●そもそも
玄関口。そこは既に人もまばらで、放課後独特の静かさと遠くから聞こえる喧騒がまじりあった空間であった。
そこに、七人の人物が佇んでいる。
六人を雇った依頼者、狭間るり子がその場からの移動を快諾しないためだ。
「わかってる。わかってるのよ、ここでこんなことをしていても、何の解決にもならないことは――」
「ならば……」
「でもね!」
至って丁寧に対応しようとした仁良井 叶伊(
ja0618)を遮って、るり子は続ける。
「でも、それでも心の準備が……っ」
顔を覆ってしゃがみこむるり子。泣いている顔を見られたくない、というように顔を左右に振る。
その肩に手を置いて、宥めるように相槌を打つソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)。しかし、だ。それが最初の一回だけならば素直に慰めに奔るところだが、既に何十分同じことを繰り返するり子。感情を高ぶらせ、粘っている姿にそろそろ、シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)の笑みも張り付いたものとなってきてしまうのは当然だった。
「……ううん。覚悟を、決める時よね――」
「ならば背を押して差し上げますわ」
シェリアの言葉にるり子が顔を上げた時だった。
ひぅ、と変な声が口から出る。しゃがみこんでいたところをガッチリ固められた。
先ほどまでノンアルコールビールを片手に笑顔を浮かべていた雀原 麦子(
ja1553)が背後から回した腕でるり子の両肩を抑え、逃がさないようにしている。
さぁ、お口をお開けになって? と首を傾げるシェリア。麦子とのナイスタッグだ。その手にスタンバっているのは梅干し。どこから出したのか器用に、お箸で摘んでいる。
るり子は笑顔のシェリアに首を振る。
「好き嫌いはいけませんわ。これも全て貴女のためなのです。さあ、さあ!」
(うわー、やっちゃった)
その様子を見ていた牧之瀬 セラ(
jb5250)は片手で顔を覆った。るり子は口に目いっぱい詰め込まれた梅干しに涙目になっている。依頼人にそんなことをしていいのか、と思いつつも下手に手は出さない。藪をつついてなんとやらというからだ。
「ともかく、バスに乗ってみましょう」
そうしなければ何も始まらない、と叶伊がバスに乗り込む。並木道の傍までは三駅程度、時間にして十分かそこらだ。
依頼人が自称するに、バス・自動車・電車と一般的な交通手段から、船や飛行機に至るまで乗り物酔いを起こすというからその程度の酷さが伺える。
酔いを起こすまでの時間はその時々によって変わるそうだが、短ければ五分でギブアップ状態になるらしい。
ここまでひどいといろいろと乗り物酔い以外の、病気のようなものまでも考えられるのだが、遺伝的なものらしく、家族が程度の差はあるものの乗り物酔いをする体質らしい。
忍軍というジョブに対して乗り物酔い体質と言うのはかなり致命的なことであるし、治してあげたいとは思うが酷いようならば改善どうこうよりもきちんと病院――耳鼻科・脳神経外科の診察を受けたほうがいいと思われる。
シェリアの助言に従ってバスの前方、運転席のすぐ後ろへと据わったるり子。そのすぐ横に、神棟 星嵐(
ja1019)が立つ。人と話していた方が気は紛れますよ、と言って話題を投げる。
そんな二人をシェリアたちは黙って、見守る。他にも何かした方がいいのだろうが、バスの中にいるのはシェリア達だけじゃない、少ないとはいえ通常の乗客もいるため派手なことはできない。
星嵐とるり子は互いに言葉を交わしていたようだが、徐々にるり子は言葉少なになっていく。
「大丈夫?」
ほら、と言ってソフィアは俯くるり子に後ろの席からエチケット袋を渡す。その時上げられたるり子の顔は蒼白い。
「挟間さん――」
降りますか、と聞こうとした星嵐を前にるり子が行動を起こした。ブザー、停車ボタンを弾く。
次、止まります――
流れる放送を聞かないまま、るり子は取っ手を掴むとフラりと体を動かす。
●とりあえずやってみましょう
「大丈夫?」
バスから降りると同時、地面にしゃがみ込んだるり子に麦子が心配げに尋ねる。
