●
カタン、コトン。
定期的な揺れに素朴な音がする。それと同時、淀川 恭彦(
jb5207)の視界も上下した。
(長閑な光景だなぁ)
列車の窓から見る風景はどこまでも続く青い空と、広大な大地。高い建物ばかりで視界が埋め尽くされてしまう都会と比べれば、行く先は田舎ということだ。
はぁ、と溜息が我知らず出る。
外見も中身も能力も普通な恭彦は警察官である。それも左遷を受け、今は移動の最中だ。
つい先日まではそうではなかった。エリートコースを着実に歩んでいたはずだった。だが、同僚との足の引っ張り合いの末、引きずり降ろされたのは恭彦の方だった。
(何か、事件でも起こってくれればまた――)
いや、と思い浮かんだ思考に蓋をした。
また戻りたいわけじゃない。戻ったところで同じような結果が待ち受けているだけに違いない。それは疲れるだけ、無意味だ。――戻りたいとは思わない。
自分に言い聞かせるように、そう繰り返す恭彦の肩は、自覚するほど情けがなかった。
「どなたか! 医者は、いや警察官はいませんか――ッ!」
窓の外を眺める恭彦のいる個室の外を、大声が過ぎった。
警察官、その言葉に反応して恭彦はハッと扉を開ける。
「僕が警察官です! 一体何があったんですか?」
通り過ぎた、列車の乗務員が顔を出した恭彦を振り返った。小走りで戻ると、すぐさま実はと言って事情を話し始めた。
それが、すべての始まりである。
話を聞いて慌てて駆けつけた恭彦は件の部屋の前に野次馬が集まっていることに気付いた。すぐさま、自分が警察官であることを叫びながら人垣を抜けた。
(これは……)
部屋の中には列車の乗務員と、しゃがみこむ白衣の人物。医者だろう人の前には男性の者らしき足が横たわっており、誰かが床に倒れ込んでいるようだった。
状況が分からないながらも、恭彦は空気を読んで野次馬のいる廊下の扉を閉めた。それだけで随分と音が遠ざかる。扉の上部にはめられた窓から見るに、野次馬は徐々に散っていくようだった。
「警察官の方ですか?」
裾が汚れるのも気にせずしゃがみ込んでいた医者が、そう言いながら立ち上がり、振り返った。
「遠石さん! 良かった、君がいたんだ!」
遠石 一千風(
jb3845)。赤く長い髪を白衣に流した、若き医師。女性にしては高い身長と、燃えるような髪色と対照的な青い瞳を持つ人物。
「事件捜査で会うのは久しぶりね、淀川さん」
一千風は恭彦の友人である。だが、そもそも知り合ったきっかけは事件の捜査。事件解決のために医療技術の提供を受けたのが最初だった。
「今回はよろしく。それで、えっとどういう状況かな……」
一千風が恭彦に場所を譲る。そこに見えたのは、血を流す青年の姿。明らかに、それは殺人現場の様相を示していた。
「初めに言っておくけれど、私は検死をした事がないのよ」
頑張るけれど、専門的なことはわからない。そう、首を振った後、一千風は話し始めた。
「見て分かる通り、出血は多量。でも出血多量が死因じゃないでしょうね」
ここを見て、と言われて恭彦は青年の腹部を見た。
この列車の乗務員が着る、黒っぽい制服を着ている。けれど、腹部の色はそれでない。固まり始めた血が黒っぽくなっているのだ。
「大きな傷口は刺し傷。それと、見えにくいけれどここには銃痕もあるわ」
傷口が複数ある。鋭利な刃物と銃の二種類。
「どっちが先か、分からないから死因がどっちかわからないわ。でも、いくつかの推測は立つわね」
「えっと、犯人は二種類も武器を持ってるってことかな」
変な話だね。そう言いながら、恭彦はそれがどんな場合なのかと首を捻った。武器を二つ、使い分ける必要性がない。むしろ、二つも持っていれば重いし、利点があるとは思えない。どちらも傷は致命傷となるはずだ。
(銃弾が無くなったから別の武器にした、っていうんならわかるけど)
一千風が何かを言おうと口を開いた、その時。
バダンッ!
扉が開かれた。
「オルスト!」
叫び、入ってくる少女はそのまま遺体へと縋り付こうとした。
(やばっ!)
