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依頼の内容は十和田湖を中心とした夜警。継続的な依頼で既に複数回実行されている。
「ゲートって本当厄介だよな」
すぐ消滅すればいいのに、そう礼野 智美(
ja3600)は言った。その手に握られているのは十和田湖周辺の地図。夜警依頼が出てから今まで、書き込むような出来事は起こっていないため新品に近い。とはいえ、今まで何も事件が起こらなかったから今日も何も起きないとは限らない。気を引き締める。
「敵は出ないし、肉体労働もなくて楽な依頼ですね。このまま事件も起こらず依頼期間が過ぎればいいのになぁ」
夜の湖はロマンチックだなぁ、と佐藤 としお(
ja2489)は言ったが言葉とは裏腹に、入念に周囲を警戒し、手に持つライトを様々な場所へと動かしている。
「来たからには戦いたいっていう部分もあるけど。無駄足、って感じが強いとどうも意欲が……」
敵を発見すればすぐに戦闘へ入れるよう槍を担ぐ高虎 寧(
ja0416)。全員ではないが、他の者たちの中にもちらほら武器を握っている者たちがいる。
「ん?」
いくらか雑談を交えつつ湖へ向かって歩いていた一行の内、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は足を止めた。
「どうかしましたか?」
隣を歩いていた雨音 結理(
jb2271)がソフィアの様子に気づき、足を止めた。感知スキルのある者を中心に、皆が周囲へ警戒を巡らせた。雨宮 歩(
ja3810)もすぐに動けるように低く構える。
「湖の方だ、急ぐぞ!」
リョウ(
ja0563)が鋭く言って皆が弾ける様に駆けだした。
鬱蒼とした木々を掻き分けるようにして湖への道を急ぐ。そうして、視界が開けた。谷崎結唯(
jb5786)は見えた景色に、言葉を漏らす。
「あれは……サーバント!」
闇夜を照らすような月が湖上に輝く。波のない穏やかな水面に石膏像が浮かんでいた。
人の上半身に似た、筋肉質な胴。腕は交差して胴を抱き、首より上も腰より下もない――だが、人にはあるはずもない、一対の翼が肩甲骨のあたりから突き出す。――言葉にする間でもないほど、異質なそれは天魔。
素早く判断した叫びは敵への警戒。戦闘の開幕だった。
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「まだ、気づかれてないようだねぇ」
湖上に浮かぶ石像三体の挙動に注視しながら歩が言った。
「作戦は水上歩行ができる人たちが敵を誘導、岸に寄せるというので大凡変更なしね」
寧が作戦の確認をする。もともと、湖周辺の夜警ということで湖上での戦闘を想定して作戦を立ててある。敵が単体でなく、三体だとしても人数は足りた。
「待ってください、なんかおかしくありませんか?」
楊 礼信(
jb3855)は動きもせず、隙を見せるばかりの敵に不審の声を上げた。
敵が振り向かない。距離もあるし未だ攻撃していないので敵が礼信たちに気付いていない可能性もある。だが、それ以上に敵は自分たち撃退士以上の何かに気を取られているように見える。
頭がないため視線があるとは言えないが、胴体の正面は礼信たちのいる岸とは違う、岸。
「――子供だ!」
としおは向こう岸に立つ少年を発見した。
「そうか、突然反応がしたのは水中にいた敵が子供を発見し飛び出たから――」
感知に突如ひっかかった、反応。その理由に気付いたリョウは当然、その先の答えも導き出す。
「狙われてるぞ!」
リョウが答えを出すのと同じく、湖上で停止していた石像が動き出した。
