突然鳴り響いた非常ベルに、場内の客たちは立ち止って不安げに辺りを見回している。
「只今、状況の確認中です! 皆さん、そのままお待ち下さい!」
施設のスタッフが周りの客に声を掛けて、管理室に内線で確認を行う。
「なに? この非常ベル。何かあったのかな?」
広場の入り口付近にいたカップルの女の子が、不安そうに彼氏の腕にしがみ付く。
「大丈夫だよ。きっと誤報さ。機械の故障とかいって」
そう言って彼氏が彼女の肩に手を回そうとすると、ガシャガシャと何か硬いものを打ち付けるような音が背後から聞こえて、後ろを振り向いた。
「な、なんだ? あれ‥‥」
彼氏の声に振り向いた彼女も同じように唖然とする。見上げるような大きな蟹が広場に入ってくるところだった。
「なに? あれ。今日なにかイベントあるんだっけ?」
「いや、パンフには載ってなかったけど。しかし、さすがシー・パークだな。やたらリアルだなぁ。足の動きも滑らかで生きてるみたいじゃん。ていうか、リアル過ぎて、ちょっとグロくない?」
2人はそれをイベントの出し物だと思った。大きさがあまりにも現実離れしているからだ。
大蟹は広間に入ったところで立ち止まったが、すぐに自分たちの方へ向って歩き出す。
「やだぁ。こっち来る。ねぇ、あっち行こうよ」
「面白そうじゃん。何かしてくれるのかな?」
だが、それが近付くにつれ、段々違和感を覚え始める。あまりにもリアル過ぎるのだ。
「え、い、いや、まさか、そんな‥‥」
目の前に来た大蟹が巨大な蟹爪を振り上げた。しかし2人は、それが自分たちに向かって振り下ろされてきても動けないでいた。
「危ないっ! 避けてっ!!」
横合いからの叫び声と同時に突き飛ばされて、2人はもつれるように倒れ込んだ。
「痛ってぇ! 何するん、だ‥‥」
我に返った彼氏が抗議しようと顔を上げると、そこには薙刀で巨大な蟹爪を受け止めている巫女さんの姿があった。
「早く逃げて!! これは、天魔よ!」
間一髪で間に合った巫女樹蘭月(jz0116)が叫ぶように言うと、2人の顔が見るみる恐怖に染まる。そして、悲鳴をあげてその場を転がるように逃げ出した。それを切っ掛けに場内が大パニックに陥った。
お土産店で売り子をしていたナナシ(
jb3008)は、天魔だという声を聞いた直後に駆け出すと、闇の翼を広げて空に舞い上がった。上から地上を見回して、広場に大蟹を見つけて全速力で急行する。
上空から魔法攻撃の一撃を放つとナナシは蘭月の隣に降り立つ。
「加勢するわ」
「ナナシさんだったよね。ここ任せてもいいかな? マリーナに怪我人がいるの」
「問題ないわ。他の撃退士たちもすぐに来ると思う。行って」
蘭月は頷くと広場から走り去っていった。ナナシはアウルを高めて構える。
「さあ、次は私が相手よ」
広場から離れた遊園地でバイトをしていた白蛇(
jb0889)は、パニックになっている人々を見て溜息つく。
「あるばいと中に天魔に出喰わそうとは。どれ、人の子を守るは神たるわしの役目 。いざ、行くとするか 」
白蛇は司を召喚しようとするが逃げ惑う人々で場所が狭い。
「ええい、一度静まらんか! ここに撃退士がおる ! 落ち着いて避難せよ」
白蛇は人々を諌めて下がらせると千里翔翼を召喚し騎乗する。
「すぐ係員の避難指示が始まる。それに従え。なに、心配は要らぬ。天魔はわしらが足止めする」