殺人現場でなくとも、現場保存というのは特に心がけなければいけないこと。恭彦は桃色の髪を持つその少女が遺体に近づくのを止めようとしたが、その前に後から入って来た人物が引き留めた。
「ディアナ様」
銀髪の長い髪をふんわりと揺らす赤い瞳の少女然とした人物――斉凛(
ja6571)。恭彦はその服装から列車乗務員の一人だと判断した。そうして、桃色髪の少女――綾(
ja9577)は顔を上げた。
(うわ……)
大きな茶色の瞳に溢れた涙は顔を上げた拍子に零れ落ちた。少女はすぐさま、両手で顔を覆い隠し、首を振りながら被害者の名前を呼び続ける。
「あなたたちは?」
可愛らしい少女が泣き崩れる様子に、動揺して固まってしまった恭彦に代わり一千風は不審人物二人へと問いかけた。
現場検証中の室内に、唐突に乗り込んだ二人の人物。一方は列車の乗務員ではあるが、二人の様子から何らかの事情を知っているだろうと銀髪メイドへと視線を合わせる。
「私はアイリーン・アドラーと申します。このお方はデュプロ・G・R・カランコエル様です」
オルスト様の恋人です、とアイリーンは告げ、泣き悲しむ桃色髪の少女へと労しげな視線を向けた。
「なんだか、とても面白いことになっているようですね」
シルヴィア・エインズワース(
ja4157)は呟いた。
殺人現場たる一室の前、野次馬の既に散ったその場所に一人佇む。
医者と警察を求めて走る乗務員を見たのが最初。次に、赤い髪の女性が部屋に入り、野次馬が集まって来た。その後、警察官を名乗る青年の登場。野次馬が散った後に駆けつける少女と、乗務員(メイド)。
すべての流れは現場近くにある自分の客室から覗いて知っている。
好奇心が刺激される事態に、不謹慎とはいえシルヴィアは笑みを零したのだった。
「楽しいの?」
一つの、甲高い声がしてシルヴィアは目の前に少女が立っていることに気付いた。
金の短い髪に利発そうな顔立ちの少女。丸いメガネの奥からシルヴィアを覗き込む視線がある。
「列車旅の一番の敵は退屈ですから」
そう言って、少し周囲を見回した。一体いつの間に、ここまで近づかれたのかはわからないが、少女は一人のようだ。
「貴方も一人旅ですか?」
シルヴィアに尋ねられてRelic(
jb2526)は頷いた。
「そう、レリックっていうんだよ。この度が終わるまで、よろしくね」
シルヴィアに向けてニコリと笑うとレリックは走り去った。それを見送ってから、シルヴィアは自室に戻った。
きっと、後から乗務員が呼びに来るだろう。
(私も、レリックという少女も、――あの二人も)
野次馬の中に見つけた、二人の人物を思い出してシルヴィアはひどく楽しげに笑むとその蒼い瞳を瞑った。コトン、コトン――静かに列車は進み続ける。
●
動揺して、現場を立ち去った叶 心理(
ja0625)は自室に戻り、自らの首に駆けたヘッドフォンを掛け直した。緩やかに音が耳に入ってきて暫く、漸く落ち着きを取り戻す。
ツンツンとした黒髪を、髪が乱れるのも気にせずに壁へと押し付ける。力の抜けた足によって壁をずるずると擦りながらソファへと座る。そして、斜めった視界の先まで効き手を持ち上げ、掌を眺めた。
(なんだよ、これ……)
じわじわと、体を広がってゆく自分の気持ちに心理は戸惑いを覚えていた。
手を握って、開いてを繰り返す。それでも気持ちは晴れない。もどかしくて、胸の上に何かが乗っかっているような、喉の奥に何かが突っかかっているような。
判然としない感情。
(俺は、どうすれば……)
一度だけ会った人物の顔を思い出した。柔らかく微笑んだ顔。
仕事だからと事務的に処理するのではなく、心から迎えてくれた。一人ひとりを丁寧に対応していた人物。いい人なのだと、その一回だけの接触でわかった。
(姉さん、あの人……死んじまったよ)
心が、晴れると思った。死んでほしいと、ずっと願い続けてきた。
オルスト・ホーライド。その死に動揺する自分に、心理は困惑していた。
ふいに逸らした視線の先、人の顔があって心理はびくりと体を震わせて驚いた。
「な、んだ?」
個室と廊下を区切るドアの上部窓に映る人物に、心理は呟いた。
