●警戒網
「ふぅ、異状ないようだな。次に行くか」
見渡す限りの白銀を前に、石動 雷蔵(
jb1198)は無線機に異常なしと報告する。
今彼が受けているスキー場の護衛依頼は二か月もの長期間、撃退士たちによって交代で安全を確かめられている。今日が最終日であるが、現地が天魔の支配地域のために油断はできない。営業時間は朝九時から夜八時までだが、夜のスキーを楽しむ客以外は三時ごろから帰宅を開始するだろうということだった。
警備を重視して中級コース付近を見回る雷蔵はマップと照らし合わせながら移動する。
シャッ、と軽い音を立ててゲレンデに到着したスノーボーダーは顔から、ゴーグルを外した。インストラクター役としてスキー場の警備を任された撃退士、月影 夕姫(
jb1569)はそこにいた仲間に声をかけた。
「インストラクターって初級コースばかりなのね」
「考えてみれば、スキーできない人に教えるんだもの。初級コースを滑るって忘れてた……。上級コースに行きたい、他の場所も試したい……」
答えたのは碓氷 千隼(
jb2108)。出身がこの地方だったことから、スキーもスノボーも得意らしく、今回の依頼にはずいぶん張り切っていた。警備だけじゃつまらないから楽しみたい、そう言ってインストラクター役を受けたのだが、実際には自由に滑るどころではなく、客は次から次へと増えていく。
最終日だからもっと空いてるかと思ったわ、と零した千隼に淡々とした声が返した。
「私、面倒見はいい方だと思っていたけど、午後は思いっきり滑るって決めたわ」
蒼波セツナ(
ja1159)はスノボの点検が終わって体を起こした。口調や態度はそっけないが、なかなか面倒見がいいらしいセツナもインストラクター組だ。建物付近と初級コースを何度も行き来するインストラクター役の撃退士はほぼこの三人だけである。他は通常のスキー場関係者などが行っているが、そちらは修学旅行生相手や対処が難しい客など相手だ。
他に、インストラクター役の撃退士もいることにはいるが、彼女たち三人とはまた別に行動している。
「じゃ、わたしは次あっちの組だから。後で」
軽く手を振って去っていくセツナに倣って、千隼と夕姫もばらけていく。
(あ、セツナさんだ)
リフト寄りの建物前で子供たちと雪だるまを作成していた水葉さくら(
ja9860)は仲間の姿を捉えた。鮮やかに滑って降りてきたセツナに続いて、初心者らしきボーダーが何人か続いて降りてくる。他の仲間は、と見るが近くにはいない。
(初級コースなので近いはずですが……)
「おねえちゃん! はやくはやくっ」
「雪だるま、頭っ!」
子供たちにウェアを引っ張って催促を受ける。インストラクター役のさくらだが、滑ることよりも雪遊びに熱心な頃合いの子どもたちとともに行動を共にしている。普段、子供たちの世話で手いっぱいな親たちの代わりに面倒を見ているのだ。動物の親子が行進するようについて回る子どもたちにさくらは自然と笑顔になりながら雪だるまの作成に再び取り組んだ。
(これは――敵の反応っ!)
警備班として上級コースで見回りをしていた神城 朔耶(
ja5843)は感知にひっかかったそれに、即座に警戒を強めた。敵は複数。合流を待ちたい。だが、敵の動きはそれぞれに統一性があるのかないのか、左右に行ったり来たりを繰り返しながら遅い行進を続けている。
「敵を発見しました。上級と初級コースの境目付近、林です。誘導を開始します」
無線機で仲間に連絡を入れる。ハンドフリーになっているスマホを繋いであるので両手は空いたままだ。その手に、アウルで作り出した矢を番えた梓弓を持ち、引き絞った。
初級コースの警備にあたっていたアステリア・ヴェルトール(
jb3216)は連絡を受けてすぐさま踵を返す。
スキー場は建物から向かって右に長い上級コース、左の奥まった場所に中級コースがある。初級コースは中級コースより少し手前に丘のように存在していて、それぞれのコースは林で区切られている。アステリアがいたのは中級コースにほど近い初級コースだ。敵と朔耶の場所までは初級コースをほぼ横断する必要がある。
「時間がかかりそうですね……」
誰にともなく呟いた言葉は後方に過ぎ去る風と共に消えていった。
「上級コースと初級コースの境か……」
実力不足のまま上級コースに向かった者たちがそのまま降りれなくなる、という事態がスキー場では毎年発生する。その対処をするインストラクター役として上級コースをまんべんなく動き回っていた天風 静流(
ja0373)はマップを確認して、敵発見までの最短ルートを導き出す。静流のいる場所からは斜めに下っていけばいい場所だ、すぐにつきそうだと連絡をし、向かった。
●向かう先
敵を林に誘導した朔耶だったが、それが間違いだとすぐに気付いた。
敵を客から引き離し、ゲレンデの安全を図る面ではよい判断だったといえるかもしれない。だが、能力のわからない相手にするには短慮だったと後悔した。
林に紛れて追ってくる敵は四体だったはずだが、今は八体、十体、十六体と増えている。
それが何の能力なのかわからない。生命探知には四体しか反応しない。なのに、攻撃は十六体分。
(生命探知で攻撃予測をするのにも、無理がありますね……)
攻撃の瞬間だけ、生命探知に引っかかる敵。そして常にその存在を知らせる敵。相手は随分と小柄らしく、体当たりという攻撃方法による攻撃力も通常相手にする敵よりも小さい。それでも、攻撃を避けきるには数が多すぎる。梓弓を鳴らして行う破魔も威嚇にはなるようで、敵も突撃にためらいがある。だが、それでもヒールを駆ける隙はくれないようで、体はぼろぼろになっていた。
諦めが心に湧いた。けれど、
(いいえ、私はまだ、何もやっていない。負けるわけにはいかない!)
