●氷像の景色
「これが天魔の力か……異様な光景だな」
銅月 零瞑(
ja7779)は周囲を見渡して言った。
夏へと移り変わろうという季節、降り注ぐ陽光にちらりとも溶ける様子無く光を反射させている氷像――いや、氷漬けにされた本物の人間たち。
ある者は友人同士で笑いあい、ある者は親子で手を繋ぎ、ある者は待ち合わせ相手を見つけて手を振っている。そんなごく当たり前の日常が切り取られ、停止していた。
人が氷に封じ込められている。それは地面を伝い、円状に氷結空間を広げていた。
氷結空間はある一定の距離に達すると途絶え、そこでは再び初夏の景色が広がっている。現在は立ち入り禁止となっているため、人通りはない。
だが、事件発生直後にはまだ人通りはあった。能力の範囲を一歩外に出ていた人たちは無事であったので、目の前で人が氷像へと変わる光景を見て即座に異常事態と判明、通報が入った。
「うーん、お湯を掛けてみたら溶けないかしら?」
氷を解かせば問題なくないか、とフローラ・シュトリエ(
jb1440)は首を傾げてみせる。それに対し、淀川 恭彦(
jb5207)は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと! それで溶けてなくなったりしたらヤバいって、専門家待とうよ! 万一欠けたりしたら……!!」
「敵の能力ということはただのお湯じゃ溶けないんじゃないか?」
天魔の能力を阻害できるのはアウルだけだ、といって日下部 司(
jb5638)は消極的意見を取り除いた。問題は、と続けた言葉に黒百合(
ja0422)が被せた。
「タイムリミット――よねェ」
礼野 智美(
ja3600)は時計を見やる。彼らがここへ来てから裕に三分。事件発生から久遠ヶ原へ依頼が出されたのはいつになく早く、緊急で集められた故に総時間でもまだ二十分と経たないだろう。
「普通の氷ならばこの状況下で生きていられる可能性は限りなく低い」
そこの部分だけは相手の能力に感謝だな、と智美が苦み走った表情ながら口にする。
自然発生の氷にて氷漬けにされたならば当然、症状としては低体温症、低温火傷、霜焼け、凍傷、脳の機能停止に加え心拍機能の低下も考えられる。
そしてその場合の制限時間は限りなく短い。それを鑑みれば、完全なる氷ではなく天魔の能力による作用だというのはマシだ。とはいえ、敵の能力下――つまり影響下にあるということは今もなお、氷漬けの人々は体力を削られ、精神を吸収されている。
「なるほど……。活用してみるものですね……」
Viena・S・Tola(
jb2720)が呟いたのに気付き、司はわかったのかと尋ねた。
ヴィエナはスマホから視線を上げ、北を指さした。
「被害状況……この場所の他に二か所、氷像が作られたようです……。そして、敵が向かう先は……」
「北を目指して、大通りの餌場を探してる――か。寒いのがよほどお好きなようだ」
司が言葉を引き継ぎ、送られた地図データへと視線を走らせる。
「お、ここなんていいんじゃない? 回り道できそうじゃん」
恭彦がそう言って示す場所。その場所と現在地までの間に、敵の被害を受けそうな場所がいくつか点在している。
「どうするつもりだ?」
まさか見殺しにするのか、そう問いかける零瞑に智美はふと、思い出した。以前、依頼にて手痛い失敗をしたことがあったと。
依頼は遂行できた。だが、要救助者を助けることができなかった。
(もう、死なせない……)
戦いの最中、要救助者の存在は知っていた。だが、命は失われた。取り戻すことのできない失敗だ。――だからこそ、智美は首を振った。
「確実に、護れる所から守る。詳細は移動しながら話そう」
追いつけなくなる前に、とまでは言葉にしなかった。
徒に被害者を増やそうというのではない。要救助者を助けるには何が一番か。見失ってはいけない。敵を倒すことでも、目の前の正義に駆られるのではなく、本質を見極める必要がある。
被害者を最小限に留めることを考えるより、被害者を生み出さないようにすることこそが一番。何が何でも捕まえて、倒し、能力を解かせる。
「たとえ俺がどれだけ傷つこうとも、守るつもりだよ……」
乱立する氷像を見つめ、呟いた智美に目をやり零瞑は移動を始めた。
●ルート
「警察に連絡は取れたか?」
司が智美に尋ねたのに頷く。