そう言い残して空へと舞い上がった。夕闇の中にイルミネーションとは異なる光を見つけてそちらへ向かう。
広場上空で交戦中の大蟹を見つけると、白蛇は書で攻撃しつつ周りを飛び回って牽制する。
「子らの元へは行かせぬ! 貴様は此処で骸を晒すが良い!」
比較的近くの施設にいた紅葉公(
ja2931)と神城朔耶(
ja5843)、紅アリカ(
jb1398)も現場に駆け付けて攻撃に加わった。
「どうして、こんなところに蟹型のディアボロが?」
紅葉の言葉に、アリカも呆れながら言う。
「‥‥まったく、どこにでも現れるのね、天魔って‥‥」
隣の朔耶も頷く。
「しかも、この時期にディアボロですか。嫌がらせにも程があるのですよ。いい加減にして欲しいです」
紅葉とアリカは魔法攻撃を、朔耶は梓弓で敵を囲むようにして攻撃を加えていく。
常木黎(
ja0718)も広場から離れた施設にいた。しかも人々が逃げてくる方向なので、広場に行くには流れに逆らわなければならない。
「この人込みを逆走しなきゃならないのか‥‥ 仕方ない。売り子で無駄に愛想を振り撒くより、得物をもってやる仕事の方が楽しいしねぇ」
そう言うと人込みに向かって駆け出す。撃退士の能力を全開にして、人々の隙間を飛ぶようにすり抜けて数分も掛からずに広場に到達した。
「待った? 道が混んでてねぇ」
6人の撃退士が広場に集まった。しかし、周りには、まだ逃げ遅れた人たちがいる。
「周囲に人が多すぎる。このままじゃ駄目ね、とりあえず少し時間を稼いで!」
ナナシと白蛇が一旦救助に向かう。機動力を活かして人々を避難させていく。
ナナシは動けない人を抱えて安全な場所まで運び、レジャー施設の本部に連絡して広場の敵のことを伝え、広場を避けて避難させるように要請する。また怪我人のために救急車も呼んでもらう。
白蛇も動けない人たちを千里翔翼の背に乗せて運び出していく。
その間に4人が大蟹の足止めをする。黎はP37で脚の関節や開口部を狙い、紅葉は魔法攻撃で異界の呼び手で敵を拘束しようとするが、相手も素早く動くためになかなかタイミングが取れない。とりあえず、咲耶が後方から梓弓で援護しつつ、アリカは封砲で動きを封じていく。
「‥‥これ以上は進ませない、絶対に食い止めるわよ!」
避難が完了して2人も戻ってきた。いよいよ、ここからが本番だ。6人が敵と対峙する。
「さて、迷惑なお客にはお帰り願うとしようか」
黎がP37を構える。
「先程の言葉を、真実とする時が来た。去ね、天魔の従僕たる大蟹よ! 」
白蛇の言葉に次いで、アリカがスキルを発動する。
「‥‥覚えたてのスキルを試すいい機会だわ。行くわよ‥‥!」
炎熱の鉄槌を振り抜いて封砲を放ったのを合図に全員が攻撃を開始する。今回、全員が中遠距離攻撃タイプのため、まさに一斉攻撃だ。
だが、敵の甲羅は予想以上に強固だった。弾丸も弓矢も弾いてしまい、魔法攻撃の耐性も高い。そして何より動きが素早く、遠距離からの攻撃が当たり難いのだ。何とかして足を止めたい。
攻撃の隙を突いて、敵がナナシに襲い掛かる。
「くっ!!」
巨大な蟹爪を、間一髪で後方上空に飛び上がって躱す。そこを黎がクイックショットで蟹の目玉を狙うが、それも避けられてしまう。
「ちっ! 動きが速過ぎる!」
「次に動いたタイミングで、私が異界の呼び手で動きを止めます! そこを狙って下さい!」
紅葉はそう言うと、スキル発動のためにアウルを高めていく。他の者が時間稼ぎに牽制攻撃を続ける。