ヘッドフォンでノック音が聞こえなかった。不用意な発言をした事に自分へ舌打ちしつつ、立ち上がる。――食堂車に集まってほしい、という要請だった。
「皆さんにここに集まってもらったのはとある事件についてお聞きしたいことがあるからです」
そう、淀川と名乗った警察官は切り出した。その言葉に、食堂に集められた人々のほぼ全員が顔色を変えた。
「とある事件とは?」
ルーカス・クラネルト(
jb6689)は尋ねた。何等か、騒動があったことは部屋の外がうるさかったので知っている。だが見に行ったわけでもないので何があったのかは知らない。
これから話されるだろうが、下手に内容を省略されても困るのでそう促した。
「この列車で一人の人が殺されました。銃と、刃物が凶器です」
皆の視線が集まることに気圧されたように口ごもった後、淀川はそう言った。
現役軍人であるルーカスはその言葉に咄嗟、周囲の人々の顔色を伺い見た。具に表情や仕草を観察する。
「ここにいらっしゃる方々は皆、何らかの形で被害者に関わった人物です」
話が再び始まったので淀川へと視線を向け直したルーカスはその言葉に眉を寄せた。
(列車に知り合いはいないはずだが)
「殺されたのはここの乗務員でオルスト・ホーライドさん。えっと、男性で、この車両の車掌さんです」
そうと言われても、ルーカスに心当たりはなかった。
だが、ここに集められた者たちはいわゆる――殺人の容疑者という奴なのだろう。
「それぞれ自己紹介した方が話は早いわね。私は遠石一千風」
赤い髪に白衣を着た女性が名乗りの後、医師だと付け足した。遺体の検死をしたのだろうことは推測ができる。
「僕は雪夏(
jb6442)。オルストとは同僚です。僕はコックだけど」
左右の目が色違いの乗務員。僕、と言ってはいるが女性である。そして先ほどからずっと、常に食べ物を口にしている様子が目立った。
「私はアイリーン・アドラーと申します。私は個人専門の客室乗務員をしております」
純白のメイド服に銀髪の少女然とした人物が長い髪を揺らしながら丁寧に頭を下げた。
「デュプロ・G・R・カランコエル。ディアナって呼んで。……オルストはボクの恋人だよ」
桃色髪を二つに高く結ぶ、これまた少女然とした人物。目元が赤く腫れており、泣いた様子が伺える。
そして、ディアナの言葉に二人の人物が反応をしたことにルーカスは気づいた。
その後、一瞬間が開いた。自己紹介として自分の名を名乗るのは良いが、被害者との関係性が浮かばないためルーカスは沈黙した。
「私はシルヴィア・エインワーズ。被害者との接点は思い浮かびませんね」
音楽史の学者だ、と言う金髪青眼の婦人。落ち着いた雰囲気から三十代ぐらいだろう、とルーカスは判断した。
はっきり、被害者と関係がないといったシルヴィアに淀川は慌てて「事件現場周辺の客室の人もいます」と言葉を足した。
「牧野 穂鳥(
ja2029)、植物学専攻の大学生です。被害者とは――さぁ……面識はなかったかと思います」
緑色の髪に花の髪留めを付けた女性が若干、言葉を選びながらのようにゆっくりと告げた。その視線は皆から逸れ、床へと向かっている。
「俺は叶心理。音楽家目指して勉強中だ。んで、被害者とは関係ないぜ」
首に大きなヘッドフォンを下げた青年が言った。鬱々とした表情の多い中、飄々とした顔を見せている。殺人事件が起きたというのに、実に軽々しい態度である。
「レリックだよ。ボクは一人旅中。騒動の時には少し見に行ったけど、知らない人だと思うな」
短い金髪に利発そうな顔立ちの少女が首を傾げながら言った。どこにでもいる少女のように見えたが、ルーカスは内心何かが引っ掛かった。
「ルーカス・クラネルトだ。今は休暇中だが軍人だ。俺に心当たりはない」
そう言ったルーカスに、なぜか一千風の視線が動いた。
全員での紹介を終え、淀川はどうすべきか迷った。全員で対面しておかないと誰が関係者かわからず、目撃証言等も焦点を絞れないと思って集めたのだ。
次には事情聴取か荷物検査が妥当だろう。けれど、
「じゃあ、淀川さんが呼んだら一人ずつ廊下に出てくれるかしら。荷物検査と事情聴取を一回にしてしまうから。残りの人たちはここで待っていましょう」
