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転移場所を慌ただしく設定する人々のすぐ傍、いつでも出動できるようにと待機しつつ書類に目を落とすネイ・イスファル(
jb6321)。
「敵の数は不明なのか……」
レイ・フェリウス(
jb3036)が呟いた。その言葉に、ヴェーラ(
jb0831)も顔を上げる。
「急拵えにしては上等よ。現場の位置、一般人の数、部屋の内装があれば十分対処できるわ」
読み終わった資料をバサッと畳んでしまう。
「スライムかー……てゆかスライムかー……」
ねとねとしてそうだなー、と資料に顔を半分隠しながらげんなりした顔で言うレイラ・アスカロノフ(
ja8389)。
「これ以上の犠牲を出さない為にも……滅ぼしましょう」
東城 夜刀彦(
ja6047)が言った。普段のおっとりした雰囲気から、堅い表情へと変わってしまっている。依頼時には表情を無くし、感情を押し殺す。それは夜刀彦が故郷で学んだ教え。
「うんうん、スライムにむっちむちにされる前にこっちからババーンしてやるんだよっ!」
頑張っちゃうからね、と豪快に夜刀彦の背を叩くファラ・エルフィリア(
jb3154)。戦闘時には暗くなりがちな夜刀彦への彼女なりの気遣いだ。
「……げ。土砂降りじゃねぇか。雨具いるなこりゃ」
卜占で出た結果にラウール・ペンドルミン(
jb3166)。その言葉に反応したのはレーヴェ(
jb4709)だ。
「あ、このスライムって水で膨張するんじゃないか。外へは出せないね」
スライムという代表的な天魔だが、書類の最後に追記として特殊能力が加えられていた。
戦場は室内だね、というレーヴェ。
「まだ部屋には逃げ切れていない人たちがいるみたいね。天魔を部屋から出さないとしても彼らを助け出さないと」
遠石 一千風(
jb3845)は資料に載る状況に眉をしかめながら言った。
これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。室内の人物たちを救出するのは当然として、出入りできるのはベランダと玄関。そして、人物の立ち位置はベランダに接するリビングと、廊下に接する子供部屋。スライムは廊下にいる。
ほぼ中央にいるスライムに、まずは退いてもらうとしてもどうやって救出するか。
「穏やかじゃないなあ。殺人事件から天魔事件へ、ね」
本の中だけにしてほしいよ、と言ってRelic(
jb2526)は溜息を吐いた。そして、その直後には既に作戦を考えている。
「救出対象が二手に分かれてることもあるし、玄関とベランダのそれぞれに近い方から救出を行おう。ベランダはもちろん、飛べる能力がなきゃいけないけど」
「敵の数は生命探知で調べるつもりですが、敵の数が多い場合や散らばっている場合は棟ないしアパート全体での避難となるでしょうね」
「僕は初任務ですから、でしゃばらずに避難誘導に従事します。もちろん、天魔がいれば戦うことになるでしょうが、今まで普通の少年だった僕でどこまでやれるか」
早見 慎吾(
jb1186)の言葉に、柚島栄斗(
jb6565)が挙手する。対応として班を区切るならば、402号室にはベランダ突入班、玄関突入班にわかれ、更にスライム対応と救助対応に分かれるということだ。
「これが初任務……普通の少年の僕が随分と遠くへ来たものです」
転移の間際、感慨深げに呟いて栄斗は目を瞑った。
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瞑っていた眼を開き、同時に走り出す。
ディメンションサークルの移動先は現場から然程離れてはいないようだった。だが、現場の状況は一刻をも争う。たとえ、撃退士が現場に一人いるとしても背後に守るべき人は数人。敵の数も然ることながら、護りながら戦うというのは存外難しいことだ。
撃退士の身体能力をフルに使い、全力で当該アパートまで走る。
「部屋の中の余剰生命数は3つ! 寝室に気をつけて!」
慎吾は目視したアパートに即座に生命探知を掛ける。
資料通りならば現在室内にいるのは撃退士一名と警察含む一般人が九名。つまり、室内人数は十名だ。それ以外はすべて天魔であるという計算結果を即座に導き出す。
それを聞いたファラが翼を広げ、空に舞い上がった。レイが続き、事前に決めていたベランダ班が窓をたたき割って室内に侵入する。
「呼ばれて飛び出てばばばばーん!悪魔宅急便只今さんじょー!」
と同時、慎吾たち玄関班は階段を駆けて四階へ向かう。避難誘導に向かうネイたちは一階で分かれた。
避難誘導の声が階下から聞こえるのを背に、慎吾は402号室の前に辿り着く。