左に動いた敵が白蛇に向かって蟹爪を振り上げたときに、一瞬その足が止まった。
「!! 今っ!!」
紅葉が異界の呼び手を発動させた。敵の周囲の空間から無数の腕が表れて、敵の体に掴み掛かる。敵も蟹爪を振り回して払い除けようとするが、次々に現れる腕にその蟹爪も抑えられ、身動きできなくなった。
そのチャンスを逃さず、ナナシが雷霆の書を使って雷の剣を放つ。狙いは脚の付け根の関節部。数十本の雷の剣が正確にそこに突き刺さり、脚が根本から千切れ飛んだ。
「よし! まず1本っ!」
声帯を持たない大蟹は叫び声の変わりに口から大量に泡を吹いて身悶える。そこで異界の呼び手が切れて再び動けるようになると、怒り狂ったように暴れだした。
しかし、そうなると逆に動きが読めなくなってしまい拘束魔法が出し辛くなってしまった。
「‥‥このままじゃ消耗戦ね。なら‥‥」
アリカは武器の活性化をシールドに変更して防御力を高めると、敵の懐に飛び込んだ。相手の不規則な動きに合わせながら、挑発のための牽制攻撃を繰り返していると、業を煮やした敵が蟹爪を振り回してきた。
「!!‥‥」
鉄槌を構えて踏ん張ると、重い衝撃が襲い掛かる。勢いで1mほど後ろにずり下がったが何とか堪えた。
白蛇はアリカの意図を予想して、既に光纏していた。足元から穢れを示す黒き靄が、吐息から清浄を示す白き靄が発生させ、そしてその瞳は蛇のように縦長に萎縮していた。
アリカが敵の攻撃を受け止めた瞬間に、白蛇はアウルを込めたエヴァーグリーンを放つ。目に見えないほど細い糸が蟹爪に巻きつく。
「調子にのるでないっ!!」
白蛇の金色の瞳がより強く光り、巻きついた緑の糸が一気に引き寄せると、蟹爪が粉々に砕けた。
「アリカさん、下がって下さいっ!」
間を置かず、今度は咲耶が審判の鎖を発動させる。
「本来ならば祝福すべき日だというのに、貴方達天魔はどうしていつもいつも!」
聖なる鎖が発現し、敵をがんじがらめにした。
「今度は私の番だよ!!」
黎はP37を構えて駆け出すと、走りながらクイックショットからアッシドショットに切り替える。動けない蟹脚を足場に飛び上がると、口と思しき部分に銃口を向ける。
「またのご来店を、と」
薄笑いと共に連射。
「Yeah.Serves you right!」
撃ち尽くすと後方にトンボを切って着地し、素早く後退する。
入れ替わるように、今度は紅葉がライトニングを放って脚をもう1本吹き飛ばした。
連続の痛撃に、聖なる鎖が解けても、敵の動きは目に見えて鈍くなっていた。
「一気に畳み掛けるよ!」
「私がいきます! 拘束をお願いします!」
咲耶がそう叫ぶと、紅葉が再度異界の呼び手を発動させて、敵の動きを止める。
咲耶は胸にある勾玉を握りしめてアウルを高める。勾玉が淡く光り出すと同時に、咲耶の黒髪が根本から真っ白に変化していく。そして、それまで閉ざされていた目が開かれると、瞳は金色に変わっていた。
左手を前に突き出すように構え、握った右手を顔の横に添える。つぎの瞬間、右手に光る槍が表れた。ヴァルキリージャベリン。アウルによって作り出された槍だ。咲耶が鋭いモーションで光の槍を放つ。
高速で飛翔した槍が敵の胴体に深々と突き刺さる。巨大な蟹の体が激しく痙攣する。
「一斉攻撃じゃ! ありったけ叩き込め!!」
全員が持っているスキルを発動して、止めの一撃を放つ。弾丸が、魔法が、弓が、鉄線が、鉄槌、雷が、容赦なく降り注ぎ、敵、ディアボロは体をバラバラにして吹き飛んだ。
