●天の岩戸
「おじゃまします」
黄昏ひりょ(
jb3452)は依頼人である保津の自室を見渡した。
広い。
学園の寮は学生が多いため、常に建造されている。そのために計画性がなく建てられて、島内の寮は上から下まで様々あるが、基本は「早い者勝ち」「上級生優先」である。
であるのに、この部屋はとてもとても広かった。五人部屋を成績優秀者の特権で一人彼一人が使用しているらしいのだ。思わず、依頼人をジト目で見る。
「虎徹はんを運動させるのは外がええんやな?」
着物姿が美しい大和田 みちる(
jb0664)が声を掛けるとデレっとする依頼人……。
「よしよしよし。大和撫子おっけぇー!」
なんとなく、なんとなくだが――人から好かれなさそうな気配。いや、KY(空気読めない)の感覚がにじみ出ている。
(止そう……)
愛猫の虎徹にツンドラされている原因なんて、今は関係ないだろう。
「ちょうどあそこの窓から庭に出れるから、コタツ撤去したらそのままそこで遊んでね☆」
でぶにゃんを美猫に戻すという依頼に、同じく白猫な猫宮ミント(
jb3060)は激しく共鳴を覚えた。冬の寒さは猫には辛い、よってコタツに丸くなるのは当然だ。しかしだからと言ってでぶにゃんは乙女には辛い。
(ついついイチゴを食べてしまうのにゃー……)
大好物のイチゴがあったなら、思わず飛びつき食べてしまう自信があるミントは虎徹の様子に涙だ。他人ごとではない……。冬の油断は乙女に大敵である。
それを依頼人に力説したのだが――結果、依頼人はウザくなった。
にゃんこさんは俺も大好き! むしろ動物大好き!などと言ってワッホーしている。語尾に☆なんて男子としてどうなんだ、と誰もが思っていたがそっとしておいた。愛猫の虎徹にツンドラされている原因……。
よくよく聞いてみると、彼がツンドラされているのは何も虎徹だけではないらしく、バハムートテイマーなのに動物全体どころか、自分のヒリュウとストレイシオンにもツンドラ。友人にまで……何も言うまい。
ジェニオ・リーマス(
ja0872)は普段からおっとりとしているが、この依頼人には心の中だけで涙した。
「ここの台所は使ってもいいのでしょうか?」
羽佐間 味丈(
jb0767)が意外と綺麗な台所を見ながら尋ねた。
「虎徹のためだもん! なんだっていいよ、材料も足りなかったらこれで買い物してよろしくっ」
依頼人はすちゃっと、カードを取り出すと味丈に握らせて、自室を飛び出した。その後の彼を見たものは、いない。今度は猫用アスレチックだ!などと叫んでいたのは聞こえていない。――虎徹の機嫌を損ねないために、出て行ったらしい。
「なんか、変わった人だねー」
あはは、と笑って見せたのは艾原 小夜(
ja8944)だ。保津を変わった人、で済ませられるおっとりさんはすごい。
「そうやね。それより、虎徹はんの説得に入りましょか」
柔らかに微笑んで同意するみちる。彼女もおっとりさん。話が逸れたのは意図的か、無意識なのか、どちらにしろ依頼に専念しよう。
部屋の中は雑多だ。カーペットやクッション、ボール……。
猫用道具以外はすべてしまってあるらしく、破れそうなものは多いが、割れるようなものは鏡くらいだ。とはいえ、なんでも使っていい、なんでも壊していい、なんでも買ってもいい、とまですべてがOKを出されている状態でそんなに気を使う必要もない。
――中央、どどんと構えるコタツに六人はキリッとした表情をして……しゃがみこんだ。
大人がいい年して、とか後ろからの姿は誰にも見せられないとか。そんなことはどうでもいいのである。――今すべきは、依頼人の愛猫・虎徹の説得のみ。
●わいわいわい
最初に口を切ったのは動物交渉を持つ、ジェニオ。
「冬はねーご飯とかおやつは美味しいし、寒いと動きたくなくなるけど、せっかくの美人さんだから、僕たちにもその顔を見せてほしいな〜」
……。
「えっと、嫌なの、かな?」
蒲団から飛び出す片腕にも蒲団自体にも動きは全くない。出ている片方の手にそっと、リボンを近づけ一通り動かす。――が、反応なし。寝ているのか、あわや死体か、という感じだったが、ぐずった。うっとおしそうに、体勢を入れ替えてそっぽ向く。
その様子に、ジェニオは他に任せようと一端、体を起こす。大丈夫だと思ったんだけど、と言葉を漏らし苦笑するのに代わり、小夜。
「虎鉄さーん、もうすぐ春だよ、でておいでー」
ほらほらほら〜。と声を掛けるも、――無反応。
ここは任せぇ、というみちる。何か策がある様子だ。
「虎徹はん、名前はいかついけどあんたも年頃のお嬢さんやろ?太った女の子っちゅうんは殿方からすると見苦しく見えるらしいで?」
意外や意外、ピクリと腕が動いた。しかしそれも一瞬。