水面へと垂れていた翼は飛び立つ姿勢を取った。そして、羽ばたきによって移動速度を上げるがごとく、湖面に波紋と波を作り上げながら少年のいる岸へと突進を始めた石像。一体が先行し、もう二体が追従する。
「とりあえず、ボクは行くよ。話を伸ばすのより、先行してるのを止めなきゃね」
子供がいたからと言って作戦変更を余儀なくされるのは湖上に立てない者たちだけだ。当面のところ、歩たち忍軍が敵の足を止め、また注目・誘導させないといけないということに変わりはない。それどころか、グズグズしては少年の命に係わる。
歩は忍軍の固有スキルである水上歩行で水を踏むと、敵へと駆けた。続いて寧とリョウは湖面を走り出す。
「保護は僕ら、インフィが引き受けます!」
残る面々でメンバー分け、の前にとしおが切り出した。
インフィルトレイターは元々銃器等の武器による長距離攻撃を得意とする。石像を引き付け、誘導する三人は当然少年から距離を開けようとするので必然的に距離は遠くなる。この状況で最も少年保護に適しているのは職業的にいってインフィだ。
「ああ、私は初任務だし、下手に戦闘へ出て足手まといになりたくはない」
結唯もとしおの提案に頷いた。
二人が保護に回るのに適している理由の二つ目が、結唯が初任務ということ。今まで、学園の生徒として訓練は詰み、また教師の引率の元天魔の撃退に出る課外授業もあっただろう。しかし、依頼での実践は初めてだ。
それも、今回相手にするのは一般的に良く見かけられる量産型の天魔ではない。相手の能力等も不明なため、距離を取っておくに越したことはない。
他のメンバーも異論はなく、それぞれが移動を開始する。
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石像は浮遊し、湖上に接触していないにもかかわらず、水面はその突撃に合わせて薄く左右に分かれた。細かい飛沫が舞いながら石像の軌跡を描く。
だが、その動きについてゆく姿があった。それどころか、高速で動く敵を上回るスピードでぐんぐんと距離を詰める。
「無視しないでくれるかなぁ?」
槍型、もしくは三角形の陣形の敵三体。その先頭に回り込み、足を止めた歩は皮肉の笑みを浮かべた。
歩行の間、風で飛ばされない様にと抑えていた帽子から手を外す。ゆっくりと降ろされた手と同時、全身から漂うアウルの色が徐々に濃く、血色へと変化してゆく。そしてそれは翼を模す。
「さぁ、ボクと踊ってもらうよぉ」
血色の翼を携えた歩と、対峙する石像。同時に、翼が羽ばたいた。――道化舞台、開幕。
歩が一体を対峙していた時、後続の二体は速度を緩めた。加勢に加わろうと取った行動であったが、それが仇になった。
二体の内の一体、停止した途端その動きがピタリと止まる。止まったのではなく、止まらされた。
ギギギ、そう音が聞こえそうなほどに力いっぱい身動きするが、出来ない。
「水の上でも影はできるのよ」
それがこんなに明るい月の下なら、ね。
波紋はゆっくりと、岸へ向かって伸び離れていく。湖の静けさは取り戻されてゆく。
「岸に向かいたいなら、うちが誘導してあげる」
もう一方が成功したことを知って、寧は影縛の術の使用時間が過ぎてももう一度拘束しようとはしなかった。必要がないからだ。
敵と寧の下を一瞬、大きな影が通った。それは敵の背後に回り込み、盛大に水音を立てて出現した。――結理の召喚したストレイシオンだ。
寧から背後へと振り返る敵にブレスが叩きつけられる。
「さて、お前は最後だ」
寧が敵を拘束した一瞬をリョウは見逃さなかった。