スライムに切りかかる撃退士がいた。夜刀彦と見知らぬ撃退士。
「スライムを抑えるのが、私の務め……っ!」
彼等に続いて一千風も機械剣を掲げ斬りかかる。プヨプヨとした体は刃をものともせず、沈み込むだけ沈んでおいて切り裂くことはできない。
一度刃を退き、再度と続けるがそれも無意味になる。
だが、行為だけは無価値ではない。その間に、一千風の後ろで一般人の避難が始まる。
距離を取ってダメージに専念するのは、避難が終わってからだ。一千風は再三、スライムへと斬りかかった。
「気を逸らしている間に、早く!」
子ども部屋とは反対側の部屋に押し込もうとする三人の背後、ヴェーラは鋭く叫ぶと彼等の退路を守る。
一般人三人が団子のようになりながらも玄関にいる慎吾を通りすぎ、ヴェーラは彼等がレリックに保護されるのを確認した。
しかし、見てしまった光景が眼から離れない。チラリと視界に入った、水に濡れる子供部屋――資料に読んでいたが、現場を見ると嫌でも情景が脳裏に浮かんでしまう。
いつものように眠っていた子供。急に息苦しくなって目が覚めて、水の中。
その状況に驚き、口を開けば最後の空気が抜けてゆく。水から抜けようと首を振り、空気を求めて首を掻く。
うつ伏せになったかもしれない。蒲団で水分を抜かそうとしたかもしれない。けれど、どうすることでも水から顔を出すことはできない。
気力も意識も失われて、ただ苦しさだけを感じる――。
「水死って苦しいのよ。お前も同じ苦しみを味わうがいいわ……」
足を肩幅に開き、スライムに対峙する。
「楽に死ねるとは思わないことね」
撃退士から見ればとんでもなく弱小な天魔だ。しかし、それでも天魔の一端、一般人には叶うことのない相手。だからこそ、撃退士が仇を討ってあげなければいけない。
明確な殺意の視線を向け、ヴェーラは全身から立ち上るアウルを弾丸に形成する。
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一方、窓から飛び込んだベランダ班。
夜刀彦が真っ直ぐ、スライムに向かって走ると同時、残りはリビングで怯えていた人たち六人を見つける。立ち竦み、動けない人もいる中、レイは両腕に一人ずつ抱え込む。他のメンバーもそれぞれに抱え、ベランダから再び地上へと降りてゆく。
「緊急離脱します。地上に降ろしますのでしっかりしがみついていてください」
レイの言葉に、表情を硬くさせながらもぶんぶんと大きく頷いてしがみついてくる女性と青い顔のまま大人しくする警察官に、笑顔を見せながら飛翔する。
重力に反する感覚に、抱えた人物は小さく悲鳴を上げたがしがみつく力はより一層力強くなった。
翼を持つのが当たり前であるレイには無縁な、空への恐怖。だが、その心を汲み取って、地面に接する前にふわっと優しく高度を落とす。
外は雨で、すぐさま濡れそぼる。地上についてもしがみついたまま固まってしまった女性――隣人だろうに、そっとレインコートを掛ける。
「レリックさんが他住民の避難をしてくれますから、手伝っていただけませんか」
そう、もう一方の席札間に声を掛ければその人物は青い顔のまま敬礼のような格好でわかりましたと返事をした。過ぎ去った恐怖より、職務に準じるというところだろう。
「風邪ひかないでね」
そう声をかけると隣人が手を放し、レイは402号室へと舞い戻る。
「久遠ヶ原所属です。みんなを守るために力を貸して下さい」
レリックの呼びかけが救出された九人にむけられた。
「今仲間がこの建物から避難するように呼びかけています。警察が一緒なら安心できるはずだ」
「わかった。だが、私たちも天魔との遭遇は初めてだ。適宜指示がほしい」
ミサキが言って頷くのにレリックは準備していた拡声器を渡した。
「混乱を避けるためにガス漏れってことにして下さい。ここに警察の人がいるってことは住民の人達も知ってると思うから、偶然居合わせたってことで」
あくまでも笑顔で明るく、不安にさせないようにレリックは笑みを見せる。
「僕が護衛につきますので、警察は誘導をお願いします」
初任務であるというのに、栄斗のその言葉には過度な緊張感がない。しっかりと安定して見える。ミサキたちも栄斗が依頼初心者だとは思わず、頼りにしていると応じた。
「さて、僕の平凡を始めましょうか……」
栄斗にとってはこれから、平凡が始まる。これが、天魔との戦いが平凡になる。栄斗が一般人から撃退士になったように、日常は非日常に、非日常は日常へと逆転する。
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「何かおかしい……?」