下がりかけた手を再び掲げ、敵を真正面に、背後を木に託した。これで背後からの攻撃はない。
「破魔で仲間たちが来るまで、持たせてみせますっ」
「いい心意気だな。だが、もう着いた」
静流の声が聞こえたと思った時には生命探知にかかる敵の反応が一つ、減っていた。
「すみません、遅れてしまったようで」
「す、すみませんっ」
ふわふわの耳宛に防寒をばっちり着こなしたエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)と、全身雪だらけになっているさくらの二人もやってきた。応援だ。
エリーゼは全身に掠り傷を負っている朔耶に今のうちにヒールを掛けるように促した。
もとが天使で、人間世界、それも雪山に来ることも初めてであるエリーゼはもちろん、スキーをするのも初めてだった。景色に見とれ、スキーに楽しみ、と過ごした彼女は午前中の内に上級コースまで網羅していた。そろそろ警備として一度建物付近に戻ろうかとしていたところ、敵発見の知らせを聞きやってきた。
敵は白兎の形をしたディアボロ。朔耶から連絡を受けていた四体、というのがけれど今は十体以上に見える。
「敵の能力が分身なのか幻術なのか、はっきりしませんね」
「だが、本体がいるはずだ。分身ならば敵の数が少なくなれば惑わされることもなくなる。幻術ならば対象は範囲だな」
ここに来たばかりの私たちに掛ける隙はなかったはずだ、そう静流が分析する。
敵が静流の初撃を避けられなかったのだから、その時点で敵がエリーゼたちに幻術に掛けていたはずがない。ならば範囲指定の幻術か、分身なのだろう。
「敵をすべて倒せば能力も何も関係ない、ですよね?」
おずおずながら殲滅を口にするさくらにエリーゼは頷いた。分析したところで敵の攻撃は体当たり。この人数で時間を掛ければわけない相手である。
「あれは――熊、でしょうか」
朔耶からの敵発見報告を受けたアクセル・ランパード(
jb2482)はマップを片手に飛んでいた。中級コースより林寄りの場所で上空から警備にあたっていたアクセルだが、その進行方向に敵を見つけたのは朔耶たちのいる地点よりももっと手前だった。すぐさま、連絡をする。相手は敵一体、周囲の木々は深い爪痕が残り、いくつかは倒されていた。行進は遅い。能力は外見ではわからない。だが、その大きさや攻撃力だけではない威圧感がある。
(あれに大技は使わせてはなりませんね……)
スキー場、雪山という場所は振動に弱い。戦闘が激しくなればいくらコースから外れていても、客の目にもつくようになるだろうし、雪崩の危険性もある。山の天候も荒れやすいと聞く。速攻狙いをした方がいい、と仲間が来るまでの分析をする。多少、放っておいてもまだ、大丈夫だ。それよりもしっかり、作戦を立ててから取り掛かるべきだ。
しかし、アクセルがここから離れて朔耶たちの応援に行くには危険極まりないのも事実。いくら冷静になろうとは思いつつも、焦れてくる。
「アクセル!」
斜め下から声を掛けられて見れば、同じく中級コースの見回りをしていた雷蔵がいる。空にいてくれて発見しやすかった、と述べる雷蔵に合わせて地上に降りたアクセル。無線によると夕姫と千隼は客の誘導に手間取っているようだが、セツナは早めに抜けてきたようだ。それにアステリアも朔耶たちよりこちらに近い場所にいるようだ。
「どうする?このままではゲレンデに向かうぞ」
「――あそこに誘導しましょう」
午前中の内に作成しておいた、戦闘向きの場所から一つを選び出す。
「そうだな、ここなら朔耶たちの方とも進路が重なる」
頷いて雷蔵がヒリュウを召喚した。アクセルたちが直接誘導させる要理危険は少ないという判断だ。
「行きましょう」
向かう先は、朔耶たちの交戦区域。
●幻影
「こっちは避難完了したわ」
建物内の混雑に辟易しながら客の避難誘導をする千隼に、夕姫の声がかかった。
朔耶から敵の発見を聞いた千隼はまず、受け持ちの生徒たちに雪崩の危険性を示唆して建物に帰ってきた。その間に、場内放送が流れて、夕姫とセツナに合流した。
スキー場関係者に連絡をしたのはセツナだったらしい。避難誘導には時間も人手も必要だったが、とりあえずのところそれは撃退士でなくてもいい。スノボのインストラクターは夕姫がいるから、先に敵の撃退の方に向かってもらった。途中でアクセルからも連絡があり、セツナはそちらに向かうようだった。
