。
「――天魔ってよくわかんねーな」
なんでわざわざ重い岩を背負って移動してるんだか、と本物の岩を甲羅にしている天魔に首を傾げながら、彪臥は光纏する。
「とにかく、町には行かせないぜっ」
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「見かけどおり、スピードはないようですし、敵は一体。行けます」
敵がまだ動く気配のないことを確認しながら雫は言う。
「一斉攻撃してしまえば防御しきるのは無理だろう」
アイリスが案を練る。防御するにも、敵は両手両足、頭尾の六つの手段しか持たない。全員で多方向攻撃ならば、防御しきれない部分が出るはずだという作戦だ。
それならばいくら防御力が高くとも、確実に攻撃を通せれば、体力は削り取れる。
「それよりも、拘束してしまった方が良いと思います」
動きが鈍いのならば、一切攻撃も防御もできなくさせてしまえばいい、と英蓮は発言する。
確かに、先ほど甲羅に引き籠ってから敵はもう一度歩いたが、やはり英蓮たちの隠れている場所までは来ていないで再び甲羅に身を隠した。それほどに動きが遅ければ拘束することも不可能ではないし、拘束してしまえば敵は攻撃の的となるしかない。
「拘束なら、俺も手伝うぜ」
英蓮の案に、十一は鋼糸を手に同意した。もともと、怪我のため、後衛に回ろうと思っていたのだ。
「甲羅が硬いのはわかるけど、お腹はどうなのかしら」
弱点かも知れないわ、と奈津が発言した。これで、策は三つ目だ。
弱点を狙って攻撃するのは定石だ。ただし、弱点部分はそれぞれに違うので、それを見つけ出すまでが難しい。とはいっても、防御力の高そうなところは明確なので、それ以外を順に狙って行けばいいだけだ。
「なぁに、相手はカメさんだ、急ぐこたあねぇよ。慎重にいこうや」
一個が失敗しても次善策を考えればいい、とマクシミリアンは気楽に笑う。
敵が複数ならばまだしも、こちらは人出があり、相手は一体。有利は変わらないのだから、一度失敗してもまた挑戦するだけの余裕がある。
「じゃぁ一度拘束をしてみて、それが失敗したら一斉攻撃、弱点っぽい腹をできるだけ狙っていく、って感じだな」
彪臥がすべての案を合体させて言った。それにマクシミリアンが頷く。
「了解、その案で行こう」
「一応、町に連絡だけしておきましょう」
そう言って、町でもらったパンフレットに書かれた電話番号に連絡し、万一の避難を考えて置くようにと告げる。岩とおもわれた物が天魔だったことと依頼、という形で引き受けることを念押しするのも忘れない。
「さて、ウラシマさんが来る前に片付けてしまおうぜ」
飄々と、マクシミリアンが言った。
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(そんなモノに生まれて来たばかりに……)
「罪を重ねる前に、消えて?」
英蓮は十一に合図を送ると糸を放った。敵の左前足、左後ろ脚を拘束する。十一の放った糸が右側の前足と後足に絡まると同時、英蓮は敵と距離を取るように糸を自らの方へ引っ張った。同じく、十一は右側へと引っ張っている。
だが、敵は両手両足を縛られてなお、体勢を崩さなかった。石畳に爪が食い込まして踏ん張っている。
「強固で頑丈な物で守られているということは――奥が脆いという証拠っ!」
雫は動かない敵の背に飛び乗るようにして接近すると、甲羅へ剣を突き立てた。
ぐっと力を込めた刃は、しかし通らなかった。カキン、と硬い音共に刃が弾かれ、雫は距離を取る。
そのタイミングで、敵は身を震わせた。力任せに、体を横へねじるそれは拘束の糸を振りほどくもの。
「うわっ」
右側に捻られた体は、右側の糸を緩ませた。抵抗する力が弱まって、十一はたたらを踏んだ。もう一方で、英蓮が引き寄せられて身を道に投げた形となった。
ハッとして、身を立てなおす英蓮だがその目前に敵はいる。鈍重な動きだが、浮いた片足が英蓮へと踏み込まれる――。
「そうはさせないわっ」
英蓮の前に身を滑り込ませた奈津が剣の腹で攻撃を受け止める。
「……ぐっ!」
体重を乗せた敵の攻撃に、突き出した手が徐々に身に迫ってくる。しかし、それよりもまえに抑えきれていない敵の足から伸びる爪が奈津の身を傷つけようとする。
「おら、よ――っ」
十一の掛け声とともに、敵の体は横に吹っ飛んだ。
奈津が剣での防御の姿勢を解くと、ハンマーを肩に担いだ十一がもう一方の手を差し出してくる。ありがたく手を貸してもらい、路肩に飛ばされた敵を見た。
上手く、ひっくり返ったらしく、腹を斜めって空に見せている敵だが、その視線は彪臥に釘付だった。タウントの効果だ。
敵はひっくりかえった体を戻すことよりも、引き籠る事よりも、彪臥を攻撃することに夢中らしい。攻撃的な視線で睨み、手足を動かしている。だが、その攻撃が的に当たることはない。
その間に、腹へ向けて銃弾が撃ち込まれる。一瞬、振り回していた尾や手足が怯んだ。その隙を見逃さず、接近したアイリスが杖を叩き込んだ。
しなりながら腹にぶち当たった杖は打撃としても十分に有効だった。その衝撃で敵はひっくり返った姿勢から直るも、ダメージ大きく、前足は膝をついた。ぎろり、と瞳は強く敵意をアイリスにぶつけた。サッと、アイリスは下がりこむ。
「また岩になっちゃ困るんだよっ」
無防備に晒された背後から、彪臥は直剣の刃を首へと斬りつけた。刃は氷のように薄く透明だが、クリスタルの輝きでキラキラとしていた。
「ん〜……ひと仕事終わって、余計に気分爽快だねぇ」
気持ちよさそうに、ぐっと伸びをしながら十一はそう感想を漏らした。
目の前に広がるは青い海。潮騒が耳に心地よい。――観光スポットの名は、伊達ではなかった。
「港に平穏な日々が戻ってメデタシメデタシだな」
ふぅ、と吐き出したマクシミリアンの煙草の煙は潮風に巻かれて流れて行った。