「少しずつ、ダイエットしよ。保津さんもブラッシングで綺麗にしてくれる言うし、頑張ろ?」
その言葉に腕は動いた!――と思いきや、爪が一閃。
みちるは上体をずらして避けたが、その腕は蒲団の中に潜り込んでしまった。
「どないしよ……。禁句やったみたい」
女の子の言葉に反応したはずの虎徹はけれど、保津の名前には過剰反応してしまったらしい。もとより出ていた腕までも仕舞い込み、コタツの蒲団に引き込もる。
どうしよう、と困り顔を見せたみちる。任せるにゃ、とまたしても頼もしい言葉を放ったのはミントだ。
普段から猫のような彼女なら虎徹の気持ちもわかるかもしれない。期待に満ちた目を向けるみちる。小夜も頑張れ、と無言のジェスチャーを送ってくる。
そんな二人を背に、ミントは蒲団の中に上半身を突っ込んだ!
頭隠して尻隠さず――いや、上半身を蒲団にうずめて説得に取り掛かるミントから自然、視線を外して皆はそれを待っていた。
ドゴッ!
何らかの音がする。
もさもさ、もそ。ドゴッ!
くぐもっていて、鮮明ではないが――何らかの争う音。
しーん。
「いたたたた。虎徹、爪長いにゃ……」
ごそごそと頭を出して体勢を直したミントは涙目だった。赤い爪痕が残された腕を押さえてしょんぼりしている。――強敵のようだった。
「う〜ん、猫のダイエットがこんなに難しいとは思わなかったな」
俺の動物交渉のスキルも効かないんだろうなぁ、とひりょが漏らした。
ひりょの実家にも猫がおり、今回のことはなかなか他人事ではない。うちは大丈夫だろうか、などと心配になる。久遠ヶ原学園は依頼で外に出ることは多いが、長期休暇を取るといったことはなかなか難しい。――最近会っていないな、と寂しさと懐かしさに目の前のことがついつい忘れそうになる。
そんな感じで、打つ手のない六人。若干一名、ほぼ何もしゃべっていないのだが、味丈は無口な少年である。これが常だ。
味丈の興味は料理。彼の目指すものは料理人。故に、料理に関すること以外を話すことは、ある。あたりまえだが。ただし、料理以外のことに関する口のひもがちょっと硬い。
そんな味丈の今の考えは、ずばり。ダイエットと言えば、ダイエット食。である。
人間であればもっと協力ができたかもしれないが……などと思いつつ、依頼前に事前にキャットフードの知識を仕入れてきている彼である。ただし、無言。
猫にも好みがあるだろう、と複数種類のキャットフードを用意している。しかし、無言。
彼としては、キャットフードはありつつも、虎徹に見てもらえなければ意味はないだろう、ということで。まだ機会をうかがっている途中なのである。ただし、無言。
「現在の虎徹はんはまるでアマテラスのようやなぁ。天の岩戸に閉じこもる神話、あったやろ」
「うーんと、それで言うと戸の前で踊ったり酒盛りをしていると、出てきたんだっけ?」
「それでいうと今回は彼女の興味を引くような楽しいことをやっていればいいのでしょうか」
「食べ物で釣りますか」
みちるの例えに、ジェニオがおぼろげな記憶を辿った。そしてひりょが言葉を繫ぐ――と、味丈がようやく発言。
依頼に参加して二言目。多少驚きつついる前三人。けれど、会話はそのまま続くようだ。
「ダイエットさせるのに食べさせるのにゃ?」
「要は興味を持たせればいいんです。中身はダイエットフードでも外見ではわかりません」
「最近はペットスイーツが流行ってるんだよねー?」
キラキラしててすごいっ
と目を輝かせる小夜。ペットスイーツは最近、カフェなどで提供されているペット食である。
クッキーやお菓子と言ったものに限らず、ケーキからお節から、いろいろなものがあるのが最近のペットスイーツである。実寸大は小さいのだが、写真で見たら人間用とペット用と分けられないものもあるのが最近の技術。
――とまぁ、それを小夜が知っていることと、それをすごいと呼ぶのはいいとして。
なぜ、キラキラとした目を味丈に向けているのか。
それはもちろん、味丈が料理人だからである。
いえ、パティシエでもペット食専門家でもないのですが。
ちなみに、プロはペット食管理士視覚というのが必要である。
●なにしたの
結局のところ、味丈は持ってきたキャットフードを元に、料亭で働いていた経験を持つというジェニオとともに頭をひねらせながらも、作り上げた。
猫用スイーツ。ケーキである。
「さぁ、これでどうですか」
ずい、とコタツに向けてケーキの乗る皿を近づけた。
ペット用というには惜しい、ボーンクッキーを飾りにしたケーキ。もちろんダイエット用であって、虎徹が気に入るかどうかはわからない。けれど、外見は完ぺきだ。
中身は猫用なので味見ができず、そこのところに少々の不安もあるが――大丈夫だろう!