降り積もった雪に落ちた残骸。嘗ては人間だったはずの骸。断末魔の叫びもない。静かな終わりだった。
「‥‥終わった、な‥‥」
黎の言葉に頷くものはいなかった。物悲しい雰囲気だけが漂っている。
「ハッ! まだ終わりじゃない! 怪我人がいる!」
ナナシが叫んだと同時に駆け出す。
「どこに!?」
「マリーナの方だって言ってた!」
「行きましょう!」
咲耶がそういうと、全員でマリーナに急行する。
「お願い! しっかりして! 死んじゃだめだよ! 血、止まって! 止まって‥‥」
マリーナに戻った蘭月は、重症を負った彼氏の流れ出す血を止めようと、必死に傷口を抑えていた。しかし深く抉られていて、とても1人では押さえられない。
「あなたも手伝って!」
だが彼女は恐怖に震えて嫌々をするばかり。
「まだ生きてるんだよ! 彼も今戦ってるんだよ! 生きようとしてるんだよ! それを、彼女のあなたが見殺しにするの!?」
蘭月の厳しい叱責に体をビクリと震わせる。恐る恐る倒れる彼氏の方を見やる。
「また彼に会いたくないの? 彼の笑顔を見たくないの?」
蘭月の問いに、消え入りそうな小さい声が呟いた。
「‥‥会いたい‥‥」
「なら、助けなくちゃっ! さあ! こっちにきて手伝って!」
彼女はゆっくり近付くと、恐る恐る震える手を伸ばす。直前で躊躇する手を蘭月は掴んで、無理やり傷口を押さえさせる。
「ヒッ!」
彼女は悲鳴を上げたが、今度は逃げなかった。勇気を振り絞って傷口を押さえる。
「がんばろう! きっと仲間が助けにきてくれるから!」
しかし、血は止まらず、脈もどんどん弱くなっていく。励まし続けるも、助からないかもという焦燥感が強くなってしまう。その時、
「巫女樹さん!!」
自分を呼ぶ声に顔を上げると、ナナシと、他のみんなが走ってくるのが見えた。
回復魔法が使える咲耶が真っ先に駆け寄ってくる。
「ヒールを掛けます! 下がって!」
呪文を唱えて両手を翳すと、横たわる彼氏が淡い光に包まれる。だが、傷口が大きいため、なかなか効果が表れない。咲耶も額に脂汗を浮かべて必死に回復魔法を継続させる。
傍で泣きじゃくる彼女の背中をナナシが優しくさする。
「大丈夫。大丈夫だから信じなさい。貴方が信じずして、誰が彼の無事を信じると言うの?」
そのとき、やっと遠くの方から救急車の音が聞こえてきた。紅葉が携帯でマリーナに急行してもらうように連絡を入れる。そして、やっと回復魔法の効果が表れて、出血が止まり傷口も小さくなってきた。脈も再び強くなり始めている。何とか峠は越えた。あとは病院に搬送して治療してもらえば助かるだろう。
蘭月が安堵で倒れ込みそうになったところを黎が支える。
「よく、がんばったな」
「‥‥いいえ、みなさんのおかげです」
彼女と彼氏を乗せた救急車が走り去っていくのを7人は並んで見送った。
先ほどと違い、みんなの顔には笑顔があった。
止んでいた雪がまた降り始めて、血の跡を白く覆い隠していく。
心地よい静寂の中、ナナシがポツリポツリと語り出す。
「私ね、この世界の事を勉強して、最近少しだけ思うの。私たちが頑張れば、世界から悲しみを無くす事ってできるのかな、って。私たちにだって奇跡って起こせるのかな、って」
夜空を見上げた蘭月の頬に雪が舞い降りる。
「そうだね。それに今日は、クリスマス、だもんね」