落ち着きなく思考を巡らしていた淀川に痺れを切らし、一千風が手順を決めた。
「あ、じゃあ順番に。えっと、第一発見者……雪夏さん?」
一千風の言葉を聞いていたかも怪しいほど、一心不乱に食事へと手を付けていた雪夏が淀川に呼ばれ、マシュマロの入った皿を持ちながら立ち上がる。他に持ち物と行った物はないようだ。
●
「あなたが被害者を発見した時の状況を教えて下さい。それとその前後の行動も」
淀川の言葉に、雪夏はその時を思い出した。
身長が低いせいか、人見知りのせいか、小動物のようだと言われて皆に可愛がられることの多い雪夏。もともと、食べることが好きでコックになった雪夏に、皆はよく食べ物をくれた。それに、つまみ食いしてもあまり怒らない。
そんな中、オルストだけは違った。雪夏がつまみ食いをすればすごく怒った。当然のことなのだが、人の良いオルストがそんな態度を取る。普段は頭を撫でたり、お菓子を差し入れたりもするのだからそのギャップが嫌いだった。
今日はオルストにあの客室に呼ばれていた。また、つまみ食いしたことがバレタのだと思っていた。今度はひどく怒られるだろう、何せ客に出す食事に手を付けてしまった。
そうやってその怒りを交すか、と思いながら言った部屋。オルストは明らかに殺されていた。
「……お菓子をくれないならしゃべらない」
そう、雪夏が言えば面白いほどに淀川は動揺した。
とりあえず、自分が悪いことをしていた自覚。加えて、オルストを殺害するに至る動機まで揃ってる。このまま正直に言っても犯人と疑われるだけだ。
(頭に糖分が行けば何か良い手が浮かぶかも)
そう、思いながら皿にあった最後のマシュマロを口にした。
その後もレリックとディアナ、アイリーンと続いて恭彦は事情聴取をしたが、何の情報も得られなかった。そして次にルーカスが呼ばれた。
「ああ、この人ならば話をしたな」
「え?」
思わぬ発言に、聞き返す。
「本に集中したいから昼食までは誰も声をかけないでくれと託けた」
結局、騒がしくなってしまったが。そう言ったルーガスだが、それは実に重要な情報だった。
「それっていったいいつごろですか!」
発見された時刻はいつか、判明している。お菓子を与えた後の雪夏がしゃべったからだ。だが、一体いつごろまで生きていたのか。
(一歩、解決に近づけた!)
そう思うのもつかぬま、思いがけぬ事態は続いた。
「ええ?」
聞き返す恭彦に、シルヴィアは告げた。
「以上から、叶さんと牧野さんは被害者に面識があると思います」
シルヴィアはそれ以上何も言わず笑みを深くした。
「刑事さん、事件の解決よろしくおねがいしますね?」
「いや、僕は刑事じゃなくて警察官……」
食堂に戻ったシルヴィアの背に告げた。
「私がですか?」
恭彦に面識があったのだろう、と直接聞かれて穂鳥は瞬きした。
先ほど、否定したというのに。
「あなたが野次馬に混じりながら不穏な言葉を口にしたことを、エインズワースさんが証言しています」
もう一つ、瞬きする。
(まさか、聞かれているとは思わなかった)
動揺に、穂鳥は弁解の余地があったにもかかわらず否定をするのを止めてしまった。
「面識はありません。けれど、知っていたんです。あの人がどんな人か。どんな、ひどい人か」
ひどい人、という穂鳥の発言に恭彦の方が動揺した。オルストについてはいい人としか聞いていない。誰からも、そんな言葉しか聞いていないのだ。
「私の大切な友人を、傷つけて。振るにしてももう少しやり方があったと思います。そうしたら、あの子は――自殺なんてしなかった……」
できるだけ苦しんで死んでほしかった、それどころか私が殺そうと思っていたんです。
――恭彦はそれこそ、叫び声を上げてしまいたかった。
「まさか。まさか、牧野さんが」
「だから、乗務員の方が騒いでいてあの人が死んだって聞いて。いい気味だと思いました。死に顔が見れればと思って現場に行ったんです」
滔々と、告げられる言葉の数々。あの人の死に顔を見たい、そう懇願する穂鳥に恭彦は混乱を隠せなかった。
ひとまず、落ち着かせて穂鳥を食堂に返した恭彦。
(つまり、牧野さんはオルストさんを殺そうと思って。でも違う人に殺された?)