残り一体に対峙すると同時、リョウを中心に光纏の形が変化した。体を覆う漆黒は柱のように空へと昇り、霧散した。小雨が降るかのごとく、漆黒の霧がリョウを取り巻いた。
(アクセス――我が【シン】)
ゆらり、リョウが動くと共に霧のような影が背に見える。
「時間稼ぎをさせてもらうぞ」
ライフルを手に、石像の背へ回るように高速で移動し始めた。
「来た!」
石像が岸に近づいてくるのを捕らえ、ソフィアが声を上げた。その後ろで礼信と智美が頷き合い、攻撃を開始する。
ストレイシオンに背後を取られた敵が背を守るように、方向を転換しようと動くのを即座に寧が攻撃、方向を修正する。敵は背後からの攻撃を避けるため、距離を離そうと前へ前へと動くしかない。だがそこにはソフィアたちが待ち受けている。
ソフィアは他の二体を相手にする二人を少しでも援護できるよう、視線を外さずにいる。一方、礼信は銃を構え、智美は弓を構えた。――そこからは乱れ打ちだ。
弓と銃を回避する敵の動きを逆手に、寧は密かに接近。敵が背中を弱点とするのは明白、回避後の位置を予測し二連続攻撃を背中に集中させた。
機動力・攻撃ともに損失し、岸の手前で敵は停止する。
「これで終わりにする」
溜めていた気を弓の一矢に込めた智美。貪狼を織り交ぜた攻撃に敵は倒れるしかなかった。盛大に飛沫を上げながら、湖に沈み込んでいった。
「ふぅ……。次、ですね」
二体目が近づいてくるのに、礼信は額の汗を拭って銃を構え直した。
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挑発するがごとく嗤い、踊る歩。
敵にとって、岸にいた少年は餌で歩はそれを邪魔するものでしかなかったが、既に歩へと興味――執心は向けられた。
歩は湖上でステップを踏みながら、少年のいる岸と離れていく。だが、石像はそれに気づきもせず、風のカッターを撒き散らす。
(ふぅん、近づかせたくないんだぁ?)
少しでも近づく素振りをすればすぐさま攻撃をする。放られた複数のカッターは歩への攻撃というよりも、牽制の意が近いようで、歩の動きを遮るかのような位置に向けられるものが多い。――それはつまり、近づかれては困るということだ。
「敵は近距離戦が苦手、もしくは中距離以上の攻撃手段を持たないのかもねぇ……」
呟き、歩は抜刀を振り抜いた。
敵の攻撃を交しながらだったが、敵に向かってアウルで作った刃がまっすぐ飛んでゆく。しかし、当たると思われた直前弾かれた。
(魔法防御のシールド?)
ほんの少し、歩の常に浮かべていた笑みが崩れた。一瞬の隙、それを敵が見逃すはずもない。
(竜巻……っ!)
今までに見せなかった攻撃。風の塊ともいえる大きな竜巻が襲ってくる。
「……ずぶ濡れと引き換えにノーダメージなら安いものだよねぇ」
水上歩行を瞬時に水中モードへ切り替える。竜巻のせいで視界が遮られた敵の背後へと顔を出す。
「油断大敵だよ……嗤え」
水中から水上へ切り替え、歩は蹴りを放った。敵の背、翼の付け根部分への鋭く、力強い攻撃。切り裂かれた翼が水に落ちるのも気にせず、歩は刀を振り抜いた。
「嫌だ、離せっ!」
抵抗する少年を結唯は背後から羽交い絞めにしていた。
湖上に出現しているのが化物であるというのは少年にも明白であるだろうに、天魔がいるから避難をと説明してもまるで聞かない。
危険性は十分話した。戦闘を行うため、離れてほしい。天魔は人に害意がある。
けれど、少年は否定するだけで何の言葉も聞いていない。多少の混乱も垣間見える。
「なんだってそんなにここを離れたくないんだ?」
としおが柔らかく尋ねれば、少年は思うところがあったのか動きを止めた。
(お?)