目の前がチカチカする、と呟くように言ったるり子にソフィアが薬を渡す。乗り物酔いになってからでも効く薬だ。次いで、ツボも押す。
と、るり子は若干元気になったようで「うぐぅう!」と乙女らしからぬ呻き声を上げる。
「狭間さんの気持ちはよくわかります!自分の場合は酔いそうだな〜って思ったら寝てしまうんだけど……」
セラも乗り物で酔ったりするのでるり子の気持ちはよくわかる。とりあえず、訓練場所である並木道の一本手前で降りてしまったので、ゆっくりとだが歩いて向かうことにする。
「あたしは酔ったりする方じゃないけど、大変そうだね……」
ふら付きながら歩くるり子の手を引きながら、ソフィアが困った顔をして言う。
「大変でも、一生付き合っていかなきゃならないのが体質ってもんだもの」
負けてなんかいられない、と青い顔のまま前を睨みつけるようにして言うるり子。
「そういう前向きなの私は好きよ〜♪」
ビールを片手に麦子が微笑む。
「しかし、これでは前途多難ですね」
叶伊は一歩進むのにも足を震わせているるり子を見ながら一言もらした。
「まず必要なのは体力ですね」
何事も体が資本、といって叶伊が特別メニューを組むのを、るり子はあっさりと了承した。
体質改善策を自ら望んでいるのであるから受けるのも当然――といえるレベルをはるかに超える地獄レッスンだ。準備運動にストレッチを一通りやった後、並木道のランニング。体が温まったところで腕立て(片腕・指)・腹筋・背筋と続けていく二人。と、それを眺める五人。
るり子は初めは蒼白い顔で体を伸ばし、前屈などしていたがランニングに至るとフラフラも抜けたのか徐々にその体にキレが生まれていく。
叶伊が日常行っている修行と同じものだというそのメニューを片腕と指でやる腕立て以外はスマートにこなしていくるり子。
「一時間も経ってませんね……」
星嵐が時計から視線を外して言った。
「はえー。まだ一時間も経ってないのにあのメニューを消化したのか」
前向きってすごいな、と感心するセラにシェリアは微妙そうな表情を浮かべた。
「あれは前向きと言うよりも訓練バカという感じではなくて?」
「どっちにしても酔いの効果が短くなった、というのは本当だよね」
何かが効果あったんだと思うよ、とソフィアが言う。
るり子からの自己申告では乗り物酔いの症状は数時間の継続がある、など聞いていたが現在のるり子は既に好調のようで、叶伊と組手をしている。
「下手なテッポも数撃ちゃ当たるってことでいろいろ試してみましょうか」
では最後に呼吸法を、と言っている叶伊とるり子に向かって大きく手を振る、麦子。その手にしっかりと握られているのは空のビール缶。
●リトライ
「要は自分で動けばいいと思うの。運転とか、……ローラーブレイドとか!」
そう言ってバイクにまたがる麦子。いつの間にかるり子に履かせられた、ローラーブレイド。二人を繋ぐのはバイクの後部に繋がれたロープ。
ドゥルン、ドゥルン、ドゥルン!
「え、い、ちょ……待っ――」
唸りを上げるエンジンにるり子がロープを握ったまま顔を引きつらせる。首を周囲へと巡らせてみるも、ソフィアが手を振ってくる。シェリアも笑みを浮かべて見送り、セラは視線を合わせない。頼りなのは――とるり子が見た叶伊と星嵐はこの後の訓練について案を詰めている。つまり、助けはない。
「苦手意識もあると思うのよね〜。もっと乗物自体を好きになれば気分も変わるかも」
そう言ってハンドルを握る麦子。BGMとしてハードロックな曲が流れる。――その一瞬後、るり子は風となった。
「い、いやぁああああああああ!!!!」
「バイクっていうのも楽しいものでしょ〜♪」
ビール缶を再び装着して陽気に言う麦子。その言葉にるり子がエチケット袋から顔を上げた。
「いいえ全く! それになんだか途中で変な金属音とブレが発生したし……」
「えー? なんでもないなんでもない。そんなことなかったわよ? あ、なんて思ってないから」
私は空き缶を道端に捨てたりしないわ、とやけに真剣に主張する麦子。その方が却って怪しく見えるのはなぜだろう。
「あ、いっそ酔拳でも習ってみる? 欠点を武器にするくらい前向きに生きましょ〜♪」