いい人、のはずのオルスト。穂鳥の殺したい理由、とは友人を自殺に追いやった、というものだったが実質はその人物を振ったというだけの話だ。
(ひ、人に殺意を抱く理由なのかなそれって……)
そう思いつつも、最後の一人を呼ぶ。こちらもおかしな言動をしていたという情報がシルヴィアから上がっている人物だ。もしかしたら、彼こそが実行犯なのかもしれない。
そう思ってから、漸く自分が殺人犯と二人きりになる状況なのだと気づいた。
犯人を追いつめようと思っている自分が、犯人にどう思われているのか。今、自分がかなり危ないことをしていることをようやく理解した。
「で、最後は俺だな」
心理を前に、恭彦は蒼い顔で頷いた。
「君が事件現場の前で不審な言動をしていたことはもうわかっているんだ。はっきりしてくれ……」
前半は刑事らしい、台詞ですごんでみた。だが、青い顔ではあまり箔もつかない。加え、最後の言葉は本心からの、犯人かどうかをはっきりしてほしいという懇願だった。
言葉尻が震える恭彦に、けれど心理も動揺した。
「そ、そそんわけないだろ! 俺は、今回初めてあの人に会ったんだ。知り合いなわけ……」
「え、知り合いかなんて聞いてないよ?」
恭彦の言葉に、しまった、というような顔をして心理は口を閉じた。だが、時すでに遅い。心理が動揺していることは誰の目に見ても明らかだ。
「俺の、姉さんの……惚れてた人だ」
ここらで、恭彦は先ほど聞いた穂鳥の話を思い出した。
「姉さんはあの人の事ばかり話してて、いっつも幸せそうで……あの時も姉さんは……!!」
怒涛のように話し始めてしまった心理に、恭彦は心理のブラコンを知る。
「ということで、叶くんのお姉さんはオルストさんに会いにこの列車に乗って、天魔事件に巻き込まれ、行方が知れなくなっているんだ」
「その事件が関係するかもしれないし、調べる価値はあるわね……」
事件関係者に相談するわけにもいかず、一人考え込むにも限度がある。恭彦は友人でもあり、捜査協力者でもある一千風に事情聴取の結果を伝えていた。
警察官とはいえ、恭彦は刑事ではない。殺人事件には不慣れであるし、一千風も検死官ではないのに現在検死官の真似事をしてもらっている。両者の立場は似ていた。
はぁ、と溜息を吐いて愚痴る。
「なんて、掴みずらい人たちなんだ……」
雪夏しかり、ルーカスしかり、シルヴィアしかり。それに比べ、
「ディアナさんは気丈だな」
恋人の死に衝撃を受けて泣いていたディアナはしかし、恭彦の質問に対してキチンと言葉を返していた。
「もう、淀川さん。推理でしょう」
呆れたように言う一千風が立ちあがるのに、恭彦も倣った。
事情聴取と持ち物検査の結果、銃を持っていたのは現役軍人であるルーカスのみ。それも自衛と職務の為と言われれば納得してしまう。一応、銃弾が減っていないことは確認済みである。
その後は長く拘束することもできない、と解散。皆が食堂からは出て行ってしまった。夕食の時間も過ぎた今は二人だけだ。
「あれ、その荷物……。持つよ」
立ち上がった一千風に小さなトランクがあるのに気付いて、恭彦は手を出した。
「あ、いいのこれは! 貴重品を部屋に置いておくのも怖いから、持ってきただけで……軽いの」
荷物を持とうと、親切心で出した恭彦の言葉に慌てて拒否する一千風。
(そうだ、殺人犯がいるんだよな。窃盗ぐらいいてもおかしくない……)
「じゃぁ、部屋まで送るよ」
素直に納得して、恭彦は明日の予定について話し始めた。
「あの、少しよろしいですか?」
そんな二人に、声がかかった。アイリーンである。
「あの……実は私、大変な物を見てしまったのです」
恭彦と一千風は顔を見合わせあった。そして言葉を待つ。
「実は、あの軍人の方……」
ごくり。息を飲んだ恭彦に、俯きがちだったアイリーンが顔を上げて視線を合わせた。