それまで、湖にしか視線を向けず、こちらの話に耳を傾けない風だったのが変化した。何かが少年の琴線に触れたのだろう。
「何か理由があるなら話してほしいな」
あの天魔に思い入れでもあるのか、と聞いたとしおに少年は首を振った。どうやら、あの天魔そのものに意味があるわけではないらしい。
「おまえら、撃退士?」
俯いた顔を少し上げ、少年は尋ねた。それにとしおは頷いた。どうやら聞く耳を持ってくれたらしい、と判断して結唯も少年を羽交い絞めにするのを止める。
「少し前、隣の市がすごいことになっていたのを知ってるかな。すぐ傍で起きたことだから、この町も少し危ないかもしれない」
特に、この湖は向こう岸が隣の市に繋がっている。そう説明した。これにも少年は頷いた。ここまで、きちんと理解しているようだ。
「だからね、僕らはこの湖の周辺を見回りしていたんだ」
聡明な様子と、先ほどの混乱ぶりに少々疑問が残るものの、自ら質問をしてくるということで少年の方も自分たちに興味が移ったようで、安心だと思った。
「――倒すのか」
「うん? このままだと被害が出ちゃうからね」
としおがそう言った後、再び顔を俯かせて少年が何事かを言った。聞き取れず、顔を近づけた所、
「お前らに僕の気持ちがわかるわけない!」
グーがとしおを襲った。
少年が再び岸に走り寄ろうとするのを結唯は首根っこを掴んで、引き寄せながら、ハッと湖に目を向けた。風の塊が向かって来ていた。
無表情ながらも眉をしかめて、結唯は少年を引き寄せる。だが、その前に立ちはだかる者がいる。
「危ないって、言っただろ」
としおは銃を連発し、竜巻の軌道を逸らす。
かなり遠くから来た攻撃の為か、随分と小さくなっている竜巻だ。攻撃を加えるごとに削られ、方向をずらされて、消えた。
(ふぅ……)
としおは内心だけで冷や汗を拭った。
「あまり危ないことはするな」
結唯が少年へ、嗜めるようにそう口にしたが少年にとって今の竜巻はよほど衝撃的だったらしい。結唯に引き寄せられた格好のまま、身動きもせずに眼を見開いていた。
(あちらは既に完了、か)
「では、行こうか」
寧が援護とともに敵を倒し、歩は自力で倒した。ならば、リョウが最後だ。
敵の背後に回り込むことを止め、今度は岸へと走り出す。水上歩行するにも、そろそろ時間が気になる。
敵がついてきているかどうか、振り返ることもせずに最速で岸まで向かう。と、味方の攻撃が届く範囲ギリギリで停止、追いついた敵の背後へと回る。
リョウへの注目の為、敵も方向を背後へと変更させたがその背は岸の正面だ。
「出てきたところを悪いけど、もう終わりよ」
ソフィアは火球を生み出した。夜であるのに、太陽のような明るさだ。
「あなたの防御力、どこまで耐えられるかしら」
火の粉を散らしながら敵の背に火球は飛んでゆく。着弾と同時、小規模の爆発が起きた。だが、それにとどまるはずもない。
今度は太陽のように輝く弾丸が翼の折れた背に吸い込まれる。
「ちゃんと、反省した?」
岸にいた少年、直樹を前に、としおは言った。
湖で敵の死骸を回収する一方で、天魔に対する認識を改めたらしき直樹の事情を聞いていた。
「力が欲しいというのは理解しがたいことではありません。でも……」
「君が望んだ力はアレのような、人を傷つけ奪うものだったか?」
結理が濁した言葉を引き継ぐよう、リョウが畳みかければ違う、と力ない否定が帰った。
「もしお前が天魔になれば、主人の命令でお姉さんを殺していたかもしれない」
情報や認識の混乱が生じた結果だが、それでは本末転倒だと智美は思った。
「お前の父親が求めたのは、そんな力じゃない。お前の心の強さだよ……多分ねぇ」
歩は冷たい視線ながらも、直樹と目を合わせて言った。最後は誤魔化すよう、いつもの口調に戻ったが真剣な言葉だった。
「護られる側の気持ちを、考えろ。目を逸らすな、向き合え。それが強くなるということだ」
直樹はリョウに背を押し出された。目の前にいるのは、仁王立ちしながらも目に涙を浮かべた姉の姿だった。
「……ただいま、姉さん」