ステップで敵の攻撃を交した一千風。そのまま再び攻撃へ移るが、呟きを聞いたがヴェーラは目の前のスライムを具に確認した。先ほどと違う場所、違和感――そして異変に気付く。
「皆、離れて!」
攻撃を躱せずにただ受けるだけと見えたスライム。けれど、違う。それはその場に留まって胎動していた。
「およ? 状況はどんな感じ、ってか大きくなってない?」
一般人を部屋から退避させたファラがベランダから再び見た光景に、緊張感の欠片もなく素直に感想を言う。
一千風は息を飲んだ。鋭い眼差しをそのままに、ヴェーラはスライムを見据える。スライムはぶるぶると震えながら徐々に大きさを増していた。
「膨張するの? 合体するの? 分裂するの?」
どのみち逃がしはしないけれど。そう、言って次の行動の準備に入る。何も恐れることはない、行動を起こす前に潰すのみだ。
「一滴すら、残してやらないんだから……っ!」
歯を食い締め、アウルの弾丸を投げつけると即座に次の動作に移る。ヴェーラの攻撃を躱した隙を狙い、深い闇がスライムを取り囲んだ。
これでもう、スライムはこちらを攻撃できない。
「一気に攻めるわよ!」
「らじゃっ! むっちむちは萎ませてやるんだよー!」
鋭く合図するヴェーラに炎球を出現させたファラが元気良く応じた。
「東城さん先ほどはありがとうございました。状況はどうなってますか?」
聞けば、先ほどのスライムはすぐに倒せたらしい。この部屋の住人を殺害した天魔が、けれど撃退士の前ではあっけなく倒れる。その理不尽でどうしようもない理にレイは歯噛みした。
周囲に目をやればすぐに見える場所にそれはあった。
「惨いことするものだね……」
リビングにて未だ寝かされたままの遺体。本来ならば警察の現場検証が終わればすぐにでも冷暗所へと運ばれ、遺族が対面する。その後は火葬やら何やらいろいろな作業があるだろうが、決してこんな場所でいつまでも寝かされたままでいいはずがない。
「レイ、他の部屋に行きましょう」
慎吾が402号室を出よう、と言うのに名残を感じながらもレイは部屋を出て行った。
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「そうか、この人たちも普通の人たち……」
ミサキたちの指示に従って不安そうな顔をしながらもついてゆく住民に、栄斗は呟いた。
(僕も、この間まではそっち側だったんですね)
彼らの不安がまるで自分の事のように思えて、栄斗は表情を曇らせた。
スライムが現在出現しているのはA棟だが、他の棟にもいないという保証はない。アパート全員を避難させることができればいいのだが、その余裕があるかどうか。
「大丈夫です、落ち着いて行動してください」
そんなことを思いながら栄斗は拡声器を手に、列を外れがちな人々に注意をしてゆく。
そんな列を402号室以外の場所のスライム駆除に向かっていたレーヴェは遠く、見た。だが、彼女が見たのは一般人たちだけではない。彼等に向かって突き進もうとする、半透明な固まり。
「させないよっ!」
発見したスライムに、レーヴェは射線上へと割り込んだ。そこで天魔の出現に気付いたらしきラウールがスライムに攻撃を掛ける。
「ぶよぶよしやがっててめェ! 燃えちまいな!」
先の402号室での戦闘の経過を連絡で知っていたラウールは物理攻撃ではなく、魔法攻撃でスライムを燃焼させることにした。出現した炎球がスライムに吸い込まれるように打ち込まれ、その体液を蒸発させてゆく。
「うわ、まじでガスぽいな」
水蒸気がもわっと周囲に広がるのを感じてラウールは呟いたが、住民にはガス漏れという理由を話しているのでちょうどいいだろう。これが煙幕となって先ほどの戦闘を忘れてしまっているといいのだが。
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小さく弱いスライムの一体を前に、レイは見下ろした。
「終わるといい……おまえ達に渡せる命は無いよ」
何一つ、なかったんだ。
心に残した、声に出さない言葉はレイの後悔。
何をすることもできなかった。どうにも防ぐことはできなかった。けれど、失われるべき命なんて一つもない。護れなかった命のため、できることはただ一つ……敵を倒すことのみだ。
「……これで最後、ですね。潜んでいる敵もいないようです」
探知に引っかかるものがいなくなって、ようやく慎吾は溜息を吐いた。
避難終了の報はすでに入っている。棟全体を調べたが、これでこの場にいる撃退士以外の生命反応はなくなった。他の棟にも出向いてみたが、そちらで異変が起こっている様子はなく、スライムらしきものも見当たらない。
後はスライムが一体何処から出現したのかの調査と、避難住民への説明が待っているのみだ。