「――すみません。私、特等席のお客様に呼ばれましたので、また明日」
サッと振り返り、そのまま行ってしまうアイリーンに二人は呆気にとられた顔をしてしまった。
●
二日目の朝。恭彦は再び、乗務員に緊急事態だと告げられて目が覚めた。
なんと、アイリーンが毒殺されたらしい。
「遠石さん!」
「……外傷はないし、毒殺ね」
アイリーンの倒れるすぐそばに、粉々になって潰れた白い粉があった。それを見て、一千風は判断する。
「粉々だし、何の薬かはわからないけれど錠剤だわ」
「もしかして、犯人に口封じされたとか……?」
昨夜の様子を見るに、アイリーンは事件に関する重要な情報を持っていた。そして、それを告げる前に犯人に殺されてしまった。
「これで連続殺人事件ね……」
表情の曇る一千風に恭彦は強く、衝動を覚えた。
(こんな事件、さっさと終わらせないと……!)
戸惑っているだけではだめなのだ。警察官である、自分がしっかりしなければ。
そうとなれば、やることは早い。伊達に、地味な人生を送っていないのだ。足で稼ぐという努力はずっとしてきたこと。
恭彦は列車内を凶器を探して歩いた上、従業員全員への事情聴取も終わらせた。
朝が早かったせいでの寝不足と食事をしていない空腹感はあるが、すべてが完了したのは昼過ぎだった。迅速、恙なく終了した結果。
「君、これはいったいなんなんだね」
再び、関係者全員が食堂に集められた。
発言したのは新たに参入したモッテンクリスト伯という、アイリーンが専門に担当していた個人客だ。顔に仮面をつけており、怪しさはたとえようもない。
「この列車の車掌であるオルスト氏殺害、そしてメイドのアイリーンさんの毒殺――この連続事件の犯人が、この中にいます」
当然だが、ここにいるのは事件に関係した疑いのある人たちだ。そんな中に犯人がいるのは、当然と言えば当然だ。いやしかし、恭彦は指を構えた。
「犯人は貴方だ、クラネルトさん!」
いきなりの名指しにルーカスは眉をひそめた。
「なぜ?」
「凶器である銃を持っていたからです!」
「そんなものは窓から捨てればいいだろう」
即座に切り替えされて、恭彦は言葉に詰まった。
「た、確かに……」
それどころか納得してしまった。であれば、問題は最初に戻るわけだ。
「思うのだけれど、被害者はいくらか、恋愛のいざこざを抱えていたようだからそれが原因じゃないかしら」
困った恭彦に助言する一千風。それは的を得ていたが、それだけではまだ何の確証もない上に犯人の思い当りが多すぎる。
「お、俺じゃない! 姉さんの事で怨んではいるが、それよりも昔の事件についての詳細が聞きたかったんだっ」
「私じゃないわ。殺そうと思ってはいても顔は知らなかったもの」
二名ほど、本人からの否定があったが否定すればするほど怪しいものだ。一方は殺意を暴露してさえいる。
「え、もしかしてボクが呪いで……? そんな、お菓子で死ぬとは思わなかったんだ……」
恭彦に視線を向けられた雪夏が呆然と、呟いた。
発言は若干、気になるものがあったがこちらも違うだろう。お菓子が現場で発見されていないのだ、常にお菓子を所持している雪夏には無理な話である。
けれど、もう一名からは何の否定も肯定もないのが気になった。
「ディアナさん?」
俯く顔から表情はうかがえない。
「言いがかりにしても過ぎるっ 私は帰らせてもらう」
伯は踵を返して食堂を出ようとするが、その背にシルヴィアが声をかけた。
「伯は仮面で顔を隠してらっしゃいますね。取っていただけませんか?」
「する義理はなかろう」
「あら。殺人犯が同じ車両にいるというのに随分非協力的ですね」
鈴を転がすかのように笑みを零すシルヴィア。ここまで言われれば伯もそのまま帰れない。
「警察に協力するのは国民の義務。そこの若いの、きちんとなさい」