敵の予測ルートが判明した時点で警察には協力を要請している。これで敵ルート状の大通りのいくつかは被害に合う以前に道は封鎖され、交通が途絶えているはずだ。
ただし、敵の移動速度から考えれば既に他の大通りでも氷像被害が出ているはずだ。
「敵を逃せば今氷像となっている人はすべて全滅、これから被害に合うだろう人もいる。けれど、敵を倒せば被害を受けた人は能力が解かれるし、これからの被害もない――ということですね……」
(氷像の中で意識があったのか、またそうならば何を考えていたのか……)
人間を研究対象としているヴィエナ。今回の敵の能力における状況下での人の精神状態には興味がある。しかし、
「是非とも聞きたいところですが……、先に倒さなければなりませんね……」
気配からして、敵はサーバント。ということはその能力志向は精神吸収の方面に傾いている。このまま長時間、能力影響を受け続ければ氷像被害者たちが何を考えていたのか、それすらわからなくなる。それはヴィエナにとってとても大きな損失だ。
死んでしまってはどうもできない。だから、早急に救い出さなければならないだろう。
「まぁ、追いつくのが最重要でしょうねぇ。襲われるだろう場所はわかっていても、いちいちその場所に行っていたら切がないし、敵の後追いになるだけ。時間を潰して逃がしましたでは最悪だものぉ」
やっぱり回り込むのが常套よねぇ、と黒百合も賛同を示す。そもそも、敵ルートを迂回しつつ回り込みの場所まで移動中だ。
「でもそれだけじゃ弱いわよねェ…?」
「弱いって?」
フローラが首を傾げた黒百合に問う。
「人が少ないから、ってルートを変える可能性もあるでしょォ…? 上手く誘導できればいいわよねェ」
開戦予定地に敵が来るかどうか、それは賭けだ。回り込んで、敵が来なければ意味がない。そんな不確定により確実性を増やせないかと思案する。
「誘導かぁ、挑発したら案外食いつくかもよ? 獣型だっていうしさぁー」
恭彦がどうよ、と言うのにフローラは目を瞬かせた。
「ったく、なんで俺が囮に……いや、誘導作戦はわかるよ? でもさ、悪魔だけど撃退士としては新米なんだよ、つまり……」
恭彦は翼を広げて空に身を投げながらぶつくさ言う。
実はその目の前にはすでに敵サーバントがいる。犬の様な見た目だが、向かって右に白い仮面がついている。それは今、遠距離から攻撃を受けていた。
嫌がらせのようなタイミングで次々と撃ち込まれる雷撃。身を隠した黒百合の攻撃が恭彦の背後から正確に敵へと撃ち込まれる。
連続する挑発への敵意。それは当然のごとく、目の前の獲物――恭彦へと注がれた。
冷や汗を流す。
大人しくついてこい、なんていうのが通用する相手ではなかった。敵の鋭くゴツイ爪がきらりんと光り、空を切る。
「――だああああ!! 攻撃してくんなよぉ!!」
飛んできた爪の攻撃をしゃがんで避けながら恭彦は移動を開始する。
恭彦を獲物に定めた敵は怒りの形相で追いかけ、隙あらばと爪を飛ばして攻撃してくる。それを上へ下へ、と翼を利用しながら避け――
「ってあぶねぇ! ……掠る、マジ掠るからぁ!」
氷像が欠ける、と言って周囲の氷像に攻撃が当たらないように注意しながら進路を定める。敵が喰いついてきたのは予定通りだが、接近戦しかできないものと油断していた。
「ぎゃああああ!!」
そんなこんな予定外のことがありつつも恭彦は角を曲がる。
「おつかれ、後は任せなさい」
敵の攻撃に背を押されるように飛び込んできた恭彦に交代、とフローラは敵に対峙した。
「これ以上あちこちを凍らせはしないわよ」
●氷の能力
敵が爪で地を引っ掻くとフローラに向かい、猛烈な勢いで冷気が飛んだ。しかし、
「サーバントの氷に、こちらの氷がそう簡単に負けるわけには、ねっ!」
フローラは氷の砂塵を舞い上がらせると手を振りかぶって冷気にぶつける。
空中で激突した両者の攻撃は巨大な氷塊と化して地面へ転がった。
「――互角、ね。次はもっと強いの、行くわよ!」
フローラの足元から、氷で造作した蛇が立ち上がり素早い動きで敵へと突き向かう。
「グォオオオオオ!!!」
強烈な咆哮が響き渡った。ビリビリと体中に染みわたり、蛇もその衝撃に砕け散る。
(くっ、動けない)
次にはもう一度氷結が来ると、行動パターンからわかっていたが敵の方向にはスタン効果があるようだ。身動きできないフローラに、氷風が迫る。