足元がふらつくるり子に冗談半分で提案し、麦子はまたもや缶を傾けた。
「問題は酔ってても戦えるような状態になることだから……敵の苦劇はある程度対処できるようになってもらわないとだよね」
そう言ってソフィアが用意したのはテニスの軟球。
「模擬戦闘というわけですね」
実際の戦闘を想定して、ソフィアと麦子、星嵐とるり子の二チームに分かれる。シルバリーと防壁陣を使って前線を支える役になった星嵐の後ろで、足元を狙って飛んでくるテニスボールを避けるるり子。たまに、麦子の竹刀が向かってくる。
そんなわけで、軽く模擬戦闘をする――のだが、当然今のるり子は乗り物酔い状態。まともに動けるわけもなく、テニスボールが地面に跳ね返ってはるり子へと体当たり――額へと赤丸の痕を作り出すのだった。
●そろそろ本気
「さて、お次はやっぱりバスですわね」
バスを前に足を踏ん張り、入車を拒否するるり子にシェリアが言った。
「るり子さん、少し後ろをお向きになってくださる?」
また何か変なことをするんじゃないでしょうね、とジト目するるり子に笑みを浮かべて、素早く吸譚エッジを発動。
「ぐっは!」
「ふふ、頑張ってくださいね〜」
気絶し、力の抜けたるり子の体を他へ預け、見送りに徹するシェリア。ソフィアも見送りらしい。
「寝ちゃえばそうそう酔わなくなるだろうからね」
またもやしゃがみこんでしまったるり子。寝ている時はよかったのだ。ただ、乗車中に起きてしまったのが運のつき、すぐさま顔を蒼白くさせて帰って来たのだ。
ソフィアに先ほどとは違う場所へツボ押しをされている姿を見て、なんだか……
「なんだか、だんだん狭間さんが不憫に思えてきた……」
あれやこれややりすぎて逆ギレして襲って来なきゃいいけど、とビクビクしながら同情するセラ。不意に、るり子と目が合った。
「……ごめん!?」
なぜか反射的に謝るセラに、るり子がゆらりと近寄ってくる。その手にあるのは苦無――
「え!? いや、遊んでないって! マジで真剣に狭間さんの為を思って……」
必死に首を振るセラ。けれど、救いの手は伸びない。伸びるのは巻き込む手だ。
「ギャー!? ご、ごめんなさ――い!」
走りまわるセラと、追いかけるゆり子。酔いのダメージが多大なるり子は追いつきそうで追いつかない。巻き込まれるのは、シェリアだ。
「わたくしは真剣に実験……コホン、状態観察と改善に努めましてよ」
セラの走る方向にいたシェリアがそう言いながらもるり子から逃げる。
「いや、あたしも本気で改善の方向へ……そりゃちょっとスパルタかもしれないとは思ってけど」
ソフィアもるり子の剣幕に押されて走る。
「ああ、もう! 迅雷っ」
「今回は、どこが悪いのかはっきりすれば今後は自分で……何とかできると思いますから、これでいいのでしょうね」
セラたちを追いかけまわしていたるり子は力尽きたのか、地面に倒れ込みゼーハーと荒い息を繰り返している。
とはいえ、先ほどまでの動きを見るに十分に忍軍といえる俊敏さを兼ね備えているものだった。依頼はこれで終了でしょう、と叶伊が判断する。
星嵐としても、るり子が酔っている状態でどの程度動けるのかというのを把握し、酔った状態での戦闘参加の際の行動方針が明確になって来たことで今回の依頼は達成されたと思える。その目標は酔った状態での戦闘ができるようになりたい、だからだ。
「ああ、そういえば治ってるみたいね……ツボ?」
呑気にるり子が疑問を発した。乗り物酔いをするたびに押されていたツボ。
乗り物酔いの継続時間が減っていることは確かだから、本日行ったうちのどれかが効果覿面だったのだろうが……。
「今日はありがとう、楽しかったわ。……とっても疲れたけれど。何が効果あるのか、はっきりしないけれど今度から試してみるわ」
実にあっさり、爽やかに、るり子は退散した。忍軍たるスキルを使っての、逃走である。
「え、ちょ――?」
「報酬は斡旋所から受け取ってね! 私は行くわっ! 今から、レッツ依頼よっ」
張り切って行ってきまーす。と手をぶんぶん振って去るるり子。
「な、なんだったんだ……」
嵐のように去って行ったるり子に、セラが呟いて六人は解散した。