鋭いような視線が仮面の奥からあり、恭彦は背筋を正した。
「オルストさんがこのような複数の女性とのいざこざを抱えていて、恋人であるあなたはどういった行動に出るか、誰でも推測がつきます。――嫉妬、それがあなたの動機ですねディアナさん」
「いいえ、違います」
真っ向から否定された。
しかし、ディアナの声音にも、表情にも何も浮かんではいなかった。
「あの子の為に……」
ぽつり、小さな本音が漏れる。
ディアナの近くにいた穂鳥だけがその言葉を聞いた。そして、反芻する。
「あなたも、復讐を?」
ディアナは大切な少女の、最後の笑顔を思い出した。
とある町の片隅で出会った少女。彼女の笑顔に、いつしか彼女だけが自分の生きがいになった。けれど、
「あの男は、私の――私たちの幸せを壊した」
絶望し、自害した。そんなこと、許されるはずがない。
(何年も、何年も、機会を伺って……)
殺意を持つ人が二人。職場にトラブルも抱えて。恋人のディアナに疑いがかかるはずもないと踏んでいた。
「アイリーン、行くわよ!」
皆が、ディアナの告白に耳を澄ませていた。そんな中、さっとディアナの傍に寄った伯。強い、意思の灯った眼でディアナはその名を呼んだ。
「はい、お嬢様」
すると、伯はそのコートと仮面を脱ぎ、次の瞬間には全身純白に包まれたメイドが立っていた。
「な、アイリーンさん! 生きて……」
驚愕する恭彦の前、二人は食堂の扉を抜ける。
移動する列車のどこにも、逃げる場所などないが恭彦は追いかけた。だが、
「あの子の魂、救われたかしら……」
そう、呟きディアナはアイリーンと共に列車を降りた。
●
『――終点となります。降りる方は忘れものに……』
車内放送を聞きながら恭彦は椅子から立ち上がった。
犯人二人の逃亡によって、連続殺人事件は解決された。いや、そもそも連続でさえなかった。
殺されたはずのアイリーンは毒薬を飲んだように見せかけ、その実モンテクリスト伯として生きていた。特別個室なんていうのも一人二役を務めるための仕掛けだった。
「はぁ……やっぱり、平凡が一番ってことか」
軽く、荷物を持って列車を降りる。見かけた一千風に声をかける。
「それでは淀川さん、またどこかで」
そう、告げて背を向けた一千風に違和感を覚えたが恭彦は首を傾げ、自分も自分の行き先に向かった。
「一時はどうなる事かと思ったけれど……無事に終わってよかったわ」
一千風は重い荷物を両手に、達成感に浸る。
事件が終わってよかった、ではない。取引が成立して、よかったのだ。
新薬の開発をした一千風は今回、この列車で取引相手と接触、いわゆる裏取引を行う予定だった。
殺人事件が起こるなど想定外もいい所。たまたま、警察官が知り合いであり、抜けて居る所のある友人であったため、――荷物検査をすり抜けることができた。
もし、鞄に入れてあった大量の薬が見つかって入ればどうなったか背筋の空座無垢なる思いだった。
(任務終了。次の任務に入る)
眼鏡をかけ直し、心の中を整理するレリック。
無事取引は終了し、ルーカスと一千風の売買は終了。取引が成立しない場合に差し向けられた、証拠隠滅要因であるレリックは音もなくホームに降り立った。
目の前にはルーカスがいる。気取られないよう、距離を保って尾行しなければならない。
一人旅する無邪気な少女、を装っていたレリックは実はとある組織の暗殺を専門とする構成員。――その任務は新薬がきちんと軍へ持ち帰られることの確認。
不成立であれば共に暗殺し、薬を奪う。成立したとしてもルーカスがきちんと軍に持ち替えるか備考。これは新薬が軍に流れた後に、組織へと渡るために必要な手順だ。
そうして、列車の旅はいくつかの不穏を残しつつも、終わった。
ミステリートレインはコトコト、素朴な音共に来た道を帰ってゆく。