「こっちもこれで完了よ。急ぎましょう」
客たちには安全確認に行ってくると述べて現場に向かう。けれど、人っ子一人いないその場で、何かがいた。
「千隼」
「わかってるわ。――もう、嫌になるぐらいだけど」
睨み、精神を研ぎ澄ます。見えない、けれどそこに何かがいる。
「二体ね」
私、売店のシロップ持ってるわよ。と言ってくる夕姫に頷く。なぜそんなものを持っているのかという疑問は後回しにする。
暖かい館内で、雪の草原な景色を見ながらふわふわのかき氷を食べるというぜいたくに目を釣られたのはきっと千隼だけではないはずなのだ。
「私が目を引き付ける間に、いける?」
大丈夫と頷くのを見ると同時に千隼は動き出す。移動力、素早さなら鬼道忍軍のお手の物だ。迷彩相手に負けるわけにはいかないではないか。
「やはり、幻術か。たった四体にしてやられたな」
静流は戦闘に使った槍に付着したいろいろを雪に向けて払いながら言った。
「終わりましたね」
ほんわか笑顔で言う朔夜にエリーゼがにこにこと笑顔を返す。未だにアクセルたちは戦っているのだが、一仕事終えた後の気抜け状態である。
「あ、あの……この足跡って敵、ですかね?」
行こう、と声をかけた静流だったが、さくらの言葉に目を向けると兎型の敵の特徴的な足跡と自分たちの足跡のほか、何かの足跡があった。
「――敵がいたということか。向かう先は?」
「この周辺にはいないようですね、生命探知にはかかりません」
「建物の方向ですね」
朔耶が首を振り、エリーゼが敵の進行方向を見やった。
ディアボロは動きが遅かった。巨体と豪腕を持つも、当らなければ意味はない。だが、低い軌道で足元を狙った雷蔵のフルカサイズは武器を奪い取ろうと動く敵の腕のため、距離を置くしかない。アクセルも一撃離脱を心がけるためなかなか攻撃が通らない。そこへセツナとアステリアが合流してきた。
「セツナ、今だ!」
雷蔵の鎌による斬撃に対し、ディアボロは手で防御した。同時にアクセルが攻撃を仕掛け、ディアボロはそれにも手で防御する。両手を開いてがら空きな敵にセツナは連環なる裁きを放つ。
「行きます!」
無数の腕によって全身を拘束されたディアボロは動けない。アステリアのアルマスブレイドによる鋭い攻撃がディアボロの背に決まる。返しでもう一撃、十字の傷だ。その間にもセツナの二つ目の詠唱が終わり、クリスタルダストによる氷の錐が穿つ。
「これでもう……」
安心したアステリアの言葉は敵の憤怒に染まる瞳を見て途切れた。
「何か、大きなのが来そうです!」
警戒を告げるアクセル。ソレが行われる前に、と雷蔵が敵の懐に飛びこんだ。同時に、アステリアも踏み込む。だが、巨腕が振るわれる。
咄嗟に、一歩後退して直撃を避けた。だが、その勢いだけで飛ばされた。雪が盛大に舞ったが気にしていられない。時を争う。
(なのに立ち上がれないなんてっ)
セツナは詠唱を続けながら迷っていた。
アステリアと雷蔵は麻痺を食らったように動けずにいる。詠唱の間無防備になるセツナを守るため、アクセルも動けない。これは膠着状態より分が悪い。
敵はその場で足踏みし始める。これはまずい。動けない、防げない。セツナは拘束のための詠唱を唱えて、だが放つ隙がない。
「グァアアアア!!」
敵は急に叫びをあげて止まった。いや弾き飛ばされた。
「待たせたようだな」
「真打登場、というには遅いようですね」
もう詰めちゃってます?と疑問を口にするエリーゼ。
「いや、グッドタイミングだ」
静流の薙ぎ払いで動けず、雪に埋まる敵。そこへセツナは連環なる裁きを当てる。静流が拳を繰り出し、その拳波がディアボロの内部によく浸透したようだ。全身を痙攣させ、途絶えた。
「朔耶とさくらは?」
戦闘も終わったことだし、とセツナは静流に尋ねる。
「夕姫と千隼の方に行っている」
「ええ、とこれで完了、ですね」
さくらは実にあっさりとした敵との交戦終了に確認してしまった。
実は、小型の兎型ディアボロを倒したさくらと朔耶は足跡を辿っているうち、夕姫と千隼の交戦情報が入ってきて、その向っている先が二人のところだとわかって急いだのだが、ほぼ決着がついていた。迷彩能力を持っていた敵はけれど、甘い匂いの何かに塗れていたし、素早い動きとはいえ敵は二体だ。四人ではあっさり倒せた。
「よぉし、あっそぶぞー!!!」
アクセルたちも戦闘が終了したという知らせが入り、千隼は拳を突き上げた。