イチゴを筆頭としたフルーツも上には盛られている。……ミントの視線が痛い。
彼女の視線は一点に集中している。狙いを澄ます、猫のよう。
そして、
「いっちご〜!」
ダッシュ!
いや、奪取!
ケーキの上に盛られた真っ赤なフルーツである、イチゴへ向けて彼女の指は伸ばされた!
そこへ、対抗するように向かってくる腕――白くて毛長の、虎徹の腕!
二人の飛び込んだ先はもちろん、ケーキ。つまり、皿。つまり……
「ちょ、何を――」
味丈の言葉は途切れた。
●美猫へ向けて!
「予想としてはもっと、スローな感じだったんやけど」
おっとり、微笑みつつ現状を受け入れてしまっているみちる。
「それだけ彼のケーキが魅力的だったというなんだよ」
二人の見つめる先、味丈の上に乗ったままケーキを貪り食うでぶにゃん・虎徹。
目的の物を食べ終えたミントは次なる獲物を探して――台所へ向かった。
なにはともあれ、虎徹がコタツから出てきたのでひりょは虎徹を撤去中。コタツの土台を折りたたんだりしている。その横で、外した机を雑巾で拭く小夜。勤勉な二人だ。
低温火傷をしているかも、などと心配したのもなんのその。フクヨカでありつつも俊敏な動きで獲物を狙い、元気いっぱいな虎徹である。
コタツを片付けた後の暖房に関しては、部屋の空調が効くらしい。一通り、片づけを終えたひりょは暖房を入れてしまう。依頼人からの許可は出て居るので(現在、本人はいないけれど)問題はないだろう。
コタツのあった場所にホットカーペットを敷いておく。みちるが持ち込んだものだ。その上にコタツに使っていた蒲団を重ねて、完成。
「土台がない生で櫓にはなっていないけれど、虎徹の気に入ってる蒲団があるならいいよね」作戦。命名は誰か不明。
「ほな、虎徹はん。運動しましょか」
みちるがそこらへんに放ってあった、おもちゃを持って虎徹にソロッと近づき、ちらちらと視界の端で動かす。
ジェニオの手にあるのはボールとリボン。先ほどの失敗を取り返すように、リボンを動かして――くるくるくる、と新体操のような華麗なリボンさばきを披露している。
負けず、とばかりに小夜もボールをコロコロ。ジェニオの持つものより、小さいものだ。それと鈴を鳴らして気を引こうとしている。視線は低く、猫と会話をする気満々で目を合わせている。
「ほーら鈴ですよー?キレイな音がしてますよー?」
味丈はヒリュウを召喚させて、虎徹のライバルにしようとしたようだ。
「いくら太ったとしても、狩りの習性、つまり猫の本能は残っているはずです……が」
しかし、みちるの動かすおもちゃに気をひかれたのはヒリュウの方らしい。虎徹はジェニオと小夜のボールを交互に追っている。
「あ、ヒリュウが……」
ジェニオのリボンに絡まっているヒリュウ。何気にラッピング処理をされて、ちょうちょ結びされたリボンが頭の上にある。
そしてミント。彼女もなぜか、ボールを追いかけるのに夢中である。
うん、猫だし。いいんじゃないかな。
そんな彼らの様子を見ながらひりょは一言。
「というか、あれは冬毛じゃないのか?」
ふっくら、ふくよかに見えるがあれば確かに――毛が膨らんでいるような、……。
猫じゃらしで遊ぶ彼らを前に、ひりょは――気づかなかったことにした。