「絶対にやらせない!」
盾を緊急活性化させた司が間に割入った。
「――っ!!」
凍てついた盾を手放し、素早く身構える司。武器をモルゲンレーテへと変え直す。が、
「ありがとうね」
作りだされた蛇に敵が距離を取った。敵の攻撃後、動けるようになったフローラが再び前に出る。
司は地面に転がる盾を見つめた。モルゲンレーテは近接武器。対して、相手は動きを止めてから確実に狙ってくる戦法に、遠距離もこなす。
(護る事に、集中しよう)
防御もなく前に出られるほど戦闘は甘くない。氷像が欠けてしまわないように、一般人が巻き込まれないように、それに集中しよう。
「すまない、遅れた」
敵の攻撃の範疇となる場所に人影がいないか、封鎖し忘れたところがないかと確認に行っていた智美。フローラと言葉を交わす間に、零瞑が前に出た。敵を正眼に漆黒の大鎌を構える。
「強者といえども、いずれ衰え滅ぶもの」
淀みのない、曲線的な美しい動きで鎌をスライドさせる零瞑。敵はそれを後退してダメージを軽減させる。だが、その先には縮地で距離を詰めた智美がいた。槍を振るう。
「終わり……っ!?」
全身に金縛りを受けたように智美の体は止まった。そして一瞬後、攻撃の勢いのままに槍が振るわれ、凍てつく地面に突き刺さった。既に敵は移動をしている。
低い姿勢で咆哮を放とうと、智美の背後へと回り込んだ敵。しかし、どこからともなく銃弾が撃ち込まれた。
「私を忘れちゃァ……駄目よ?」
黒百合は照準から視線を上げ、呟いた。
敵を誘き寄せるため、射程ギリギリの位置で挑発を行っていた黒百合だが戦闘が始まるとともにビルの屋上へと再び移動していた。
「あはァ、綺麗な御花を咲かせてあげるわァ……真っ赤な真っ赤な紅い華をねェ……♪」
ニヤリ、と残酷な面差しを覗かせながら黒百合は膝を立て、下方へと銃を向ける。
黒百合の銃撃によるサポートを受けながら、零瞑は鎌を振るう。
(先ほどの瞬間……何かがおかしかった)
智美が攻撃を当てに行った時、動きが一瞬止まった。敵の持つ隠された能力なのだろう。顔面部に張り付いた片側だけの仮面に何らかの仕掛けがある可能性は高い。
そう考えて仮面をこそげ落とすように、集中的に鎌を動かしていく。だが、手ごたえのあった瞬間、零瞑は見た。
白い仮面の奥で瞑られていた眼が、開き紅くギラギラと光彩を放つのを。
その瞬間、零瞑の体は動かなくなっていた。
敵が極近距離にいるのに動けない、そんな零瞑の絶望的状況だが、ここにいるのは零瞑だけではない。
零瞑の唯一自由が効く視界に、炎の模様が映ると敵は速やかに距離を開けていた。そんな敵をヴィエナが空を滑空して追う。
「――大丈夫か?」
槍がざくり、と零瞑の足元に突き立てられた。足元から凍らされはじめていたらしい。
「敵の眼……あれは危険だ。動きが止まる」
足元の氷を砕く智美に、零瞑は呟きをもらした。
●
フローラが目つぶしのように氷塵を巻き起こすと同時、ヴィエナは敵の頭上へと飛んだ。
「わたくしの研究対象に……手を出さずにいればよろしかったものを……」
そう、表情もなくヴィエナは告げ、手を振り下ろした。
その手に飾られた美しいデザインの指輪がシャラリと音を立てると、その動作に従い光球が流星の勢いで流れ落ちる。
「グガァアアアッ!」
咆哮し、光球を押し返そうとする敵。だが、智美にとってはその隙だけで十分だった。
縮地で一瞬にして敵の背後に距離を詰めると、目にもとまらぬ速さで槍を振りかぶる。
「ギャゥ!」
勢いに吹き飛ばされた敵だが、地面を引っ掻いて止まる。そこに、零瞑がいた。炎を帯びた槌が近距離から攻撃を浴びせた。
「もしもここが雪の積もる森であったのなら……貴方様はより美しく見えたのでしょう……」
倒れ伏した獣に呟き、ヴィエナは背を向けた。
初夏の気候が暑いくらいに戻ってくる。
氷に閉じ込められた人々は多少の衰弱があるものの、問題はなさそうだった。念のために検査を、と病院へと搬送されてゆく。
「まぁ終わってみれば結構良かったんじゃなーい? ってことで早く帰ろうよ、今度は暑くなってきたし……」
軽く言い、帰る気満々の恭彦。
「いや、まだ要救助者の安全の確認と戦闘における被害確認、現場検証と依頼達成報告の作成、騒音被害の謝罪に……」
まだやることはたくさんある、と言い募る智美に零瞑が頷く。
「だああああああ、めんどくせーっ!!」